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41 聖なる地へ、潜み寄る魔

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「貴方から死ぬ? ギルドマスター」


 レーヴァテインを持つ手を僅かに上げ、触れないにしても十分な距離までその切っ先を近づけるリア。

 持ち手部分からは何も感じられないがその刀身からは凄まじい熱気が放たれ続け、触れていない筈の男の顎髭はジュワッと焦がす音を鳴らし不格好な顎髭を残す。


 時が止まったような空気が流れる中、男は溶かされた顎など気にする素振りも見せず、青白くなった顔を金魚のように口をパクパクさせると口を開いた。


「あっ、あ……す、すまねぇ、……じょ、冗談がすぎた。……い、命だけは助けて、くれ」


 (随分と虫のいい話ね。 私がどれだけ我慢してあげたか、あれだけ人を煽っておいて殺されそうになったらこれ? 印章は確実に貰う、あと慰謝料ね。 私の精神を1マイクロメートルに満たない程にすり減らした罪は償ってもらわないと)

 リアは視線を下げ、フードの下から碧い瞳を這い蹲る豚へと向ける。


「薄汚い豚がさっき私になにを言ったのかしら? 醜い顔を見せる暇があるなら言ってみなさい」


 本当ならこの豚を八つ裂きにし、ついでにイストルムに戻ったらあの眼鏡にもお灸を据えてやりたいところを抑え込み、このまま貰える物は根こそぎ貰うことを決めたリア。

 そんなリアの心境など考える余裕もないのか、只々目の前の炎剣の切っ先に目を向け、まるで土下座のような姿勢を取り始める豚。


「な、なんでもする ……み、見逃してくれ。すまなかった、すっすまなかった……酔いが過ぎてたみてぇなんだ」


 男の言うことも事実ではあるのだろう。
 茹蛸より染まった顔に潤んだ目、荒々しい口調は【祖なる覇気】によって完全に鳴りを潜め、今はただの豚が眼帯を付けてるだけの存在になり下がっている。

 どっちが通常のコレかは知らないが、その怯え切った様子とみっともない姿を目にして多少なりとも怒りが収まってくるのを感じるリア。

「……どきなさい」

 それでも怒気は含まれてしまうが仕方ない。

「……は?」


 男は何を言われたのか理解できなかったのか、額を地面に擦り付けていた体勢から恐る恐る顔を上げた。

 この男は聞いていなかったのだろうか、やっぱりやるべきかしら。


「二度言わせるつもり?」

「は、はいっ!」


 リアは手元で熱気を放射し続けるレーヴァテインを次元ポケットへしまい、慌てて豚が這いつくばりながら退いた道を歩いていく。

(あれ、【祖なる覇気】の加減しすぎた? グレイの時と同じくらいには使ったつもりだけど……、この豚もしかしてそれなりに実力ある感じ?)


 歩きながらふと疑問に思ったリアは少しの間考えに耽る。
 そして部屋の最奥、散らかった執務テーブルにしまわれた無駄に豪華なイスへを引くとそこに腰掛け、足を組んで肘掛けへと寄りかかる。


(一見大した事なさそうだけど、姿勢や体格にでないってことは近接型じゃない? もしくはそういった覇気プレッシャー系統の耐性アクセでも持ってるとか)


 思考に耽っているといつの間にかアイリスとレーテはリアの両隣を陣取り、もしこの場に第三者が居てこの状況を見ればお互いの立場は実際とは逆のものに見えていたことだろう。

 リアは横目にmob達を見やると全員が全員、気を失うか恐慌状態へと陥っており、膝を抱えて蹲るか頭をかばうかのように縮こまり部屋の隅へと逃げ出している光景を映し出す。


 どうやら目の前の豚だけが、何かあるようだ。

(おっと忘れちゃ駄目よリア。二人に向けないようにはしたけど、彼女たちの実力からして空気から覇気を感じ取っても可笑しくない)

