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鰥寡孤独の始まり
01. 風雲急を告げる
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セイファー歴 755年 6月5日
「其方がセルジュ=アシュティア殿か」
「はい。私がセルジュ=アシュティアにございます」
立派な髭を蓄えた屈強な男性がセルジュを尋ねてきた。
男性の身なりは整っており、それなりの地位の人物だと言うことがわかる。
しかし、セルジュはその男性を見た途端に別のことを思い浮かべていた。というのも、その立派な髭を少しでも欠点であろう頭の方へと移してあげたいという考えであった。
「幼いな。いくつだ」
「数えで六つになります」
セルジュは本来は五歳なのだが、少し見栄を張って数え年で答えた。
男性はセルジュをまじまじと見つめ、年齢を聞いて深く頷いてから少し躊躇するように目線を外した後、意を決したかのように重たい口を開いた。
「お父上が名誉ある戦死を遂げられた」
この日、セルジュ=アシュティアは五歳にしてアシュティア領の領主となったと共に天涯孤独の身となってしまった。
「わざわざのご報告痛み入ります。父も東辺境伯閣下のお役に立つことが出来て本望でしょう」
セルジュは父からスポジーニ東辺境伯とベルドレッド南辺境伯との間で領地に関する揉め事があり戦に発展したと聞いていた。いわゆる内紛だ。ただ、セルジュも詳しい内容は聞いていなかった。
アシュティア領はスポジーニ東辺境伯の庇護下にあるため、東辺境伯麾下として参戦したようだ。この男性――東辺境伯閣下の使いのダドリック――もそう言ってるから間違いはないのだろう。
「そう言ってもらえるとこちらも助かる。アシュティア領は嫡男の其方に引き続き任せると閣下は仰せだ」
「有り難き幸せ」
セルジュは安堵した。これでお家とり潰しとなったらどうしようかと途方に暮れることになるからだ。
そんなセルジュの心配を余所にダドリックは誰かを探すように辺りを見回し、お目当ての人物が近くに居ないと判断するとセルジュにその所在を訪ねた。
「セルジュ殿、お母上はどちらにお出でかな?」
「母は私を産んで直ぐに身罷られました」
「なんと!」
ダドリックはまさに開いた口が塞がらないと言った表情でセルジュをじっと見つめ、瞳に涙を溜めている。おそらく今までとこれからのセルジュの人生を勝手に想像して涙ぐんでいるのだろう。
「幼い身で親を失わせてしまったのは我々の失態だ。これくらいしかしてやれることが出来ぬ。許せ」
そう言ってダドリックは鼻声になりながらジャヌシス金貨が三十枚入った袋をセルジュに手渡した。金貨三十枚もあればごく普通の成人男子であれば慎ましやかに暮らすのであれば困らない額だ。これならお家とり潰しでも良かったかなとセルジュは思い直していた。
しかし、厳格な父に育てられてきたセルジュは既に領主となってしまった以上、このお金は村のために使うべきだろうと考えていた。そこで五歳らしからぬ老獪なお願いをダドリックに対して申し出ることにした。
「ありがとうございます。それともう一つお願いがございます」
「なんだ。申してみよ。できる限りのことはしてやろう」
ダドリックは目に溜まった涙を拭いながら答えた。
「此度の戦で男手も少なく、我が領民は困窮に喘いでおります。我が領の税を五年ほど免除いただけないでしょうか」
「むぅ。それは儂では判断できん。閣下にお伝えする故、追って沙汰を待つように」
「委細承知いたしました。よろしくお頼み申し上げます」
ダドリックは了承したいと言った表情ではあったが、流石にスポジーニ東辺境伯の判断を仰がないと不味いと思ったのだろう。その判断は正しいとセルジュも考えていた。正直、セルジュもこの陳情は承諾されると思っておらず、ただ、一年でも免除されれば儲けものだと言う考えからの申し出であった。
「うむ。では失礼する」
「あ、あの」
踵を返そうとするダドリックを呼び止めるセルジュ。このときからセルジュは既に領主としてこの村を豊かにする施策について考えを巡らせていた。
