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第八話 複雑な乙女心
しおりを挟む宝石商だったグレアム・フェルマーが男爵位を授かったのは、孫のシャーロットが生まれた後だった。
とはいえ、それは本当に生まれて間もない頃であり、シャーロット含めたフェルマー家の三姉妹は、生まれながらに貴族さながらの生活と教育を享受してきた。
それなのに、姉妹のかしましさは日々やむことはなく、加えて、早くに母を失った末娘を父親がつい甘やかしたことが拍車をかけたのか。
結果、シャーロット・フェルマーは、十六歳を目前に女子修道院の寄宿学校から帰ってくる頃には、皮一枚の淑女のふるまいの下に、せっかちで向こう見ずな性格が、直しようもなく固く定着していた。
***
イヴリン男爵の屋敷には、普段は当主とその未婚の娘二人が使用人たちと共に暮らしている。
しかし、その日はすでに結婚して家を出ている長女グレイスが、飾り立てられた応接間の暖炉前に戻ってきていた。
「話はお父様から聞いたわ、シャーロット。今際の際のうわごとみたいだったけど」
「……」
姉が腰掛ける肘掛け椅子の向かいに座るシャーロットは、懐かしい感覚を味わっていた。リンディと喧嘩などした時には、たいていこの七つ上の姉が妹二人を叱っていたからだ。
しかし、シャーロットは両手を上品に膝の上で組む姉の顔を、直視することができなかった。
なにせ、こんな顔から火が出そうな理由で叱られたことは、いまだかつてなかったのだ。
「まさかこんなことであなたを咎める日が来るなんて、姉さんびっくりよ」
「……」
心を読んだかのようなグレイスの物言いに、シャーロットは何も返せない。
「それはまぁお父様も卒倒するわよね。今まで大事に育ててきた娘を親戚のパーティーに送り出した結果、翌朝突然“男と夜を過ごしていた”なんて速報もらったら」
「あの、姉様、それはね」
「それでも、お相手に責任をとる気があるなら、結果的にではあるけれど、三人みんな縁組が決まってよかったといえなくもないわ。相手方が順番を守ってくれないところはすごく気になるけれど、あなたは元気そうに見えるし、あなたの縁組がまとまらないのがここ最近のお父様の一番の懸念材料だったことだし、なんといっても建国以来つづく名家のご当主だし、女王陛下の近衛隊の一員でもある方だし? 順番を守らないのは本っ当にどうかと思うけれど、まぁ、お互い様だし」
おずおずと口を開いたシャーロットの弁解をはねのけて、グレイスはため息交じりに頬を抑えた。妹二人と同じ青い目にやれやれといった憂いをにじませてはいるが、シャーロットは長姉の全身から放たれる怒りの気配を無視することができなかった。
「それなのに、あなたの方が婚約はしたくないって言うだなんて、それはそれはお父様だって倒れてから起き上がることもできないというわけよね」
“フェルマー家の美人姉妹”の筆頭だったグレイスの穏やかな青い目は、その瞬間、野生の狼もかくやという鋭さで妹を射抜いた。
「もう、ぜんっぜんお互い様じゃないでしょうが。何なの? 最初は年若いあなたを軽んじた伯爵憎しと思ってたら、実は相手を弄んだのはあなたのほうなの?」
「ち、ちちち違うわよっ」
「じゃあどうして婚約を進めたくないの」
シャーロットはごく、とつばを飲み込んで震えあがる自分を落ち着かせようとした。
驚かせた父や姉たちには悪いと、自分自身でも思っていた。今までの縁談も片端から断ってきての今回の騒動であり、混乱のほどは計り知れなかっただろうとも思っている。
しかし、だった。
「ほ、本当に、話しただけで何もなかったし、お互い結婚する気なんてないもの……」
「ないのはあなただけだそうよ。先方はパーティーの二日後には、お父様へ内々の打診をしてきたんですって」
「なんでっ?」
「理由はあなたが身を以て知ってるでしょうが!」
「違うんだってばぁ!」
末娘が混乱と焦燥で涙目になっている応接間へ、「……シャーロット」と、小さな声が水を差してきた。
声のした方向、応接間の入り口へと振り替えれば、扉と壁の隙間からリンディが身を竦ませながら顔を覗かせていた。
「そ、そろそろ身支度した方が良いわよ。伯爵のお迎えがくるまで、もう時間もないから」
リンディはグレイスの剣幕に押されてか、当時同じ屋敷にいてこのざまといういたたまれなさゆえか、話す様子は居心地悪そうだった。
「わ、わかったわ! すぐ支度するっ」
もたらされた情報に、これ幸いとシャーロットは椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がる。そしてそのままスカートを摘まむと、狼から逃げるうさぎのごとく自室へと駆けて行った。
「……婚約はしたくないのに、会うのは心待ちにしてたの? もうなんなの、あの子」
階段途中で漏れ聞こえてきたグレイスのぼやきも、聞こえていないふりをする。
言えやしなかった。待っているのは彼ではなく、彼の持つほかの男の情報だなんて。
(っていうかヴィクター・ワーガス! なんであの男、婚約なんてややこしい状況つくろうとしてるのよっ!)
あの日、家に帰ってから、シャーロットは混乱する父親を部屋から閉め出すと、“緑の燕の会”と名乗った恋人の手紙をステューダー伯爵のもとに送りつけた。全て、である。
その翌日だ。男は、シャーロットがフェリックスから貰っていた手紙を確認したであろうに、なぜか保護者であるイヴリン男爵にシャーロットとの婚約を打診してきたのだ。
(確かに、伯父様と伯母様の手前、引っ込みつかないかもしれないけどっ!)
シャーロットには、ヴィクター・ワーガスに会って言いたいことも、聞きたいことも、山ほどある。
だがそれは、決してヴィクター自身の顔が見たいだの、声が聞きたいだのという話ではないのだった。
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