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61 始祖だって反省するのです
しおりを挟む小さな体でそこまで体重があるようには思えないルゥとセレネ。
しかしベッドはその存在を肯定するかのように、はっきりと二人が腰掛けた箇所を沈ませる。
特別、感触が良いわけでも材質が良いわけもない、ごく普通のベッド。
それでもセレネは、慣れないベッドの不安定な沈みに、驚きを露わにして体勢を崩すのだった。
ルゥはそんな妹の様子に反応が一歩遅れ、慌てた様子で支え直そうとするも、その前にリアが倒れる背中に腕を伸ばす。
「っ! ぁうっ」
ぽふっと、ほとんど重さを感じさせない感触が腕から伝わり、混乱した様子で怒られると思ったのか不安げにその可愛い顔を見上げてくるセレネ。
「あっ、ぇっ……ごめっ」
「落ち着いて、怒ってないわ。 大丈夫……、大丈夫よ」
倒れたところでベッドの上なのだから怪我はしない。
それでも、助けに入ったのはセレネのテンパりようが一目でわかる程であり、未だ怯える様子を見せる兄妹に実害はないとアピールする必要もあったから。
体勢を整え落ち着いたセレネを横目に、隣であからさまにほっとした様子を見せるルゥ。
二人の様子から、休むにしても同じ部屋で過ごす以上、最低限の緊張を解かなければ休むに休めないだろうと判断する。
幸いにして二人は先程よりも目が冴えているように見えた。
「セレネには一度したと思うけど、まずは自己紹介かしら。私はリア、さっきも言ったけど吸血鬼よ」
「お姉さま、名乗るにしても重要なことをお忘れですわ」
簡潔にわかりやすく伝えようと思い、色々端折ってはいるが、どうやら可愛い妹は不満のようである。
恐らく『始祖』のことだと思うけど、子供の二人に話して何か変わるわけでも、ましてや理解できるともあまり思えない。
「それで、この子が私の妹のアイリスよ」
「獣人とはいえ、その尊さを知るべきですのに……。――アイリス・グラキエス・ノーラですわ」
ややこしくなってしまうと自己紹介すらやり直しになりそうだったことから努めてスルーするも、やはりアイリスは不満らしい。
どこか拗ねた様子で耳入って少し恥ずかしい呟きを口にすると、一拍置いて気を取り直したように胸に手を当て、気丈な態度で振舞うアイリス。
そんな可愛い妹をしばらく眺めていたい気持ちになったリアだが、今は優先してやるべきことがあると気持ちを切り替える。
「さて、そんなわけでここには人類種は居ないわけだけドッ?」
「なッ!!?」
今後のことや二人について色々話を聞こうと思ったリア。
しかし話し途中に突然、脇の辺りにこつんとした小さな違和感のような感触が伝わってくる。
見ればそこには、さっきまでお目めパッチリだったセレネがいつの間にか睡魔に負けており、その小さな頭をリアへと預けていた。
頭部に生やした退紅色の獣耳はペタンと可愛らしく垂れ、微かに聴こえてくるは規則正しい静かな寝息。
(夜の活動時間には慣れちゃったからうっかりしてたわ。 眠気や疲労が少し前になくても、この子達は子供であって二人にとっては徹夜明けの夜明けみたいなものなのよね)
リアはそのままでは首を痛めると思い、セレネの頭を優しく支えながら起こさぬように膝枕する。
「まぁ、いいわ。今日は話せなそうだし、明日以降にして寝ましょうか」
対面するアイリスの視線が感情を含ませない目でセレネを見続けているのは気になるが、「虐めない」と言った上、リアのお気に入りであることは態度で示しているのだから何もしないだろう。
……恐らく、多分、きっと。
アイリスの視線が内心で気になっていたリアだったが、その隣ではルゥがベッドから立ち上がり、きょろきょろと室内を見渡すと、部屋の隅へと歩いていき背中を預けて座り込む。
