上 下
2 / 8

初恋 アナスタシア

しおりを挟む
 わたくしが4つの頃、弟のレオナードが婚約した。

 レオナードも相手のフロリアーナもまだ3つだったけれど、それは、どうしても必要な婚約だったから。

 何というか、相性が悪い、とでも言うのかしら、顔を合わせるたびに大泣きして、周りを慌てさせていたけれど。

 ただ、わたくしはそんなことどうでもよくて、一緒に登城して来るライナスさまに夢中だった。
 だってライナスさま──ライ兄さまだけは、泣き喚いてる2人ではなく、わたくしのことを見てくれたから。

 その時はライ兄さまだってまだ7つで、小さな子どもだったのに。

「2人ともまた泣いちゃったね、アニーさま。僕たちは先に、授業に行こうか?」

「……いえ、フロリーは連れて行きますわ」

「そっか。じゃ、僕はレオンを連れて行くね」

 泣いているフロリーの手を繋ぐと、しゃくり上げながら泣き止もうとしているのが可愛くて、頭を撫でたくなるわ。

「アニーしゃまぁ……」

「泣かないのよ、フロリー。淑女は泣いちゃダメなの」

「はい……」

 泣き止んだフロリーの涙を拭いて、わたくしたちは王妃教育に向かう。

 この時はまだ、わたくしの婚約は決まっていなくて、だからわたくしは……少しばかり夢を見ていた。

 大好きなライ兄さまのお嫁さまになるの、って。



▼△▼△



 ライ兄さまを好きになったのは、泣いているわたくしを慰めてくれたから。
 わたくしは意地っ張りで、可愛げがなくて、叱られるとその場から逃げ出して、物陰に隠れて泣くような子どもだった。

 だって、酷いと思わない?わたくしとレオナードなんて1つしか違わないのに、レオンったらスプーンで食事が出来たって褒められるのよ⁉︎
 わたくしは、もうちゃんとカトラリーが使えるのに、誰も褒めてくれなかったわ!

 それに……フロリーはレオンと同じ歳なのに、わたくしと同じくらい勉強が出来るの。

 淑女教育はわたくしの方が先に始めていたけれど、すぐに追いつかれたし、一緒に始めた王妃教育は差がつかないのよ。
 わたくし、フロリーより歳上なのに。

 それが悔しくて、わたくしはよく庭園の隠れ場所で泣いていた。
 何でも出来るフロリーが羨ましくて、何をしても褒められるレオンが妬ましくて。

「アニーさま」

「だっ……れっ……!」

「ライナス・ティアールです」

「しっ……失礼ではっ……ありませんことっ……」

「それは、申し訳ない」

 ライ兄さまは、後ろを向いたまま振り向かないわたくしに、ハンカチを差し出してくださった。

「ラっ……ライ兄さま……わたくしの独り言聞いて……?」

「これは、僕の独り言だけど」

 今度は何故か、携帯用のカップに入っている飲み物とクッキーを差し出し、ライ兄さまはわたくしの後ろに腰を下ろした。

「フロリーはね、アニーさまはしゅごい、っていつも言ってる。アニーさまの思いつく考えは、フロリーには出来ないって」

「しゅごいって……ライ兄さま……」

「あ、ごめん!いっつもフロリーの言うこと聞いてて、移った。……ねえ、アニーさま」

 ライ兄さまは、わたくしに背中を向けているらしく、少しもたれて来る。

「どっちにもすごいところがあるんなら、どっちもすごい、それでいいじゃない?」

「……どっちも?」

「そう。アニーさまも、フロリーもすごい!どっちもすごい!先生も、2人をいっぱい褒めてたよ?こっちなんかさぁ、レオンが授業の半分は泣きわめ……泣き止まなくて、大変なんだ」

「それは……ごめんなさい……」

「ね?1つしか変わらないアニーさまが、ちゃんと授業を受けてるだけでもえらいんだよ。フロリーだって、寝ちゃうでしょ」

「それは……お昼寝ではないかしら」

「アニーさまも、眠くなったらちゃんとお昼寝するんだよ?」

「まあ!わたくし、そんな赤ちゃんではありましぇんのよ」

 かっ……噛みましたわっ……!

「……ククッ、アニーさま。クッキー食べない?」

「……食べます」

 わたくしは手元のクッキーを見て、思わず光にかざしてしまった。だって、クッキーの真ん中が透き通ってキラキラして、とても綺麗だったのですもの!

「きれい……!」

「気に入った?それね、ステンドグラスクッキーって言うんだって」

 食べてみると、周りはサクッと、真ん中はパリッとしていて、とても美味しかったですわ!

