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ストーリー01
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俺の名前はロイ・ナンテ。職業は黒魔術師をやっている。年齢は25歳。好物は紅肉亭のトンカツ。苦手なことは運動全般。特技は緻密な魔道具の製作だ。
そんな俺だが、実は重大な問題を抱えている。世にいうコンプレックスというやつが俺を悩ませているのだ。
俺は――かなりのおデブちゃんだ。黒魔術師のローブにその太った外見から俺の綽名は黒豚。これは隠密などの目的の場でも使用されている。
なんというか、これまでは正直どんなに太っていようが構わなかった。両親は一人息子の俺を俺自身が思うほど溺愛して、たっぷりの食事をいつも出してくれる。俺は残さず食事を食べて、さらにおかわりまでする。そんな俺を二人は微笑ましく見てくれる。
同僚だって、俺の外見をからかうが、それは好意的なものだ。だから黒豚とは呼ばれても、魔道具研究部内での俺はマスコットキャラクター的な立ち位置だ。先輩には可愛がられ、後輩には好かれる。だから太ってることは、俺にとってデメリットにはなり得なかった。
だが、そんな俺にも春が訪れる。
リゲル・ホーネンツ伯爵。
俺は彼の発表した詩にまず惹かれた。こんな素敵な詩を作るのだから、性格も繊細な人に違いないと思った。続いて彼の載っている写真集でその姿に見惚れた。逞しく割れた腹筋など、目を奪われてうっかり鼻血が出そうになった。思わず、気さくに笑う隠し撮りのような構図のページを小さくして俺はロケットに挟み込んだ。
それから時を経るごとに、俺の想いは膨らみ、やがて紛れもない〝恋〟に変わっていった。
ある時、魔道具研究の功績が認められ、貴族のみ出席が許された晩餐会へ招待されることになった。俺は魔術師の正装である黒いローブを羽織り、会に参加した。
その場で初めて生のリゲル伯爵を見た。本物を見たとき、絵本から飛び出してきたんじゃないかとか思えた。それぐらい男としては理想的な容姿だったのだ。凛凛しい眉根は一見気難しい印象を与えるが、和やかに隣人と話すその口元は緩められていて、顔全体の印象は厳しさと穏やかさが相殺されている。真っ直ぐに下りる鼻筋も、彼の外見を引き立て、魅力的に映る。
だが、やはり目を引くのは――丹念に鍛え抜かれたその体。引き締まったボディには脂など存在しないのではないかと思えるほど、すっきりとしている。それでいて十分に肉厚で、噛んでも容易には痕さえつかないのではないかと思えた。
彼の性格を表すようなその外見に、俺は惚れに惚れてしまった。
声なんて畏れ多くて掛けられない。ただ、ただただ見ているだけでいい。それすらも、視界の端にちらりと収めるだけ。でもそれで十分だった。
そう、その瞬間までは晩餐会へ来たことを後悔などしていなかった。
だが、人間が時にいかに残酷か、俺は身をもって知ることになる。
「おい、そこのお前! 見ない顔だ……!? な、なんだ貴様! その外観は!」
「?」
突如、にわかにリゲル伯爵が騒ぎだした。周囲も遅れて反応する。何故だろう、急に視線を感じるような……。
しかしそれは気のせいではなかった。呑気に食事をとっていた俺の周囲から、次々に人が去っていく。そして自分の周りに丸い空間が出来てしまった。
「ん?」
「お前! お前だ、黒魔術師の格好をして皿を持ってるお前!」
「私ですか?」
「そうだ」
「何かご用ですか?」
初めて彼に声を掛けられたことで、運命的な出逢いを夢想してしまう俺。柄にもなく興奮してしまうのが分かった。
だが、続いた言葉が俺を壊す。
「醜い豚め、失せろ! 俺は汚いものが大嫌いなんだ。二度と俺の前に現れるな!」
何を言われたのか、すぐには理解出来なかった。だから声も出なかった。ただ、遅れて脳内で全ての言葉を解読した後も、その一言が俺へと向けられたものでないことを願う俺。だが――
「聞こえなかったのか? 俺は失せろと言ったんだ。そこの黒豚」
