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第四章 魔力なき呪い

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 不機嫌な大司教が部屋から出ていったあと、ヴァレンティノはしばらく侯爵と廊下で話し込んでいた。

 そうなると、フェリータもひとりでこの場にはいたくなかったのだが、「さすがにロレンツィオが哀れね」とほくそ笑む王女をそのままにはできず、結局、絢爛な応接間の一席に浅く腰を下ろすに至った。

「ふぅん、レオナルドがそんなことを。本当に勝手なのだから」

 おおかたの話を聞き終えると、オルテンシアは肩をすくめてカップに口をつけた。

「お、おそれながら王女様、人ひとり殺されかけたのに、勝手の一言では済まされませんことよ……!」

 その向かいにかけたフェリータに恨みがましく睨みつけられて、オルテンシアは不愉快そうに目元を歪めた。

「まぁ不細工。従兄弟のしたことなのに、あたくしにそんな目を向けるなんて」

「ぶっ……向こうはオルテンシア様のためのつもりだったのですわ! ちゃんと事情を説明しておいてくださいませ、だいたい、一昨日の夜からあなたさまときたらっ、」

「フェリータ様」

 ヒートアップし始めたフェリータに水を差したのは、先程からオルテンシアの隣で両手を揉んで縮こまっていた、チェステ家の令嬢だった。
 兄や父と同じ薄青の目は、剣呑なフェリータと目が合うと一瞬びくっと怯えを見せたが、すぐに奮い立って精一杯の強い眼差しを返してきた。

「先ほどから、王女様に対してお言葉が過ぎるのではありませんか? 言うべき相手は、他にいらっしゃるでしょう」

 フェリータは目を瞬かせた。
 相手が格上の家の娘だからでも、恩人の妹だからでもない。

「な、なんで黙るのです」と上擦った声に、聞き覚えがあった。

「あなたは……」

 ちょうどそのとき、戻ってきたヴァレンティノが「フィリパ!」と厳しい声をかけた。

「お前こそ言葉に気をつけなさい。私の客人だ」

 叱責を受けた『フィリパ』が不満そうに黙り込む。
 その艷やかな黒髪をまじまじと見つめて、フェリータは確信した。

『オルテンシア様、ロレンツィオ様にわたくしのこと取り持ってくれるって約束してくれてたのに!』

(あのときのご令嬢だわ……)

 結婚祝いの夜に宴会場の外で嘆いていた、あれがまさか、ヴァレンティノの妹であるフィリパ・チェステだったとは。夜会で会っていそうなものなのに、女友達のいないフェリータは今の今まで彼女と接点がなかった。

 となると、フェリータに対する怯えと敵意の混ざった態度も、オルテンシアとのいさかいだけが理由ではないのだろう。

 沈黙したフィリパを横目に見て、オルテンシアは冷たいまなざしと矛先をヴァレンティノに向けた。

「まぁ勇ましいのねヴァレンティノ。白昼堂々、友の妻を連れ込んだ男の態度とは思えない」

「人聞きの悪い言い方をなさらないでください、殿下。彼女を親友の妻と思えばこそ、ここにお連れしたのです。ロレンツィオは私の判断に理解を示すと思いますよ」

 淡々と反論されたのが不服だったのか、腕を組んだオルテンシアは唇を尖らせ眉根を寄せた。

「あの男のことなら、お見通しと言わんばかりね。結婚祝いに夫婦用の酒なんて平凡なものを選んだようだから、てっきり薄い交流かと」
 
「平凡な男ですよ、私はね。対の果実酒は普通の祝い品として悪くないでしょう、縁起物ですから」

「妻を連れ出しても怒られない仲の親友が選んだものにしては、普通すぎてつまらないわね」

 オルテンシアの嫌味に、とうとうフェリータのほうが限界を迎えた。

「ええ確かに、オルテンシア様がご用意し、レオナルド様がお持ちになったネックレスに比べたら平凡ですわね。なにせ果実酒では死者がでませんから!」

 顎を上げたオルテンシアがフェリータに目を移す。フェリータも、負けてなるかと睨み返す。
 しかし、どちらかが何か言うよりも、フィリパが立ち上がるほうが早かった。

「……殿下がお求めの書物は、呪獣の核と呪いに関する研究書でしたね。父が戻ってくる前に、探してまいりますわ」

 フェリータに向けた敵意もどこへやら、フィリパは固い面持ちで応接間を出ていった。

 毒気を抜かれたフェリータだったが、その心情に思い当たると次には複雑な気持ちが湧き出してきた。

「彼女、ロレンツィオのどこを好きなのでしょう?」

 扉を見つめていたオルテンシアは、絶対零度のまなざしを寄越した。

「知らないわ。身分が低くて背の高い男が好きなんじゃない? ペルラ伯爵とは真逆で」

 フェリータが父親そっくりの気の短さで、声高に抗議しようとしたとき。

「ロレンツィオはモテましたよ、女性にも、男にも」

 ヴァレンティノが角をはさんだ椅子に腰を下ろして、さらりと割って入ってきた。初めて、オルテンシアが「はぁ?」と目を剥いた。

「あ、いや、男にもというのは変な意味ではなく。人が寄っていくというか、頼りがいがあったので」

「あの嫌味な人が!?」

 今度はフェリータが驚愕して声を大きくした。
 ここまで大きな反応を返されると思っていなかったのか、ヴァレンティノは「あー……あの、あくまで主観ですがね」と目を泳がせながら話し始めた。

「口は荒いですけれど、面倒見がいいでしょう。本人はあまり人の上に立つ気はなかったみたいだけど……なんだろうな、貴族的なカリスマというより、騎士団長気質のリーダーシップというか」

 それはカヴァリエリの家系色に引っ張られたイメージではないのか。口にはしない疑念には、悔しさが過分に含まれていた。
 ヴァレンティノは言葉を探るように話し続けた。

「ウルバーノみたいな平民とも、公爵家のリカルドなんかともうまくやっていけてたから。そう、特にリカルドは、あいつと接するようになってあからさまに態度が軟化しましたし」

「……軟化?」

 思わぬ流れで、思わぬ単語と一緒に、幼馴染みの名前が出てきて、フェリータの意識はすぐにそちらに持っていかれた。

 学院時代のリカルド。フェリータにはわからない時間。ヴァレンティノは苦笑とともに彼を評した。

「リカルドは今もクールですけど、入学からしばらくの間はもっと顕著で、全然周囲に溶け込もうとしなかったんですよ」

「……あ、ああ。あの人マイペースだものね」

 しばし固まったフェリータが、合点がいったように頷くと、向かいから噴き出す気配があった。

「失礼、初期のリカルドがどんな風だったか、続けて」と、口元を抑えたオルテンシアはフェリータの視線を無視し、ヴァレンティノを急かした。

(……何?)

「そんなに語ることがあるかと言われると、あまり話してなかったので困るんですが。そうですね、冷たいというか、あからさまに周囲と一線を画すようなところが見受けられて。あまり……あまり、人と関わるのが好きじゃなさそうだった」

「……え?」

「身分だとか魔力の有無で差別するわけじゃなくて、分け隔てなく全員遠ざけたがっていたような。……まぁ、生まれと魔術の腕を考えると、そういう態度もおかしくないかって周囲は遠巻きにしてたな。私も彼は得意じゃなかった」

 フェリータは固まっていた。

 ヴァレンティノは記憶をたどるうちに、だんだんと言葉遣いが砕けてきていた。
 それが余計に、当時のリカルド周辺が持つ感情の生々しさを感じさせた。

「でもそれが、飛び級の結果ロレンツィオと講義が被るようになって、態度が変わっていったんだよな。他の学生とも普通に話すようになって」

「そ、そう」

 緊張していたのかもしれない。
 リカルドだって人の子だ。慣れ親しんだ家庭教師とのやりとりから、急に同世代の、ほとんどが身分も実力も劣る学友たちの中に入っていって、どうしたらいいのかわからなかったのかもしれない。
 もしかしたら、やっかまれて人知れず嫌がらせでも受けたのかも。それで警戒心を強めたのを、人のいいヴァレンティノには感じ悪く映ったのかもしれない。
 
 フェリータの頭をそんな思考が高速で埋めていく。誰にするわけでもない、言い訳が。
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