アナタトワタシ

空想書記

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光を掲げる者

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「此奴がロットン・ファッキンダム…。何度かわらわを不快にさせた…シドの実兄」


    血反吐を吐き、嘔吐きながらロットンは肩で息をする最中、首に絡み付いた糸はスルスルとほどけて菩薩に吸収された。
  喉笛に空いた穴を治癒するのに気をとられているロットンは、その糸が菩薩から発せられたものとは気付いていない。


「俺にこんな事しやがって…。ミカエル…。お前の仕業か…」


「…お前だと?塵如きが誰に物を言っているのか、わかっているのか」


    塵だと?この野郎と睨み付けたが、ミカエルの圧倒するような目力に加え、先刻の部下を惨殺した所業と壊力が頭を過り、ロットンは慄いて目を伏せた…。その様を鼻で笑った菩薩が口を開く。


「何故にミカエルの仕業だと思うた」


「…俺の部下をアッという間に殺したからだ。そこの馬鹿そうなガキ2人は確かに強いが、そんな芸当は出来ないだろう」


    馬鹿そうなガキと揶揄されたハイタムとロータムは憤りを感じたが、菩薩が待てと云う素振りでチラリと目を向けたので、小さく頷いてその場に留まった。


「…貴様は先刻の模様を見ていながら、部下を見殺しにしたということかの」


「あんな奴等はいくらでも替えが利くからな」


    清々しいほどのクズだ…。
ミカエル、ハイタム、ロータム、菩薩、ナンシー、シド。
この場に居合わせた全員がそう思った…。


「…なるほどの。では、わらわの仕業だとは思わなんだか」


「…お前など護衛が居なけりゃ何も出来ねぇでかいだけの女だろうが、なんで縮んでるか知らねぇが」


    その言葉にハイタムとロータムが目を見開き、次の行動に出ようとするのを先刻同様に菩薩が制したので、2人は我慢しつつロットンを睨み付ける。

  
「そうか…。話を変えよう。こちらから放たれた呪言は宿主に還り、それで貴様が此処へ連れて来られたわけだが…、シドに呪言を歠ませたのは貴様だな…。もはや言い逃れは出来ぬが…。」


「呪言は確かに俺が歠ませたが、それはシドが普段から気に入らないら嵌めただけだ」


「シドの愚弟振り…噂程度には聞いておるが、殺すほどに憎む動機でもあったというのか?」


「悪魔として腑抜けてるソイツは生きてるだけで、五大悪魔の俺の恥だからな」


「五大悪魔?貴様がか?四方を司る4大悪魔とは違うのであろう?五大悪魔とはなんぞ?」


「俺を含むベルゼブブ他3人の悪魔だ」


「貴様がベルゼブブと肩を並べる悪魔だと…」


「そうだ。ベルゼブブの方が強いけどな。俺に手を出せばベルゼブブが黙ってねぇ」


「…なるほどの。まあ、其れはどうでもよい。呪言を歠ませた理由は他にあるのではないか?どの道、貴様は重要参考人として天界に連行する故」


「それを俺が、はいそうですかと言うとでも?呪言は歠ませたが、それだけだ。俺は何もやってねぇ。だが、疑いをかけられたのを払拭するいい方法がある」


「ほう…。聞こうではないか」


「お前に決闘を申し入れる」


「…決闘とな」


「愚弟シドを救う為に。そして戦争を終わらす為に」


    それを聞いた菩薩が高らかに笑い上げると、ハイタムとロータムはお腹を抱えて爆笑し、ミカエル、シド、ナンシーは含み笑いをしている。
    ロットンはその虚仮にされるような振る舞いに何が可笑しいと憤りを見せ、更にこんな戦争にはうんざりなんだと悲哀な目で宣った。
   如何にこの戦争で命が無駄になったか、如何この戦争で罪のない者が犠牲になったのかを悦に浸って語らった…。
菩薩たちは、よくもこんな猿芝居をするものだと呆れていた。
   ミカエルはその様を見据えながら、菩薩に思念伝達を使って語りかける。


   (決闘とは塵なりに考えたな…。このままでは強制連行は免れないからな…。菩薩に勝てればの話だが(笑))


(それを逆手に取ろうではないか、此奴はわらわを舐めておる。決闘で決まった結末は絶対に変えることはできぬ故…)


(なら、この塵を踊らせよう)


(頼むぞよミカエル)


   2人の思念伝達はロットン以外にダダ漏れだったので、他の4人は笑いを堪えるのに必死だった。
   思念伝達を終えたミカエルは、小馬鹿にするように 敢 え て 乗っかり、其れは素晴らしい、私も同感だ。などと煽っていた。
   其れに気付かないロットンは意気揚々と自分語りを続け、果てに菩薩を煽り出した。


