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第6章「讃洲旺院非時陰歌」
第85話「弓を絞って鳩を射ったらカラスに当たった」
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草庵は三種で構成される。
一つはキン・トゥが暮らす居室。
一つは客室。
最後の一つ、ファンとヴィーも汗を流した道場とでもいうべき場所へとキン・トゥはインフゥたちを通す。
「さて……」
そこでキン・トゥは、改めて3人と一匹を見遣った。
――行き当たりばったりだったろうに。
弟子の性格を把握しているキン・トゥであるから、インフゥ、ホッホ、コバック、ザキとの出会いは偶然でしかなかったと見抜いている。
非時を宿したエルと連れ立って、ドュフテフルスを発つファンは、宛てについて訊ねられた時、こう答えた。
――赤茶けた土地を町や畑に、煤けた顔を笑顔に!
余人であれば本気か冗談かの区別がつかない言葉であるが、キン・トゥに限っていえばファンの本気を察せられた。
ならば宛てなどない。
フミの領地へ行ったのも偶然、ユージンの村、パトリシアの城、インフゥとコバックの村を訪れたのも、宛てのない旅芸人が気まぐれに訪れた場所だ。
――それでも人を引きつける何かを発揮できたか?
それが聞きたいからこそ、キン・トゥはファンとエルの二人で買い出しへ行かせた。買い出しというならば、態々、エルを同行させるまでもない。ファン一人を町へやり、エルは城へファンの帰郷を知らせる手紙でも運ばせればよい。
キン・トゥは「さて」と前置きし、
「御流儀の内、剣技をファンから習ったのか?」
訊ねながら自分の前へ腰を下ろしたキン・トゥに対し、インフゥは首を横に振る。
「いいえ」
「習っていない?」
繰り返すキン・トゥに、インフゥは「はい」と頷く。
キン・トゥはインフゥがファンを庇っているのかと思ったが、そうではない。
「ファンさんからは、皆伝の腕を持ち、法脈になっているけれど、伝教の資格を持っていないから正式に弟子にはできないといわれました。僕は学生です」
方便とも取れる言い方であり、事実、インフゥに剣技を教えられるようエルが取り繕った言葉であるのだが、「そうか」と呟くキン・トゥは、心持ち身を乗り出す。
「ファンが日々、やっている修練を真似たのかね?」
「そうだと思います。肩伸が主でした。後は摺り足で動く事と、足を揃えない、踵を浮かせない事と」
「なるほど、なるほど」
そこで漸くキン・トゥは笑みを見せた。
「もしファンが、人にものを教えられる程、偉くなったと思ってやった事ならば叱り飛ばしてやろうと思ったが、成る程。基本を忘れず、自分が日々、磨かねばならない事を教えたか」
キン・トゥはインフゥが弟子ではなく学生だという言葉を、詭弁や方便と断じない。
――想像した通りに育ってくれているではないか。
想像が外れているのではないかと言う不安感が厳しい表情となり、想像が当たっているはずだという想いが柔和な言葉となって現れた、というのがファンとエルを二人で買い出しに行くよういった時の真相である。
「これはいい。ファンもエルも、早く帰ってこぬかな。今夜は、酒を飲み、ご馳走を摘まみながら話ができる」
キン・トゥが手を擦り合わせながら、厨房を見遣った。不安が消えれば、楽しみだけが残るのも自明だ。
しかしキン・トゥがニコニコし始めると、ザキが首を傾げてしまう。
「……ご飯を買いに行かせたの?」
「そうじゃよ。エル一人では荷物が多いと敵わんし、ファンの食材を見る目は怪しいからの」