 リアは両隣の二人へ両手を伸ばし、ローブの中から綺麗で幸せに感じられるきめ細やかな手と可愛らしい手を取り出し、指を絡める。

 二人から視線を感じられた為、振り向かずにぎゅっぎゅと絡めた手で代わりに返事をしてリアは自分の一挙手一投足を見逃さまいと見詰めてくる豚へと視線を戻す。


「読まないの? 豚」


 【祖なる覇気】の発動を解除して問いかけるリア。


「は、はいっ! 読っ、読みます! ……」


 覇気プレッシャーが消えて明らかに部屋の空気が変貌したと感じられたと同時に、豚の肩の力がストンッと抜け思い出したように慌てて手元の封筒を漁り始める。

 そして紙へと流す目はゆっくりした動きから、徐々に目を見張るように見開きその動きを加速させていく。

 十数秒の静寂が屋内を満たした時、紙を見終えた豚から突如として盛大な溜息が吐かれたのだった。


「はぁぁぁぁ……俺の馬鹿ッ。なんてタイミングで、もっと早く見ておけば」


 ガタイが良く眼帯に顎髭、鋭い視線、とそれなりに世間一般では強面と言える大の男が地べたで正座しながら1枚の紙をマジマジと見詰め、何かを呟いている。

 豚は膝に両手を置き、後悔がありありと見える空気を醸し出しながら「グレイの野郎・・・」と呟く声が聴こえた気がしたリアはさっさと要件を終わらせることにする。


「ねぇ、豚」

「っ! はい! あ、その……、出来れば、豚っていうの変えていただけたり――」

「呼び方を変えて欲しいなら、名乗りなさい豚」


 顔色を伺うようにチラチラと見詰めてくる豚に、言葉を被せ先を促すリア。


「あっそうだった。俺はホルデイン支部ギルドマスター、ギャリックだ。あんた、じゃなくって、貴方のお名前を教えていただきたく……」

「アルカード」


 聞かれたから答えただけのリアに対してギャリックと名乗った豚はポカンとした呆けた表情を晒し、遅れて視線を左右へとふらつかせる。


「う、後ろのお二人は……」

「知る必要はないわ、豚」


 二人の名前を豚なんかに教えるわけない、ていうか男なんかに教えたらどうなるか。

 リアはこの一瞬で想像し妄想する。
 アイリスやレーテの可愛くて綺麗な響きの名前をどこの馬の骨かも知らない男の口から出ることがあれば、リアは勢いあまって殺ってしまうかもしれない。


「豚……。 俺、名乗ったのに」

「何か言ったかしら豚」

「い、いえっ、なにも!」


 何故自分が人間だと思ってるのか理解に苦しむわ、犬や虫だって危険と感じた相手には警戒するのにコレとくれば……――あれ?

 (そういえば、酔いを強制的に醒めさせてからは随分しおらしいような。 言葉遣いは無理に正してる感あるけど、こっちが素だったりするの? まあいいや)


「依頼は終えたし帰るわ。いいわよね? あと印章今すぐ3つ出しなさい」

「も、もちろん……はっ!? 印章を3つ!!? そ、それは無理ってもんですぜ。アルカード、様」


 リアは名残惜しくも二人の手を放して立ち上がろうする足に力を入れた瞬間、ギャリ豚は狼狽した様子で立ち上がり手をあたふたさせ始め抗議の声をあげだす。


「無理? 命を助けてあげた私の些細なお願いを聞いてくれないと、やっぱり死んどく?」

「あ、そっそうじゃなく! ……その、流石にこの支部での達成依頼が0だと……。グ、グレイからの内容は把握した、です。功績を残したいんだろ? それなら、俺から1つだけお願いしたい依頼があって、その依頼の相手が相手なだけに……できれば受けていただけると」


 しどろもどろに話すギャリ豚の言葉は高低差の落差が激しく、非常に聞き取りづらい喋り方ではあったが言いたいことは伝わったリア。

(なるほど、つまり印章は渡せない、私たちにかけた精神的苦痛の慰謝料はなし。加えて面倒な依頼があるからやってこい、そういうことね)