「ミカエルの護衛が無ければ、デカいだけのお前など五秒で捩じ伏せられるわ」


「まあ…よかろう。わらわが負ければシドの容疑は無くなり(既に容疑は晴れているが此奴を踊らせよう)、貴様の容疑も無くなり無罪放免。天界が非を認めて戦争は終結」


「おう!」


「では貴様が負ければ、貴様が戦争犯罪人として立証され、戦争は終結ということだな」


「な?!なんだと?」


「言質はとったぞ」


    そんなことは言ってないというロットンに対して、その言葉を裏返せばそういう事だろう。
   そもそも菩薩に勝てるのなら問題ないのではないかとミカエルに説き伏せられ、ロットンは渋々納得した。


「俺が勝っても、アンタは手出ししないだろうな」


「勿論だ…。決闘での取り決めごとは絶対だ」


    相反する主義や主張、己の意見や意思を押し通す為、解決の困難な事案を決闘での決着に委ねる決闘法という法律がある。
   それは天界から地獄界まで共通のことで、如何なる場合でも決闘を申し入れることが出来、断わる事も出来る。受け入れた側は敗北すると相手の意見を受け入れなければならない。
  それは天界の絶対神  “ 理 ”  (ことわり)と地獄の絶対神 “ 理闇 ” (りあん)が取り決めた天地開闢法の1つ…。
絶対的に不利な状況を覆す為の、謂わば不利な者への救済措置として取り入れられたのが決闘法である。
    極論を言えば死刑囚が裁判官に決闘を申し入れ、成立して勝利すれば無罪放免となる。
多勢に無勢の際には選出された者が勝てば、相手は降伏して要求を受け入れなければならない。


「…では、ロットン・ファッキンダム。始めるかのう」


    菩薩の言葉に、薄ら笑いを浮かべたロットンがゴキリと首を鳴らす。勝敗は2秒とかからないだろうと、何の緊張感もない空気の中で、ナンシーが声を張り上げた。


「待って!観ちゃん!!」


「ナンシー」


「私にやらせてよ」


「ナンシー・ヴェイカントか」


「コイツと私は因縁がある…」


   ナンシーの顔を見た菩薩は全てを悟った…。部下と仲間が如何にして全滅したかをナンシーは語らなかった。天使としての誇り、己の浅はかさが招いたことに言い訳をしたくなかったからだろう…。
    ロットン・ファッキンダムの立ち居振舞いを見る限り、恐らくは罠に嵌められ、姑息な手段によって非道な目に遇わされたのだろう…。それを理解した菩薩はゆっくりと頷いた。


「…相わかった。徹底的にやるがよい」


「…うん」


「ロットン・ファッキンダム。ナンシーと交替してもよいか?」


「ハァッハッハッハッ!!更に弱い奴に交替か?!俺に取っては願ってもない話しだぜ!!」


「貴様は殺しても殺し足りぬ外道だが、裁きは天界に委ねねばならん。殺さない程度にしてやるよ…」


「…思い上がるなと以前にも言った筈だ。菩薩の使い走りの天使如きが…。いや、元天使か…。貴様など、たったの五秒で捩じ伏せてやるぜ。俺の壊力は3億6000万だ!!貴様は高々2億8000万だったなぁ?堕天で如何ほど壊力が上がったか知らねぇが…」


…なぁ!!そう叫んだロットンは先手必勝とばかりに巨大な氷の龍をナンシー目掛けて迸らせた。練り上げられた壊力で創られたそれは驚異的な速度でナンシーに迫る。


「炎天!!」


   ナンシーの創り出した巨大な火柱が氷の巨龍を難なく蹴散らした。天高く立ち上る火柱を呆然と見ながら、馬鹿なと狼狽えるロットンに向けて、ナンシーは腕を上から下へ振り下ろす。


「滝!!!」


   舞い上がった火柱がそのまま滝のように急降下してロットン目掛けて一気に襲いかかる。
反応が遅れたロットンは直撃を喰らい、悶絶しながら叫び声を上げた。
降り注いだ灼熱の炎が、周りの地盤を溶かしてマグマを産み出す…。
のたうち回りながら火達磨になって出てきたロットンは焼け爛れた姿で自身に氷を纏わせて、なんとかその場を凌いだ。


