上 下
37 / 38

第37話 呪いの正体

しおりを挟む
 突然割り込んできたのは、細身の男性です。
 身なりは良いけれど、貴族ではありません。

 ──この人は、商人です。

「フェルメズ王国の商会長を務める者です」

 商人をまとめる商会、そしてその商会を取りまとめているのが商会長。
 国内のあらゆる分野の商人たちの要望を王に届けること、王からの要望を商人たちに伝達することを主な役割とする人です。

 しかし、貴族でもない彼がどうしてここにいるのでしょうか。

「何やらきな臭い気配がしましたので、外で控えておりました」

「きな臭い?」

「商売人のカンですよ。物が動く気配、とも言いますね」

 彼の言う通り、戦となれば物が動く。
 ……大量の武器と兵糧が必要になるからです。

「武器と兵糧のことはご心配には及びません。我々商人が、すべての軍に直接お届けします」

「商人が武器と兵糧を戦場に届ける!?」

 貴族たちが騒ぐのも当然です。
 そのようなことは、これまで一度もありませんでした。
 商人から買った資材を運ぶのは、兵の役割です。
 あくまでも安全な場所から商売をする。それが商人ですから。

「貴女様が先導してくださった刺繍の交易で、我々商人はたいそう潤っています。この戦は、我々にとっても正念場」

 彼らにとってもオルレアン帝国との同盟は生命線ということです。

「助かります」

「貴女様がなさったことを思えば、この程度のことは何でもありません」

 ああ……!
 この人は、私のしたことの目的を正しく理解してくださっているのですね。

「刺繍の交易はきっかけに過ぎません。貴女様が率先して西への交易を進めたことで、我々はより大きな商売ができるようになりました。貴女様のおかげで、フェルメズ王国はこれからますます豊かになります」

 商会長は、イスハーク様の方に向き直りました。

「王太子殿下。一介の商人ではありますが、あえて言わせていただきます。政治とは、こういうことなのです。未来を見据え、民の利益のために種を蒔く。そのために骨身を削る者こそが、王なのです」

 商会長が、拳を握りしめています。

「殿下がなさったことは、我々民の希望の芽を摘むことにほかなりません。我々商人は、この度の発議に断固として反対いたします」

 貴族でもない商人の身分で、王族に直接諫言するのはとてつもない勇気が必要だったことでしょう。
 それでも、ここへ来てくださった。

「我々は、あなたを王とは認めません!」

「貴様……! 打首だ! あの商人の首を切れ!」

 その命令に従うものは、もうこの場にはいませんでした。

「なぜだ! 誰か! ……皆殺しだ! 俺に従わないものは、全員殺してやる!」

 イスハーク様が立ち上がりました。
 その手には、にぶく光る刃。

「ひっ!」

 ナフィーサが悲鳴を上げました。

「馬鹿なことを……!」

 誰も、止めることはできません。
 馬鹿でも阿呆でも、この国の王太子。
 そのとうと御身おんみに刃を向けることはできないのです。

 フェルメズ人ならば・・・・・・・・・

 刃がきらめきました。
 大きく振りかぶられた剣が、私に向かって振り下ろされます。

 ですが、その刃が私に届くことはあり得ないのです。




 ──ギンッ!




 受け止めたのは、シュナーベル卿。
 次いで、さやに収まったままの剣でイスハーク様の腰を打ちえたのはデラトルレ卿。
 肩を押さえつけたのはドルーネン卿とリッシュ卿で、ついでと言わんばかりにほほなぐったのはイヴァンでした。

「姫さんを斬ろうとは。最低だな、あんた!」

「まったくです」

 私の騎士たちが、その言葉通りに私を守ってくれました。
 本当に、素晴らしい騎士たちです。

「王太子殿下」

 いつの間にか、バルターク卿が戻ってきていました。
 弟は無事にお母様の腕に抱かれています。よかった。

「分かりませんか? この国の貴族たちが、貴方ではなくシーリーン嬢の命令に従う理由が」

「うるさい! だまれ! 謀反むほんだ!」

「殿下が血と肩書きとに胡座あぐらをかいている間、シーリーン嬢は自らの手で力を蓄えました。その力で、自らを追放した故国に報いたのです。貴方にもできたはずのことですが、貴方はしなかった。これはその結果です」

