上 下
11 / 71

第十一話 あなたと、また会いたくて仕方ない

しおりを挟む

“愛するメアリー・コートナーへ

 僕は、君を本当に愛していた。君がどう思おうと、二人の絆は本物だったと確信している。
 いつか君を日の当たるところへ連れ出そうと心に決めていたのに、僕がふがいないばかりに、幸せに出来なかったことが辛くて仕方がない。
 かけがえのない君が、どうか、寂しい思いをしませんように。

 フェリックス”

「……このように、語りかけるように、書かれていました」
「……」

 ヴィクターが手帳を片手に読み上げた内容を、シャーロットは口の中で小さく反芻する。
 
(……かけがえのない、きみ)

 それは、自分ではなかったのか。
 愛していると言われたのは、一度や二度ではなかったのだが。

 優しさがにじみ出た文面だと、シャーロットは思った。愛情深さが伺えて、いかにもフェリックスらしいと。
 きっと本当に、彼女を“日の当たる場所”に連れ出そうとしていたに違いない。

 ――けれど、なら、なぜ自分にも未来があるように言ったのだろう。繋ぎ止めようとしたのだろう。

「……だいたい、おかしいと思わなかったんですか」
 
 物思いに耽っていたシャーロットは、ヴィクターのその言葉に「えっ」と目を瞬かせた。

「いくら家格が違っても、かろうじて爵位はある家の女で、互いに未婚。そして婚約者もいない。そんな状況で、地位の高い方が関係をひた隠しにしたがるのを、よく今日まで信じ続けていましたね。ごくごくわずかでも、王家や旧家と成り上がりの家の縁組だって、過去にまったくないわけではないのに」

 シャーロットはぽかんと口を開け、そして徐々に眉間のしわを深くしていった。
 己へ向けられたヴィクターの眼差しは、今度ははっきりと侮蔑の色を浮かべていたのだ。
 しんみりしていた気持ちが吹き飛んで、シャーロットはテーブルを強く叩いた。華奢なカップがかすかに揺れるほどに。

「ふぇ、フェリックスは周囲に邪魔されて会えなくなったら困るから、時期が来るまでは秘密にしようって言ったのよ! いつどこでそう言われたかも教えられるわ! そんな、絶対にわたしと結婚する気が無かったとまでは」
「一年以上もいいように遊ばれて、それでよく自分たちの愛は本物だなんて言いきれたものです。ブローチを渡された? 世の中には遊び相手をその気にさせるために、特注の宝石を買い与える男だっているのに」
「それはっ、ブローチが思い出の日に関するものだからっ!」
「騙す方が悪いとは道徳的には賛成しますが、実質的には盲目になって騙される側にも問題はある。あなたの場合、もっとはやく相手に自分たちの関係をはっきりさせるよう迫ることで、終止符ははやくに打てたんじゃありませんか」
「なんで! こっちが終わることが前提なの!」
「あなたとの交流よりもずっと前から、メアリー・コートナーは公爵家で働いていたようですから」
「人の気持ちは、愛は期間じゃないでしょ! も、もし本当に二股だとしても、その遺書だけでそっちが本命かなんて」
「大声を出すな」

 いつかの夜を思わせる冷たい声音に、シャーロットは思わず口をつぐんでしまった。そんな自分が、まるで相手の言葉に怖気づいているようで大層悔しかった。

「……確かに、人の気持ちは期間じゃないけどな」

 ぼそっと付け足された言葉がシャーロットをフォローするためだったのかは微妙だった。その視線はあいかわらず冷え切っていたからだ。さながら、伯母の誕生祝のパーティーで見せた目のように。

「……と、とにかくっ、わたしは事件の調査に協力するし、かわりに部外者として蚊帳の外にはしないってことだけで、あの人とわたしの関係性には口出ししないでちょうだい!」
「裏切りが明るみになってなおこれとは、あなたの一途さには恐れ入る」
「……!」

 シャーロットは勢いよく立ち上がった。実家の肘掛け椅子と違って、カフェの優美な椅子はあっけなく後ろに倒れた。

「あなたとの婚約の話っ、絶対進めませんからねっ!」

 高い位置から指をさすシャーロットに対し、ヴィクターは白けた視線を返してきた。
 そして何事もなかったかのように紅茶をまた一口飲んで、小声で、冷たく言い放った。

「では、男爵にはなんと言ってあなたに会いに行けばいいんでしょうね。あなたのご息女が婚約もせずに隠れて付き合っていた男の死について、聞きたいことがある、と言うしかありませんよね」
「……」