「もう五秒はとうに過ぎたぞ」


   ナンシーは虫ケラでも見下ろすが如く、冷酷な眼でロットンを見据える。


「…ナンシー、強うなったのう。以前の壊力を遥かに凌ぐ…」


「因果なことだが…堕天による…恩恵か」


「其れもあるが、ロットン・ファッキンダムと構えたことによる精神的な滾りが壊力を爆発的に底上げしよった…。先刻までは7億6000万ほどだった。仲間の、部下の仇を討つという強い想いだの…。ともあれナンシーの才能は底が知れぬな。数値にして、12億…3000万という所かのう…」


「…天使ならば2つ階級が上がり、座天使クラスだな…」


「…12億3000万…。ナンシーそんなに強くなってんのか…」
(…今の俺の壊力5億5000万だろ…。俺の倍以上じゃねぇかよ。7億以上は上げないとなぁ…。何年かかるんだ?途方も無いぞ…。護ってやるってカッコつけたけど、俺が護られちまうじゃねぇかよ)


「…そうだシドよ。主はもっともっと鍛練せねばならんのう」


「…心を読まないでくれよ菩薩ちゃん。カッコ悪いじゃねぇかよ…」


「カッコ悪いぞシド(笑)」


「ダッサイぞシド(笑)」


「うるっせぇな!笑ってんじゃねぇよ双子!!んな事は俺が一番分かってるわ!!」


    焼け爛れた身体を治癒しながら踞るロットンはこんな馬鹿なことがあるわけがないと酷く狼狽えている。


「…どうした。もう終いか?」


「…ふ…ふざけんな…ふざけんじゃねぇ!!!」


   そう喚き散らしたロットンは至近距離から、渦巻く黒炎を繰り出した。
眼前に迫るその黒炎を、ナンシーは即座に掌から冷気を竜巻のように放って瞬時に消し去った。


「なんだ…なんなんだこの壊力は…。堕天による恩恵はこんなにも壊力が上がるのか…」


「身の程知らずの上、無知な貴様に教えておいてやるが、観ちゃんの…菩薩様の壊力はな…全開放すると50億を超える」


「…ご…50億を…超える…だと…?!馬鹿な…。菩薩など…ルシファーの堕天で泣いただけの…。天界のお情けで神になっただけの筈…」


    狼狽えるロットンの言葉に反応したミカエルは、煌めく金髪をかき上げて冷淡な眼で口を開いた。


「どこの情報だか知らぬが…。菩薩の壊力は私に匹敵するのだぞ。貴様のようなベルゼブブに媚びを売って名を上げただけの勘違いなゴミの如き塵が、よくも菩薩に決闘などとほざいたものだ…」


「…なんだと。そんなことは微塵も…。ミカエル…貴様。俺を嵌めたのか」


「…嵌めたも何も。全て貴様の思い込みが招いたことだろう。そもそも貴様を引き摺り飛ばしてきたのは菩薩の細胞から創られた物だ。そんな事にも気付かず、菩薩に勝てると決闘を申し出たのは他でもない貴様ではないか」


「…あれは…菩薩の…仕業」


   一気に脂汗が吹き出た…。何を以ってしても切れなかったあの繊維…。自分より遥かに壊力が上回る者による所業だと…。
驚異的な壊力だと…。菩薩と決闘していたら今頃は存在が消えていただろうという恐怖がロットンを震え上がらせていた…。


「家柄を笠に着、姑息で傲慢、卑劣で下劣な悪魔が、私にすら敵わない貴様如きが、菩薩様に決闘など100万年早い」


    そう言い放ったナンシーは右足の爪先をロットンの下腹部の末端部分に乗せて傾きをかけると、グニャリとした感触の先の物がミシミシと音を立てる。


「おおい…やめろ…やめろ」


「こんなモノがあるから、あんな下劣なことを…あんな残酷な所業をするのだ…。こんなモノは…潰れてしまえ」


「待てよ!おい!待ってって!証拠がねぇだろ!!俺がやった証拠を出してみろ!!」


「証拠だと?天使に証拠などいらぬ。貴様の眼は…嘘つきの眼だ」


(…アンタ悪魔やろ。全員が思った…。)


   傾いた爪先が下腹部の末端部分にバギバギと音を立てながらめり込んで行くと同時に多量の血液と体液が噴出され、ロットンは悶絶しながら叫び声を上げた。


「…ぎっ。ぎあああああああ」


「天罰覿面」


(…天罰て。アンタ悪魔やろ)
全員が思った…。


「…ゆ、ゆゆ許さねえぞ…。ナンシー・ヴェイカント…。こ、この俺様に…こんなことしやがって」


「喋るな外道が。殺されないだけでも有り難いと思え」


   そう言い放ったナンシーは、下半身を押さえて踞るロットンの顔面を踏みつけた。
自分の体液と血液に塗れたナンシーの爪先が、自分の顔面にめり込んでいく。
    屈辱だ…。こんな小娘に…畜生。このままだと天界に連行される。何とか何とかしなければ…。ナンシーに顔面を踏まれるロットンは狼狽えながら辺りを見渡した…。自分より弱いと思っていた菩薩は遥かに強く、ミカエルも双子も化け物だ。
    可能性としてはシドには勝てそうだが、(勝てないのだがロットンは勝てると思い込んでる)勝ったところで何も変わらない。


