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第二十四話 エレの晩餐
しおりを挟む厚いカーテンの引かれた客室で、寝台に腰を下ろしたヴィクターはボーイの置いていった荷物を見つめていた。
荷解きされないそれを前に、馬車の中でシャーロットに返した言葉を小さく、息だけで呟く。
「……別に、嫌悪しているわけじゃない」
恐れているだけだ、と。
***
シャーロットは夕食のために食堂へ降りてきてはじめて、ヴィクターが同席しないことを知った。
「お部屋でご夕食を取られるとお伺いしておりますので。……先日お亡くなりになったランドニアの若様を偲び、同じようにお過ごしになりたいと」
「……そう」
目をみはったシャーロットにそう説明した宿の女将は、後半は痛ましげな顔となった。
その一方、ヴィクターの行動が何の役に立つのかわからず、何も聞かされていないシャーロットには自分を避ける言い訳のように聞こえた。
(……まあ、別にいいけど)
旅のシーズンとは言い難いせいか、食堂のテーブルにはちらほらと空きがあった。
赤やオレンジを基調としたファブリックと美しい牡鹿の剥製で飾られた空間は、明るくて暖かみを感じさせた。が、案内される席へと歩くシャーロットは、ひとり分のカトラリーにどことなく寂しさを感じた。
「よければ、お嬢様のご夕食も伯爵の部屋へお運びしますか」
椅子を引いた女将の気づかいに「大丈夫よ」と返したのは、ヴィクターの邪魔をしないためだった。別段、二人でテーブルを挟んでも、和気あいあいとした食卓が始まるわけでもない。
そんな客人の浮かない顔があからさまだったからか、湿った話をしてしまった自分を取り繕うためか、女将はワインリストを眺めるシャーロットにことさら明るく話しかけた。
「街道の先にひろがるランドニアは、りんごを使った発泡酒や蒸留酒の産地なのです。お食事に、当館自慢のシードルなどご一緒にいかがですか」
「……ええ、いただくわ」
ほどなくして、シャーロットの目の前に置かれた大ぶりなグラスの中では、金色の酒が細かな泡を踊らせることとなった。
前菜として供されたじゃがいもとひき肉のキッシュを口にしていたシャーロットは、浮かび上がる泡を眺める。そして同時に、フェリックスの手紙のことを思い出していた。
彼の手紙にも、領地の名物が書かれていたことがあった。何百年も昔、ダイヤの産出で財があっても石は血肉にならないからと、寒い土地でも育つ種のりんごで酒造りをはじめたのだと。
(今は宝石より酒造中心ってきいて、ちょっとがっかりしてたっけ)
フェルマー家は、南方・東方からの宝石輸入と宝飾職人の組合との取引、流通で財を蓄えてきた。
それは長く国内貴族や王族が顧客だったが、数十年前、国境近くの領土問題でほぼ断絶状態にあった隣国との国交再開に、祖父が用意した大冠が贈り物として選ばれた。結果、それが領土利権の決着に一役買ったという。
このときの働きが認められて、フェルマー家に爵位が与えられた。
古い貴族が戦争の武功によって爵位を得ていたのに対し、昨今の新興貴族は外交や内政に関わる功績によって叙勲される。
ただ、現実には功績に加え、王家への忠誠として国庫への寄付が慣例となっている。そのため、口さがない人間には『爵位を金で買った成り上がり』と言われていた。
そんな背景もあり、ダイヤモンドの加工や流通に関してなら、フェルマー家出身の自分にもフェリックスの役に立てるのではないかと思っていた。
しかし、手紙を受け取った後のデートでそう言うと、フェリックスは少し困ったような顔をしていたのだ。
曰く、公爵家には代々懇意にしている工房や流通経路があるので、そこへフェルマーが横から入ってくると、かえって身内の反感を買うとのことだった。
(あんまり、ダイヤの話はしてほしくなさそうだったかも)
煽ったグラスから口の中へ、爽やかな香りと酸味、ほのかな甘味が流れ込む。りんご酒は、シャーロットの舌から喉で弾け、消えていった。
(……未来の、具体的な話を、したくなかったのかしら)
もっと強い酒を頼めばよかったかもしれない。キノコソースが絡んだ雉肉よりずっと早く減っていくグラスの中身を見て、シャーロットはぼんやり後悔した。
「……あの、フェリックス……様も、いつもお部屋でお食事を取っていたんですか」
女将自らが酒を注ぎ足しにきたとき、シャーロットは会話恋しさに呼び止めた。
なんとなく、彼が部屋にこもって食事をしたというのが意外だった。シャーロットの記憶のなかの彼は、品がありつつも陽気で、話好きな人間だった。
「若様ですか。いいえ、以前公爵ご一家でいらしたときなどは、この食堂へ降りてきてくださっていましたよ。ただ、五年ぶりの滞在となったこの前は、お体の調子が優れなかったそうで、あまりお姿を拝見できませんでしたね」
「体調が?」
「はい。ですから、訃報を聞いたときにはてっきり、たちの悪いご病気にかかっていらしたのかと……」
女将が言葉を切ったのは、まさか自殺だったとは、と食事中の客の前で口にするのを憚ったためだと思われた。
「……彼、どんな様子でした?」
「どんな、とは……」
シャーロットはまた怪しまれてはたまらないと、慌てて「こ、婚約者のヴィクターが悼んでいる方だから、気になって」と付け加えた。
ステューダー伯の名前が出たからか、女将は「そうですね……」と少し考えるように目を泳がせ、それから寂しげに答えた。
「ご成長に伴って、威厳が出てきたのですかね。……久しくここへお帰りになっていなかったせいか、少し、よそよそしく感じました。いえ、こちらはしがないいち宿屋でございますから、公爵となる方と親しくしていると、思い上がるわけではないのですが」
「そ、そう」
「五年もあれば、体つきも大きくなられますし、面差しや雰囲気にも変わったところが出てくるものでしょう。つい、いつまでも小さな若様だと思っておりましたが」
しんみりとした女将を前に、シャーロットも俯いた。
(なんだか知らない人の話みたい)
シャーロットには、初めて会ったときから親しげな笑みを見せていたのだが。
「若様のお母様の死後、新しい奥様やレティシア様が迎えられたせいもあるのかもしれませんけれど……」
女将が付け足した言葉に、シャーロットは顔をあげた。公爵の後妻と連れ子のことだ。
「それは、どういう?」
「……いえ、奥様とは一度しかお会いしていないのですが、お嬢様であるレティシア様同様、気が強くていらっしゃいますでしょう。穏やかだった若様も、新しいお義母様と義理の妹さんとの関係で、なにかお悩みになることもあったのかしらと……」
声を潜めた女将はそうそう、とさらにシャーロットの方へ顔を寄せてきた。物腰は丁寧だが、フェリックスとは別の方向の話好きらしい。シャーロットも邪魔はせず、相手の口が開くのに任せる。
「今ちょうど、ランドニアの領主館にレティシア様は滞在されているはずですよ。少し前にお客様同様、グースからこちらへ立ち寄られましたから」
そう言った女将の顔はどこか面白くなさそうで、新しい公爵家の一員にいい感情を抱いていないことは明らかだった。
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