知ってか知らずか、しっかりと、彼は俺のあだ名を口にした。今までは笑って受け流せた言葉。だが、今、始めてこの身が、余った肉が、付いた脂肪が、恥ずかしいと思えた。公衆の面前で思い切り罵倒される俺。周囲はそんな俺を嗤う。
後から知ることになるのは、彼が極度の潔癖症であるらしいとのこと。醜い外見にたいして酷い偏見を持っているという噂だった。だから自然と彼にすり寄るものは厳選される。彼の周囲に侍ることが許されるものは選定されていき、リゲル伯爵のお眼鏡に叶った人物だけが残される。基準が明確過ぎる判定。美か醜か。それだけのこと。
急ぎ足で、優しい両親の声も無視して部屋に引きこもる。帰ってから、悔しくて悲しくて泣いた。丸一日泣き通した。俺の心は千千に乱れて、ずたずたに引き裂かれた。
屈辱的な罵倒を、あまつさえ片想いの相手から突き付けられた。立ち直れないぐらい落ち込んだ。
俺は、部屋から出るのが怖かった。脳裏にはあの晩餐会の人々のにやけた顔が過り、リゲル伯爵まで嗤っているのだ。俺は笑い者。恥さらし。
疲れて眠るまで、俺は泣いた。昼に起きたら、ローブはシワだらけで、目は真っ赤、それに普段よりも顔が膨れていた。
惨めだった。不幸のどん底にいる気分だった。
それでも腹が空く。腹の虫が鳴ることにまで泣けてきた。俺は、でも、食べることさえ怖くなった。また、あんな風に突き付けられるんじゃないかと。俺の外見を、黒豚というあだ名を、公衆の面前でおもいっきり侮辱するように呼ばれるんじゃないかと。
そう思えば、辛かった。
それでも、俺を心配する母が扉の外に用意した冷や飯を、素手でかっ食らった。本物の豚になった気分だった。
その翌日、俺は親離れしたいことを両親に一方的に告げ、誰も甘やかしてくれない環境に身を投じることにした。
何故か?
それは……――彼を見返す為。二度と黒豚とは言えない肉体になって、こっそりとリゲル伯爵に復讐する為だ。復讐する内容までは思い付かなかったが、第一段階である「見返す」という目的の為に、俺はど田舎に向かう。
それから五年後。田舎で一人修行に明け暮れる日々は、俺の体から確実に脂肪を搾り取っていった。貧しい田舎ならではの質素な食事に、厳しいトレーニング。昼夜の生活リズムを崩すことなく健全に過ごすと、俺は――見違えるように細いフォルムを手に入れていた。贅肉を丸ごと削りとったように、腹の肉はなくなり、さらには腹筋まで微弱ながら割れている。顎のラインもシュッと鋭利になった。黒魔術師の正装のローブは羽織るとすっぽり体が埋まってしまい、服に着られてる感がある。
ついに、ダイエットに成功した!
喜びはひとしおだった。身につけていたロケットを眺めてほくそ笑む。そこには未だにリゲル伯爵の写真が入っている。ダイエットに屈しそうな時に眺めては気力を奮い立たせていたのだ。
そして、俺は今、久々の王都に居る。目の前には豪邸へ続く門。ここはあのリゲル・ホーネンツ伯爵の邸宅である。
アポイントメント等は無い。今日は下見だから、あくまで伯爵の姿が見れればいいな、ぐらいの気持ちで訪れていた。
だが、ついているのか、邸宅の方から誰かが出てくる。派手ななりは忘れるはずもない、リゲル伯爵その人だった。そして彼もこちらへ気付いた様子を見せる。と、一度止まったと思えば、猛スピードで駆けてくるではないか。
なんだ? 刺客とでも間違えられたか?
内心、復讐などとよろしくないことを考えているので、それを看過されたのではないかと焦る。
門を越え、俺の目の前まで来ると、改めて検分するようにまじまじと見つめられる。至近距離に戸惑う。と、俺が押しに負けて足を引くタイミングで、彼の手がのびる。
息巻いてやって来たが、まずかったか? やはりこの程度の変化では……彼の目には醜く見えるのだろうか?
かつてのショックのせいで不安に陥る。
だが、俺の手をとり、彼は言った。
「美しいお兄さん、私と結婚致しませんか?」
そして、恭しげに手の甲へとキスを落とす。
「へ?」
え? 何? 俺の聞き間違い??
「一目惚れしてしまいました。私はその緻密な美に目を奪われてしまった哀れな男です。罪なお人よ、どうか私めの恋心を受け入れてくださいませ」
「え、あ……ええ!?」
一目惚れだって!?
冗談だろ! 俺、今度はからかわれてるのかな?
