88 / 114
第6章「讃洲旺院非時陰歌」
第88話「一合まいた籾の種 その枡あり高が」
しおりを挟む
ファンがキン・トゥの草庵に帰ってくると、キン・トゥはインフゥたちを連れて道場にいた。
「よくできておる」
木剣を構えさせていたインフゥに対し、キン・トゥは何度も頷かされる。
移動する際は摺り足で、爪先で踏み切るのではなく踵で踏み込む事、真っ直ぐ突け――ファンから習った事はそれだけだが、それを常に反復練習を続けてきた結果、その佇まいはキン・トゥから見ても上出来だった。
その上でキン・トゥはインフゥの構えから二手、付け加える。
「片手で突いても良いし、肩口から体当たりをしても良い」
手の内の変化は基本であり、極めれた先にあるものを奥義と呼ぶ。
「はい!」
早速、取り入れてみるインフゥだが、初めての一撃はキン・トゥの首を横に振らせてしまう。
「いいや」
片手の突きだが、それはあまりにもちぐはぐな動きだった。
「同じ挙動から繰り出せなければならぬ。動きの起こりを捉えられてしまえば、当たるものも当たらぬぞ」
やはりそれは、インフゥがファンからいわれ続けたものだ。
――人間の身体は、動こうする時に兆しを見せてしまう。まず視線が動く。次に踏み込むための重心移動が起きて、脚が動いて踏み込む。
その兆しをなくし、コントロールしていくから、剣技で精剣のスキルに対抗できる。
――それを察知できれば、意外と避けるのは難しくない。
ファンの言葉がインフゥの中に蘇った、とキン・トゥは察した。
「まだ膝から下が弱い。もっと柔らかい肉をつければ……ファンを凌ぐだろうよ」
キン・トゥが愉快そうに笑い、その笑い声にファンの声が重なる。
「戻ったッスよ~」
「おっと……聞かれたかの?」
キン・トゥが肩を竦めてみせるのは照れ隠しであるが、ザキには機微が伝わらなかったようだ。
「ファンー! キン・トゥさんが、インフゥの方がファンより強くなれるってー!」
居室の方へ走っていったザキは、大声を張り上げている。
「ええ!?」
ファンは大仰に驚きながら道場にやって来て、
「いや、でも、ホントにそうかも知れないッスなァ」
ファンは庭で休んでいるホッホへ目を向けていた。ホッホに宿っている精剣・バウンティドッグは、鞘となっている女性の感覚を剣士に反映させるというもの。女の感覚を反映されたところで何が強くなると言う訳でもなく、俗に死にスキルと呼ばれているものであるが、これがホッホというならば話が異なる。
「ホッホの感覚が反映されるなら、聴覚、嗅覚、動体視力、平衡感覚……何もかもが人間の何十倍、何百倍ッスからねェ。それを確実に熟せるくらい身体を鍛えたら、間違いなくインフゥが自分より強いッスよ」
戯けた旅芸人の口調であるが、ファンの忌憚ない意見だ。このまま御流儀を続けていけば、10年後には間違いなくインフゥこそが最高の――当代最高ではなく、歴代最高の遣い手となる。
「ほう、そういう精剣を持っておるのか!」
キン・トゥも目を見開き、唸った。御流儀の剣技が廃れた理由である精剣だが、キン・トゥは毛嫌いするような事はない。より大きく、より強く、より派手なスキルを使えばいいという考え方には否定的であるが、自らが身に着けた技と合わせる事で力を発揮するというのならば、寧ろ賞賛する。
ホッホのスキルとインフゥの技術が合わされば最強――といわれると、インフゥも気になる事がある。
「そういえば、ファンさんのスキルって何?」
精剣のスキルは余人に漏らすのは非常識というのが剣士の常識であるが、ファンは気にしない。ユージンには明かした事がある。
「涙色のビーナスといって、雀の涙くらいのダメージを無効にするんスよ」
これもまた死にスキルだ。一人で軍団を相手にできる程のスキルが乱舞するような戦場では、雀の涙程のダメージといわれても、そんなスキルはないに等しい。
「しかし、そのスキルがあるから、ファンは綱渡りができているのだろう? なければギリギリで死んでいた事だってあるはずじゃ」
しかしキン・トゥは死にスキルとはいわない。首の皮一枚、ハナの差、紙一重、と表現方法は色々とあるのだが、ファンがそういわれる勝利を収めてきた、その僅かな差を作り出してきたのが、非時のスキルであると理解している。
「いやぁ、寧ろギリギリで勝ってきたんだから、わりと大きな効果ッスよ」
ファンは、キン・トゥがいうよりも大きい。
ファンの技術と合わさって最強になるエルのスキルは、「紙一重の勝利をもたらすもの」なのだ。
「はははは」
キン・トゥが笑う。
「一本、取られた!」
キン・トゥは呵々大笑しつつ、居住まいを正す。
「ファン、ちょっとここに来い」
キン・トゥは道場に掲げられている額縁の前へファンを呼んだ。
「この文字の意味、わかるか?」
「邪を破り、正しきを現す。自らと他を、共に栄えさせる」
御流儀の基本理念とされているのだから、ファンも空でいえた。
「そうだ。インフゥを学生として、よく教えられている。故に――」
キン・トゥが手にするのはスクロール。
「伝教、御流儀」
それはファンに伝教の資格――弟子を取る事を許可する証明だ。
「後学キン・トゥ。ファン・スーチン・ビゼン」
ただ数行の文字が書かれているだけだが、このスクロールの存在は御流儀に於いては重い。
「以降、インフゥは正式にファンの弟子じゃ」
「でも自分は、巧く教えられないかも知れないッスよ?」
スクロールを受け取るファンが感じる重みは、インフゥに対する責任の重さである。
「それは弟子と共に、師も学んでいく事じゃ。儂にせよ、御流儀という山の三合目も踏めとらんわ」
またキン・トゥは大笑いするものだから、そこでエルはやっと安心した声を出せる。
「なら、これはご機嫌取りに使わなくとも良さそうですね」
エルの手には、大きな魚を入れた桶が。
「おお、おお」
キン・トゥが手を叩く。
「歓迎会をやろうかと思っていたが、いいや、ファンとインフゥの祝いにしよう! サクラか。煮ても焼いても旨いぞ」
桶ごと魚を受け取ったキン・トゥは、意気揚々と居間へと戻っていった。
祝い。
だがこの夜、それとは真逆の事が起こる。
***
日が暮れればムゥチとネーは休む。灯りを使う事は贅沢であるから、日が暮れてからは動かない。
だから気付くのが遅かった。
「……誰でやすか?」
眠い目を擦りながら身体を起こしたムゥチであったが、ドンッと感じた衝撃に腹を貫かれていたのだった。
「よくできておる」
木剣を構えさせていたインフゥに対し、キン・トゥは何度も頷かされる。
移動する際は摺り足で、爪先で踏み切るのではなく踵で踏み込む事、真っ直ぐ突け――ファンから習った事はそれだけだが、それを常に反復練習を続けてきた結果、その佇まいはキン・トゥから見ても上出来だった。
その上でキン・トゥはインフゥの構えから二手、付け加える。
「片手で突いても良いし、肩口から体当たりをしても良い」
手の内の変化は基本であり、極めれた先にあるものを奥義と呼ぶ。
「はい!」
早速、取り入れてみるインフゥだが、初めての一撃はキン・トゥの首を横に振らせてしまう。
「いいや」
片手の突きだが、それはあまりにもちぐはぐな動きだった。
「同じ挙動から繰り出せなければならぬ。動きの起こりを捉えられてしまえば、当たるものも当たらぬぞ」
やはりそれは、インフゥがファンからいわれ続けたものだ。
――人間の身体は、動こうする時に兆しを見せてしまう。まず視線が動く。次に踏み込むための重心移動が起きて、脚が動いて踏み込む。
その兆しをなくし、コントロールしていくから、剣技で精剣のスキルに対抗できる。
――それを察知できれば、意外と避けるのは難しくない。
ファンの言葉がインフゥの中に蘇った、とキン・トゥは察した。
「まだ膝から下が弱い。もっと柔らかい肉をつければ……ファンを凌ぐだろうよ」
キン・トゥが愉快そうに笑い、その笑い声にファンの声が重なる。
「戻ったッスよ~」
「おっと……聞かれたかの?」
キン・トゥが肩を竦めてみせるのは照れ隠しであるが、ザキには機微が伝わらなかったようだ。
「ファンー! キン・トゥさんが、インフゥの方がファンより強くなれるってー!」
居室の方へ走っていったザキは、大声を張り上げている。
「ええ!?」
ファンは大仰に驚きながら道場にやって来て、
「いや、でも、ホントにそうかも知れないッスなァ」
