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最終話 恋とは
しおりを挟む私は今、玉座の前に跪いています。
大勢の皇族と貴族たちが、その様子を固唾を飲んで見守っています。
「この度は、私の縁者であるフェルメズ王国王太子の不始末にて、ご心労をおかけしたことを心からお詫び申し上げます」
ウォルトン王国軍を退け、私たちはすぐにバンベルグに戻ってきました。
ことの顛末を報告するとともに、罰を受けるためです。
「うむ。今回のことは王太子の一存であったと聞いている。翰帝国の卑劣な謀略であった、ともな」
皇帝陛下が、顎にたくわえた立派な髭を撫でています。
怒っては、いらっしゃらないようです。
「そなたに罰は必要なかろう。身内の不始末は、すでに片を付けてきたのだからな」
「ご温情に感謝いたします」
「して。フェルメズ王家の継承問題はどうなる。王は病で倒れておるのであろう?」
「はい。国王陛下はすでにお話することも出来ない状態です。同じくイスハーク様も、ご病気によりお部屋から出ることも出来ない状態となっております」
詭弁です。
しかし、よりスムーズに王位継承の問題を解決するためには必要なこと。
「なるほど。病気では王太子を任せることはできないな。では、次の継承者を?」
「はい。現国王の男系の甥にあたる方が、次の継承順位となっております」
「ふむ、滞りなく継承が行われるのであれば、私が口を出すことでもなかろう」
「ありがたきお言葉」
「では、褒美が必要じゃな」
「褒美、ですか?」
「ウォルトン王国軍を、見事な奇襲であっという間に平らげたと聞いたぞ。さすが『獅子姫』じゃ」
「それは……」
「今回のことだけではない。連続誘拐事件のことも、『ヤル』のことも、それから連続毒殺事件のことも。おお、そうだ。ヒルベルト・ファン・ドルーネンとの決闘に勝利した祝いも、まだであったな」
「しかし、どれも私一人でしたことではありません」
「うむ、そうであろう。それを素直に言えることこそ、そなたの美徳じゃな」
「恐縮です」
「他の者にも褒美を与えよう。だが、そなたはそなたで褒美を受け取るべきじゃな。何が欲しい?」
「何、と言われましても……」
「フェルメズ王国へ帰ることを望んでも良いのじゃぞ?」
ハッとして、皇帝陛下を見上げます。
今回のことで、風向きが変わりました。
フェルメズ王国は、明確にウォルトン王国──すなわち、翰帝国と敵対することになった。つまり、オルレアン帝国を裏切ることができなくなりました。
この同盟には、人質の必要がなくなったのです。
「……いいえ」
それでも、私は帰るべきではありません。
「私は、ここで暮らしとうございます」
「ほう。なぜじゃ?」
「私は、すでに私自身のために生きる道を選びました。フェルメズ王国は、そこに生きる者たちの手で立ち直らなければなりません」
あの国の未来は、とっくの昔に私の手を離れているのです。
「私は、オルレアン帝国で生きていきます」
「よかろう。では、『獅子姫』への褒美じゃ」
皇帝陛下が合図すると、しずしずと侍従が進み出ました。
その手には、赤い天鵞絨の布。
「そなたには、ハルバッハ勲章を授ける」
皇帝陛下が布の上から取り上げたのは、象牙で象った薔薇の勲章でした。
伝説の英雄ハルバッハの名を冠する勲章は、特に国益に貢献した家臣に与えられます。
「さらに、男爵の爵位を」
皇帝陛下自らの手で、私の胸元に勲章が飾られました。
「バロネス・シーリーン。そなたも、今日から帝国貴族の一員じゃ」
男爵──。
それは、私が私自身の手で手に入れた、初めての称号です。
誇らしいと思いました。
同時に、私が本当に欲しいものはこれではない、と。
そう思ったのです。
「呪いは、解けましたか?」
屋敷の庭で、今はテオドル皇子と二人きりです。
冬を前に冷たい風が吹いていますが、それもまた風情があっていいものです。
温かい紅茶を、もっともっと美味しく感じることができる。
「分かりません。けれど、貴方の言う『呪い』が何のことなのかは、分かりました」
『呪い』の正体がわかったところで、私にとっては『愛される自分』を想像することは、とても難しい。
けれど、自分に向けられる言葉を疑うことは辞めよう、とは思えるようになりました。
「私を……、その……、可愛いとか美しいと言ってくださる言葉に、嘘はなかったのだと。ちゃんと分かりました」
強さと美しさは共存し得る。
それを、彼らが教えてくれました。
「それならば、よかったです」
テオドル皇子が、私の手を握りました。