「あの、そういう冗談はいいですから……。し、心臓に悪いです」
「冗談などであるものですか。この心は本物です。さ、どうか私を受け入れてください」
「受け入れろって……なんだよ、それ。あ、アンタは俺なんかと本気で結婚したいのか!? 正気か!!」
「私にとって美こそが全てですよ」
「違うだろ。俺はアンタにとって――醜だろ!」
今でも時折頭を過る。こびりついた罵声は生半可な年月じゃ消せなかった。身が凍りつくような酷い言葉の嵐。脳内は有ること無いこと連想していき、我知らず震えていることもあった。
「あ、アンタは……――俺を醜い豚だと罵った!」
「ええっ!? なにかの、お間違いでは……?」
「いいや、間違いなわけあるか! 俺はこの耳ではっきりと覚えている!」
俺が太っていたことを、酷い罵声を浴びせたことをそんなはずはないと否定するリゲル伯爵。こうなったら仕方ないと、俺は下見に来たことも忘れて、懐中時計に挟まっていた家族写真を見せつける。それこそ、証拠。
「どうだ! 思い出したか!?」
掲げた写真に目を向けて、彼は言う。
「……。ええ、確かに私はこやつを黒豚と罵りはしましたが……これが貴方? 冗談でしょう。こんな奴とは似ても似つかな、」
「また、……言ったな。俺を『黒豚』だって」
「ですから、貴方に言ったわけでは、……」
しかし、怒りで震える俺をみて、笑えなくなるリゲル伯爵。完全に口元がひきつっている。
「本当に?」
「本当だよ! この野郎!!」
勢い余ってリゲル伯爵をぶん殴ってしまう俺。それはそれは綺麗にストレートが決まる。リゲル伯爵は地面に倒れて唖然としている。
つて、俺は何をしてるんだ!?
伯爵相手に暴行を働いてしまった。復讐をするなどと息巻いておきながら、実際に相手に怪我をさせたことにうろたえてしまう俺。人を傷付けることに抵抗があり、良心に従い、リゲル伯爵を気遣おうとした。しかし殴っておきながらそうするのもためらわれた。俺の突発的な怒りは消えても、言われた言葉は消えて無くならないから。
「……そう、か。私は貴方にそんなことを……」
殴られて怒るかと思えば、伯爵は頬に手を当てたまま静かに呟いた。その思考する様子に俺は黙ったまま。
彼は――何を思っているのだろうか。
少しでもいい。そこに謝罪の気持ちがあるなら、許せるかもしれないと思えた。そうしたらさっぱりと未来へ目を向けられる気がした。過去の経緯なんか無くして。
「俺は――」
彼の、口が開く。
「貴方の過去がどうであれ、俺は――貴方と結婚したいです!」
「……」
「儚げな精霊のような外見、ああ、私の胸は貴方を見るだけで押し潰されてしまいそうだ!」
どうしよう。期待して損した気分だ。心から沸々と上がる怒り。それに俺は占拠された。
「……。アンタは、何も変わらないな。傲慢で人の気持ちなんて考えない。そういうとこ、がっかりするよ」
「そんなのは、誰だって、」
「口答えはいい! ようは、アンタと俺は相容れない存在だってことだ! さよなら、伯爵」
「そんな! 私の気持ちは……! せ、せめてお名前だけでも!!」
「誰が教えるか!!」
俺はそこで走って逃げようとするが、後を追いかけてくる伯爵。だから彼を巻くために短い魔法の詠唱をする。そして転移の魔法を使った。
「待っ……」
伯爵の声は途中で掻き消えた。俺は耳障りなノイズが無くなったことでせいせいした。瞬間的に転移の魔法を使ったから、自分が飛んだ場所さえ分からなかったが、どうやら自宅が目的地になっていたらしいことに安堵する。
今はとにかく頭を空っぽにしたかった。あんなことがあって冷静さを欠いた自分に腹が立ったりもしたが、何より腹立たしいのはリゲル伯爵の対応だった。
なんだよ……あれ。過去は過去だって簡単に割り切りやがって! 俺がどんな過酷な修行をしていたかも知らないで!!
考えるとまた頭に血が昇るので、俺は一旦思考を止めることにした。といっても、簡単には考えることをやめられるわけもないので、ひとまず違うことに集中することにした。
昼間だけどシャワーでも浴びようかな。それから昼食でも作って……それから魔道具でも弄ろうか?
