82 / 114
第6章「讃洲旺院非時陰歌」
第82話「追い手に帆かけて」
しおりを挟む
シュティレンヒューゲルから西へ向かい、多島海を船で南へ渡った先に、ファンとエルの故郷、ドュフテフルスは存在する。
内陸地に住んでいたザキは船で海を渡るのは初めての事で、陽光をキラキラと反射させる水面は、いつまででも見ていられた。
「思った程、揺れないね」
船縁から見下ろす水面と、そばにいるファンへ視線を行き来させても酔わないほど。
ファンは風下へ目を向け、
「内海ッスからね。いつも凪いだ海ッスよ」
東西に広がる内海であるから、大波が来る事も滅多にないとファンがいうと、ザキがぴょんと飛び跳ねるようにファンの方へ来る。
「嵐も~?」
それに対してファンは、右手で北を、左手で南を指差し、
「北にグローセルベルク山、海を越えた南にフューアランダー山があるから、南北からの嵐は越えられないんスね。唯一の進路は東西なんスけど、それはまず滅多に来ないんスわ」
地理的に災害が少ない場所なのだ。
また地理といえば、戦略的にもドュフテフルスは重要な場所である。
大公の上覧試合を自ら陪観したベアグルント伯爵の領地は、ここから更に南西にあり、進軍するならば海路はこの場所を通る事になる。故に、庶流ではあるものの、大帝家にも連なるビゼン子爵家がドュフテフルスに封じられている。
そんなドュフテフルスが見えてくると、船縁にいたインフゥが身を乗り出す。
「陸が見えてきた!」
インフゥが指差す先に、平野と遠浅の海岸が見えてくる。
これは、故郷から出た経験がないインフゥやザキでなくとも珍しい。
全国平均では7割近くを山が占める中、ドュフテフルスは平野率が5割を超えている。農地そのものの広さは、18万タント――即ち成人男性18万人分と狭いのだが、その農地の8割が1000年前に開墾されたという記録が残っている。
さらに広さでいうと、ファンは思い出し笑いしてしまう事があった。
「でも、実は農地の広さは間違ってるんスよ」
小舟に移って上陸したところで、ファンは懐かしい故郷の景色に背伸びした。遠浅の海岸と広い平野の向こうに見える山の形も、今まで見慣れてきた横に広がる台形ではなく、三角に尖った山がポツポツとある。
「測量を間違っていたっていうのもあるんスけど、北と南に山があるから、雨雲が来ない地形なんス。雨が降らないだから、穀物を育てるには向かないって言い張ったんスね。27万タントあるッス」
目を丸くするインフゥの反応は当然だろう。
「そんなの通るの?」
ファンも「普通は通らないッスね」と肩を竦めつつも、
「いい出したのが、副帝とまでいわれる人ッスからね」
ドュフテフルスは要衝の一つでもあるため、複雑な歴史がある。
大帝家から初代ビゼン子爵と認められている者は、庶子であるのだが、副帝とされる人物の兄だった。兄を差し置いて、何故、弟が副帝になったのかは知られていない。
だから当の副帝は代替わりに際し、こういったと伝えられている。
――長幼の序を誤れば家門の乱れる基となる。
この真偽はどうあれ、副帝の長男がドュフテフルスを、初代の長男が副帝のローゼンベルクを継ぐという変則的な相続が行われた。
「長幼の序?」
よく分からないという顔をするザキへは、エルが教えた。。
「兄と弟の序列という事です。家はお兄さんが継ぐのが正しい、とした訳ですよ」
戦乱の世であれば、能力が高い事、その一点のみが重要視され、場合によっては力で他者を追い落とす事も推奨されたのだが、文治主義へと向かう中では悪徳とれる部分もある――とまではエルも説明しないが、その状況がドュフテフルスの相続を面倒なものにしていた。
副帝は始世大帝の孫であるから公爵、庶流である副帝の兄は伯爵だが、その息子はドュフテフルスを継ぐために他家への養子に出された。
故にビゼン家は子爵となったのだが、こういう変化は大抵の者が嫌う。
それが成り立ったのは奇跡ともいえるのだが、その奇跡が奇跡ではなく、気性である。
コバックが見える景色から感じ取ったことを口にした。
「ノンビリしたところですね」
この港の景色だけでも不思議なもので、港の傍を駅馬車が走り、そのすぐ向こうに城が見える。更には城の近くで釣り糸を垂れている人すらおり、誰も咎めない。港の荷担ぎも、どこかのんびりとした印象があった。
それが日常である、とエルは笑う。
「ドュフテフルスは小雨の地域ですから、農業をしようにも雨が降らない事にはどうしようもないし、凪の続く海ですから、あくせく漁に出なくても、毎日、食べられるだけを取ってくればいい、争うなという気質になるそうです」