そんなルゥの様子を視界の端で見ていたリア。
ある程度、その行動理由は予想はできるが、一応は聞いてみるべきだろうと声をかける。
「何してるの?」
「……? 寝るんだよ」
何を聞かれているのかわからないといった様子で首を傾げ、当然のように口にするルゥ。
それがこの少年の当たり前だというのはわかっている、しかし。
「ベッドがあるじゃない」
「え、いやだって、っ、俺は奴隷だ」
困惑した表情で言葉を紡ぐも、自分自身、何を口にしたらいいのかわからないだろう。
それでも唯一、数多くある言葉の中で、自分を肯定してしまえる単語だけははっきりと言えるみたいだ。
「さっきまではそうだったかもね」
リアの言葉に、ルゥは増々理解できないと困惑した表情に更に混乱を極めた。
「は……? 何を言って……、俺は――」
「――もう、ごちゃごちゃうるさい」
ふわふわとしたセレネの頭を撫で続ける手とは反対の手の指先から【鮮血魔法】を行使する。
数滴、木製の床に垂れた血液は指先から滴る血液と繋がり始め、やがて一本の血の腕となってルゥ目掛けてその赤黒い掌を広げ突き進む。
「ッ、ひっ!」
血の腕はルゥに触れる直前でその動きをピタリッと止めた。
両腕を頭上で交差し、頭を護るようにして蹲るルゥ。
カタカタと体を震わせ、普通の腕より大きな血の腕に身を守る様にして怯える様子に、ルゥの心の奥底に抱えたものが垣間見えた気がした。
生意気な態度で強がってはいるが、セレネと同じ環境に居たのだからルゥだって同じ経験をしている筈。
その事を遂、その態度から忘れてしまい、いつもの様に軽はずみに魔法を向けてしまったことをリアはほんの少し後悔した。
「……っ、はぁ」
【鮮血魔法】の制御を解除して、膝枕しているセレネを起こさないよう細心の注意を払って片手で抱きかかえる。
ギシッという音をベッドから響かせながら立ち上がり、恐る恐る顔を上げ始めるルゥの下へと歩み寄る。
今世のリアどころか、前世の理亜の半分も生きていないだろう少年。
前世の自分は記憶違いでなければ今と同じように男性を嫌い、反対に女性を好いていたように思える。
しかし例外はあり、老人や子供であれば男性でも大丈夫だった気がしなくもないが、そもそも子供と積極的に関わろうとはしなかったことからあまり記憶にない。
加えて、今のリアは吸血鬼であり、理亜だった頃の価値観と何処がどのように変化したかなど正直自分でも比較できる自信がなかった。
だが、そんなリアでも一つだけ言えることがある。 それは――
目の前の子供を怯えさせ、気分は良くないということ。
非常にやりづらさを感じるも、同時に何処か懐かしい感覚を覚える。
内心で出会ってから何度目かわからない溜息を吐き、それでも仕方ないと思えてしまいながら、努めて優しい声音で語りかけることにした。
「手を引こうとしただけよ、貴方を攻撃するつもりはないわ」
見下ろしながら話すリアに変わらずその琥珀の瞳には怯えの色が見え、仕方なく膝を折ることにする。
「……ッ、はぁ、私が悪かったわ。取りあえず、ベッドは使いなさい。あと貴方は奴隷じゃないわ、……返事は?」
「……わっ、わかった」
漸く怯えが薄まって来た事に胸の内の不快感が消えていき、その手を引いてベッドへと移動するリア。
その間、黙ってその光景を見ていたアイリスは首を傾げながらも、その様子に何かを閃いたように瞳をキラキラと輝かせて口を開いた。
「お姉さま! そっちだと3人で狭いでしょう? どうぞ、こちらへ!」
ルゥの手を一度放し、セレネをベッドへ横たわらせながら振り向くリア。
「ええ、そうさせてもら――っ」
魅力的な提案に加え、兄妹水入らずで休ませた方が休めるだろうと考えたリア。
しかし、完全に夢の世界に旅立っている筈のセレネに服の裾を掴まれ、思わず開いた口が止まってしまう。
