上 下
44 / 68
四、カールロット公爵令嬢は魔女である

44

しおりを挟む
 時間?
 ルゼが何のことを言っているのか気になって、それまでの考えごとが霧散した。

『ね、お父様、もう少し頑張って』

 ……ああ、眠る父を励ましていたのか。時間がない。そういうことか。
 
 さっさと消せばいいのに、ついそのまま見ていると、ルゼの顔が上がった。やつれた父と対照的な、記憶通りの華やかな美貌がろうそくの火に照らされる。
 その予想外に冷めた表情は、あまり見たことがなかったものだが、後頭部で結い上げた髪を飾るリボンが相変わらずだ。

「……え? っ、!」

 そのに引っ掛かりを覚えた私の声に、ちょうど反応したかのようなタイミングで、ルゼがこちらを見た。一瞬、その青い瞳と視線がぶつかったような錯覚に陥る。
 
 思わず息を詰めたが、ルゼの顔はすぐに逸らされ、視線はその手元に向かった。
 ――ばかばかしい、私は何を驚いているのだろう。見られていると、向こうにわかるわけがないのに。

『……そろそろ、森まで噂は届いたかしら』

 わかるわけが。
 ……森?

 ルゼの言葉は、暗い寝室で誰にも拾われずに消えていく。
 そのさまを、私たちはどうすることもできずに見つめている。

『あの御者が、伝えてくれたのかしら』

 御者。

『お姉様は、どう思ったのかしら。先生は、エリセは……ああ、あの子、もうエリセじゃないんだっけ』

 そこで、ルゼは笑った。懐かしむように。
 それきり意味のあることは呟かずに立ち上がり、燭台を持って寝室の出口へと向かう。

『――』

 はっきりした言葉は聞こえてこないけれど、鼻歌がかすかに聞こえた。
 私もよく知っているメロディ。ルゼが、日頃よく歌っていた曲。
 
 ――そして、塔の部屋の、水晶のピアノが奏でた曲だ。

 歌うルゼが、部屋を出る直前。燭台を持たない方の手が、父親に向かって空気を払うような仕種をした。魔法をかけるときのフラウリッツに、よく似た動き。

 その拍子に咳き込んだ父に、ルゼは満足げに笑って扉を閉めた。

「……これ、どういうこと」

 私の呟きを無視して、鏡像が歪む。あっという間に、父の寝室は鏡の中から消えた。

 そして呆然とした顔の私と、その背後に立つ、銀の髪の魔法使いが映し出された。

「……フラウリッツ」

 何も言わない部屋の主に、振り返る。床に黒い羽が落ちていた。
 視線を上げた先にある緑の目に、驚きと、緊張が浮かんでいる。肩で小さく息をしているのは、急いで飛んで来たからかもしれない。

「なんだレダリカ、やっぱ知ってたんじゃない」
 
 張りつめた空気を裂くように、能天気な声が割って入った。
 部屋の出入り口には、小包を腕に抱えたダリエルと、ロザロニアも立っていた。

 そのロザロニアの顔の蒼白なことといったら。

 横でベネスが動いた。「ダリエルっ」と名を呼んだ彼は、フラウリッツとすれ違い様に、腕を捕まれ足を止めた。おかげでダリエルの口は、止まらなかった。

「さっき聞いてきた魔女のことよ。ほら、森の中でさ」

 ダリエルの、オレンジ色に塗られた爪が飾る細い指が、私の方を指差す。その向こうにある、魔法の鏡を。

「今の、リボンの子よ」
 
 衝撃で、頭がぐらんと揺れた気がした。実際には、私はちゃんと絨毯の敷かれた床の上に立っている。

 立ち竦んでいる。
 急に重みを増したように感じる水差しを手にしたまま、私はもう一度、何も言わずに見下ろしてくる緑の目を凝視した。

「……そうなの?」

 フラウリッツは瞬きもしないで、静かに私を見返してくる。緑のガラスのような目に、間の抜けた私の顔が映っていた。
 薄い唇は開かなかった。否定しなかった。それが答えなのか。

「あとねぇ、干されたせいで遅くなったけど」

 私たちの雰囲気に何も感じないのか、気にしないのか、またしてもダリエルが場違いな声を出した。

「これ。ヴィエリタからフラウリッツに。タダで贈り物なんて、あのケチなババアがめずらしーわよね。って、あら、ヤギが黒くなった」

 ずかずかと部屋に入ってきて、どか、と机に小包を置いたダリエルの言葉に、押し黙ったままの私たちの視線が、机の端の黒い木箱に吸い寄せられた。

「……フラウリッツ」

 師匠である人は、ある予感に押された私の固い声の意図を正確に汲んでくれた。撫でられた木箱から、青い封筒が取り出される。

「君あてだよ」

 震えそうになるのをこらえて受け取ると、封筒の表に『カールロットの魔女』と書かれていた。自分の心臓の音を聞きながら開けて、便箋の上に目を走らせる。

『親愛なるお姉様
 そろそろお城での生活にも慣れましたでしょうか。寒い季節は、鶏の血が固まりやすくて大変だったでしょう。
 気分転換に、たまには王宮にいらっしゃいませんか。ヴァンフリート様もお父様も、きっと泣いて喜びます。

 でも、私が一番、お姉様に会える日を心待ちにしていることを、どうかお忘れにならないで。急かしても仕方のないことですが、あまり焦らさないでくださると嬉しいです。

 なにせ、もう時間もなさそうなので。
 ルゼ』

 見慣れた文字。時間がないという、さっき聞いたばかりの言葉。

 魔女しか使えないはずのヤギで送られてきた、ルゼからの手紙。

 私は便箋から顔を上げた。今度は確信を持って、フラウリッツの目を見つめる。

「そうなのね」

 ついさっき自分が投げかけた問いに、自分で結論を出す。フラウリッツは静かにそれを見守るだけで、否定も肯定も、言い訳もしない。

 ――初めてここに来た日。この部屋の寝台に横たわって盗み聞きした、ロザロニアの言葉。

『フラウリッツってば、王都のことならデライラに聞けばいいじゃないか』

 二人が知っていて、王都にいて、でも私が一度も会っていない魔女。隠すように取り上げられた、水晶のピアノに彫られた名前。

「ルゼが、魔女“デライラ”なのね」
「……ああ」

 それは、言いたいことをいくつも飲み込んで、それでも残った最低限の言葉のようだった。

「この城で洗礼した、僕の、最初の弟子だった」

 私たち四人、数秒のあいだは死んだ貝のように口を閉じていた。私はフラウリッツを見つめ、他の三人は私を見つめ。
 そんな中で唯一ダリエルの「え、え、何?」という間抜けな声が響いていて、それが実に滑稽だった。



 なんてこと。

 カールロット公爵令嬢は、魔女である。

 二人とも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

大切なあのひとを失ったこと絶対許しません

にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。 はずだった。 目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う? あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる? でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの? 私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

処理中です...