「ロータム」


   菩薩の声で、ロータムが天枷を取り出すのが見えた。
それで自分を拘束するのだと。そうか、天枷だ…。天枷さえ掛けられれば。


「…ち、畜生、畜生」


「…往生際の悪い奴め」


    ナンシーの足首にしがみつくロットンに、ロータムが天枷を掛けようとしたその時だった。
   ロットンの動きに逸早く気付いたシドが「ロータム待て!!影が」と叫んだ刹那、ロータムの意思と関係なく勝手に右手が動いてナンシーの足首に天枷が掛けられた。
   瞬時にナンシーは力が抜けて行き、即座にロットンはナンシーの後ろから左腕で首を捕え、右手の指を側頭部から潜り込ませた。


「ハハハハハハ!!俺の!!俺様の勝ちだぁ!!」


「貴様!!」


「動くな菩薩!!…誰も動くなよ。1人でも動いたら、コイツの頭の奥に在る魂を滅却するからな!天枷が嵌められたコイツは、現在死神くらい弱いからなぁ」


「てめぇ…ロットン」


「…あの双子も化け物だからなぁ。影で操れるのは一秒くらいが限界だったが、上手く行ったぜ」


   俺から離れろと喚き散らした ロットンは、ナンシーの側頭部から指を潜り込ませて魂を強く握り絞めた。
全身の痛覚が暴走するほどの激痛にナンシーは悶絶して叫び声を上げる。


「…ハハハ!形勢逆転だな」


「…何が起きた。どうなっている」


「…影だ。ほんの1秒ほどだが、ロットンはロータムの影を操った…。アイツの得意とする術の1つだ…。影を操り同士討ちをさせるのによく使っていた」


「…姑息な者に似つかわしい卑劣な術。というところか…」


(魂を握られてるのは、些かまずいの…。誰が動くよりも速く滅却されてしまう)


(どうする…菩薩)


(取り敢えずは、成す術がない…。わらわはナンシーを見殺しにはできぬ)


    自分の意思とは関係ないとは言え、誤ってナンシーに天枷を掛けてしまったことに責任を感じたロータムが震えているのを、ハイタムが宥めている。


「狼狽えるでないロータム。主はわらわの命で天枷を持っただけ故」


     ロータムの影に意識を潜らせて操ったロットンは、直接触れれば自分も脱力してしまう為、天界の者に天枷を掛けさせるしか方法がなかった。
    壊力に差が有りすぎて、操れるのは不意打ちで1秒くらいが限界だったロットンは、自分に天枷が掛けられる瞬間にナンシーが近くに居る条件を作る為、足首にしがみつき、この機会を狙っていた。


「い~い女だなぁ…シド。うまく恩を売って、上玉を手に入れたなぁ…」


   「コイツのマ○コ握り潰してやろうかぁ」と嘲り笑いながらロットンはナンシーの下半身の末端部分を猥雑にまさぐり出した。


「っこの…下衆が…」


「…この塵が。死にたいらしいな」


「そうだ!やってみろ!ミカエルよ!俺のような非道な悪魔は殺した方がいいだろう?やってみろよ!ミカエル!!ギャハハハ!!馬鹿野郎共が!!てめぇ等、全員なぶり殺して、魂までも滅却して証拠隠滅だぁ!!」


「…やはり…貴様が」


「そ~うだよ!俺だぁ!!俺だよ!!冥土の土産に教えてやるよ!俺が部下のヴィジュと天使の子供を拐ってなぁ!!凌辱の限りを尽くして殺したんだよぉ!!魂の滅却をし忘れたヴィジュのおかげでバレちまった時は冷や汗モンだったぜ」


「この…クズ野郎…貴様のせいで…貴様のせいで…何人の命が…」


「悔しいか?悔しいかぁ?しかもぉ…あの時と同じ状況だなよぁ…。ナンシー・ヴェイカントよぉ」


                あの時と同じ…
                あの時と同じ…
    部下と共に、コイツの元へ進撃した時と同じ…。
    既に仲間が捕えられ、魂の滅却を盾に皆が無抵抗のまま非道な目に遇わされた…。幾人もの悪魔に犯されながら悲痛に叫ぶ様に、誰も動けなかった…。高笑いするコイツの元へ続々と悪魔が集結し、退路を断たれた…。
    非道な暴力の限りを尽くされて幾人もの天使は惨殺され、戦力を削がれた果てに盾にされた天使は滅却され、夥しい悪魔の群れが一気に襲いかかってきた…。私の部下と仲間達は為す術もなく次々と惨殺されて行った。残り僅かになった仲間と部下は身を挺して私を逃がしてくれた…。