「ですから、みだりに女性の手を握ったりしてはいけないと……」
「みだりに、ではありません。私は、貴女の手を握りたいのです」
「どうして、です、か?」
「わかりませんか?」
瑠璃の瞳が、私を見つめています。
頬に熱が集まるのを止めることができません。
なぜなら、『手を握りたい』その理由が、たぶん分かったからです。
「また抜け駆けかよ。皇子のくせに卑怯だぞ」
──スパンッ。
とっても気持ちの良い音とともに、イヴァンの平手がテオドル皇子の頭に命中しました。
「こら! イヴァン!」
「いいのですよ。こんな皇子の頭など、もっと叩いてやりなさい」
リッシュ卿が私の手を握るテオドル皇子の手を手刀で叩き落とします。
痛そうです。
「いつもいつもこうやって抜け駆けして、騎士の風上にも置けない男だ」
ドルーネン卿がテオドル皇子を睨みつけています。
「テオドル殿下は皇子でしょう? 騎士とは違うのでは?」
「ご存じないのですか? テオドル皇子殿下の剣の腕は天下一品。軍の指揮でも、頭ひとつ抜き出ています」
デラトルレ卿が教えてくださいます。
「数々の戦で活躍なさっていますから、皇子でありながらも『帝国一の騎士』と謳われているのですよ」
「知りませんでした」
「その帝国一の騎士が、まさか敵軍の将を見初めて、身分を偽ってまで自分の手で国に連れ帰ってくるとは。本当に物語のような話ですよ」
バルターク卿は苦笑いを浮かべています。
確かにその通りですが、その言い方は、ちょっと恥ずかしいです……。
「お嬢様は、テオドル皇子殿下とご結婚なさるのですか?」
シュナーベル卿の、見えないはずの耳が垂れ下がっている様子が見えます。
ああ、そんな悲しそうな顔をしないで。
「私は、まだ結婚は考えていませんよ」
「そうですか!」
今度は、嬉しそうに尻尾を振っています。
「では、何をお考えなのですか?」
テオドル皇子が、微笑んでいます。
この表情は、面白がっているときの表情です。
正直、恋だとか愛だとかは、未だによくわかりません。
しかし、テオドル皇子の『貴女が広い世界でどう生きるのか、見てみたかった』という言葉に嘘偽りはないのだと分かります。
これからも、私の生き方を見守ってくださるのでしょう。
「自由に、生きたいです」
「自由に?」
「誰にも縛られず、何にも囚われず。自分の価値を、自分自身の手で築き上げたい」
勲章も爵位も、確かに嬉しい。
けれど、そうではない何かを、私は手に入れたい。
誰かに認められるためではなく、誰かに褒められるためではなく。
自分自身で、自分の価値を決める生き方を。
「貴女になら、きっとできますね」
「ふふふ。結婚相手だって、誰かに決められたりしないわ。私が自分で決められるほどに強くなるの」
政略的な結婚ではなく、私自身が望む相手と結婚する。
そのためにも、私は強くならなければ。
「おや。それは、我々七人の中からお選びいただけるのですか?」
「え!?」
「何を驚いているんですか?」
「だって。それにはまず、前提として……。貴方たちが私と結婚したいと思ってくれなくちゃ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
今のセリフは、良くなかった。
分かります。
それくらいは、私にも分かります。
七人分の沈黙と視線が痛い。
「……ごめんなさい。ちゃんと、分かってるわ」
「本当ですか?」
「本当に」
「……怪しいな」
「……実に怪しい」
イヴァンが言うと、他の面々も口々に同意します。
これは、きちんと言わないと信じてもらえない、ということでしょうか。
「分かっています。貴方たちが、その、私を……」
「私を?」
七人分の視線が、私に突き刺さります。
「好いてくださっている、と……」
蚊の鳴くような小さな声でしたが、きちんと聞こえていたようです。
七人の騎士たちが、それはそれは嬉しそうに微笑んでいます。
「ようやく、スタートラインに立てたということですね」
テオドル皇子が、朗らかに笑いました。
「では、覚悟してくださいね」
「覚悟、ですか?」
さらに鋭くなった七人分の視線に、足が引けてしまいます。
逃げ出してしまいたくなるのも、仕方がないと思いませんか?
「私たちの本気を、ご覧に入れますよ」
ああ、これは『鋭い』ではありません。
『熱い』です。
本当に、覚悟しなければ。
視線が、熱い。
胸が、頬が、唇が。どんどん熱をもっていく。
恋とは、こんなにも熱いものだったのですね──。
完
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