理に適っているというキン・トゥであるが、ザキは目をパチパチさせ、
「だったら、買ってこないと思うよ。だってファンは怒られると思って出て行ったもん」
ファンもエルも歓迎会があるなど、考えもしていなかったはずだ。
「……拙い事をしたの……」
目を逸らせるキン・トゥに、コバックも笑い出してしまう。
「ファンの先生ですね」
***
事実、町へと向かうファンは溜息を繰り返していた。
「拙いッスよねェ」
インフゥの事を言及されるのは覚悟していたファンだが、まさか自分の口でいう前に露見するとは思っていなかった。
そして誤魔化す事を考えているのだから、エルとも噛みあわない。
「インフゥは学生であって、弟子でないからいいのでは?」
エルはファンが詭弁であると思っている事を察しつつも、押し通すしかないと判断しているのだから。
だが戦場に於いて、或いは芸事の場に於いて大胆になれるファンも、キン・トゥの前だけは例外だ。
「それが通れば苦労しなさそうッス」
上下関係がきっちりしている事に、ファンは頭を痛めていた。弟子がファンとヴィーしかいないのだから、我が儘も聞くしかないとはならない。剣技に関していえば、御流儀の科目から削除されるやも知れないが、他の科目は現役である。キン・トゥは才人であり、ドュフテフルスの重鎮だ。
「分かってくれない人ではないと思いますが……」
エルのいう通り、キン・トゥはファンの成長を確かめられた喜びがあり、今、二人に買い出しに行かせているのも帰郷の歓迎会のためなのだが、ファンはそこまで頭が回っていない。
「あーあ」
頭の後ろで手を組むファンは、何か言い訳のネタはないものかと周囲を見回した。
内海によって直接、他の領地と境を接していないドュフテフルスは、大帝家にも繋がるビゼン家が治めているだけあり、復興はいち早い。
だが二世大帝の世になって、漸く安定を見せ始めた世界であるから、未だ町中にも不穏な空気は存在する。
そんな事を象徴する光景が、ファンの視界に入った。
「おや……」
それは荒縄で両手を縛られたエルフと、その荒縄を引く男。
「奴隷商ッスかね……」
生理的な嫌悪感を掻き立てられるが、大戦中はよく見られた光景だ。賠償制度などないのだから、動産だけでなく人すらも戦利品として扱われてきた。その名残は消えず、またエルフは被差別階級だ。
――嫌なモン、見たッスねェ……。
キン・トゥへの言い訳のネタを探しているのに、探す気も失せる光景だったが――、
「ちょっと!」
鋭い女の声が、視線を逸らそうとしていたファンを止めた。
一つはキン・トゥが暮らす居室。
一つは客室。
最後の一つ、ファンとヴィーも汗を流した道場とでもいうべき場所へとキン・トゥはインフゥたちを通す。
「さて……」
そこでキン・トゥは、改めて3人と一匹を見遣った。
――行き当たりばったりだったろうに。
弟子の性格を把握しているキン・トゥであるから、インフゥ、ホッホ、コバック、ザキとの出会いは偶然でしかなかったと見抜いている。
非時を宿したエルと連れ立って、ドュフテフルスを発つファンは、宛てについて訊ねられた時、こう答えた。
――赤茶けた土地を町や畑に、煤けた顔を笑顔に!
余人であれば本気か冗談かの区別がつかない言葉であるが、キン・トゥに限っていえばファンの本気を察せられた。
ならば宛てなどない。
フミの領地へ行ったのも偶然、ユージンの村、パトリシアの城、インフゥとコバックの村を訪れたのも、宛てのない旅芸人が気まぐれに訪れた場所だ。
――それでも人を引きつける何かを発揮できたか?