このままでは…
このままでは…皆が…。

    掛けられた天枷の効果で反撃も出来なければ、自害も出来ない…。このままでは全滅は目に見えてる…。


「みんな!!!私に構わず、コイツを殺して!!!」


「誰も動けねぇよなぁ!!堕天したコイツの為にわざわざ地獄までお迎えに来る過保護ぶりだからなぁ!!悔しいなぁ!!悔しいなぁ!!」


    高笑いするロットンの様を、ベルゼブブの居城で水晶玉から見ていた地獄の面々は唖然とした。ロットンが戦争の原因は天使が責めて来たと宣い、仲間の仇を俺が討つと陣頭指揮を取っていたからだ。
   ベルゼブブに呼び出しを掛けられ、既に到着していたロットンの実兄ライドン・ファッキンダムは何用だと余裕をかましていたが、その映像を観るなりワナワナと震え、心拍数が加速し、生唾を飲み込んだ。
   其処に居合わせた顔役や従者となる悪魔達が緊迫する空気の中で、ベルゼブブは言葉を紡ぐ。


「ライドン…。右腕を詰めろ」


「…か、畏まりました」


   震えながら言葉を発したライドンはゆっくりと跪き、左腕に力を込めて右腕を千切り飛ばして「申し訳ありません」とベルゼブブに献上した。
   差し出された右腕を従者に手渡したベルゼブブは更に言葉を紡ぐ。


「…その腕は再生してもよい」


    人間界では不手際を起こした者が責任を取る為に指を詰めるという風習があったが、地獄界では腕を詰めるというのが慣例になっている。
   人間界と違うのは温情措置として、再生が許可されるということだ。
    罪が重ければ再生不可を言い渡され、生涯に渡って再生は禁じられる。それを破れば当然ながら絶縁となり、地位、称号は剥奪。財産は没収される。更に罪が重ければ 、再生不可の上に“ 堕悪絶縁 ” となり死神送りに処される。
   その際には壊力すら抜き取られ、地獄での最低値666万壊力よりも低い壊力にさせられる。
死神より弱く、地位も称号もない悪魔は地獄において死ぬまで蔑みの対象となり、死ぬまで苛め抜かれることとなり、正に “ 生き地獄 ” となる。逆に資産が莫大にある場合は金銭で事を収める事もあり、正に  “ 地獄の沙汰も金次第 ” ということだ。

   それ故にシドとナンシーが、自ら死神になるというのは誰が聞いても馬鹿げた話になる…。
  菩薩達が戸惑いを見せたのは至極全うな事なのだが、堕悪絶縁や罪人としての死神送りではないので、称号や地位は無くなってしまうが、壊力はそのままなので問題はないだろうということになった。


「此度のことは…貴様の監督不行き届きだな…。ライドン」


「…はい」


「…左眼…。取り潰しだ」


   取り潰しとは再生不可を意味する言葉…。その処分に周囲の悪魔は息を飲んだが、其れで済んだライドンに対して、ロットンは地獄に留まれば 、戦争犯罪人として、“ 堕悪絶縁 ”、“ 死神送り” が確定だと裏付ける事だと誰もが理解していた。
   ベルゼブブに対する畏怖と、ロットンに対する絶大な怒りで奮えて力強く歯を食い縛ったライドンは、先刻同様に「畏まりました」と言葉を発して左眼を取り出し、ベルゼブブに献上した。



                -同時刻-

    ナンシーを人質に取ったロットンは分身体を創り出し、本体は下品な薄ら笑いを浮かべながら菩薩に近付いて「跪け」と喚いた…。
言われた通りにゆっくりと跪いた菩薩を蹴り飛ばしたロットンは己の下半身の末端部分を露出して勝ち誇ったように声を上げる。


