女神の白刃

玉椿 沢

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第3章「星を追った。ツキはなかった。花は咲いた」

第27話「もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう」

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 ファンとヴィーが親交を温められた理由は、様々である。

 ファンは子爵の甥という認識をされているが、爵位の上では騎士爵の息子であるのに対し、ヴィーは準男爵じゅんだんしゃく家の嫡出子である。

 この準男爵というのも騎士爵の上であるから貴族であるが、「平民の成り上がり」と見られるのが一般的だ。戦費調達のために急造された称号であるから、領地を持たない。

 ただし一代限りの騎士爵と違い、準男爵は世襲制。

 いずれは準男爵家を継がなければならないヴィーが御流儀ごりゅうぎの門を叩くのは、ある意味に於いて当然であり、そこで出会ったのが兄弟弟子のファン――ファンが兄弟子――だった。

 とはいえ、ヴィーも周囲に好かれているかといえば、そうではない。

「ファンが旅に出てからも、自分は練習してたからね~」

 ファンと同様、ヴィーも周囲の評価は放蕩息子・・・・だ。剣と大道芸にばかり目を向けて、他の事を何もしないというのがもっぱらの評判だった。

「正直な話、サボってた?」

 ヴィーにそう訊ねられると、ファンは照れ隠しに頭を掻いた。

「今は、こういうのが求められる時代じゃないのかも知れないッスね」

 旅芸人として方々ほうぼうを回っているといえば聞こえは良いのだが、ファンがやっている事は、大道芸よりも非時ときじくを振り回す頻度の方が高い。

「今度、一緒にやらんか? ちょっと早く来た理由は、実のところ、それでね。ちょっと向こうに、訳ありの集落がある。そこで、ね……」

 ヴィーの話し方は、随分と遠回しに聞こえたるが故に、エルは訴えるように身を乗り出す。

「ヴィー様、それよりも、この状況です。明日には離れた方がいいと思います」

 防壁での審査が簡単で、入った途端、衛兵に取り囲まれるなど、尋常ではない。ただでさえ危ない旅をしているのだから、態々わざわざ、危険な場所に留まる必要はないと考えるのは当然だ。

「ここの領主って、今、誰なんスか? ヴィーは、ちょっと詳しいでしょう?」

 ファンもエルと同感であるが、何も知らないまま出て行くのは反対だった。

 ヴィーならば知っている事もあるはずだ。貴族から平民扱いされるのは、その貴族の中にいるという事なのだから。

「今の領主は確か、前の領主の奥方・・。大戦末期に嫁いできた方で、どこの出身なのかはよく分かってない。それくらい、隠さなければならないような身分……少なくとも、今の領主が、そう感じるものだったんだろうね」

「女性領主?」

 エルが目を瞬かせるが、珍しい話ではない。任命の規定にあるわけではなく、またここは大帝の権力・・も、皇帝の権威・・も届きにくい場所だ。亡夫の地位を妻が継ぐ事に障害は少ない。

「ええ。で、大戦を乗り切った。前の領主がでね。国防のため、大量動員して精剣せいけんを取得した。だから今でも、兵が強い権力を持っている」

 兵と聞くと、ファンが眉をハの字にする。

「あの横暴さで精剣なんて持ってるんスか?」

 世も末だというファンも、剣士・・が横暴になるのはよくある事だが、ここまでの相手は見た事がない。

 それに対し、ヴィーは「いやいや」と手を振り、

「あんな風になったのは、3年前に前の領主がお亡くなりになってから。継いだ今の領主は、精剣を全て召し上げてしまってね」

 衛兵は精剣を持っていない。横暴なのはコンプレックスの裏返しだ。

「……どうやってやったんスか? 剣士が精剣を手放すはずがないッスよ」

 より格の高い、強力なスキルを持つ精剣を手に入れたならば話は別だが、剣士にとって精剣は密接不可分な関係だ。

「誰も文句がいえないんだよ」

 その理由は、ヴィーでなくとも簡単に一言でいえてしまう。


「今の領主に宿ってる精剣は、Lレアだ」


 最高位・・・の精剣を宿しているのだ。

 ならば誰も文句は言えず、兵が革命を起こずはすもない。精剣は宿している女が死ねば失われてしまう。Lレアとなれば、大帝家からも皇帝家からも援助が来るはずだ。

「誰もが欲しがる自分の身を使い、それを引き出した……遣り手ッスね」

 領主になるのも難しい話ではなかったはずだ、とファンも納得するしかない。

「で、その精剣。Lレアだからね。誰に狙われても仕方がない。そのために、自分の精剣をより強力に強化した訳。だから剣士から精剣を召し上げた」

 二つ以上の精剣を合成し、より強力にする方法がある。合成、合体、進化――色々と呼び名はあるが、要するにノーマル以下の精剣を犠牲にし、領主のLレアを強くしたのだ。

「で、皇帝家と大帝家からの援助を全て衛兵に回した。人だけなら、いくらでも集められるから。大戦で逃散した農民、失業した兵士……いっぱい」

 そういった者たちが集まり、身の丈に合わない権力を、それもにわかに手に入れたとなれば、つまらない仕事は等閑なおざりになるし、袖の下が取れそうだと思えば、それをする。ファンが今日、出会でくわしてしまったのも、この街では珍しい事ではない。