やることが決まれば、さっさと取りかかろうと、俺は無理にでも頭からリゲル伯爵の顔を追い払った。
『美しいお兄さん、私と結婚致しませんか?』
そんな言葉が脳裏で木霊していたが。
そんな俺だが、実は重大な問題を抱えている。世にいうコンプレックスというやつが俺を悩ませているのだ。
俺は――かなりのおデブちゃんだ。黒魔術師のローブにその太った外見から俺の綽名は黒豚。これは隠密などの目的の場でも使用されている。
なんというか、これまでは正直どんなに太っていようが構わなかった。両親は一人息子の俺を俺自身が思うほど溺愛して、たっぷりの食事をいつも出してくれる。俺は残さず食事を食べて、さらにおかわりまでする。そんな俺を二人は微笑ましく見てくれる。
同僚だって、俺の外見をからかうが、それは好意的なものだ。だから黒豚とは呼ばれても、魔道具研究部内での俺はマスコットキャラクター的な立ち位置だ。先輩には可愛がられ、後輩には好かれる。だから太ってることは、俺にとってデメリットにはなり得なかった。
だが、そんな俺にも春が訪れる。
リゲル・ホーネンツ伯爵。
俺は彼の発表した詩にまず惹かれた。こんな素敵な詩を作るのだから、性格も繊細な人に違いないと思った。続いて彼の載っている写真集でその姿に見惚れた。逞しく割れた腹筋など、目を奪われてうっかり鼻血が出そうになった。思わず、気さくに笑う隠し撮りのような構図のページを小さくして俺はロケットに挟み込んだ。
それから時を経るごとに、俺の想いは膨らみ、やがて紛れもない〝恋〟に変わっていった。
ある時、魔道具研究の功績が認められ、貴族のみ出席が許された晩餐会へ招待されることになった。俺は魔術師の正装である黒いローブを羽織り、会に参加した。
その場で初めて生のリゲル伯爵を見た。本物を見たとき、絵本から飛び出してきたんじゃないかとか思えた。それぐらい男としては理想的な容姿だったのだ。凛凛しい眉根は一見気難しい印象を与えるが、和やかに隣人と話すその口元は緩められていて、顔全体の印象は厳しさと穏やかさが相殺されている。真っ直ぐに下りる鼻筋も、彼の外見を引き立て、魅力的に映る。
だが、やはり目を引くのは――丹念に鍛え抜かれたその体。引き締まったボディには脂など存在しないのではないかと思えるほど、すっきりとしている。それでいて十分に肉厚で、噛んでも容易には痕さえつかないのではないかと思えた。
彼の性格を表すようなその外見に、俺は惚れに惚れてしまった。
声なんて畏れ多くて掛けられない。ただ、ただただ見ているだけでいい。それすらも、視界の端にちらりと収めるだけ。でもそれで十分だった。
そう、その瞬間までは晩餐会へ来たことを後悔などしていなかった。
だが、人間が時にいかに残酷か、俺は身をもって知ることになる。
「おい、そこのお前! 見ない顔だ……!? な、なんだ貴様! その外観は!」
「?」
突如、にわかにリゲル伯爵が騒ぎだした。周囲も遅れて反応する。何故だろう、急に視線を感じるような……。
しかしそれは気のせいではなかった。呑気に食事をとっていた俺の周囲から、次々に人が去っていく。そして自分の周りに丸い空間が出来てしまった。
「ん?」
「お前! お前だ、黒魔術師の格好をして皿を持ってるお前!」
「私ですか?」
「そうだ」
「何かご用ですか?」
初めて彼に声を掛けられたことで、運命的な出逢いを夢想してしまう俺。柄にもなく興奮してしまうのが分かった。
だが、続いた言葉が俺を壊す。
「醜い豚め、失せろ! 俺は汚いものが大嫌いなんだ。二度と俺の前に現れるな!」
何を言われたのか、すぐには理解出来なかった。だから声も出なかった。ただ、遅れて脳内で全ての言葉を解読した後も、その一言が俺へと向けられたものでないことを願う俺。だが――
「聞こえなかったのか? 俺は失せろと言ったんだ。そこの黒豚」
知ってか知らずか、しっかりと、彼は俺のあだ名を口にした。今までは笑って受け流せた言葉。だが、今、始めてこの身が、余った肉が、付いた脂肪が、恥ずかしいと思えた。公衆の面前で思い切り罵倒される俺。周囲はそんな俺を嗤う。
