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【十八】
しおりを挟む……あかり――あかり。
遠くから呼ぶ声がする。
頭の中に重い霧がかかっている。暗い。目を閉じているのがわかるのに時間がかかった。
徐々に目の裏に光を感じるようになってきた。
「あかり!」
さっきよりはっきり声が聞こえた。瞼を動かしてみる。なんとか動きそうだ。ゆっくりと開く。
天井の光がやけにまぶしい。影があかりの顔をのぞき込んでいる。ぼやけた影の映像がだんだんとはっきりした形を取り始める。
「んあ……みつ、る?」
口が重い。開くのがおっくうだ。寝ぼけたような声になってしまった。
「気がついた……大丈夫?」
首を振ろうとしてわずかに動かすと、ずきいん、と電撃のような頭痛が襲ってきた。
「うぐッ!」
思わず声が出る。だがおかげで少し目が覚めた。半分ほど目を開く。
「だめ――動けない。みつる、無事ね、よかった。ここ、どこ?」
みつるが首を振った。
「あたしもさっき目が覚めたの。駅降りてタクシーに乗ったらいきなり体が痺れて動けなくなって、気がついたらここよ」
辺りを見回す。
「なんか宿直室みたいな感じよここ。床は畳だし、流しとトイレついてるし。窓がないけど」
言われてみて初めて床の感触が違うことに気づいた。指を動かしてみる。確かに畳だ。連れ込まれて移動してきた場所を思い出す。あの岩窟の中にこんな場所があるとは思えない。
少し記憶が戻ってくる。確か岩山に隣接していた建物があった。
あるいはあそこかもしれない、と思った。
「一体何が起こったの、って訊いても喋れないか。訊きたいことはいっぱいあるけど仕方ないね。とりあえず何されたの?」
床に座ったまままた心配そうに顔をのぞき込む。
「変な、機械に、かけられ、たの。頭の中に、ミキサー、突っ込まれたみたい。――もう一度、やられたら、たぶんあたし、死ぬ」
「ええ? なんでそんな? なんであかりを?」口を両手で覆った。
「ごめん、細かい話、できない……。でもあいつら、私たち、生かして、帰す気、ない」
必死に口を動かした。唇に重りが付いているような感じだ。
「目隠しも、されないで、連れてこられた。あたし、全部、見てる。みつると、一緒の部屋、あたし、喋る。みつるも、帰せない」
「もういい、もういい。ごめん喋らせて。あかりすごい辛そうだし。とにかく、悪い奴らに捕まってあたしらヤバいってことだよね。とりあえずいいよそれで。よかないけど」
みつるが手で制した。目が潤んでいる。
「ごめん、みつる……捕まったの、あたしのせい、なのに。でもたぶん、助け、くるはず。待ってて」
みつるは口を結んでただ頷いていた。
「とにかく、今は休んで」あかりの肩を押さえた。
はあはあと息をついて目を閉じる。水音がする。濡れたハンカチが額に乗せられた。
ごめん、と言ったきり意識が遠のいていった。
※
「『ブルトン』、格納モードに入ります」キーを操作しながら隊員が言う。
車が停まった。後部の非常口に偽装した出入り口が外側に倒れると降りるためのステップになっている。
隊員の二人が銃を片手に飛び出すと周囲を窺った。
ジュディに続いてギイもステップを降り、砂利敷きの広場に立った。
山に囲まれて周囲はすでに薄暗い。
県道から五十メートルほど入ったところにある広いスペースだ。
「索敵は済んでるから警戒しなくても大丈夫よ」
ギイの言葉に隊員が頷く。「すみません、習慣で」
バスの脇腹ががくっと外れ、ゆっくりと上にスライドする。観光バスならトランクに当たる場所だ。
トランクの内部に組み込まれた一メートル四方ほどの四角いユニットが、左右のアームに支えられて前にせり出してくる。人間の両手で設置するように、つながったアームがユニットを地面に置いた。
バスの上空から虫が唸るような低く静かな音がする。何の姿も見えない。音が地上付近に降りてくる。風で砂が巻き上げられる。
地上二メートルほどの位置でパズルが剥がれ落ちるように黒い物体が姿を現した。