「……ふむ」


 無言で次元ポケットからイストルムで購入した3800シルバー、宿代にして1日も泊まれない格安売れ残り直剣てつくずを取り出す。

 それを目にしていたギャリ豚は「ひぃっ!」と甲高い鳴き声をあげるがアレも嫌だコレも嫌だでは、この世界はやっていけないということを教えてあげないといけない。


「まっ待ってくれっ!! わ、わかった、わかりました。印章は直ぐに渡します、それと皆さまをご不快にしたお詫びとして、じゅ……十万シルバーで――っじゃなくってぇ! 二じゅ、ッ百万シルバーで手を打って頂ければ」


 状況を理解できていない豚を切り刻もうと腰まであげたリア。

 するとその様子から自分の出荷される未来が見えたのか、ギャリ豚は声を荒げ金額の10倍を提示してしまった引き攣った精一杯の作り笑いでダブルピースを向けてくる。


 誰得なのそれ。


 見苦しい笑みから視線を外し、再び椅子へ身体を預けたリアは腕を組むと思考するかのように片手で口元を覆い隠す。


(200万……本当に払えるのか怪しいけど、そのくらいなら最低ラインよね。それなら二人も最低限納得してくれるかな? まあいいわ、印章貰ってさっさと帰りましょう)


「印章とお金を今すぐもってきなさい、貰ったら今回の不快な件は不問にしてあげる」


 リアは今度こそ帰れると再度二人の手に手を伸ばしかけ、そこに待ったがかかり眉をピクッと上げた。


「依頼はぁ……受けては、貰えないんでしょうか……?」


 印章を取りに行く素振りも見せず控えめな口調と視線で見詰めてくる豚の背後には、揉み手をするようなギャリ豚の幻想をみたリア。


「はぁ……、貴方のしつこさは何なのかしら? そんなに――」

「お願いです! 200万払った上この依頼すら受けてもらえないならっ、俺本部に殺されるっ! 頼みます、アルカードの姉さん!! この通りっ! 後生の頼み、後生の頼みでさぁぁ!! ――ぶっ」