(あら、これじゃあ行けないわ。ふふ、無意識下であっても、私とは離れたくないと思ってくれているということよね? それなら仕方ない)
「これ、だから。そっちはレーテをお願いするわ」
裾を掴むセレネの手を、体を反らしてアイリスへと見せる。
そんなリアの言葉に「え、でも……むぅ」と口にして、頬を膨らませる可愛い妹。
「拗ねないで、明日以降はたくさんお邪魔させて貰うわ」
思わず触れ合いたくなるも今は手が空いてない為、苦笑を浮かべて宥めることにするリア。
「……わかりましたわ、その代わり。その……」
「?」
聞き分けが良い妹で助かると思ったリアだったが、アイリスは何か言いずらそうにしながらも口籠り、その赤い瞳を恥ずかしそうにチラチラと向けてくるのだった。
要領を得ず、無意識に首を傾げてしまうリア。
そんなリアに対してアイリスは覚悟が決まったのか、やがておずおずと口を開き始めた。
「その、おっお姉さまの服を一着、貸しては……頂けないでしょうか?」
(服? 服って装備のこと? 多分、今の手持ちじゃアイリスが装備できない物がほとんどで、着れる物は既にこの子達が着てるわけだけど……)
口にして貰ってもやはり、何をしたいのかわからなかったリアだが、アイリスであれば変なことはしないだろうと。
何も考えずにガチ装備であるメイン部位、『銀焔の誓衣』を次元ポケットから取り出して渡す。
アイリスは本当に渡されるとは思っていなかったようで、受け取りながら驚いた顔を浮かべるも、直ぐにその可憐な表情を蕩けさせる。
手元にあるリアのガチ装備、金の装飾が施された純白のドレスコート『銀焔の誓衣』をまじまじと見つめ、徐々にその顔に近付けていくアイリス。
『まさか……っ!』とこれから彼女が行うであろう行為に思い至り、止めに入ろうとするリア。
「え、ちょっ、アイ――」
「くん、っくんくん、……すぅぅぅ、っ……ふぁぁぁ」
普段優雅にお嬢様然としているアイリスが蕩けきった恍惚とした表情を浮かべ、まるで体の全身にリアの匂いを行き渡らせるかのように天井を仰いで、トリップした様子を見せる妹。
「……」
何度もすんすんっと鼻を鳴らし、鳴らす度に予讃に浸るかのように吐息を漏らす。
やがて我慢できなくなったのか、リアの装備に顔を埋め、そのままベッドに潜り込んでしまった。
暫く反応に困り立ち尽くしてしまったリアだったが、明らかにこれまでのアイリスとは違う様子に余程我慢させていたのだろうと思い直し、好きにさせることにする。
しかし、流石のリアとて恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
今も耳を澄ませば隣のベッドの布団の山の中から、アイリスの漏れ出る甘美な嬌声と籠った吐息が聴こえてくる。
鋼の表情筋も僅かに崩し徐々に顔に熱が集まってくるのを感じたリアは、咄嗟に頭を振るい気持ちを切り替えた。
そして未だ裾を掴むセレネに口元を緩め感心しながら、どこか諦めた心境でベッドへと入るリア。
ベッドの横にはルゥが立ち尽くし、入ろうとせずにまるでどうしたら良いか分からないと言った様子で、その視線を忙しなく彷徨わせていた。
「貴方は、……はぁ、来なさい」
リアはルゥの腕を強引に、それでいて優しく痛まないように掴み、ベッドへと引き寄せる。
困惑した様子で咄嗟のことに「うぁっ!?」と声を上げ、たたらを踏みながらベッドインするルゥ。
加減を間違えたわけではないが、突然のことで反応ができていなかった為、リア自身の胸元で受け止める。
そうして横になったベッドには、セレネ、リア、ルゥの順で並び、ルゥとリアの間に明らかに意図的な間隔を開いていることに気づいた。
先程のベッドインでノーブラのリアの胸元に飛び込んで照れている、などという理由なら可愛いものだろう。