「御奉仕するんだよ!神様よぉ!!」


「…なんと…下劣な」


「貴様!!殺してやる!!殺してやるぞ!!!」


「動くな!!ハイタムもロータムも、誰も其処を動くでない」


「早くしろよ。全員の前で犯しに犯し抜いて、貴様から殺してやるよ菩薩よぉ」


「お前ぇええええ!!!!」


「ハイタム!!ロータム!!動くなと言っておろう!!」


「…菩薩」


「…わらわにナンシーを見殺しには出来ぬ…。ミカエルよ…。後は頼むぞ」


   その言葉の意味を汲み取ったミカエルは絶大な憤怒を滾らせて言葉を紡いだ。


「…全員、覚悟を決めよ。菩薩が倒れれば、私は何を犠牲にしてでもロットン・ファッキンダムを滅却し、この地獄を天の光の総てを以って灰塵と化す」


   ハイタムとロータムは涙を溢して拳を握り絞めた…。其処から滴る鮮血が2人の怒りと哀しみを現している…。ミカエルの言葉の意味を理解したナンシーもまた、覚悟を決めて菩薩に視線を送り、互いに頷き合った。


「きょ…虚勢をはるなよ。ミカエルよ…。そこでコイツが犯されるのを見てろよ。間違っても自殺なんざするなよ菩薩!ナンシー・ヴェイカントが滅却されたくなければな」


「…自害などせぬ。わらわはナンシーが1秒でも永く生きられる為なら、何でもする故」


「…じゃあ、早くしろよ」


   ロットンが露出した下半身の末端部分に、菩薩の舌が触れる刹那…。地響きのような轟音と共に激しい落雷がロットンの分身体を塵と変えた。


「?!何だ?!」


「…この…闇気は」


   自身の真横で瞬時に消し炭になったロットンの分身体…。
その落雷に伴う闇気が齎す壊力にナンシーは竦み上がり震えるほどだった。
    ロータムは素早くナンシーに駆け寄り、天枷を取り外した。力を取り戻したナンシーはロータム、ハイタムと共に、シドとミカエルは別の方向からロットンに飛び掛かろうとした刹那。
    闇気の出所、菩薩の前に仁王立ちするロットンの頭部を後ろから鷲掴みする手が現れたのを見て、5人とも足を止めた。

    ロットンの頭部にめり込む指から血液が迸り、悶絶しながら持ち上げられる様子は、それが如何ほどの握力なのかを物語っている。
   その手首に装着されている金色の腕釧を見た菩薩は目を見開いた…。手首の主が徐々に姿を現し、煌めく目映い銀髪が風に靡く…。


「この者は私の尊き者」
「この者は私の儚き者」
「この者は私の護る者」
「この者は私の生きる糧」
「この者は私の総て」
「この者は私の大切な存在」
「この者は私の愛する存在」


    その者を見上げた菩薩は涙を溢して口元を抑え、嗚咽している…。


「ロットン・ファッキンダム…何をしているのだ…貴様」


「…お、お前は」


「この者に危害を加えることは何人たりとも赦しはせぬ」


「…なん…だと」


「貴様がなにをしていようと…私は関知しない、戦争が起きようと…、何が起きようと…。だが、この者に危害を加える者に私は容赦はせぬ」


   そう言い放ってロットンの頭部をトマトのように握り潰した。眼から後ろが無くなったロットンは叫び声を上げ、悶絶しながら頭部を押さえて踞る。
   ロットンの血液に塗れた右手を振り抜いて消し飛ばし、両手を広げて優しく微笑みながら、包み込むように菩薩を抱きしめた…。


「…薩っちゃん」


「…ルシファー」


   離れていた年月をかみしめるように、2人は力強く抱き合った…。


「…200年前。何故、何故黙って行ってしまったのだ…。わらわは…わらわは…」


「…済まなかった。…君の危機にはどこでも駆けつけると、この腕釧に誓って約束したではないか」


「…約束したのは…。大戦の最中だったか…」


     ルシファーが堕天するよりも更に100年ほど前、第1次天界大戦よりも前に遡る…。
ルシファーは、 “ 理 ” の唱える神仏絶対至上主義というものに違和感を感じていた…。
   絶対的正義の名の元に遂行することは如何なる行いも正しく、如何なる所業も許される。
当時から菩薩も命は平等でなくてはならないという思いが強く、同様に神仏絶対至上主義には違和感を感じていた為、ルシファーとは気が合った。
   時に笑い、時には衝突し、時には涙を流した事もあった。
互いに触れ合い、惹かれ合い、恋仲となっていった。
ハイタム、ロータムを含む皆から祝福され、ルシファーの仲間の天使達も祝福していた。
  