「うるさい! うるさい! うるさい!!!!!」

 イスハーク様が押さえつけられた身体で暴れています。
 そんなことで拘束が解けるはずもありませんが、その目は尋常ではありません。

 
 ──妄執もうしゅうに、取りかれてしまったのです。



「ナフィーサ! なぜ助けない! ナフィーサ!!」

 呼ばれたナフィーサは、青白い顔で震えることしかできない様子です。

「なぜだ! お前の望み通りにしてやっただろう!」

「いやよ! こんなこと! 私は、ただ、王妃になりたかっただけ!」

 甲高い悲鳴が、大広間に響き渡ります。

「お姉さまに勝ちたかっただけなのに!」

 むなしい悲鳴に、誰も何も言えませんでした。
 静寂の中、ナフィーサの嗚咽おえつだけが聞こえてきます。


「なんというみにくい人でしょう」


 言ったのは、リッシュ卿でした。

「醜い?」

 ナフィーサの顔が真っ赤に染まります。

「私のどこが醜いというの! まさか、その女と比べているの!? そんな、男のなりをして、男のように戦う醜い女と比べないでちょうだい!」

「美しさとは、比べるものではありませんよ。貴女の醜さと、シーリーン嬢の美しさとは、まったく関係のないことです。貴女のことを醜くしているのは、貴女自身ではありませんか」

 そのまま、リッシュ卿が私に向き直りました。

「このようなことで傷付かないでください」

「傷つく?」

「そうでしょう? そんなに悲しい顔をして」

 傷ついている?

「私が……?」

 そう、かもしれません。

 かつて私が愛した二人は、すっかり項垂れてしまいました。
 『王とは認めない』と、他でもない国民に謗られ、愛したはずの妻にまで見捨てられた王太子。
 美しかったはずなのに、こんなにも醜くなってしまった妹。

 私を追放した二人の惨めな姿に『ざまあみろ』と思わなくもありません。
 しかし、私はこんな結末を望んだわけではありませんでした。

「……二人をこのような姿にしてしまったのは、私です」

「それは違うだろう!」

 イヴァンが声を上げました。

「こいつらのことは、こいつらの問題だ! 姫さんのせいなんかじゃない!」

「いいえ。美しかったナフィーサを、こんな風にしてしまった」

 美しかった。可愛らしかった。
 私などよりも、よっぽど。
 それなのに……。

「私とは違う。可愛らしくて美しいナフィーサ。……私とは、違うのに」

「何言ってんだ?」

 本当にわけがわからないといった様子で、イヴァンが首を傾げます。

「姫さんは昔から可愛い。それに、大人になって綺麗になった。そうだろう?」

「違います。それは、私に向けられるべき言葉ではありません」

「……わたしたちはシーリーン嬢を口説くための方向性を、そもそも間違えていたようですね」

 デラトルレ卿が苦笑いを浮かべています。

「どういうことですか?」



「これは、もはや『呪い』です」

 割って入ってきたのはお母様です。

「美しいのはナフィーサ。可愛らしいのはナフィーサ。自分ではない。自分は他の令嬢と同じではない」

 それは呪いなどではありません。事実です。

「貴女の生い立ちが、貴女に呪いをかけてしまった。母として、申し訳なく思います」

「お母様?」

「いいですか、シーリーン」

 お母様の手が、私の手を握ります。
 私などのために、何度も涙を流させて・・・しまった。

 今もまた、私の手の甲にポタリポタリと落ちる涙が──暖かい。

「私は、貴女を愛しているのよ。私の可愛いシーリーン」

 愛されていないと、思っていました。
 私は家のために生まれて、家のために生きる。
 だからお母様も周囲の人々も優しいのだと、自分に言い聞かせてきた。

 追放されてしまった今となっては、家のためには何もできなくなってしまった私。
 それでも愛していると言ってくださる。
 暖かな涙を流してくださる。

 私は、愛されていた。
 ずっとずっと、愛されていた!

 お母様は、だから何度も涙を流して下さった。
 私を、愛しているから。

 そんなことに、今更気づくだなんて。

「貴女はシーリーン・アダラート。誇り高き戦士、『獅子姫』です。他の誰かと比べるのは、おやめなさい」

 ……私は、比べていたのですね。
 自分とナフィーサを。

 比べては、自分は劣っている、醜い……。
 愛されていない・・・・・・・と『呪い』をかけ続けてきた。



 私を呪っていたのは、私自身だったのですね──。



「もう、貴女はこの国私たちから解放されても良いのですよ。これが、最後の務めと思いなさい」

「お母様……」

「さあ。貴女自身に向けられる言葉に、耳を傾けるのです」



「お嬢様」

 シュナーベル卿が、私の前にひざまずいて私の手を取ります。

「貴女は美しい。そして私たちにとっては、可愛らしい、たった一人の女性です」

 シュナーベル卿が、一言一言を噛み締めるように言いました。
 頬が赤い。照れているのでしょうか?
 思わず、私の頬にも熱が集まります。

「もう、お世辞ではないと分かっているでしょう?」

 リッシュ卿が、微笑みます。

「我々の本心なのです。あなたは美しい。ただし、貴女の美しさはナフィーサ嬢のそれとは違うものです。その強さが、貴女をより美しくする。まったく稀有な方です」

「強さが?」

 そんなはずはありません。
 強さと美しさは、本来共存するものではないはずです。
 それなのに……。




「貴女を愛しています」




 ──何かが、私の胸にストンと落ちてきました。




「さあ。このお二人には、お部屋が必要ですね」

 バルターク卿の一言で、衛士たちがようやく動き出しました。

「そうね。お部屋にご案内して。決して外には出ないように、きちんとお守りして」

「はっ!」

 気力を無くした二人が、衛士の手によって部屋へと連れていかれます。
 おそらく、もう二度とその部屋から外に出ることはないでしょう。

 イヴァンの言う通り、彼らのことは彼らの問題。
 そう考えるしかありません。
 私にできることは、いつかこちらに戻ってきてくれる日が来ることを願うことだけです。

 さあ。
 今はまず、最後の務めを果たさなければ。

「私たちも出陣します!」

「はっ!」




 この日から五日後。
 通行を拒否すると伝えたにもかかわらず北の街道を進み続けたウォルトン王国軍に、奇襲を仕掛けました。
 奇襲は見事成功。
 本陣へ切り込んだ私と騎士たちとで、見事に敵将を捕らえることができました。
 
 私たちは、フェルメズ王国とオルレアン帝国との同盟を、守り切ることができたのです。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

虐げられ聖女の力を奪われた令嬢はチート能力【錬成】で無自覚元気に逆襲する~婚約破棄されましたがパパや竜王陛下に溺愛されて幸せです~

てんてんどんどん
恋愛
『あなたは可愛いデイジアちゃんの為に生贄になるの。  貴方はいらないのよ。ソフィア』  少女ソフィアは母の手によって【セスナの炎】という呪術で身を焼かれた。  婚約した幼馴染は姉デイジアに奪われ、闇の魔術で聖女の力をも奪われたソフィア。  酷い火傷を負ったソフィアは神殿の小さな小屋に隔離されてしまう。  そんな中、竜人の王ルヴァイスがリザイア家の中から結婚相手を選ぶと訪れて――  誰もが聖女の力をもつ姉デイジアを選ぶと思っていたのに、竜王陛下に選ばれたのは 全身火傷のひどい跡があり、喋れることも出来ないソフィアだった。  竜王陛下に「愛してるよソフィア」と溺愛されて!?  これは聖女の力を奪われた少女のシンデレラストーリー  聖女の力を奪われても元気いっぱい世界のために頑張る少女と、その頑張りのせいで、存在意義をなくしどん底に落とされ無自覚に逆襲される姉と母の物語 ※よくある姉妹格差逆転もの ※虐げられてからのみんなに溺愛されて聖女より強い力を手に入れて私tueeeのよくあるテンプレ ※超ご都合主義深く考えたらきっと負け ※全部で11万文字 完結まで書けています

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

婚約者に冤罪をかけられ島流しされたのでスローライフを楽しみます!

ユウ
恋愛
侯爵令嬢であるアーデルハイドは妹を苛めた罪により婚約者に捨てられ流罪にされた。 全ては仕組まれたことだったが、幼少期からお姫様のように愛された妹のことしか耳を貸さない母に、母に言いなりだった父に弁解することもなかった。 言われるがまま島流しの刑を受けるも、その先は隣国の南の島だった。 食料が豊作で誰の目を気にすることなく自由に過ごせる島はまさにパラダイス。 アーデルハイドは家族の事も国も忘れて悠々自適な生活を送る中、一人の少年に出会う。 その一方でアーデルハイドを追い出し本当のお姫様になったつもりでいたアイシャは、真面な淑女教育を受けてこなかったので、社交界で四面楚歌になってしまう。 幸せのはずが不幸のドン底に落ちたアイシャは姉の不幸を願いながら南国に向かうが…

フランチェスカ王女の婿取り

わらびもち
恋愛
王女フランチェスカは近い将来、臣籍降下し女公爵となることが決まっている。 その婿として選ばれたのがヨーク公爵家子息のセレスタン。だがこの男、よりにもよってフランチェスカの侍女と不貞を働き、結婚後もその関係を続けようとする屑だった。 あることがきっかけでセレスタンの悍ましい計画を知ったフランチェスカは、不出来な婚約者と自分を裏切った侍女に鉄槌を下すべく動き出す……。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

処理中です...