 食いつく勢いで顔を迫らせるギャリ豚に流石のアイリスが絶えれなくなったのか、横から凄まじい速度で手を伸ばし顎を両挟みで掴み上げるとそこに力を加えられる。


「黙って聞いていれば……、虫の分際で、いつまでお姉さまにッ!」


 伸ばされた手からはギシギシッ、という骨の軋むような音が耳に届き、堪らず断末魔の悲鳴をあげるギャリ豚。

 リアは悲鳴を上がる豚はどうでもいいが、アイリスの綺麗な手が汚れることには我慢ならなかった。


「放していいわ、貴方の綺麗な手が汚れるなんて私が絶えれないもん」

「お姉さま……、はい」


 アイリスは力を入れるのを忘れたように呆気なく手を放し、その可愛らしい顔をフード越しではあるが向けてくる。

 目の前で顎を押さえ、見るに堪えないギャリ豚に対してリアは溜息を洩らしながら口を開いた。


「その依頼とやら、報酬は高いの? 見るだけ見てあげるわ」


 そう言うと悲鳴を上げていたギャリ豚はピタリと泣き止み、錆びついたロボットの様にぎこちなくその太い首を振り返らせる。


「ほ、本当かっ!? 本当に受けてくれるのか?」

「見るだけよ、早くしなさい」


 ギャリ豚は痛みなど忘れたかのように部屋の棚を漁り始め、乱暴に書類を捲っていくと1枚の紙を取り出し持ってくる。

 差し出すように渡された紙をリアが取るより先にレーテが受け取り、真剣な雰囲気で内容を読み込んでいく。

 そして長々と書き連ねた紙に書いてあることを要約してリアへと説明をはじめるレーテ。


「どうやら異教徒として聖神教に捕縛された他国の貴族子息を奪取して、国まで送り届けて欲しいという依頼のようです。 確かに報酬は破格ですが、これは……」


 レーテの説明では放浪癖のある貴族子息が聖王国に立ち寄り、亜人の奴隷を擁護した罪で異教徒として聖神教に捕縛されたらしい。

 他国の貴族でありながら聖神教は返すつもりがないらしく"聖神の祈祷"が行われる祝祭で異教徒達の死刑を同時に強行するつもりだとか。

 依頼人はその貴族の親らしいがその説明をはじめるレーテの言葉に、何様なのか遮るギャリ豚。


「だがなぁ、貴族様から頂いた報酬ってこともあって前金も報酬金も破格だが誰もやりたがらねぇ……。聖王国、いや聖神教から異端者を助け出すのはハッキリ言って不可能なんだ」

「どういうこと?」


 曖昧な言葉に眉を顰めたリアはギャリ豚に問いかける。
 すると、ギャリ豚はその理由を幾つもあげだした。

 聖神教の異教徒は数多く存在するらしいが、表に晒しだされるのは古い異教徒から。
 新しい異教徒は総本山である大聖堂アシュタルシアの地下牢獄に入れられ、総本山には上位の聖騎士が多数、更には司教クラスや枢機卿クラスもいるらしい。

 新しい異教徒が表に出てくるのは"聖神の祈祷"を行う祝祭日が最初で最後のチャンスだとギャリ豚は確信をもっているような顔つきで神妙に話した。


 話しを聞く限り確かに面倒な依頼だ。

 しかし、それが難しいかで言われたら正直リアからしても不明であり、倒すだけなら可能だが助けるとなると不確定要素が出てくる。


「お姉さまであれば真正面から強行しても可能ではないでしょうか?」

 リアが思考する中、アイリスは絶対の信頼を感じる声音であっけからんと口にし、その言葉に呆れた様子でギャリ豚の癖に意を唱え始める。

「おいおい、嬢ちゃんよぉ。それはいかにアルカード様っていったって無理が――「可能でしょう」――へ?」

「でも、面倒ごとはどれだけ力を持っても嫌なものよ。貴方もわかるでしょ?」


(この世界の平均、ケイなんちゃらとかいう賢者が強者のレベルなら、それは前世ゲームの時の"中の下"レベルのIDダンジョンと変らない。プレイヤーが居ないのなら確実に可能だわ)

「わ、私などがお姉さまと比べるなどっ、……恐れ多いですわ」


 フード越しでも分かる程にもじもじと体を捻らせる可愛らしいアイリスに口元がニヤけてしまうが、否定するように首を振るったリア。


「謙虚なのは貴方の美徳だけど、自信を持ってくれると私はもっと貴方を好きになるわ」


 フードの上から頭を優しく撫で、語り掛けるように話すリアの言葉にアイリスは「……はい」とだけ照れた様子で返事を返してくる。

 隣でレーテが「謙虚……?」と呟いた気がするが、彼女から見ればもしかしたら違うのかもしれない。
 しかし、リアからすればどちらも可愛いからヨシである。


 そんなリアとアイリスのやり取りをあんぐりとした顔で見ていたギャリ豚はまるで信じられないものを見たかのように目を見開いていた。


「おいおい、あんたらそういう……」

「何かしら……? 豚」


 見てる向きと合わせる様に指を差してくるギャリ豚に視線を向け、その指を折ってやろうかと思いながら怒気を含ませ問い返す。


「ひっ、いっいえ、なんでもないです!」


 煩い豚は放っておくことにしたリアは依頼をどうするか考え、何気なく両隣に立つアイリスとレーテへと視線を向けた。


「如何なさいますか?」

「そうね……」

 そう言ってフードの下から覗き込むようにして視線を向けた先、そこにはレーテの赤い目が真っすぐに向けられており、その瞳には美しくも怪しげに煌めく光を魅た気がしたのだった。
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