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5.人事異動
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その人事異動は、旭と颯が別れて約1ヶ月経った、9月の末に発表された。この会社では、3月末、9月末を区切りに、それぞれ4月、10月の辞令が発令される。
異動が決まったのは、主任の桐山。課長への異例の抜擢となり、配属先は、輸入家具推進チームだった。
2年に満たない期間での異動に旭は驚いたが、納得せざるを得ない。桐山が主任になってからのチームの業績の伸びは全社的にも注目されていた。先日の出張も、これを見越したものだったのだろう。
後任には、これまで別チームで主任をしていた、女性主任、香月唯子が着任するとのことだった。
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辞令発表の面談を終えて旭が席に戻ると、これまでなら「寂しいですー!!」と大きな反応を示していたであろう橘が、ぐ、と何かに耐えるような顔をして鬼気迫る勢いでキーボードを叩いている。
あの日から、橘は甘えるような態度をやめた。自分の業務を漏れなくこなそうとするだけではなく、早めに帰れそうな日には「旭さん、何かお手伝いできることありますか?」と聞いてくる。(その度に、おい、俺にもたまには聞けよ、と颯に突っ込まれているけど)まだまだ完璧ではないものの、彼の中で何かが変わった。
でも、今回ばかりは何を考えているのか聞かなくても分かる。旭はクスリと笑い、声をかけた。
「寂しいね。」
その途端、口がへの字に歪んで、ブンッと音が鳴りそうなほどの勢いで縦に頷く。
もちろん旭も、他のメンバーも桐山を慕っていたが、橘は桐山に特によく懐いていた。
「異動は、何回経験しても、慣れないね。」
そう言うと、「送別会、企画します。」とへの字の口のまま言った。
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新しい主任は、どんな人だろう。
女性で主任、すごく仕事ができる人だろうな、と楽観的にわくわくしていた旭に、千夏は言った。
「旭、気をつけなよ。」
え?とうどんを食べかけのまま旭は顔を上げる。
「あの人、香月さん、ほんとに仕事が出来る人だけど、
旭、あんた、気ぃ引き締めてね。」
失礼な!頑張るよ!と笑って返すが、普段すぐにふざける千夏の表情は固い。
真剣に聞いて、と続けた。
千夏が言うには、香月さんは女性活躍推進なんとかの力じゃなく自分でのし上がった人だから、もちろん仕事は的確で臨機応変なのだが、女性のキャリアプランについて融通が効かない所がある、とのことだった。
初めに面談があるはずだから、そこで、絶対に「人のサポートが好き」とか、「今の業務のままでいい」、とか、言ったらだめよ、とも。
「マネジメント志向、リーダーシップ、成長。」
とにかくこの3つを話しとけばいいから。
えぇー?そんな、試験対策みたいな!
笑いながら言う旭を、千夏は心配そうに見ていた。
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「榛名、旭さん、ね。」
その面談は、千夏とのランチの翌々日に行われた。香月は、桐山の5つ上の37歳。
隙の無い美しさだ、と旭は思った。頭のてっぺんからつま先まで、気を抜いていない。くるん、と跳ねている自分の毛先をちらりと見た。
「これまでは、営業サポートに特化、か。営業は新卒で3年間してたのよね。」
「はい。」
「今後は、どう考えてる?」
ぽんぽんと飛んでくる質問に、緊張しながら答える。
「自分には、人のサポートは合ってると思ってます。なので、この道でスペシャリストとして・・」
「榛名さん。」
「はい!」
旭が言い終わる前に言葉が被せられる。揃えられていた足が、右足を上にして組まれた。
「あなた、彼氏は?」
「い、いません。」
「結婚の予定は?」
「・・無いです。」
結婚、という言葉で、まだ治りきっていない傷が少しチクリとする。