後から知ることになるのは、彼が極度の潔癖症であるらしいとのこと。醜い外見にたいして酷い偏見を持っているという噂だった。だから自然と彼にすり寄るものは厳選される。彼の周囲に侍ることが許されるものは選定されていき、リゲル伯爵のお眼鏡に叶った人物だけが残される。基準が明確過ぎる判定。美か醜か。それだけのこと。
急ぎ足で、優しい両親の声も無視して部屋に引きこもる。帰ってから、悔しくて悲しくて泣いた。丸一日泣き通した。俺の心は千千に乱れて、ずたずたに引き裂かれた。
屈辱的な罵倒を、あまつさえ片想いの相手から突き付けられた。立ち直れないぐらい落ち込んだ。
俺は、部屋から出るのが怖かった。脳裏にはあの晩餐会の人々のにやけた顔が過り、リゲル伯爵まで嗤っているのだ。俺は笑い者。恥さらし。
疲れて眠るまで、俺は泣いた。昼に起きたら、ローブはシワだらけで、目は真っ赤、それに普段よりも顔が膨れていた。
惨めだった。不幸のどん底にいる気分だった。
それでも腹が空く。腹の虫が鳴ることにまで泣けてきた。俺は、でも、食べることさえ怖くなった。また、あんな風に突き付けられるんじゃないかと。俺の外見を、黒豚というあだ名を、公衆の面前でおもいっきり侮辱するように呼ばれるんじゃないかと。
そう思えば、辛かった。
それでも、俺を心配する母が扉の外に用意した冷や飯を、素手でかっ食らった。本物の豚になった気分だった。
その翌日、俺は親離れしたいことを両親に一方的に告げ、誰も甘やかしてくれない環境に身を投じることにした。
何故か?
それは……――彼を見返す為。二度と黒豚とは言えない肉体になって、こっそりとリゲル伯爵に復讐する為だ。復讐する内容までは思い付かなかったが、第一段階である「見返す」という目的の為に、俺はど田舎に向かう。
それから五年後。田舎で一人修行に明け暮れる日々は、俺の体から確実に脂肪を搾り取っていった。貧しい田舎ならではの質素な食事に、厳しいトレーニング。昼夜の生活リズムを崩すことなく健全に過ごすと、俺は――見違えるように細いフォルムを手に入れていた。贅肉を丸ごと削りとったように、腹の肉はなくなり、さらには腹筋まで微弱ながら割れている。顎のラインもシュッと鋭利になった。黒魔術師の正装のローブは羽織るとすっぽり体が埋まってしまい、服に着られてる感がある。
ついに、ダイエットに成功した!
喜びはひとしおだった。身につけていたロケットを眺めてほくそ笑む。そこには未だにリゲル伯爵の写真が入っている。ダイエットに屈しそうな時に眺めては気力を奮い立たせていたのだ。
そして、俺は今、久々の王都に居る。目の前には豪邸へ続く門。ここはあのリゲル・ホーネンツ伯爵の邸宅である。
アポイントメント等は無い。今日は下見だから、あくまで伯爵の姿が見れればいいな、ぐらいの気持ちで訪れていた。
だが、ついているのか、邸宅の方から誰かが出てくる。派手ななりは忘れるはずもない、リゲル伯爵その人だった。そして彼もこちらへ気付いた様子を見せる。と、一度止まったと思えば、猛スピードで駆けてくるではないか。
なんだ? 刺客とでも間違えられたか?
内心、復讐などとよろしくないことを考えているので、それを看過されたのではないかと焦る。
門を越え、俺の目の前まで来ると、改めて検分するようにまじまじと見つめられる。至近距離に戸惑う。と、俺が押しに負けて足を引くタイミングで、彼の手がのびる。
息巻いてやって来たが、まずかったか? やはりこの程度の変化では……彼の目には醜く見えるのだろうか?
かつてのショックのせいで不安に陥る。
だが、俺の手をとり、彼は言った。
「美しいお兄さん、私と結婚致しませんか?」
そして、恭しげに手の甲へとキスを落とす。
「へ?」
え? 何? 俺の聞き間違い??
「一目惚れしてしまいました。私はその緻密な美に目を奪われてしまった哀れな男です。罪なお人よ、どうか私めの恋心を受け入れてくださいませ」
「え、あ……ええ!?」
一目惚れだって!?
冗談だろ! 俺、今度はからかわれてるのかな?