   当時は永遠に此れが続くと思っていた…。
時は流れ、ルシファーの “ 理 ” に対する思いは怒りへと変わり、ベルゼブブを始めとする盟友が戦争を仕掛ける迄に至った…。菩薩が必死にルシファーを止めるも、切られた火蓋は止まらなかった…。
    ルシファー、ベルゼブブを始めとする天上天下唯我皆尊(てんじょうてんげゆいがかいそん)と銘打った軍隊が総攻撃を仕掛け、迎え撃つ形で阿弥陀如来、大日如来、天照大御神を始めとする護天神仏独尊連合が大激突し、数多の死傷者を出した…。
   護天神仏独尊連合に加わるように指示された菩薩は此れを拒否して戦争不参加を表明。その為、天獄に投獄された。
    “ 理 ” のとった措置に荒れ狂ったハイタムとロータムは、ルシファー側に参戦を表明する所、菩薩の強い説得に此れを断念。神の宮にて謹慎となった。
   一方のルシファーは戦争に反対しただけで投獄されたことに怒り狂い、邪魔する者を皆殺しにして、理不尽な牢獄などに存在価値は皆無だと焼き払い、菩薩を救助した。
    神の宮に送り届けられた菩薩は必ず無事で戻れと涙ながらに腕釧を渡した。ルシファーは必ず戻る、この腕釧に誓って君の危機にはどこにでも駆けつけると唇を交わして、戦場へ復帰して行った。

   其れを切っ掛けに戦争は激化…。戦火の最中、自ら堕天する者が続々と現れ、荒れ狂う天界の様子に地獄界の悪魔達は嘲笑い、どんどん殺し合えと祝杯を上げていた。
   結果的にルシファー達は敗北し、投獄されて数多の天使は拷問の末に惨殺。あまりの非道な所業にルシファーとベルゼブブを含む数人の熾天使は、天界に見切りをつけて堕天を決意。
   ミカエルを含む4大熾天使の説得にも全く応じず堕天した。戦争の代償は大きく、天獄を含むあらゆる施設や寺、宮が廃墟と化し、阿弥陀如来を始めとする神仏の多くは2年ほど意識が戻らなかった。
    ルシファー堕天の報せを聞いた菩薩は777日もの間、涙を流し続けた…。流れ出るその涙はあらゆる生命を誕生させ、大戦で荒廃した天界を塗り換えるように煌びやかな物に創り変えた…。そこから産まれたせせらぎは人間界に恵みの雨となったが、幾日も溢れ続ける菩薩の涙はやがて濁流を生み出し、生まれた命を飲み込んで大災害となり、アダムとイヴが創り出した人間界を飲み込むまでに至った…。

   菩薩の深い哀しみを真摯に受け止めた  ” 理 “  (ことわり)  は考えを改め、無慈悲な拷問と、絶対的正義の根幹をゆるやかな物に変え、天法の大幅な改定に至り、存在史上で初めて自らの過ちを認めた…。
   意識を取り戻した阿弥陀如来とミカエルに経緯を聞いて諭された菩薩は漸く泣き止む事ができ、事態は収束を迎えた。
その後、戦災孤児となったナンシーを引き取り200余年…。現在に至る…。


    抱き合う2人を見て内情を知っているハイタムとロータムは表情が分からなくなるほど号泣している最中、ナンシーは、あの方が…ルシファーと戸惑いの表情を浮かべている。


「わらわは…主に…主に…ずっと逢いたかった…」


「…片時も君を忘れたことは無い…。私も、逢いたかった。逢いたかったよ…」


「…わらわが無力ゆえに、主を止めることも、主の堕天を止めることも出来なかった…」


「そんな事はない…。君は “ 理 ” の意志を変えてくれた。それはとてつもない偉業だし、私にはそれで充分だ」


「おい…ルシファー」


「…ミカエル」


    抱き合うルシファーの肩を突き放したミカエルは渾身の右拳を思い切り振るった。吹っ飛ばされたルシファーの口元から鮮血が滴る。


「汝が堕天した後、菩薩がどれほど気に病み、どれほどの涙を流したか、どれほど心を痛めたかわかっているのか…」


「…お願いだミカエル。やめてたもう…。」


「ヴェイカント夫妻が堕心を省みず、どんな思いで汝に獅噛ついたと思ってるんだ」


「…頼む、ミカエル。ナンシーが見ておる…。わらわとナンシーのことを思うてのことは分かるが、後で話すとしよう」


   菩薩の言葉に冷静になったミカエルは、不安気な表情を浮かべるナンシーに気付いて口を噤んだ…。
…ルシファーは、ミカエルの視線の先に佇でいたプリティ・ヴェイカントに瓜二つのナンシーを見て、夫妻の娘だと直ぐに気付いて言葉を無くした。