それが聞きたいからこそ、キン・トゥはファンとエルの二人で買い出しへ行かせた。買い出しというならば、態々、エルを同行させるまでもない。ファン一人を町へやり、エルは城へファンの帰郷を知らせる手紙でも運ばせればよい。
キン・トゥは「さて」と前置きし、
「御流儀の内、剣技をファンから習ったのか?」
訊ねながら自分の前へ腰を下ろしたキン・トゥに対し、インフゥは首を横に振る。
「いいえ」
「習っていない?」
繰り返すキン・トゥに、インフゥは「はい」と頷く。
キン・トゥはインフゥがファンを庇っているのかと思ったが、そうではない。
「ファンさんからは、皆伝の腕を持ち、法脈になっているけれど、伝教の資格を持っていないから正式に弟子にはできないといわれました。僕は学生です」
方便とも取れる言い方であり、事実、インフゥに剣技を教えられるようエルが取り繕った言葉であるのだが、「そうか」と呟くキン・トゥは、心持ち身を乗り出す。
「ファンが日々、やっている修練を真似たのかね?」
「そうだと思います。肩伸が主でした。後は摺り足で動く事と、足を揃えない、踵を浮かせない事と」
「なるほど、なるほど」
そこで漸くキン・トゥは笑みを見せた。
「もしファンが、人にものを教えられる程、偉くなったと思ってやった事ならば叱り飛ばしてやろうと思ったが、成る程。基本を忘れず、自分が日々、磨かねばならない事を教えたか」
キン・トゥはインフゥが弟子ではなく学生だという言葉を、詭弁や方便と断じない。
――想像した通りに育ってくれているではないか。
想像が外れているのではないかと言う不安感が厳しい表情となり、想像が当たっているはずだという想いが柔和な言葉となって現れた、というのがファンとエルを二人で買い出しに行くよういった時の真相である。
「これはいい。ファンもエルも、早く帰ってこぬかな。今夜は、酒を飲み、ご馳走を摘まみながら話ができる」
キン・トゥが手を擦り合わせながら、厨房を見遣った。不安が消えれば、楽しみだけが残るのも自明だ。
しかしキン・トゥがニコニコし始めると、ザキが首を傾げてしまう。
「……ご飯を買いに行かせたの?」
「そうじゃよ。エル一人では荷物が多いと敵わんし、ファンの食材を見る目は怪しいからの」
理に適っているというキン・トゥであるが、ザキは目をパチパチさせ、
「だったら、買ってこないと思うよ。だってファンは怒られると思って出て行ったもん」
ファンもエルも歓迎会があるなど、考えもしていなかったはずだ。
「……拙い事をしたの……」
目を逸らせるキン・トゥに、コバックも笑い出してしまう。
「ファンの先生ですね」
***
事実、町へと向かうファンは溜息を繰り返していた。
「拙いッスよねェ」
インフゥの事を言及されるのは覚悟していたファンだが、まさか自分の口でいう前に露見するとは思っていなかった。
そして誤魔化す事を考えているのだから、エルとも噛みあわない。
「インフゥは学生であって、弟子でないからいいのでは?」
エルはファンが詭弁であると思っている事を察しつつも、押し通すしかないと判断しているのだから。
だが戦場に於いて、或いは芸事の場に於いて大胆になれるファンも、キン・トゥの前だけは例外だ。
「それが通れば苦労しなさそうッス」
上下関係がきっちりしている事に、ファンは頭を痛めていた。弟子がファンとヴィーしかいないのだから、我が儘も聞くしかないとはならない。剣技に関していえば、御流儀の科目から削除されるやも知れないが、他の科目は現役である。キン・トゥは才人であり、ドュフテフルスの重鎮だ。
「分かってくれない人ではないと思いますが……」
エルのいう通り、キン・トゥはファンの成長を確かめられた喜びがあり、今、二人に買い出しに行かせているのも帰郷の歓迎会のためなのだが、ファンはそこまで頭が回っていない。
「あーあ」
頭の後ろで手を組むファンは、何か言い訳のネタはないものかと周囲を見回した。
内海によって直接、他の領地と境を接していないドュフテフルスは、大帝家にも繋がるビゼン家が治めているだけあり、復興はいち早い。
だが二世大帝の世になって、漸く安定を見せ始めた世界であるから、未だ町中にも不穏な空気は存在する。
そんな事を象徴する光景が、ファンの視界に入った。
「おや……」
それは荒縄で両手を縛られたエルフと、その荒縄を引く男。
「奴隷商ッスかね……」
生理的な嫌悪感を掻き立てられるが、大戦中はよく見られた光景だ。賠償制度などないのだから、動産だけでなく人すらも戦利品として扱われてきた。その名残は消えず、またエルフは被差別階級だ。
――嫌なモン、見たッスねェ……。
キン・トゥへの言い訳のネタを探しているのに、探す気も失せる光景だったが――、
「ちょっと!」
鋭い女の声が、視線を逸らそうとしていたファンを止めた。
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