「おいしいっ!」

「そう?よかった。……じゃあ、お城に戻ろうか?みんな、心配してるよ」

「……はい」

 ライ兄さまはちゃんとしたエスコートのように、手を差し出してくださった。

「ライ兄さま」

「ん?何かな」

「わたくし、ライ兄さまのお嫁さまになるの!絶対よ!!」

「それは、光栄だ」

 笑いながら、ライ兄さまがわたくしの頭を撫でてくれる。

「もう!わたくし、赤ちゃんじゃありませんわ!」

「そうだった?」

 その時は、2人ともそれが叶うと思っていたの。



▼△▼△



 わたくしの婚約が決まったのは、7つの時だった。隣国の、エルヴァート王太子殿下。

 ……そうね、判っていたわ。この頃、ランディアとの関係が、あまりよくないものね。決裂する、という程ではないけれど、対立している。

 2国間に、橋を作るかどうかで。

 もちろん、今だって行き来出来ない訳ではないわ。渡し船はたくさんあるし、河を大回りする方法だってある。
 けれど、渡し船は安全性に難があるし、大回りだと当たり前だけど遠い。

 それでもランディアが反対するのは、渡し船で生計を立てている人たちが、失業してしまうからだとか。

 だからわたくしが嫁ぐことで、両国間の関係性をより深める必要がある。

 ……判っているわ、もちろん。わたくしは、ルルティアの王女ですもの。
 ただ……夢を見ていただけよ。

 わたくしは久しぶりに隠れ場所に行って、こっそり泣いた。
 薔薇の迷路の行き止まり、どこにも繋がっていないから、殆ど人の来ない場所で。

 それなのに。

「アナスタシア殿下」

 どうして、判るのでしょう。また、ハンカチと飲み物とクッキーを持って、ライ兄さまが来てしまった。

 わたくしは、1年くらい前から、今まで口癖のように言っていた、ライ兄さまのお嫁さまになる!という言葉を言わないようにしていた。
 少しずつ減らして、でも時々思い出したように言って、不自然ではないように、子どもが飽きて、忘れたと見えるように。
 橋の建設で揉め始めた時から。

 だって……こうなると判っていたから。

「……失礼ではありませんこと?」

「……申し訳ない。私も、夢から醒めなければと思って」

「ライナスさま……」

 呼び方も、変えた。わたくしがそう呼ぶようになったら、ライ兄さまも変えてしまった。
 ……そうね。わたくしたちが子どもでいられる時間は、とっても短い。

 立ち去る気配に、わたくしは思わずライ兄さまの服の裾を掴んでしまった。
 すると、ライ兄さま……ライナスさまは振り返って、初めてわたくしを抱きしめた。

「……さようなら、アニー」

 そっと、額に唇を落とされる。わたくしは立ち上がって……渾身のカーテシーを、した。

「さようなら、ライ兄さま」

 綺麗なステンドグラスクッキーは……どうしても取っておきたくて、持って帰ろうと思ったけれど……それでは、侍女に捨てられるわね。

 わたくしは、薔薇の根元に埋めることにした。きっと、薔薇が食べるわ。……枯れるかもしれないけれど。

 と判っていれば、わたくし、頑張れると思うの。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染の公爵令嬢が、私の婚約者を狙っていたので、流れに身を任せてみる事にした。

完菜
恋愛
公爵令嬢のアンジェラは、自分の婚約者が大嫌いだった。アンジェラの婚約者は、エール王国の第二王子、アレックス・モーリア・エール。彼は、誰からも愛される美貌の持ち主。何度、アンジェラは、婚約を羨ましがられたかわからない。でもアンジェラ自身は、5歳の時に婚約してから一度も嬉しいなんて思った事はない。アンジェラの唯一の幼馴染、公爵令嬢エリーもアンジェラの婚約者を羨ましがったうちの一人。アンジェラが、何度この婚約が良いものではないと説明しても信じて貰えなかった。アンジェラ、エリー、アレックス、この三人が貴族学園に通い始めると同時に、物語は動き出す。

届かなかったので記憶を失くしてみました(完)

みかん畑
恋愛
婚約者に大事にされていなかったので記憶喪失のフリをしたら、婚約者がヘタレて溺愛され始めた話です。 2/27 完結

10日後に婚約破棄される公爵令嬢

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。 「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」 これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

人形令嬢と呼ばれる婚約者の心の声を聞いた結果、滅茶苦茶嫌われていました。

久留茶
恋愛
公爵令嬢のローレライは王国の第一王子フィルナートと婚約しているが、婚約者であるフィルナートは傲慢で浮気者であった。そんな王子に疲れ果てたローレライは徐々に心を閉ざしていった。ローレライとフィルナートが通う学園内で彼女は感情を表に出さない『人形令嬢』と呼ばれるようになっていた。 フィルナートは自分が原因であるにも関わらず、ローレライの素っ気ない態度に腹を立てる。 そんなフィルナートのもとに怪しい魔法使いが現れ、ローレライの心の声が聞こえるという魔法の薬を彼に渡した。薬を飲んだフィルナートの頭の中にローレライの心の声が聞こえるようになったのだが・・・。 *小説家になろうにも掲載しています。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。

たろ
恋愛
幼馴染のロード。 学校を卒業してロードは村から街へ。 街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。 ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。 なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。 ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。 それも女避けのための(仮)の恋人に。 そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。 ダリアは、静かに身を引く決意をして……… ★ 短編から長編に変更させていただきます。 すみません。いつものように話が長くなってしまいました。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...