「……汝は当時、心が壊れていたのも分かってはいたが、どうしても1発殴ってやりたかった」


「…いや。ミカエルの言う通りだ…。済まなかった」


「…話しは後だ。…取り敢えずあの塵を抑えねば」


    ミカエルの言葉に頷いて踵を返したルシファーは、憤怒に満ちた眼でロットンを見下ろした…。頭部を半分潰されたロットンは、そこを治癒しながら酷く狼狽えながら後退りする。


「お…落ち着けよルシファー。知らなかったんだ、菩薩がお前の女だなんて…。俺に手を掛けることは、ベルゼブブとファッキンダム家を敵に回すことになるんだぞ」


「…私の敵は貴様だ…。ロットン・ファッキンダム。薩っちゃんの敵は私の敵」


「い、良いのか?!ベルゼブブを、ベルゼブブを呼ぶぞ」


「…呼んでみるがいい。誰が来ようと容赦はせぬ」


   ロットンは負け犬の遠吠えの如く、「呼んでやる、覚悟しやがれ」と喚き散らしてベルゼブブや他の悪魔に思念伝達を送ったが、1つも反応は無かった…。先刻の出来事が筒抜けなどとも知る由もないロットンは、何で誰も応答しないんだと狼狽えている。


「…どうなってやがるんだ!!ち、畜生…どいつも…こいつも…」


「…貴様は終わりだロットン・ファッキンダム…。ロータム…此奴を拘束せい」


    天枷を掛けられたら終わりだ…。終わりだ…。
……何とかしねぇと…。何とかしねぇと…。…畜生。…終わらねぇ…。こんなところで…俺は…終わらねぇぞ…。こんな所で終わらねぇ…俺は…こんな所で…終わらねぇ…。


「…こんな所で終わらねぇえええ!!!」


「…?!」


「…グラウンド・コア」


   禍々しい渦の粒子に塗れたロットンを見据えたルシファーは菩薩を抱えて距離を取り、ミカエルにも離れるように仰いだ。


「どうしたルシファー」


「禁術だ。奴から距離を取れ」


    巨大な渦を巻いた粒子が、吸い込まれるようにロットンに吸収された。驚異的な速度で頭部を復元させて、そのまま肉塊を増幅させ、身体を変態させて巨大な異形の魔物に姿を変えた。
    首が前傾し、獣のように口元が突出して、牙を生やす。
首と同化した両肩は鎧のように両翼に広がり、背中は龍のように変形した。そこには吸収された数多の骸が苦しみ悶える表情で浮き出し、大地を踏みしめる力強くて獰猛な脚はヒト型というよりは獣に近かった。


「グラウンド・コアとは何だ。ルシファー」


「地獄界に於ける、奥の手、禁術とされる業だよ」


「天界で云うところの、ヘル・ヘヴンのようなモノか…。この期に及んで禁術とは…。愚かな…」


    自分よりも下層の者から壊力を奪い取り、強大な力を手にするこの業は余程のことがない限り使用を禁じられている。
   私利私欲の為に行使すれば、厳罰対象となる為、使う者はあまり居ない。
   術者に協力しようとする意思が無ければ、強制的に下位の者から奪うことは出来るが、その効果はかなり下がってしまう。   
   使用する術者によって効果の差はあれど、驚異的に壊力が増すのは確かで、地獄に於いて力を持ち、能力に長けている者が使えば凄まじい生物兵器となり得る。


    身の丈30メートル程の巨体に変態を遂げたロットンは禍々しい闇気を渦巻きながら、口から輝く青白い閃光を吐き出した。
躱した菩薩の横を通りすぎた其れは大地を切り裂き、遠くに見える岩山を削り地平線に変えた…。


「…殺してやる。どいつもこいつも皆殺しにしてやる!!手始めに菩薩!!お前からだ!!」


    憎悪に塗れるロットンの放った右拳の鉄槌を、菩薩は軽やかに躱した。
    叩き割られた大地の陥没が、その破壊力を物語っていたが、菩薩は余裕の笑みを浮かべ、親指を顎に添えて頚を傾げて眉を潜め、やや半笑い気味に小馬鹿にするような素振りで口を開いた。


「…主は嫌われておるのう…。吸収できたのは下層の悪魔や死神ばかりではないか…。見た目もなんとのう野暮ったい…。ハリボテ感がしんどいのう。いまいち迫力に欠けるのう……ハァァ…センスがないのう全く」


…スゲェ…ディスってる(汗)
(全員が思った)


「…う、うるせぇ!!最低でも100億壊力くらいはあるんだぞ!!」


「あっはっはっはっ!!!パワーに全振りした愚鈍なモノノケなど恐るるに足りぬわ!!!」


   高笑いしながら菩薩は平常時の7メートルほどのサイズに身体を戻して、生物兵器と化したロットンと対峙する…。








……続く。





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