しかしルゥのその様子から、少し見ればそうではないということは見て取れた。
(全く、本当にどうかしてるわ……。 ―― 子供が遠慮するな)
リアは自身に背を向けて体を丸めるルゥを見て、男嫌いであるというのに『何故?』と自分の行動に疑問に思いながらも、その体以上に小さく見える震えた背中を包み込むようにして抱き締めるのだった。
【戦域の掌握】にて兄妹が寝静まり、隣からは変わらずギシギシッと木製のベッドが軋むような音を経て、私のガチ装備に顔を埋めて布団の中で荒れ狂うアイリスが感知できた。
部屋に唯一設置された窓には紺色のカーテンが閉められておりながら、僅かに生じる隙間から外の明かりを漏れ出している。
「ご苦労様、ありがとう」
リアは約一名を除いて、静まり返った暗闇の屋内で独り言のように言葉を呟く。
「……勿体なきお言葉です」
使い込まれた部屋の木製の扉を軋む音どころか、風の行き来すら感じさせずに入室してきたレーテはリアが見てる訳でもないのにその腰を折り、仰々しい反応をとるのだった。
そんないつも通りのレーテの様子に、小さな嬉しい気持ちが溢れたリアは思わず口元を緩める。
「終わった?」
「はい、ギルド依頼はこれで完遂でございます」
淡々と応えてみせるレーテだったが、今度の返答にはテンポや声音、何より漂わせる雰囲気から違和感を感じ取るリア。
「何か言いたそうね」
「……っ」
目を閉じ、両隣で寝息を経てて居るルゥとセレネの子供らしいぽかぽかした体温を感じながら、黙り込むレーテの返答を待つことにした。
(う~ん、そんなに言いづらいこと? 考えられるのは、『聖王国について』『この国の闇ギルド』あとは『プーサンの家』くらいだけど。まぁ、レーテが言いづらいということは十中八九、面倒ごとだろうね)
「面倒ごとでも構わないわ、どうしたの?」
リアの言葉に肩の荷が下りた様にその雰囲気を和らげ、「……では」と話し始めるレーテ。
「明日の正午以降、ヴァーミリオン侯爵邸へ足を運んで欲しいと。現侯爵からリア様へ宛てて言伝を頂きました」
(現侯爵、プーサンの父親? 依頼は終えた以上、行く必要はない。でもどうして呼ばれた? 感謝の意を言うなら依頼だったのだから必要はない。じゃあ新たな依頼? それともプーサンが聖王国について何か喋ったのかな。あぁ、吸血鬼だってことを喋った可能性もあるのか。それにティーについてもある。うん、やっぱり面倒ごとでしかないね)
何故呼ばれたのか、現侯爵とやらの考えを自分なりに推測してみるも、面倒ごとの予感しかしなかった為、取りあえずはスルーすることにしたリア。
「そう」とだけ相槌を打つリアに、レーテも察してくれたのか「畏まりました」とだけ返してくる。
話が早く察しの良いレーテはやり易いと、何処かのやりづらい子供を思いながら笑みを溢し、関連して思い出したように口を開く。
「この子達のことだけど、話そうにも寝てしまったから日を改めることにしたわ」
「畏まりました、ではそのように」
微かにレーテが笑みを漏らしたのを感じ取り、彼女のこれからを想像したリアは言葉に詰まる。
現在の部屋にはベッドが2つ。
1つは獣人兄妹とリアが使っており、レーテが入ることはできなくはないが如何せん狭い。
もう1つはアイリスが絶賛使用しており、現在も尚使用している真っ只中であることから、そこに飛び込むには中々勇気のいる行為だろう。
「貴方はそっち……こっちでもいいけど、どうする?」
レーテは思考するように口を閉ざし、恐らく自身の主人が何をしているのかは既に察しているのだろう。
暫しの沈黙の後、レーテが口を開きその声帯を震わせようとした。
「わ――」
「ダメですわっ!!」
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