「まだ何か?」
「もし、途中で行商の方にお会いしたら私が行商を探していたことをお伝え願いませんでしょうか」
「それくらいは容易いこと。お任せあれ。では失礼」
領民を豊かにすることこそ、領主の役目と考えたセルジュは行商を呼び込み領内の経済を動かそうと考えていた。他にも周辺の情報や新たな仕入れルートなど考えたい事項がセルジュの頭の中に山のように降り積もって行った。
東辺境伯の使いであるダドリックは要件を済ませると足早に去って行った。おそらく他の領地も回るため忙しいのだろう。セルジュは広い館に一人取り残されてしまった。
「これでボクは一人ぼっち、か」
館には領主の執務室のほか、領主家族の居住スペースや家臣のための部屋など、総勢八部屋ほど用意されていた。八LDKと言い直しても構わないだろう。その館に今現在で住んでいるのはセルジュ一人だけである。
一人ぼっちになったというのに不思議と寂しさはなかった。なぜならセルジュには前世の記憶がそのまんま残っていたからだ。前世の記憶があると言う前提で先ほどの東辺境伯の使いとのやりとりを振り返ってみると得心が行く部分も多いだろう。
前世のセルジュは朝から晩まで一人でマーケティングの仕事をしている普通の会社員だった。お陰でセルジュは様々な知識を得ることが出来たが激務が祟って死んでしまったのだ。激務の疲労からか、階段から足を踏み外したとき、セルジュは死んだと確信していたと言う。
と言う訳でセルジュは一人には慣れているが、やはり父親が死んだという事実は胸にくるものがある。
父が愛用していたイスに深くもたれ掛かり、セルジュは目を瞑って父との思い出に耽り始めた。
父は頭はあまり良くはなかったが実直な性格でセルジュの目から見ても領民から慕われていたように思えた。
その分、剣技には自信があったようで時間が空いたら木刀を持ってセルジュを追いかけてきて無理やりに稽古をつけていた。セルジュにとっては今となっては良い思い出だ。
「がんばらないとな」
セルジュは、そんな父が残したこの領土を守っていきたいと心から思えた。
そう決意を固めて椅子から立ち上がったその時、館のドアが叩かれる音が響いてきた。セルジュは今は人と会いたい気分ではなかったのだが、ダドリックのような使者の方であれば問題になりかねないと判断し、仕方なしに扉を開けることにした。
玄関の戸を開けると、そこにはアシュティア領の領民が立っていた。数十人は居るだろう。小さな村だ。ほぼ全員居るんじゃないだろうか。
当たり前ではあるが、そのほとんどがセルジュよりも背が高く、みな一様に悲しげな表情をしていた。セルジュの小さな背から眺める領民たちは不気味というよりもセルジュに恐怖を覚えさせるのに充分であった。一揆でも起こされてしまうのだろうかとセルジュは底冷えする心持ちであった。
「あの、どうかしましたか」
意を決して話しかけると、先頭に居た還暦前後の男性――おそらく村長だったはずだ――がセルジュの小さな手を取って涙ながらに語りかけた。
「坊ちゃま。お辛いでしょうが儂らは坊ちゃまのお味方です」
よく見ると村長の後ろに居る老若男女のほとんどが涙を流していた。おそらく、東辺境伯の使いであるダドリックから伺いでもしたのだろう。このとき、セルジュは心から実感することとなる。父は心から領民に愛されていたのだと。
確かにアシュティア領は広くもないし名産品もない。あるのは雄大な自然だけだ。領民の数も少なく、みな貧しく慎ましやかに暮らしている。アシュティア家に至っては爵位もなければ学もなく、裕福な家柄ではなかった。
でも。それでも心が優しい領民がいる。他人の死に涙できる領民がいる。セルジュははこの人たちのために何かしてやりたいと切に思っていた。その思いが先走ったのか、自然と口から言葉が流れ出していた。
「泣くな。これからだ」
セルジュは握っている村長の手を強く握り返す。村長は涙を流しながら鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。何を驚くことがあるとセルジュは思っていた。ただ父を失っただけだ。何も変わっちゃいない、と。