「あの、そういう冗談はいいですから……。し、心臓に悪いです」
「冗談などであるものですか。この心は本物です。さ、どうか私を受け入れてください」
「受け入れろって……なんだよ、それ。あ、アンタは俺なんかと本気で結婚したいのか!? 正気か!!」
「私にとって美こそが全てですよ」
「違うだろ。俺はアンタにとって――醜だろ!」
今でも時折頭を過る。こびりついた罵声は生半可な年月じゃ消せなかった。身が凍りつくような酷い言葉の嵐。脳内は有ること無いこと連想していき、我知らず震えていることもあった。
「あ、アンタは……――俺を醜い豚だと罵った!」
「ええっ!? なにかの、お間違いでは……?」
「いいや、間違いなわけあるか! 俺はこの耳ではっきりと覚えている!」
俺が太っていたことを、酷い罵声を浴びせたことをそんなはずはないと否定するリゲル伯爵。こうなったら仕方ないと、俺は下見に来たことも忘れて、懐中時計に挟まっていた家族写真を見せつける。それこそ、証拠。
「どうだ! 思い出したか!?」
掲げた写真に目を向けて、彼は言う。
「……。ええ、確かに私はこやつを黒豚と罵りはしましたが……これが貴方? 冗談でしょう。こんな奴とは似ても似つかな、」
「また、……言ったな。俺を『黒豚』だって」
「ですから、貴方に言ったわけでは、……」
しかし、怒りで震える俺をみて、笑えなくなるリゲル伯爵。完全に口元がひきつっている。
「本当に?」
「本当だよ! この野郎!!」
勢い余ってリゲル伯爵をぶん殴ってしまう俺。それはそれは綺麗にストレートが決まる。リゲル伯爵は地面に倒れて唖然としている。
つて、俺は何をしてるんだ!?
伯爵相手に暴行を働いてしまった。復讐をするなどと息巻いておきながら、実際に相手に怪我をさせたことにうろたえてしまう俺。人を傷付けることに抵抗があり、良心に従い、リゲル伯爵を気遣おうとした。しかし殴っておきながらそうするのもためらわれた。俺の突発的な怒りは消えても、言われた言葉は消えて無くならないから。
「……そう、か。私は貴方にそんなことを……」
殴られて怒るかと思えば、伯爵は頬に手を当てたまま静かに呟いた。その思考する様子に俺は黙ったまま。
彼は――何を思っているのだろうか。
少しでもいい。そこに謝罪の気持ちがあるなら、許せるかもしれないと思えた。そうしたらさっぱりと未来へ目を向けられる気がした。過去の経緯なんか無くして。
「俺は――」
彼の、口が開く。
「貴方の過去がどうであれ、俺は――貴方と結婚したいです!」
「……」
「儚げな精霊のような外見、ああ、私の胸は貴方を見るだけで押し潰されてしまいそうだ!」
どうしよう。期待して損した気分だ。心から沸々と上がる怒り。それに俺は占拠された。
「……。アンタは、何も変わらないな。傲慢で人の気持ちなんて考えない。そういうとこ、がっかりするよ」
「そんなのは、誰だって、」
「口答えはいい! ようは、アンタと俺は相容れない存在だってことだ! さよなら、伯爵」
「そんな! 私の気持ちは……! せ、せめてお名前だけでも!!」
「誰が教えるか!!」
俺はそこで走って逃げようとするが、後を追いかけてくる伯爵。だから彼を巻くために短い魔法の詠唱をする。そして転移の魔法を使った。
「待っ……」
伯爵の声は途中で掻き消えた。俺は耳障りなノイズが無くなったことでせいせいした。瞬間的に転移の魔法を使ったから、自分が飛んだ場所さえ分からなかったが、どうやら自宅が目的地になっていたらしいことに安堵する。
今はとにかく頭を空っぽにしたかった。あんなことがあって冷静さを欠いた自分に腹が立ったりもしたが、何より腹立たしいのはリゲル伯爵の対応だった。
なんだよ……あれ。過去は過去だって簡単に割り切りやがって! 俺がどんな過酷な修行をしていたかも知らないで!!
考えるとまた頭に血が昇るので、俺は一旦思考を止めることにした。といっても、簡単には考えることをやめられるわけもないので、ひとまず違うことに集中することにした。
昼間だけどシャワーでも浴びようかな。それから昼食でも作って……それから魔道具でも弄ろうか?
やることが決まれば、さっさと取りかかろうと、俺は無理にでも頭からリゲル伯爵の顔を追い払った。
『美しいお兄さん、私と結婚致しませんか?』
そんな言葉が脳裏で木霊していたが。
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