この通りの土地なのだ。争い事を嫌い、のんびり優しい性格の男が多いというのは、童歌にも出てくる。
その結果が「大将なし」といわれるドュフテフルスであり、のんびりした気質故に、子爵家も皆、跡目争うよりも継承順位で継いでいく方が良いと受け入れた。
とはいえ、怠け者ばかりという訳ではない。
大将なしといわれるのは騎士、兵士の話であり、官僚となれば皇帝家へも大帝家へも輩出している。
今日、明日の仕事を堅実に熟し、成功する確率が高い道よりも、失敗する確率が低い道を選ぶのが、このドュフテフルスの男たちだ。
「行くッスよ」
ファンもそんなドュフテフルスの男である。
エルと二人で連れ立って出て行った土地へ、今、インフゥ、コバック、ザキを加えて帰ってきた。
向かう先は――、
「お城じゃないの?」
微妙にずれているとザキに訊ねられたファンは、御者席でケタケタと笑う。
「伯父様には、すぐには会えないッスよ。先に行くところがあるんス」
ファンが向っているのは父母の元でもない。そもそも城では、ファン自身も両親も部屋住みだ。
今、ファンが最も合いたい人は――、
「師匠のとこッスわ」
ドュフテフルスに帰ってきた目的は、ヴィーに敗れた腕を磨き直すためだ。
――非時が弱い訳じゃない。負けたのは、俺がショボいからだ。
ファン自身も、そう思っている。
内陸地に住んでいたザキは船で海を渡るのは初めての事で、陽光をキラキラと反射させる水面は、いつまででも見ていられた。
「思った程、揺れないね」
船縁から見下ろす水面と、そばにいるファンへ視線を行き来させても酔わないほど。
ファンは風下へ目を向け、
「内海ッスからね。いつも凪いだ海ッスよ」
東西に広がる内海であるから、大波が来る事も滅多にないとファンがいうと、ザキがぴょんと飛び跳ねるようにファンの方へ来る。
「嵐も~?」
それに対してファンは、右手で北を、左手で南を指差し、
「北にグローセルベルク山、海を越えた南にフューアランダー山があるから、南北からの嵐は越えられないんスね。唯一の進路は東西なんスけど、それはまず滅多に来ないんスわ」
地理的に災害が少ない場所なのだ。
また地理といえば、戦略的にもドュフテフルスは重要な場所である。
大公の上覧試合を自ら陪観したベアグルント伯爵の領地は、ここから更に南西にあり、進軍するならば海路はこの場所を通る事になる。故に、庶流ではあるものの、大帝家にも連なるビゼン子爵家がドュフテフルスに封じられている。
そんなドュフテフルスが見えてくると、船縁にいたインフゥが身を乗り出す。
「陸が見えてきた!」
インフゥが指差す先に、平野と遠浅の海岸が見えてくる。
これは、故郷から出た経験がないインフゥやザキでなくとも珍しい。
全国平均では7割近くを山が占める中、ドュフテフルスは平野率が5割を超えている。農地そのものの広さは、18万タント――即ち成人男性18万人分と狭いのだが、その農地の8割が1000年前に開墾されたという記録が残っている。
さらに広さでいうと、ファンは思い出し笑いしてしまう事があった。
「でも、実は農地の広さは間違ってるんスよ」
小舟に移って上陸したところで、ファンは懐かしい故郷の景色に背伸びした。遠浅の海岸と広い平野の向こうに見える山の形も、今まで見慣れてきた横に広がる台形ではなく、三角に尖った山がポツポツとある。
「測量を間違っていたっていうのもあるんスけど、北と南に山があるから、雨雲が来ない地形なんス。雨が降らないだから、穀物を育てるには向かないって言い張ったんスね。27万タントあるッス」
目を丸くするインフゥの反応は当然だろう。
「そんなの通るの?」
ファンも「普通は通らないッスね」と肩を竦めつつも、
「いい出したのが、副帝とまでいわれる人ッスからね」
ドュフテフルスは要衝の一つでもあるため、複雑な歴史がある。
大帝家から初代ビゼン子爵と認められている者は、庶子であるのだが、副帝とされる人物の兄だった。兄を差し置いて、何故、弟が副帝になったのかは知られていない。
だから当の副帝は代替わりに際し、こういったと伝えられている。
――長幼の序を誤れば家門の乱れる基となる。
この真偽はどうあれ、副帝の長男がドュフテフルスを、初代の長男が副帝のローゼンベルクを継ぐという変則的な相続が行われた。
「長幼の序?」
よく分からないという顔をするザキへは、エルが教えた。。
「兄と弟の序列という事です。家はお兄さんが継ぐのが正しい、とした訳ですよ」