「ボクが必ず領民みんなを幸せにしてみせる。だからみんなもボクを信じて付いてきてくれ」
そう言うと、今度は村長がボクの手を強く握り返してくれた。
「其方がセルジュ=アシュティア殿か」
「はい。私がセルジュ=アシュティアにございます」
立派な髭を蓄えた屈強な男性がセルジュを尋ねてきた。
男性の身なりは整っており、それなりの地位の人物だと言うことがわかる。
しかし、セルジュはその男性を見た途端に別のことを思い浮かべていた。というのも、その立派な髭を少しでも欠点であろう頭の方へと移してあげたいという考えであった。
「幼いな。いくつだ」
「数えで六つになります」
セルジュは本来は五歳なのだが、少し見栄を張って数え年で答えた。
男性はセルジュをまじまじと見つめ、年齢を聞いて深く頷いてから少し躊躇するように目線を外した後、意を決したかのように重たい口を開いた。
「お父上が名誉ある戦死を遂げられた」
この日、セルジュ=アシュティアは五歳にしてアシュティア領の領主となったと共に天涯孤独の身となってしまった。
「わざわざのご報告痛み入ります。父も東辺境伯閣下のお役に立つことが出来て本望でしょう」
セルジュは父からスポジーニ東辺境伯とベルドレッド南辺境伯との間で領地に関する揉め事があり戦に発展したと聞いていた。いわゆる内紛だ。ただ、セルジュも詳しい内容は聞いていなかった。
アシュティア領はスポジーニ東辺境伯の庇護下にあるため、東辺境伯麾下として参戦したようだ。この男性――東辺境伯閣下の使いのダドリック――もそう言ってるから間違いはないのだろう。
「そう言ってもらえるとこちらも助かる。アシュティア領は嫡男の其方に引き続き任せると閣下は仰せだ」
「有り難き幸せ」
セルジュは安堵した。これでお家とり潰しとなったらどうしようかと途方に暮れることになるからだ。
そんなセルジュの心配を余所にダドリックは誰かを探すように辺りを見回し、お目当ての人物が近くに居ないと判断するとセルジュにその所在を訪ねた。
「セルジュ殿、お母上はどちらにお出でかな?」
「母は私を産んで直ぐに身罷られました」
「なんと!」
ダドリックはまさに開いた口が塞がらないと言った表情でセルジュをじっと見つめ、瞳に涙を溜めている。おそらく今までとこれからのセルジュの人生を勝手に想像して涙ぐんでいるのだろう。
「幼い身で親を失わせてしまったのは我々の失態だ。これくらいしかしてやれることが出来ぬ。許せ」
そう言ってダドリックは鼻声になりながらジャヌシス金貨が三十枚入った袋をセルジュに手渡した。金貨三十枚もあればごく普通の成人男子であれば慎ましやかに暮らすのであれば困らない額だ。これならお家とり潰しでも良かったかなとセルジュは思い直していた。
しかし、厳格な父に育てられてきたセルジュは既に領主となってしまった以上、このお金は村のために使うべきだろうと考えていた。そこで五歳らしからぬ老獪なお願いをダドリックに対して申し出ることにした。
「ありがとうございます。それともう一つお願いがございます」
「なんだ。申してみよ。できる限りのことはしてやろう」
ダドリックは目に溜まった涙を拭いながら答えた。
「此度の戦で男手も少なく、我が領民は困窮に喘いでおります。我が領の税を五年ほど免除いただけないでしょうか」
「むぅ。それは儂では判断できん。閣下にお伝えする故、追って沙汰を待つように」
「委細承知いたしました。よろしくお頼み申し上げます」
ダドリックは了承したいと言った表情ではあったが、流石にスポジーニ東辺境伯の判断を仰がないと不味いと思ったのだろう。その判断は正しいとセルジュも考えていた。正直、セルジュもこの陳情は承諾されると思っておらず、ただ、一年でも免除されれば儲けものだと言う考えからの申し出であった。
「うむ。では失礼する」
「あ、あの」
踵を返そうとするダドリックを呼び止めるセルジュ。このときからセルジュは既に領主としてこの村を豊かにする施策について考えを巡らせていた。
「まだ何か?」
「もし、途中で行商の方にお会いしたら私が行商を探していたことをお伝え願いませんでしょうか」
「それくらいは容易いこと。お任せあれ。では失礼」
領民を豊かにすることこそ、領主の役目と考えたセルジュは行商を呼び込み領内の経済を動かそうと考えていた。他にも周辺の情報や新たな仕入れルートなど考えたい事項がセルジュの頭の中に山のように降り積もって行った。
東辺境伯の使いであるダドリックは要件を済ませると足早に去って行った。おそらく他の領地も回るため忙しいのだろう。セルジュは広い館に一人取り残されてしまった。
「これでボクは一人ぼっち、か」
館には領主の執務室のほか、領主家族の居住スペースや家臣のための部屋など、総勢八部屋ほど用意されていた。八LDKと言い直しても構わないだろう。その館に今現在で住んでいるのはセルジュ一人だけである。
一人ぼっちになったというのに不思議と寂しさはなかった。なぜならセルジュには前世の記憶がそのまんま残っていたからだ。前世の記憶があると言う前提で先ほどの東辺境伯の使いとのやりとりを振り返ってみると得心が行く部分も多いだろう。
前世のセルジュは朝から晩まで一人でマーケティングの仕事をしている普通の会社員だった。お陰でセルジュは様々な知識を得ることが出来たが激務が祟って死んでしまったのだ。激務の疲労からか、階段から足を踏み外したとき、セルジュは死んだと確信していたと言う。
と言う訳でセルジュは一人には慣れているが、やはり父親が死んだという事実は胸にくるものがある。
父が愛用していたイスに深くもたれ掛かり、セルジュは目を瞑って父との思い出に耽り始めた。
父は頭はあまり良くはなかったが実直な性格でセルジュの目から見ても領民から慕われていたように思えた。
その分、剣技には自信があったようで時間が空いたら木刀を持ってセルジュを追いかけてきて無理やりに稽古をつけていた。セルジュにとっては今となっては良い思い出だ。
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セルジュは、そんな父が残したこの領土を守っていきたいと心から思えた。
そう決意を固めて椅子から立ち上がったその時、館のドアが叩かれる音が響いてきた。セルジュは今は人と会いたい気分ではなかったのだが、ダドリックのような使者の方であれば問題になりかねないと判断し、仕方なしに扉を開けることにした。
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当たり前ではあるが、そのほとんどがセルジュよりも背が高く、みな一様に悲しげな表情をしていた。セルジュの小さな背から眺める領民たちは不気味というよりもセルジュに恐怖を覚えさせるのに充分であった。一揆でも起こされてしまうのだろうかとセルジュは底冷えする心持ちであった。
「あの、どうかしましたか」
意を決して話しかけると、先頭に居た還暦前後の男性――おそらく村長だったはずだ――がセルジュの小さな手を取って涙ながらに語りかけた。
「坊ちゃま。お辛いでしょうが儂らは坊ちゃまのお味方です」
よく見ると村長の後ろに居る老若男女のほとんどが涙を流していた。おそらく、東辺境伯の使いであるダドリックから伺いでもしたのだろう。このとき、セルジュは心から実感することとなる。父は心から領民に愛されていたのだと。
確かにアシュティア領は広くもないし名産品もない。あるのは雄大な自然だけだ。領民の数も少なく、みな貧しく慎ましやかに暮らしている。アシュティア家に至っては爵位もなければ学もなく、裕福な家柄ではなかった。
でも。それでも心が優しい領民がいる。他人の死に涙できる領民がいる。セルジュははこの人たちのために何かしてやりたいと切に思っていた。その思いが先走ったのか、自然と口から言葉が流れ出していた。
「泣くな。これからだ」
セルジュは握っている村長の手を強く握り返す。村長は涙を流しながら鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。何を驚くことがあるとセルジュは思っていた。ただ父を失っただけだ。何も変わっちゃいない、と。
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