うわあ、とジュディが声をあげた。目が丸くなる。
「凄いですね、これ」
大きな黒い座布団のようなそれはゆっくりとバスに接近し、ユニットに正確に着地した。息を吐くような音がして静かになる。
「ミラージュドローン『ブルトン』。光学偽装ができる軍用のマシンに改良を加えたものです。PSIジャミング機能が付いているので能力者でもそうそう探知できません」
隊員の一人が説明する。へえー、とジュディが感心していると、広場の入り口に二台の車が入って来た。
「この駅は元々貨物用に作られたもので、現在は使用されていません。このスペースは荷捌きに使われていたものと思われます」
トキが移動基地に向かいながら言った。
「基本的には人も車も入ってくることはありませんので、一応ここを前線基地としようと思っています」
広場には四トン車とワンボックス車二台も到着しており、降り立った隊員たちが手早く装備を始めていた。
バスの内部にはテーブルが設置されていて、すでに四人の隊員が待機している。
ギイとジュディ、それに合流したトキ、タカノ、キタがテーブルを囲んだ。
トキが手元のタブレットを操作すると、テーブルに大きな平面図が映し出された。指先で操作すると画面がぐるっと回って立体的な鳥瞰図になる。
「山を一周して透視したものを衛星画像に重ねたものです。これを各自のビューアに送ってあります。GPSと併用することで自分の位置と進行方向がわかるようになっています。この建物が量子研究所」
右下の白い四角な部分を指さした。
「この建物のこちら側に地下駐車場の入り口があって、地下へ降りるとどん突きが本拠地への入り口になっていると思われます。正面玄関ですね。ここから通路がこう続いていて、この広いスペースが本拠地の駐車場でしょう。どうも廃坑になっていた石切り場の跡を改造したようですね」
「驚いたわね――いつの間にこんなものをしつらえたのかしら」
ギイが眉根を寄せる。タカノが頷いてタブレットを操作する。
「本部に照会しました。五年前に大規模な改修工事が完了していますので、おそらくその時かと」
「完全に乗っ取られていると見ていいようね」
「おそらくは。――国内で準備して、手引きした奴がいるんでしょう」
「今あかりの反応はこの建物から出てますです」
ジュディが研究所に隣接する建物のひとつを指さした。
「実体波が弱いです。たぶん体が弱ってますです。心配です」
不安そうに唇を噛んだ。
「あと熱量のある空間が複数あるので――こことここですが、たぶん機械室とか実験室のたぐいですね。これが本棟の転換炉につながってますんで、ここを狙って行こうかと」
「――と、当然敵もそう思っているわけね」
トキが頷いた。
「こっちに換気口。こっちには搬入路に使っていたと思われる封鎖された坑口があります。侵入を想定するとすればこの二箇所ですが、敵もそこは考えていると思われます」
「敵の能力者は当然のことながら我々の存在を探知しているわ。ここは裏をかいて、正面突破で行くしかないわね」
ギイが腕を組んだ。
「わたしとキタで行きましょう。ヤマギ隊長、十五人ぐらいとついてきて」
「わかりました。編成します」ヤマギと呼ばれた隊員が外へ向かう。
「トキとジュディでもう一班、タカノが一班、各班長、残りの手勢を分けて搬入路と換気口で待機してちょうだい」
はい、と隊員たちが答えるとバスから降りて行く。
「正面でわたしたちが暴れて相手の主力が分散したら各班突入、という段取りね」
「その動きも読まれてませんかね」キタが顎に手を当てた。
「承知の上よ。突破が早いか、迎撃が早いか。あとは運次第ね」
にやりと笑う。
「結構無茶言いますな」トキが笑った。「わかりました、やりましょう」
※
藪の中を月光が照らしている。他に光源がないせいか、やけに明るい。
元が岩山であるせいで、高い木があまりない。人の背丈を越える雑草が生い茂っているだけだ。
隊員が鉈で藪を切り払う音がする以外、虫の声しかしない。
「あれだ」
タカノが指さす先に薄明かりが見える。
近寄ってみると一メートル四方ほどのコンクリートの煙突のようなものが地面から五十センチほど立ち上がっている。
迷彩色に塗られたステンレス製のフードが取り付けられており、ボルトで固定してある。
タカノが慎重に周囲を点検し、内部をのぞき込む。センサーのたぐいは付いていないようだ。
合図すると、隊員たちが工具を取り出し、てきぱきとボルトを外していく。フードが外れるとグレーチングの蓋が現れた。固定してある南京錠をボルトカッターで切断する。
蓋が外れるとタカノが中を覗く。点検用と思われるタラップが壁面に取り付けられてある。
隊員に向かって頷く。班長がレシーバを取り出した。
「こちらブラボー、配置完了」
山裾は月の光が届かなかったが、先頭を行くトキには照明は必要なかった。
草を分けて進んでいくと切り立った崖が現れた。
縦三メートルほどの巨大な亀裂があり、そこに古びた鉄扉が付いている。『立入禁止』の札もかなり古いものに見えた。
扉の脇は鉄製の格子になっていて、ノブは鎖で固定されている。
トキが点検し、合図すると隊員が鎖を切断した。
「ケーブルセンサーとか付けないんですかね」鎖をはずしながら隊員が訊いた。
「能力者がいるからセンサーを掻い潜っても意味はない。だったら最初から付けない方が経費かけなくて済む」
「秘密結社のくせにずいぶん渋ちんですね」
ジュディが言うとトキが笑った。班長がレシーバを取り出した。
「こちらチャーリー、配置完了」
「総員配置につきました」ヤマギが告げた。
研究所敷地の正門が見える。一台のワンボックスから隊員が二人降り、閉まっている鉄製のゲートに忍び寄った。手で合図を送る。
「準備よし。チェッカー・ギイ、お願いします」
「了解。いくわよ」
ギイが右手の指を立て、左手でそれを握る。目を閉じる。
見えない波が広がって行く。
地下の警備室には二人の男がいる。
椅子に座ったまま、突然弾かれたように背筋を伸ばすとそのまま昏倒した。壁面にずらりと並んだモニターが一斉に暗くなる。
鉄扉でかちんと金属音がする。
隊員が慎重に横に引く。動いた。二人が扉を左右に引き分ける。
「OKね。センサーは潰してないわよ。警察に直結する警報を連中が出せるわけがないからね」
二人の隊員が車に戻る。三台の車が次々と発車し、敷地に入って行った。
「突入準備」班長がレシーバから口を離した。
タカノが慎重にタラップを降りていく。下は灯りのない暗闇だ。真下での待ち伏せはないと踏んでいた。
五メートルほど降りると床に足が着いた。闇の中を透視する。人影はない。トーチライトを上に向け、二回点滅させた。
隊員たちが次々とタラップを降り始めた。
地下駐車場奥のシャッターの前で、一度ギイとキタは車を降りた。
ギイがシャッターの向こうに目を凝らす。
「裏側には誰もいないようね」
キタはシャッターの上の方を見ている。
「電子ロックは付いてますが、単純な構造の電動シャッターですね……こんな杜撰なもんでいいんですかね、本拠地ですよね、ここ」
「機械を使う人間が限られているのかもね。中にいる連中のほうが厄介かもよ。――開けちゃってちょうだい」
キタが右手を上げた。壁の上でぱちっと弾ける音がすると、シャッターが上がり始めた。
シャッターが上がりきる前に車は走り出していた。
トキは暗闇の中を前進して行った。入り口から中に入ると幅一メートルほどの通路になっていた。
床こそ平らになってはいるが、左右は天然の岩窟だ。壁に触れると湿度がある。床のところどころに水の溜まった跡がある。
浸透した雨水が漏れているようだ。前方を確認してから、後方の二人目にライトで合図する。二人目がさらに後方へ合図。全員が少しづつ前進する。
やがてトキの前に多少広いスペースが現れた。この先に確か倉庫につながる入り口がある筈だ。小さな電灯がついている。妙に非現実的な明るさだった。
トキの足が止まった。
――誰かいる。
トキの背後に上から鉄格子が落ちてきた。
――しまった!
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