戦乱の世であれば、能力が高い事、その一点のみが重要視され、場合によっては力で他者を追い落とす事も推奨されたのだが、文治主義へと向かう中では悪徳とれる部分もある――とまではエルも説明しないが、その状況がドュフテフルスの相続を面倒なものにしていた。
副帝は始世大帝の孫であるから公爵、庶流である副帝の兄は伯爵だが、その息子はドュフテフルスを継ぐために他家への養子に出された。
故にビゼン家は子爵となったのだが、こういう変化は大抵の者が嫌う。
それが成り立ったのは奇跡ともいえるのだが、その奇跡が奇跡ではなく、気性である。
コバックが見える景色から感じ取ったことを口にした。
「ノンビリしたところですね」
この港の景色だけでも不思議なもので、港の傍を駅馬車が走り、そのすぐ向こうに城が見える。更には城の近くで釣り糸を垂れている人すらおり、誰も咎めない。港の荷担ぎも、どこかのんびりとした印象があった。
それが日常である、とエルは笑う。
「ドュフテフルスは小雨の地域ですから、農業をしようにも雨が降らない事にはどうしようもないし、凪の続く海ですから、あくせく漁に出なくても、毎日、食べられるだけを取ってくればいい、争うなという気質になるそうです」
この通りの土地なのだ。争い事を嫌い、のんびり優しい性格の男が多いというのは、童歌にも出てくる。
その結果が「大将なし」といわれるドュフテフルスであり、のんびりした気質故に、子爵家も皆、跡目争うよりも継承順位で継いでいく方が良いと受け入れた。
とはいえ、怠け者ばかりという訳ではない。
大将なしといわれるのは騎士、兵士の話であり、官僚となれば皇帝家へも大帝家へも輩出している。
今日、明日の仕事を堅実に熟し、成功する確率が高い道よりも、失敗する確率が低い道を選ぶのが、このドュフテフルスの男たちだ。
「行くッスよ」
ファンもそんなドュフテフルスの男である。
エルと二人で連れ立って出て行った土地へ、今、インフゥ、コバック、ザキを加えて帰ってきた。
向かう先は――、
「お城じゃないの?」
微妙にずれているとザキに訊ねられたファンは、御者席でケタケタと笑う。
「伯父様には、すぐには会えないッスよ。先に行くところがあるんス」
ファンが向っているのは父母の元でもない。そもそも城では、ファン自身も両親も部屋住みだ。
今、ファンが最も合いたい人は――、
「師匠のとこッスわ」
ドュフテフルスに帰ってきた目的は、ヴィーに敗れた腕を磨き直すためだ。
――非時が弱い訳じゃない。負けたのは、俺がショボいからだ。
ファン自身も、そう思っている。
5
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる
遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」
「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」
S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。
村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。
しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。
とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!
あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!?
資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。
そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。
どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。
「私、ガンバる!」
だったら私は帰してもらえない?ダメ?
聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。
スローライフまでは到達しなかったよ……。
緩いざまああり。
注意
いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる