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第五章 星の血統

56 不気味な家

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 ***

 水の流れる音で、ロレンツィオの意識は浮上した。

 目を開けても一向に何も見えなかったので、一瞬失明したかと肝を冷やした。だが時間が経つにつれて、それが否定される。

 石積みの壁。冷たい床。扉は見当たらず、のぞき窓すらない壁から伸びる拘束具。身をよじれば、自分の手首に枷が付いている。そしてぶり返してきた、二の腕の傷の痛み。

 自分の置かれた状況を把握できれば、やることは一つだ。ロレンツィオはもう一度目を閉じて、魔力を手首の枷に収束させようとした。

『君と友達でよかったよ、ロレンツィオ』

 研ぎ澄ました頭の片隅に、見慣れた友人の部屋で聞いた、聞いたこともない冷たい声の記憶が蘇った。

『こうして、手ずから殺すチャンスを得ることができたんだから』

 急速に闇へ落ちていった意識。最後に見た薄青の目。

 二の腕に痛みが走った。
 魔力が上手くまとまらなかった。息を吐き、ロレンツィオは目を開けた。

 暗い。
 目は慣れたはずなのに、何も見えなかった。

 ロレンツィオは舌打ちして、それから低く呻いた。

「……来るなよ、フェリータ」


 ***


「――出てきなさい、ヴァレンティノ・チェステ! どこにいるの、ロレンツィオ!!」

 叫び、長い廊下をひた走る。使い魔を放って屋敷中を探らせてもいるが、“教会付き”の屋敷ゆえか、魔術の働きがいつもより格段に鈍かった。レリカリオがあってこれは誤算だった。

 フェリータは一度立ち止まり、息を整えながら前方を睨んだ。

 チェステ邸は広大だった。肖像画が並ぶ廊下の先は遠い。そこに行くまで、いくつもの扉が並んでいる。

 塵ひとつない邸内を美しく保つため、多くの使用人が雇われているはずだ。
 それなのに。

「どうして誰もいませんの!!」

 叫んでも、どこからも返事がない。まるで、フェリータが来るのを見越して一斉に身を隠したかのように。

 追い出されたり、邪魔をされるよりは好都合と思ったが、ロレンツィオを探しに来たのに彼の姿も見当たらない。

 フェリータは歯がゆさに顔を歪めた。

 ――橋の上で凶行に及んだコッペリウスの人形。その体は二人の魔術師によって探されたが見つからず、今日になって、そのうちのひとりの私室から出てきた。
 それが、大貴族エルロマーニ家の末息子を捕らえる、決定的な証拠とされた。

 けれどそれは、もうひとりの魔術師の手によって仕組まれた罠だったのだ。
 こっそり回収することも、それをリカルドの部屋に隠すチャンスもあった。

『ああ。悪いな、夜勤明けのとこ押し掛けて、家捜しみたいな真似して』

 ロレンツィオに化けてフェリータを探すふりをして、人形を仕込み、そして宮廷に密告した。
 
 最初からリカルドを陥れる機会を窺っていたのか、それともロレンツィオの頼みに乗じたのかはわからない。
 あの夜、彼が何を目的として王女と護衛騎士を襲ったのかも不明だ。

 ただわかるのは、彼はあの夜、ロレンツィオを殺すつもりだったということ。新婦がフェリータでなければ、新郎は毒入りの酒を飲んでいたはずだ。
 その送り主のもとに単身赴き、まだ連絡がない理由を、不吉なものと捉えないわけにはいかなかった。

 焦る頭で、彼らを見つける手がかりに思考を巡らせる。

(……そうですわ、侯爵夫人!)

 病弱な彼女なら、まだこの屋敷にいるのではないか。一度迷い込んだ寝室へ、フェリータは猫の形の使い魔を向かわせた。しかし、扉の前で、使い魔は術者の意図しないうちに、泡のようにはじけて消えた。

 その防御術に、かえって中に誰かがいることを確信して、フェリータは走った。

「チェステ侯爵夫人、失礼いたしま……っ!」

 微塵も失礼とは思っていない勢いで飛び込む。が、そこにも人影はない。
 フェリータは無人の寝台に絶望しながら近づき、――そして、思わぬ光景に息を飲んだ。

「……こんなところにも、コッペリウスの人形が」

 寝台の上に乗っていた木製の球体関節人形は、シーツに身を横たえ、掛布で胸から下を覆われている。まるで、そこで眠っているかのように。

 いや、眠っていたのだ。これこそが、昨日見かけた女性の、真の姿に違いない。確信に、フェリータはつばを飲み込んだ。

(……あのとき、夫人の腕に見えた線は、人形の球体関節の継ぎ目だったの)

 なら本人はどこに。
 この屋敷の不気味さは、何に繋がっているのだ。

 フェリータは緊張で全身をこわばらせながら、視線を室内にめぐらせた。

 重厚で、格調高い内装。客間との大きな違いのひとつは、廊下同様にいくつもの肖像画が飾られていることだ。大きなものは壁に、小さなものも寝台横の台の上に、額に入れられて。

 モデルは夫人だけではない。夫と子どもの数年にわたる変化を記録するように、家族ぶんの肖像画がいくつも置かれていて、状況を度外視して見れば大層家族思いの女性の部屋にしか見えない。

 けれど、そこにも違和感はあった。

「……フィリパ様の絵がない」

 なぜと思って、ひときわ大きな家族の集合絵の前へと立ち、手を伸ばした。そこにも夫妻と幼いヴァレンティノしか描かれていない。

 ヴァレンティノの年頃から、フェリータと年の近いフィリパはとっくに生まれていたであろう時期なのに。

 フェリータは同じ年頃の、しかも魔術師でない貴族のことはほとんど知らない。
 己の見識の狭さを痛感しながら、三人きりの家族画を見つめる。そして、他よりさらに強かった違和感の正体に気がついた。

 飾られた位置が妙に低いことと、壁と絵の間にわずかな隙間があることだ。

 手を伸ばし、右端に触れてみると、絵は回転扉のようにゆらりと動いた。その後ろから現れた、さして大きくはない空間を、寝室の明かりが暴いていく。

 隠し部屋に身構えたフェリータは、扉の向こうから徐々に現れる金のきらめきに落胆した。
 ここは宝物庫にすぎない。ロレンツィオはいそうもない。

 けれど扉が九十度回転し、隠し部屋の全貌を完全に現したとき、フェリータの背筋を悪寒が駆け抜けた。出かけた悲鳴を両手で抑え込む。

 壁の棚に並ぶ黄金の宝飾品に囲まれて、人の白骨が床に散らばっていたのだ。

「……侯爵夫人?」

 呪獣のおぞましさには覚えがあっても、人の骸はほとんど知らない。

 それでもフェリータはその白い骨をじっと見つめ、そして、わずかに残った髪の色が黒いことに気がついた。絵に描かれた侯爵夫人の髪は、ヴァレンティノと同じ赤茶色だった。

(まさか)

 いや、ロレンツィオのはずがない。
 ものの数時間で人を白骨化させる魔術なんて聞いたことがないし、第一、あの男の体を支える骨にしてはかなり華奢だ。見る限り、白骨化してからかなり時間も経ってる。

(ならこれは誰……? いえ、それもそうだけど)

「……この感覚は、何?」

 背筋を新たな汗が伝う。肌の上を走る怖気は、白骨を見た驚きが収まっても一向に止む気配がない。
 どこかで覚えがあるような、禍々しい感覚に、フェリータは隠し部屋の中を見渡した。

 棚に並ぶのは、意匠や宝飾の違いはあるが、すべて黄金の鎖とトップで作られた、ペンダントである。

(ここは、古いレリカリオの保管庫……?)

 けれど、えも言われぬ嫌悪感が拭えない。魔術師にとって相棒のような呪具なのに。

 フェリータは、一番近くにあったロケットを恐る恐る手に取った。
 そして蓋を開けて、ようやく身の毛のよだつような不快感の正体を知った。

「魔女の心臓が、腐りかけてる……」

 無害化した呪獣の核から作られる魔女の心臓は、銀か金の艶を帯びている。
 それが、この中にあるものはどす黒く変色し、蓋を開けたそばから異臭を放っている。ところどころもろく崩れやすくなって、完全に腐敗していた。

 これではレリカリオとしての働きはできない。
 いや、それどころか、逆に呪獣を呼び寄せてしまう。大きな無念を抱える魂が集まって生まれる呪いの怪物は、仲間の核の腐臭にも誘引される。

 部屋の中のレリカリオがみなそうなのだとしたら、無事なのはここが教会の加護を受けた邸宅であるおかげだ。

 それにしても、チェステともあろう一族が、レリカリオの保管に失敗するなんて。

 そこまで考えて、フェリータはひとつの恐ろしい可能性に思い至った。

 十二年前、リカルドを攫ったコッペリウス職人。この度の、彼が作った人形による、橋の上での殺人未遂。

 橋の上での事件に関わっていたのが確実のヴァレンティノ。その実家では、レリカリオが失われている。

 そしてリカルドは、サルヴァンテで唯一、正規のレリカリオを作れる一族のひとりであり、当時から天才児だった。

 ――十二年前の事件は、レリカリオを失ったチェステ家が、新たなレリカリオを得るために画策したものだったのでは?

(……ならばなぜ、正式にエルロマーニ家に新たなレリカリオの作成を頼まなかったの? 頼めない理由があったということ?)

 だが結局、リカルドの誘拐は失敗した。
 それから十二年経った今、オルテンシアを呪詛し、ロレンツィオを毒殺しようとした理由はなんだ? なぜあの夜、結婚したばかりのフェリータを巻き込むようなことをした?
 
 わかるのは、この家がおかしいことだけ。
 あの青年の優しげな笑みは、冷たい仮面に過ぎなかったということだけ。

 フェリータの手から、かつてレリカリオだったものが床に落ちる。

 震えを抑えきれなくなった体が、隠し部屋から一歩退いたとき。

「フェリータ!?」

 背後からかけられた声に、フェリータは息を止め、考えるより先に振り返った。

「ロレンツィオっ、無事でしたの!」

 部屋の入口から、驚きに見開かれた青い目がまっすぐこちらを見ていた。フェリータの声は思わず大きくなり、赤い目に安堵の涙が滲んだ。

 一方でロレンツィオが驚きに固まっていたのは一瞬で、すぐに目元を険しくしてフェリータに近づいてきた。

「無事もなにも、あんた、なんでこんなところにいるんだ!」

「ヴァレンティノ・チェステから贈られたお酒に毒が仕込まれていたから、あなたを心配して………っ!」

 しかし大きな体にすっぽりと抱き寄せられて、フェリータは硬直した。ぎゅっと痛いほどに抱きしめられて、反論が喉で止まる。

 だがフェリータが抱きしめ返す前に、男は引き寄せたときと同じくらい強い力で妻を引き剥がした。

「……すまない。忘れろ」

 ロレンツィオはそう、短く、苦しげに吐き捨てて、すぐにいつもの渋面を向けてきた。

「あんたに心配されるほど落ちぶれちゃいないが、裏切り者の屋敷に長居は無用だ。ここはチェステの魔力以上に教会の加護が働いてて、魔術師はろくに力を使えない。出るぞ」

 そう言って、ロレンツィオは来たとき同様大股で部屋の出入り口へと向かった。
 
 そして、扉の前で振り返り、動かないフェリータに苛立たしげに声をかけた。

「どうした、さっさと行くぞ」

 フェリータは動かなかった。背後には、白骨死体と腐ったレリカリオの部屋。向かうべきは出入り口のみ。

 それでもフェリータは動かなかった。
 代わりに険しい視線を男に向ける。

「……あなた、ロレンツィオではありませんわね」

 その言葉に、青い目が見開かれ、そして次には困ったような笑みで歪んだ。

「どうしてバレたんですか」

 開けたままだった扉が、ゆっくりと閉められた。

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