そんな旭の様子に構うことなく、言葉は続く。
「もちろん、今後結婚するかもしれない、子供が出来るかよしれない。でもその時は子どもを預けて働く時代でしょう。その為には、時短でも必要とされている能力を身に着けていかないといけない。」
評価は、高いけど、と言い、前期の査定だろうか、バインダーの向こうでペラリと紙がめくられる。
「チヤホヤされてる、なんて言われないくらいのキャリア、積まなきゃ駄目よ。」
「・・はい。」
「何か言いたいことがあれば、言う。」
びく、となる。
「わ、私は、自分がやっているサポート業務も、必要とされることだと「今後は」
「契約社員や、派遣社員に任せる予定って、会社の方針にも出てるわ。」
桐山くんは、甘いからね。
はぁ、と呆れたようなため息のあと、面談の終了を告げられた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後の面談者だった旭が席に戻ったとき、颯はその表情を見て小さく顔をしかめた。
これは、キツくやられたな。
しゅん、という効果音がつきそうなほど落ち込んだ顔だが、颯には分かる。それに混じる怒りの色が。
旭は、価値観を押し付けられることが嫌いだ。
まずいな、と思った。
女性の上司は部下の顔色に気付きやすいと言われている。颯でも分かるくらい顔色に出てしまう旭は・・
相性が悪いな。
「榛名」
大丈夫か?と目で聞く。旭はゆっくり顔を上げて、ニコリとする。目が、何か話したそうに見えた。
あぁ、聞いてやる。いくらでも聞いてやるから。
好きなだけ甘えてこい。
橘も蓮も、引き継ぎの為に元の席で香月を待つ桐山も、ちらりと旭を見る。
難しい顔をして俯いて書類を見ている旭の上で、4人は顔を見合わせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
嫌な予感は的中した。
「榛名さん、この提案書でこれまでやってきたの?」
「はい」
たた、と小走りで香月のそばへ向かう。
そんな旭には顔を向けず、香月は言った。
「皆はどう思うの?」
「俺は、旭さんの資料、見やすくて好きでーす!」
はーい、と手を上げて橘があえて明るい声を出す。
「他は?」
「問題ないと思いますよ。」
俺の声に、蓮も頷く。
はぁ。
本日何度目かのため息がつかれた。
だからチヤホヤされてるって言われるのよ、と小さく聞こえる。
「皆、これからは遠慮なんてしないで指摘して。他社とも比較される資料にこれは無いわ。商品の詳細データをここまで載せて。前年、一昨年のデータも。」
旭に説明しながら言う。
間違ってはいない。どうしても旭の表情を窺ってしまう自分を抑えて、思った。
このチームは、桐山、水瀬、橘、瀬戸口の全員が、もちろん資料を使いはするが、それよりもクライアントの担当者とのコミュニケーションで話をまとめてくるのが得意なメンバーだった。
確かに、旭の能力は偏ってしまう。
そうは思いながらも、颯は旭を心配そうに見つめていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「おい、上がれるか?」
22時過ぎ。桐山が主任だったときには、ここまで残っていたことは繁忙期以外ほぼ無かった。
香月が帰り準備をする気配がして、残っていた颯は旭に声をかける。
「ごめん、もうちょっとあるから、気にしないで帰って。」
颯の顔を見て笑顔を見せるが、その顔は疲れ切っている。
「瀬戸口くん。あなたはもう帰りなさい。」
榛名さんは、明日フレックス使っていいから、今日中に私に資料、メールしておいて。そう言って立ち去るのを見送る。
姿が見えなくなったのを確認し、我慢出来ず、ぐい、と顔を近付けた。
「鍵くれたら、お前んちで飯、作っとくぞ。」
びっくりしたようにこちらを見る。頬が赤く染まるのを見て、心臓がぎゅぅ、となった。
「いいよ。大丈夫。」
そう言ってくれるだけで嬉しい。そう言ってまた資料に目を戻す。
弱ってる。
同期としては、旭に必要なことだと分かっているが、個人的には、見てられない。
終わるまで待とう。そう思ったところで、扉から香月が顔を覗かせた。
「集中させてあげなきゃだめよ、瀬戸口くん。」