 シャーロットは店員が近寄ってくるよりはやく椅子を戻し、座りなおした。

「リンディ嬢は婚約が整ったばかりだそうですね、おめでとうございます。あなたの恋に関する話が、相手方の一族にはどう受け取られるんでしょうね。まぁ、俺には関係のないことですが」
「…………」

 シャーロットはテーブルにひじをつき、扇を持ったまま組んだ両手の上に額を乗せた。考え込むように――沈み込むように。

「それに、あなた無しで調査を進めることも、不可能ではないかもしれない。少なくとも手紙は貸していただいていますし。返せと言うならいいですよ、すぐに写しを取りますから。それで我々の関係はおしまいです。こちらからこれ以上話すことも、もうありません」
「……こ」

 知りたい、教えて欲しい。そう思う以上、シャーロットの方が立場は弱かった。

(手紙……ちょっとずつ渡せばよかった……)

 勢いに任せて保管箱ごと送り付けた自分の短慮を呪いながら、シャーロットは呻くように問う。

「……婚約なんてしたって、あなたわたしと結婚する気あるの……?」
「勘弁してください。初対面の男の馬車は壊すわ盗人まがいのことをするわ頭突きするわ、あげく背後から脳天を狙ってくる妻との生活なんてごめんこうむりますよ」
「っ、こ、こっちだってねぇ……!」

 何が悲しくて寝室で腕をひねり上げたり肩を軋むほど掴んだりする夫が欲しいかと、言い返そうとした言葉は尻すぼみになって消えた。夫婦でそれと近い状況になる事態について連想的に頭をよぎったことが、気まずくて不愉快だったからだ。
 おかげで、シャーロットの方だって願い下げなのに、一方的に断られたていになってしまった。

「婚約は仮のものです。こっちの親戚も、相手が相手なだけにすんなり了承するわけないでしょうから、嫌でも時間は稼げます」

 年頃の娘の羞恥心も知らない男の言いぐさに、シャーロットの拳が、握りしめられた扇ともども屈辱に震えた。

「頃合いを見て解消しましょう。理由は家の反対でも、性格の不一致でも、なんでも。お互い醜聞にはなりますが、こっちは初めてではないし、あなたの方は多少今後に影響するかもしれませんが」

 そこで、初めてではないとはどういうことかと、シャーロットは眉を寄せて顔を上げたが。

「……そもそも、秘密裏に済みそうだったものを、表に出して後戻りできなくしたのはそっちだろうが」

 相手からの視線に恨みと怒りを見出したので、負けじと睨み返すうちに、そんな疑問はものの見事に蒸発した。

 この男、裏表がある上に、すごく粘着質だ、と思いながら。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

もう彼女でいいじゃないですか

キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。 常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。 幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。 だからわたしは行動する。 わたしから婚約者を自由にするために。 わたしが自由を手にするために。 残酷な表現はありませんが、 性的なワードが幾つが出てきます。 苦手な方は回れ右をお願いします。 小説家になろうさんの方では ifストーリーを投稿しております。

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

婚約者の心の声が聞こえるようになったけど、私より妹の方がいいらしい

今川幸乃
恋愛
父の再婚で新しい母や妹が出来た公爵令嬢のエレナは継母オードリーや義妹マリーに苛められていた。 父もオードリーに情が移っており、家の中は敵ばかり。 そんなエレナが唯一気を許せるのは婚約相手のオリバーだけだった。 しかしある日、優しい婚約者だと思っていたオリバーの心の声が聞こえてしまう。 ”またエレナと話すのか、面倒だな。早くマリーと会いたいけど隠すの面倒くさいな” 失意のうちに街を駆けまわったエレナは街で少し不思議な青年と出会い、親しくなる。 実は彼はお忍びで街をうろうろしていた王子ルインであった。 オリバーはマリーと結ばれるため、エレナに婚約破棄を宣言する。 その後ルインと正式に結ばれたエレナとは裏腹に、オリバーとマリーは浮気やエレナへのいじめが露見し、貴族社会で孤立していくのであった。

処理中です...