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四、カールロット公爵令嬢は魔女である

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「あなたなんか、生まれてこなければよかったのに。公爵夫人が出産なんてしなければ、お母さんは愛人になんかならなかったのに。私も、あなたも、生まれてこなければよかったのに……!」

 ルゼには、周囲の変容など見えていないようだった。吐き出される言葉とともに、地面に、血と、涙の染みが増えていく。

「なんで……」

 彼女がそう呟く今も、どこかで何かが燃え落ちたのか、崩れる音がしている。それに男の怒鳴り声が続く。
 盾一枚隔てて起きるそれらが、ルゼと相対していると、ずっと遠くの出来事のように思える。
 追い詰められた魔女が最後にできる、唯一のことは、私を殺すことだけ。――たとえ、その力が残されていなくとも。

「なんで、みんな、あなたにばっかり……」
「……」

 私の首を絞めようとした手は傷だらけで、王太子の妃候補にも、公爵家の娘にも似つかわしくない。
 私は口を引き結んでそれを見つめた。 

 ……これは魔女の手だ。
 恨みに身を委ねて、魔の道に足を踏み入れた女の手。
 森の奥で、マイペースな魔法使いと、優しい妹弟子と、穏やかな時間を過ごして、それでもなお恨みを捨てきれなかった。

 これは、私自身の手だ。

「……私の前で泣くの、初めてね」

 怒った顔も、傷付いた顔も、初めて見た。
 出会ったのは、十年以上も前なのに。

 けれど、ここで感傷に浸っている暇などない。
 魔力を厚く固めた盾が、炎と接するところからじりじりと薄くなっているのがわかる。これは、魔女の力を削ぐ炎なのだ。きっとフラウリッツも手が出せない。
 時間は多くない。

 躊躇わない、私はそう決めて、ここに来たはず。

 息をひとつ吐いて、私は相手の薄い肩にそっと手を置くと、地面に向けてゆっくり押した。
 ほどけた金髪が地面に広がる。腕をついて覆い被さる私の黒い髪が、上から一筋、二筋と混ざる。

「……殺すの?」
 
 いとも簡単に押し倒されたルゼに、私は「そうよ」と答えた。

「そのための、黒いドレスよ」

 ルゼは怒りも驚きもせずに私を見つめたあと、血と泥にまみれた顔でふっと笑った。
 よく笑う子だ。こんなときまで、本当によく笑う。かつて羨ましいと思った、見るものを魅了する笑み。

 それは、いつも屋敷で見ていたのと変わらない顔のような気がした。過去の笑顔は全部嘘だったはずなのに。なら、今の笑顔は嘘なの、真なの。
 あなたのこと、知らなすぎて、私には判断できない。

 躊躇いはないけれど、虚しさが胸をついた。

「じゃ、共倒れね」

 聞き取るのも難しいくらい小さくなった、ルゼの声に耳を傾けながら、私は青い目をじっと見つめた。

「……こっちは倒れてないし、これから倒れる予定もなくてよ」

 わざとすまして言うと、一体どこにそんな体力が残っていたのか、ルゼは声を上げて、少しの時間笑った。

「……たった四つの戒律も覚えられないなんて、意外と、本当に、おばかさんなの?」
「あの城で長く過ごしておきながら、こんな結末しか辿れなかった、あなたに言われたくない」

 それから、魔力の流れに集中した。
 初めて使う魔法に、緊張して喉が乾く。周りが燃えているからかもしれないけれど。
 けれど、絶対に成功する自信があった。

「それに、私はあなたを殺すけど、戒律を破らないでいるつもりよ」
「え……?」
「罰は受けるのかもしれないけど」

 呪文も魔法陣もいらない。どうすればいいのかは、体が知っていた。――まるで、自分で一から考案したみたいに、よくわかる。

 私は相手から目をそらさないことを自分に命じた。魔法が完全に対象を捕まえて、掌握するのを待った。
 そうしていると、されるがままだったルゼの顔つきが変わった。
 
「まさか、これ」

 地面に投げ出されていた手が、術を阻止しようとするように私の顔に伸びてきた。もう遅いことなんて、この子の方がわかっているだろうに、それでも。

「……いや、やめて」

 身を起こした私は、爪のはげた指先の手をそっと捕まえた。ほとんど力のこもっていない、傷だらけの手。

 それを受け止めるように両手ではさんでも、それでも彼女の懇願は聞き入れるつもりはなかった。

 胸が痛む。心臓に杭でも打たれているのだろうかというくらいに。

 本当はやりたいことがたくさんあるけどと、言っていた。
 本当は、復讐以外にも、やりたいことがたくさんあったのだろうか。
 本当は、余計な雑音なんて気にせずに、誰かと恋をしたかったんじゃないだろうか。
 
 ずっと、あの城にいたかったんじゃないだろうか。

 あなたに復讐を思い止まらせることができなかったのは、フラウリッツじゃなくて、私なのかもしれない。
 庭に走っていくあなたを追って、その手を捕まえて、どこに行くのと聞けば、何かが違っていたのかもしれない。

 胸が、痛む。望んだはずの復讐なのに、罰を受けているのは私のようだ。

 でも、ごめんなさいとは言わない。
 負けたあなたが悪いのよ、そう言ってやろうと、口を開いて。

「……私たち、どっちもお妃なんて向いてなかったわね」

 実際には、全然違う言葉が出てきた。

 押し黙った私を、ルゼは束の間呆然と見つめてきたが、やがて諦めたように、その目を細めた。

 ……頬に寄せた手の指が、かすかに動いた気がする。
 叩こうとしたのか、引っ掻こうとしたのか。
 それとも、甘えようとしたのか。

「……さすがは、“王妃様になるべく育てられた真の公爵令嬢”。自分で泥を被らない悪事がお上手ね。……せっかくの蝶の呪いも、あなたを絶望させられないなんて」

 嫌味のあとの、呪いの意味を聞こうとしても、無駄だった。
 薄桃の紅が剥げた、その口が、かすかに端を上げて。

「なんて、不愉快な、妹弟子……」

 薄いまぶたが、ゆっくり、ゆっくりと落ちていって。
 その瞳から、光が失われていく。

 口元だけは、笑ったまま。

「――次は、地獄でお会いしましょう、お姉様」

 白い手が、私の手をすり抜けて、地面に落ちていった。

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