降りるわよ。
はい、と返事をして、早く行って、と手をパタパタと振る旭に後ろ髪を引かれながら、オフィスを出た。
異動が決まったのは、主任の桐山。課長への異例の抜擢となり、配属先は、輸入家具推進チームだった。
2年に満たない期間での異動に旭は驚いたが、納得せざるを得ない。桐山が主任になってからのチームの業績の伸びは全社的にも注目されていた。先日の出張も、これを見越したものだったのだろう。
後任には、これまで別チームで主任をしていた、女性主任、香月唯子が着任するとのことだった。
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辞令発表の面談を終えて旭が席に戻ると、これまでなら「寂しいですー!!」と大きな反応を示していたであろう橘が、ぐ、と何かに耐えるような顔をして鬼気迫る勢いでキーボードを叩いている。
あの日から、橘は甘えるような態度をやめた。自分の業務を漏れなくこなそうとするだけではなく、早めに帰れそうな日には「旭さん、何かお手伝いできることありますか?」と聞いてくる。(その度に、おい、俺にもたまには聞けよ、と颯に突っ込まれているけど)まだまだ完璧ではないものの、彼の中で何かが変わった。
でも、今回ばかりは何を考えているのか聞かなくても分かる。旭はクスリと笑い、声をかけた。
「寂しいね。」
その途端、口がへの字に歪んで、ブンッと音が鳴りそうなほどの勢いで縦に頷く。
もちろん旭も、他のメンバーも桐山を慕っていたが、橘は桐山に特によく懐いていた。
「異動は、何回経験しても、慣れないね。」
そう言うと、「送別会、企画します。」とへの字の口のまま言った。
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新しい主任は、どんな人だろう。
女性で主任、すごく仕事ができる人だろうな、と楽観的にわくわくしていた旭に、千夏は言った。
「旭、気をつけなよ。」
え?とうどんを食べかけのまま旭は顔を上げる。
「あの人、香月さん、ほんとに仕事が出来る人だけど、
旭、あんた、気ぃ引き締めてね。」
失礼な!頑張るよ!と笑って返すが、普段すぐにふざける千夏の表情は固い。
真剣に聞いて、と続けた。
千夏が言うには、香月さんは女性活躍推進なんとかの力じゃなく自分でのし上がった人だから、もちろん仕事は的確で臨機応変なのだが、女性のキャリアプランについて融通が効かない所がある、とのことだった。
初めに面談があるはずだから、そこで、絶対に「人のサポートが好き」とか、「今の業務のままでいい」、とか、言ったらだめよ、とも。
「マネジメント志向、リーダーシップ、成長。」
とにかくこの3つを話しとけばいいから。
えぇー?そんな、試験対策みたいな!
笑いながら言う旭を、千夏は心配そうに見ていた。
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「榛名、旭さん、ね。」
その面談は、千夏とのランチの翌々日に行われた。香月は、桐山の5つ上の37歳。
隙の無い美しさだ、と旭は思った。頭のてっぺんからつま先まで、気を抜いていない。くるん、と跳ねている自分の毛先をちらりと見た。
「これまでは、営業サポートに特化、か。営業は新卒で3年間してたのよね。」
「はい。」
「今後は、どう考えてる?」
ぽんぽんと飛んでくる質問に、緊張しながら答える。
「自分には、人のサポートは合ってると思ってます。なので、この道でスペシャリストとして・・」
「榛名さん。」
「はい!」
旭が言い終わる前に言葉が被せられる。揃えられていた足が、右足を上にして組まれた。
「あなた、彼氏は?」
「い、いません。」
「結婚の予定は?」
「・・無いです。」
結婚、という言葉で、まだ治りきっていない傷が少しチクリとする。
そんな旭の様子に構うことなく、言葉は続く。
「もちろん、今後結婚するかもしれない、子供が出来るかよしれない。でもその時は子どもを預けて働く時代でしょう。その為には、時短でも必要とされている能力を身に着けていかないといけない。」
評価は、高いけど、と言い、前期の査定だろうか、バインダーの向こうでペラリと紙がめくられる。
「チヤホヤされてる、なんて言われないくらいのキャリア、積まなきゃ駄目よ。」
「・・はい。」
「何か言いたいことがあれば、言う。」
びく、となる。
「わ、私は、自分がやっているサポート業務も、必要とされることだと「今後は」
「契約社員や、派遣社員に任せる予定って、会社の方針にも出てるわ。」
桐山くんは、甘いからね。
はぁ、と呆れたようなため息のあと、面談の終了を告げられた。
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最後の面談者だった旭が席に戻ったとき、颯はその表情を見て小さく顔をしかめた。
これは、キツくやられたな。
しゅん、という効果音がつきそうなほど落ち込んだ顔だが、颯には分かる。それに混じる怒りの色が。
旭は、価値観を押し付けられることが嫌いだ。
まずいな、と思った。
女性の上司は部下の顔色に気付きやすいと言われている。颯でも分かるくらい顔色に出てしまう旭は・・
相性が悪いな。
「榛名」
大丈夫か?と目で聞く。旭はゆっくり顔を上げて、ニコリとする。目が、何か話したそうに見えた。
あぁ、聞いてやる。いくらでも聞いてやるから。
好きなだけ甘えてこい。
橘も蓮も、引き継ぎの為に元の席で香月を待つ桐山も、ちらりと旭を見る。
難しい顔をして俯いて書類を見ている旭の上で、4人は顔を見合わせた。
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嫌な予感は的中した。
「榛名さん、この提案書でこれまでやってきたの?」
「はい」
たた、と小走りで香月のそばへ向かう。
そんな旭には顔を向けず、香月は言った。
「皆はどう思うの?」
「俺は、旭さんの資料、見やすくて好きでーす!」
はーい、と手を上げて橘があえて明るい声を出す。
「他は?」
「問題ないと思いますよ。」
俺の声に、蓮も頷く。
はぁ。
本日何度目かのため息がつかれた。
だからチヤホヤされてるって言われるのよ、と小さく聞こえる。
「皆、これからは遠慮なんてしないで指摘して。他社とも比較される資料にこれは無いわ。商品の詳細データをここまで載せて。前年、一昨年のデータも。」
旭に説明しながら言う。
間違ってはいない。どうしても旭の表情を窺ってしまう自分を抑えて、思った。
このチームは、桐山、水瀬、橘、瀬戸口の全員が、もちろん資料を使いはするが、それよりもクライアントの担当者とのコミュニケーションで話をまとめてくるのが得意なメンバーだった。
確かに、旭の能力は偏ってしまう。
そうは思いながらも、颯は旭を心配そうに見つめていた。
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「おい、上がれるか?」
22時過ぎ。桐山が主任だったときには、ここまで残っていたことは繁忙期以外ほぼ無かった。
香月が帰り準備をする気配がして、残っていた颯は旭に声をかける。
「ごめん、もうちょっとあるから、気にしないで帰って。」
颯の顔を見て笑顔を見せるが、その顔は疲れ切っている。
「瀬戸口くん。あなたはもう帰りなさい。」
榛名さんは、明日フレックス使っていいから、今日中に私に資料、メールしておいて。そう言って立ち去るのを見送る。
姿が見えなくなったのを確認し、我慢出来ず、ぐい、と顔を近付けた。
「鍵くれたら、お前んちで飯、作っとくぞ。」
びっくりしたようにこちらを見る。頬が赤く染まるのを見て、心臓がぎゅぅ、となった。
「いいよ。大丈夫。」
そう言ってくれるだけで嬉しい。そう言ってまた資料に目を戻す。
弱ってる。
同期としては、旭に必要なことだと分かっているが、個人的には、見てられない。
終わるまで待とう。そう思ったところで、扉から香月が顔を覗かせた。
「集中させてあげなきゃだめよ、瀬戸口くん。」
降りるわよ。
はい、と返事をして、早く行って、と手をパタパタと振る旭に後ろ髪を引かれながら、オフィスを出た。
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