 ならば間違いないではないか、とエルはいう。

「やはり、早々に立ち去った方が賢明です」

 明日の朝、一番に出く事が正解だ、と訴えてくるエルに、もう少しだけ聞いてくれと、ヴィーは宥めるように手を上下させる。

「まぁ、まぁ、もう少し話に続きがあるんですよ」

 ここからがヴィーかファンを誘った理由なのだ。

「結果、領主はとんでもない事に手を出しましてね……」

 ヴィーが語るのは、人狩りと陰口を叩かれているものである。

***

 バルコニーに豪奢なドレス姿の女がたたずんでいる。フッと口元をゆるめて笑う女こそ、ここを支配する女領主であり、かつて着の身着のままで森を彷徨さまよい、死ぬ思いで精剣を宿した女だ。

 バルコニーから見下ろすのは、おっかなびっくり、り腰で剣や槍を構える男たちと、そんな男たちが取り囲んでいる筋骨隆々とした大男。

 女領主はいう。

「もっと気合いを入れなさい。そやつに勝てれば、お前たちの生きている間、お前たちの村は全てを免除してやろう。早く戦え!」

 女領主は男たちに向かって声を張り上げた。お前たちの村というのだから、ごしの男たちは兵士ではなく、村人だ。

 剣も槍も、自衛のために持った事はあるが、それを命を奪う事を主たる目的として振るった事はない。

 逆に女領主が「そやつ」といった大男は、兵士だ。命を奪う事を仕事としてきたのだから、そこに恐れなど皆無。

「あああ……」

 取り囲んでいる側が圧倒的に有利であるのに、村人は飛び込めずにいた。

 ――誰か一人が囮になって、その隙を突けば……。

 村人たちの脳裏には、もう何十回と繰り返した作戦が浮かぶ。


 だが囮とは、犠牲だ。


 ――誰がなる!?

 その覚悟がないのだから、実行するしかない策も実行できない。

 ぐるりぐるりと思考が渦を巻く中、大男は動いた。

 本来、両手持ちするような大剣を片手で軽々と振り回し、まず眼前の男の頭を跳ね飛ばす。斬る事よりも、その重量で断つ事を目的とした大剣であるが、ダルマ落としのように人の首が飛ぶ光景など、誰も想像した事すらなかった。

 悲鳴をあげようとした隣の男は、頭上から股間までを真一文字に断ち割られた。

「うわああああ!」

 2人の犠牲に一人、剣を振り上げて立ち向かった男がいたが、何もかもが無茶苦茶だった。歯を食いしばらなければ全力は出ない。それを大口を開けて叫んでいるのだから、振るった剣は弱い。

 大男が刃を受け止めたのは左の素手だったのに、肉は切れても骨まで達さない。

「ふん」

 大男は鼻で笑うと、剣など必要ないとばかりに村人の胸板を蹴る。胸骨がへし折れ、胸を陥没させた村人の命は散った。

 恐慌を起こした村人に、もう抵抗らしい抵抗などできなかった。

「領主様、ざっとこんなもんでさ」

 大男がバルコニーを見上げ、領主に血まみれの大剣を掲げて見せた。大剣は精剣でも何でもない、ただの鋼鉄製だ。

「これが精剣なら、それもLレアなら、城でも落としてみせますぜ」

 殊更、下卑た言葉を使っている自覚はないが、この戦乱を特定の主君を持たずに生き延びた男には、この言葉遣いが当たり前になっていた。

 女領主も、そんな事は気にしない。

「うむ。愉快、愉快」

 満足のいく結果だと頷いた。ただの剣や槍でも、そして振るう者がただの村人であっても、二桁に達する人数を一人で全滅させられる腕があるならば、精剣を持った剣士とも渡り合えるはずだ、と確信できる光景だった。

「では、そなたを――」

 近衛兵に取り立て、自らのLレアを振るう権利を与えようといおうとした矢先……、

「わああああ!」

 大絶叫と共に、大男の背後で倒れていたはずの村人が起き上がり、大男の背へ剣を突き立てたのだ。村人全員を犠牲にしたが、この千載一遇の好機を、文字通り地に伏して待っていた。

 村人が突き立てた剣は、背から胸に刃が突き出る程、深い。

 大男の目から光が消える。

「……馬鹿者が……」

 女領主の目から、愉快さなど消え失せる。不意打ちは、領主の命を守る近衛兵として、最も警戒しなければならない事だ。それを受けての死など、表現する言葉がない失態ではないか。

「やった……やったぞ……」

 ふーっふーっと肩で息をする村人は、目から溢れる涙を止められなかった。

「約束だ、領主! もう俺の村で、人狩りはしない! 俺が生きている限り!」

「……ええ、そうだったわね」

 忌々しいと吐き捨てる女領主だが、約束は守る。


 ただし、まともに守るはずがないが。


「その男は目玉をえぐって、森にでも放逐ほうちくしなさい。生きている間は、約束を守ってやる!」

「!?」

 村人が驚愕きょうがくに目を見開かされた。

「な、……何だと!?」

 約束は、ただ「自分が死ぬまで、村は一切を免除する」だけだ。「無事に帰す」は約束にはない。

「うわ……やめろ! うわあああ!」

 悲鳴があがったが、女領主は既にバルコニーから立ち去っていた。

「使えそうな奴だと思ったのに、時間の無駄だったわ」

 もう村人にも興味はないし、死んだ大男になど記憶にすら残さない。

「こんなにもいないものなの?」

 女領主が求めているものは一つ。


「私を守れる強い戦士は」


 Lレアを――この世で最高位の精剣を宿した自分を守れる存在だけだ。
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