ファンは庭で休んでいるホッホへ目を向けていた。ホッホに宿っている精剣・バウンティドッグは、鞘となっている女性の感覚を剣士に反映させるというもの。女の感覚を反映されたところで何が強くなると言う訳でもなく、俗に死にスキルと呼ばれているものであるが、これがホッホというならば話が異なる。
「ホッホの感覚が反映されるなら、聴覚、嗅覚、動体視力、平衡感覚……何もかもが人間の何十倍、何百倍ッスからねェ。それを確実に熟せるくらい身体を鍛えたら、間違いなくインフゥが自分より強いッスよ」
戯けた旅芸人の口調であるが、ファンの忌憚ない意見だ。このまま御流儀を続けていけば、10年後には間違いなくインフゥこそが最高の――当代最高ではなく、歴代最高の遣い手となる。
「ほう、そういう精剣を持っておるのか!」
キン・トゥも目を見開き、唸った。御流儀の剣技が廃れた理由である精剣だが、キン・トゥは毛嫌いするような事はない。より大きく、より強く、より派手なスキルを使えばいいという考え方には否定的であるが、自らが身に着けた技と合わせる事で力を発揮するというのならば、寧ろ賞賛する。
ホッホのスキルとインフゥの技術が合わされば最強――といわれると、インフゥも気になる事がある。
「そういえば、ファンさんのスキルって何?」
精剣のスキルは余人に漏らすのは非常識というのが剣士の常識であるが、ファンは気にしない。ユージンには明かした事がある。
「涙色のビーナスといって、雀の涙くらいのダメージを無効にするんスよ」
これもまた死にスキルだ。一人で軍団を相手にできる程のスキルが乱舞するような戦場では、雀の涙程のダメージといわれても、そんなスキルはないに等しい。
「しかし、そのスキルがあるから、ファンは綱渡りができているのだろう? なければギリギリで死んでいた事だってあるはずじゃ」
しかしキン・トゥは死にスキルとはいわない。首の皮一枚、ハナの差、紙一重、と表現方法は色々とあるのだが、ファンがそういわれる勝利を収めてきた、その僅かな差を作り出してきたのが、非時のスキルであると理解している。
「いやぁ、寧ろギリギリで勝ってきたんだから、わりと大きな効果ッスよ」
ファンは、キン・トゥがいうよりも大きい。
ファンの技術と合わさって最強になるエルのスキルは、「紙一重の勝利をもたらすもの」なのだ。
「はははは」
キン・トゥが笑う。
「一本、取られた!」
キン・トゥは呵々大笑しつつ、居住まいを正す。
「ファン、ちょっとここに来い」
キン・トゥは道場に掲げられている額縁の前へファンを呼んだ。
「この文字の意味、わかるか?」
「邪を破り、正しきを現す。自らと他を、共に栄えさせる」
御流儀の基本理念とされているのだから、ファンも空でいえた。
「そうだ。インフゥを学生として、よく教えられている。故に――」
キン・トゥが手にするのはスクロール。
「伝教、御流儀」
それはファンに伝教の資格――弟子を取る事を許可する証明だ。
「後学キン・トゥ。ファン・スーチン・ビゼン」
ただ数行の文字が書かれているだけだが、このスクロールの存在は御流儀に於いては重い。
「以降、インフゥは正式にファンの弟子じゃ」
「でも自分は、巧く教えられないかも知れないッスよ?」
スクロールを受け取るファンが感じる重みは、インフゥに対する責任の重さである。
「それは弟子と共に、師も学んでいく事じゃ。儂にせよ、御流儀という山の三合目も踏めとらんわ」
またキン・トゥは大笑いするものだから、そこでエルはやっと安心した声を出せる。
「なら、これはご機嫌取りに使わなくとも良さそうですね」
エルの手には、大きな魚を入れた桶が。
「おお、おお」
キン・トゥが手を叩く。
「歓迎会をやろうかと思っていたが、いいや、ファンとインフゥの祝いにしよう! サクラか。煮ても焼いても旨いぞ」
桶ごと魚を受け取ったキン・トゥは、意気揚々と居間へと戻っていった。
祝い。
だがこの夜、それとは真逆の事が起こる。
***
日が暮れればムゥチとネーは休む。灯りを使う事は贅沢であるから、日が暮れてからは動かない。
だから気付くのが遅かった。
「……誰でやすか?」
眠い目を擦りながら身体を起こしたムゥチであったが、ドンッと感じた衝撃に腹を貫かれていたのだった。
3
お気に入りに追加
20
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる