上 下
79 / 92
第七章 天敵求婚譚

79 虜(とりこ) 後

しおりを挟む
 乾いた声に、フランチェスカは数秒沈黙し、それから静かに問いかけた。

「……生意気ですね?」

「母親の身分が低いのは事実だろう。姉君の結婚の宴、君は途中で帰ったようだが、途中から学生街の酒場のようだった」

 ヴァレンティノはグラスが傾かないよう器用に体を起こした。二人の視線の高さが近づく。

 男の声は実に落ち着いていた。
 今度はフランチェスカが相手を瞬きもせずに見つめる番だった。抑え込んだ感情を、薄膜一枚でとどめるような、危ういまなざしで。

「挑発しても無駄ですよ。私はお姉様ほど短気じゃない」

「知ってる。自信がないから強く出られないのを、賢いふりでやり過ごしている。かわいそうに、貴族としては血筋も半端で、魔術師としては実力不足、周囲を見返せる占術能力もない。自分の代でぺルラ家は格が下がったと言われるのが、今から怖くて仕方がない」

「そんなことありませんよ」

「ロレンツィオを殺してほしかったのは君の方だ。見下してきたカヴァリエリ家は君の大好きで大嫌いな姉さんを得て、一気に力を増す。現伯爵が死ぬか、力を失ったとき、二家の均衡はぺルラ家にとって悲劇的な崩れ方をする。そのとき、君は姉の情にかけるしかない。そんな未来に対する不安のけ口に、一足先に没落した私がちょうどよかったってところかい」
 
「そんなんじゃない、本当にあなたが好きなだけ!」

 フランチェスカは立ち上がって声を荒らげた。なりふり構わない、姉の結婚披露宴の夜以来の大声だった。

「あなたはなんにもわかってない! あの夜、私がどんな気持ちで別れを切り出したか! お姉様をどれほど憎んだか! 全部全部、あなたを思えばこそだったのに、それを否定するなんて許さないわよ!」

 叫び、男の肩を掴んで揺さぶる。開け放たれた窓が軋み、花瓶の花が水気を失って枯れた。部屋の外から見張りが声をかけたが、グラスの水がこぼれて床を濡らしたの同様、フランチェスカは気づかなかった。
 かすんでいく視界で、自分を見上げる男の表情がおぼろげに溶けていった。

「ロレンツィオ殿よりフィリパ様より、お姉様よりずっとずっと、私が一番あなたのことを思ってるのに、なんでそれすら踏みにじるのっ、なんでっ」

 ドンッと扉を叩く音が部屋を震わせた。
 
「フランチェスカ殿!? 何をなさっておいでで、……ええい邪魔をするな!」

 見張りの苛立った声に、フランチェスカは我に返り、青ざめた。
 扉の向こうで言い合う声が漏れ聞こえてきた。十中八九、自分の護衛騎士と王宮から派遣された見張りが揉めている。

 しまった。
 こんな醜態が王に報告されたら、監督役を取り上げられてしまう。いやそれより、伯爵家への信頼が落ちてしまうのに――。

「気にするな。何も起きてない」

 ヴァレンティノの声が、凍り付いたフランチェスカを通り越して扉へと向けられる。
 それだけで、廊下のただならぬ雰囲気が落ち着いたのが部屋の中にいてもわかった。

 そしてヴァレンティノは、固まったままのフランチェスカの手を肩から外し、かつての穏やかさそのままの流麗さで少女をもとの肘掛椅子に座らせた。

「……こんなことで、上に立ったつもりですか? 囚人の分際で偉そうに」

 フランチェスカは悄然としながら、やっとの思いで言葉を口にした。ヴァレンティノはそんな彼女には目もくれず、残っていた水を一気に飲み干した。

「その愚かしさ、いかにもあの人の妹って感じで好ましいよ」

「黙れ」

「なんにもわかってないのは君だよ。君が好きになった男は、最初からどこにもいなかった。全部、チェステ家再興の素材集めのために作り上げた偽物だ。おもちゃにしたければ好きにすればいいが、君の好みじゃないと思うぞ」

 そう言うと、男は空になったグラスを小さな手に握らせた。
 そして、さっきまでと同じように、また天井を仰ぐ形で長椅子に横たわる。

「すこし眠る。気を利かせてくれるなら出ていってくれ」

「……起きたころに、外の見張りに声をかけてください」

「わかった」

 嘘だ。フランチェスカは直感的にそう思ったが、もうこの場では何も口にしないことにした。これ以上墓穴を掘りたくなかったし、彼が起床を報告しなくても、起きる時間はだいたい予測できた。

 なのに。

「次は最初から粉にした睡眠薬を持ってきた方がいい。いちいち、ああやってこそこそ割砕いて水に入れてなんてやられたら、こっちも気まずい」

 指摘されて、グラスを持つ手に力がこもる。 
 フランチェスカは椅子を蹴るように立ち上がって、男に背を向けた。

 そして、怒る必要などないのだと自分に言い聞かせる。平静を保つのは、姉よりずっと得意だった。
 勝手に引き取ったのだ。良く思われる必要などない。自分だけの欲望に従うと決めただろう。オルテンシアのように。

 立ち去る背中に、追ってきた声はゆるやかで、今にも消えそうだった。
 眠いのだろう。無防備な声だった。

「先達に倣って、夫は身の丈に合った男を選ぶといい」

 無視して、扉に手をかける。
 気にしてはいけない。相手に自分がどう見られているかなんて考えてはいけないのだから――。

「君のご両親は、幸せそうだったから」

 人形のように、フランチェスカは取っ手を掴んだまま動きを止めていた。

(どの口で、そんなことを言うの)

 許せない。
 
 罪悪感でも抱いたのだろうか。フランチェスカの激昂に、憐れみを感じたのだろうか。
 どんな理由でも、今さら幸せなんて願われたくはなかった。
 ひと月半前、求婚してきた男本人になど。

「言われなくとも、私だって夫を見つけるわ。ちゃんと、身分が釣り合って、私に嘘をつかなくて、優しくて、素敵なひとを」

 返事はない。薬が効いたのだろう。
 わかっていながら、フランチェスカは振り返って長椅子へと逆戻りした。見下ろす顔は、もう目を閉じてフランチェスカを見ようとはしない。

 復讐のつもりだった。姉を好きなくせに、カヴァリエリの男と親しいくせに、自分を軽んじて近づいてきた男を後悔させるつもりで、身柄を明け渡させたはずだった。
 手に入れて、自分のものになれば、気が済むと思っていたのに。
 そのうちに飽きて、つまらない男に求婚されていたものだと、何の憂いもなく切り捨てられると思っていたのに。

『結婚していただけますか、フランチェスカ』

 もしかしたら、優しさも本物だったのではないかなんて、思うはずではなかったのに。

「……ヴァレンティノ様っ……」

 骸のように長椅子に横たわる男に取りすがり、フランチェスカは声を押し殺して泣いた。
 カーテンが揺れる。
 未練をさらってもらうには、この島の南風は優しすぎた。




 ――そんなけなげな感傷に浸っていたフランチェスカは、縋っていた男が突如体を起こしたことで弾かれたように逃げるはめになった。

「なっ……なんですか、急に! 薬、飲んでなかったんですか!?」

 飛び退って床に手をつき、顔を背けて半分怒りながら問いかけるフランチェスカに、ヴァレンティノは呆然と宙を見つめたまま「いや……」と呟いた。

「……どうしたんですか。お腹がすいたのなら、何か作らせますが」

「……夢を見た」

 ヴァレンティノの言葉に、涙を必死に拭っていたフランチェスカは目を丸くしてまた飛びついた。

「な、なんの。どんな夢です!?」

「フランチェスカ……」

 泡を食って問い詰めるフランチェスカに、ヴァレンティノは目を瞬かせ、戸惑い、何か言いあぐねるような顔を向けた。
 その無垢ともいえる表情に『あーっまたそういう一面を見せる!!』と、娘が心の内で相手への愛憎を募らせたとき。





「ロレンツィオと姉君、離婚するのか?」

「…………ハァッ!?」

 いまだかつてヴァレンティノには聞かせたことのない、姉そっくりな声が出た。

しおりを挟む
感想 32

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

誤解の代償

トモ
恋愛
天涯孤独のエミリーは、真面目な性格と努力が実り、大手企業キングコーポレーションで働いている。キングファミリー次男で常務のディックの秘書として3年間働き、婚約者になった。結婚まで3か月となった日に、ディックの裏切りをみたエミリーは、婚約破棄。事情を知らない、ディックの兄、社長のコーネルに目をつけられたエミリーは、幸せになれるのか

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

酷いことをしたのはあなたの方です

風見ゆうみ
恋愛
※「謝られたって、私は高みの見物しかしませんよ?」の続編です。 あれから約1年後、私、エアリス・ノラベルはエドワード・カイジス公爵の婚約者となり、結婚も控え、幸せな生活を送っていた。 ある日、親友のビアラから、ロンバートが出所したこと、オルザベート達が軟禁していた家から引っ越す事になったという話を聞く。 聞いた時には深く考えていなかった私だったけれど、オルザベートが私を諦めていないことを思い知らされる事になる。 ※細かい設定が気になられる方は前作をお読みいただいた方が良いかと思われます。 ※恋愛ものですので甘い展開もありますが、サスペンス色も多いのでご注意下さい。ざまぁも必要以上に過激ではありません。 ※史実とは関係ない、独特の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。魔法が存在する世界です。

呪われ令嬢、王妃になる

八重
恋愛
「シェリー、お前とは婚約破棄させてもらう」 「はい、承知しました」 「いいのか……?」 「ええ、私の『呪い』のせいでしょう?」 シェリー・グローヴは自身の『呪い』のせいで、何度も婚約破棄される29歳の侯爵令嬢。 家族にも邪魔と虐げられる存在である彼女に、思わぬ婚約話が舞い込んできた。 「ジェラルド・ヴィンセント王から婚約の申し出が来た」 「──っ!?」 若き33歳の国王からの婚約の申し出に戸惑うシェリー。 だがそんな国王にも何やら思惑があるようで── 自身の『呪い』を気にせず溺愛してくる国王に、戸惑いつつも段々惹かれてそして、成長していくシェリーは、果たして『呪い』に打ち勝ち幸せを掴めるのか? 一方、今まで虐げてきた家族には次第に不幸が訪れるようになり……。 ★この作品の特徴★ 展開早めで進んでいきます。ざまぁの始まりは16話からの予定です。主人公であるシェリーとヒーローのジェラルドのラブラブや切ない恋の物語、あっと驚く、次が気になる!を目指して作品を書いています。 ※小説家になろう先行公開中 ※他サイトでも投稿しております(小説家になろうにて先行公開) ※アルファポリスにてホットランキングに載りました ※小説家になろう 日間異世界恋愛ランキングにのりました(初ランクイン2022.11.26)

処理中です...