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第三章 波乱の新婚生活

35 一時休戦

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 ――薄暗い書庫で、本の山を一つ一つ解体し、並べ直して書棚に戻す。
 真珠粒をかき集める合間に毒で爛れた床の所々を、中和剤で無害化していく。

『帰る前に、片付けてくださいね……』

 グィードの報告を受けて急行してきたフランチェスカが、氷のような眼差しとともに言い残した言葉に、二人は黙々と従っていた。

 王国最高峰の魔術師二人、膝をついて掃除片付けである。

 手伝おうとした元護衛騎士は、フランチェスカに睨まれたので今も彫像のように扉の横に控えている。

 沈黙の中、書物がすれる音と薬品の“ジュッ”という音ばかりが繰り返される。

「……あの」

 小ぼうきとちりとりを動かしたままのフェリータが、耐えかねたように口を開けば、ロレンツィオが目だけを向けた。

「……疑ったのはお互い様なんだから、謝る必要はありませんわよね?」

「最初の一撃で俺が死んでても同じことを言えんなら、それでいいんじゃないの」

 取り付く島もない反応に、しかしフェリータも怯むわけにいかなかった。

「……お、お互い様ですわ。あなただっておじい様のことをずいぶんひどく言った! 宮廷付きの選定はほかの宮廷付きたちが精査して、そのうえで国王陛下が決断するのに、それを丸々疑うようなことまで言って」

 そこまで一息に言うと、それはいかにもその通りだと、フェリータは跪いたまま勢いづいた。
 手放したちりとりから、ころころと白い粒がこぼれていく。

「そもそも、星の血統だからって魔術師が生まれるとは限りませんもの! だからこそ、十人委員会が魔術師認定の申請者についてしっかり吟味するんです! なのにあなたときたらそれすら疑って、自分の考え以外はみーんな間違ってるのかしら!?」

「なるほど鋭いご指摘ですね。ではあなたはカヴァリエリ家から出る魔術師は十人委員会にかかっていないし、王とほかの魔術師の判断なしに宮廷付きになれる選ばれた一族だとお思いだったというわけだ」

 投げた刃がブーメランになって帰ってきて、フェリータの顔が真っ赤になる。

 怒鳴りかけて、はたと背後の元護衛騎士の存在を思い出し、どうにか咳払いで自分を落ち着ける。

「……い、いいです、あなたのことは誤解だったと認めましょう。でも生贄術の痕跡があったのは本当ですし、そのときおじい様は不在でしたわ。水路に近づけたのはほんの一握りの人間ですのよ」

「認めるって言葉にごめんなさいの意味はないんだが。だいたいあの人だってれっきとした魔術師だって言ってんだろ。十人委員会を通ってる」

「おじい様だってそうよ! 言っておきますけどね、謝ってほしいのはこっちだって同じですから!」

「そっちが先に謝れ」

「嫌、そっちが先!!」

 子どもの喧嘩のような言い合いとにらみ合いは、両者ともに退かない。

「……魔術師以前に、騎士として育った人だぞ。正義と忠誠を生涯かけて守ると誓った男が、己のために何の罪もない人間を手にかけると思うか」

「それこそ魔術師をなんだと思っているの。わたくしたちの特権と栄光は国の守り手であるからこそ。おじい様が民を殺すなんてありえない」

 平行線の主張に、二人の腰が徐々に上がる。立ち上がって互いにじりじりと距離を詰めかけたとき。

「……お嬢様」

 背後からかけられた控えめな一言で、フェリータは我に返った。今度フランチェスカを呼ばれたら、本当に二度とこの家に入れてもらえなくなりそうだ。

 ロレンツィオも、顔をしかめたままそれ以上は寄ってこなかった。

 この話は保留にするしかなさそうだ。
 フェリータからすれば絶対に正式な謝罪が欲しいところだが、おそらく向こうも同じ態度を崩さないだろう。

 結局、二人はまた微妙な距離をとって、片づけに戻った。
 だがしばらくして、ちりとりにふたたび真珠粒を集めながら、再び口を開いたのはやはりフェリータの方だった。

「……市井の錬金術師に作らせたにしては、長持ちしますわね、それ」

 視線は上着を脱いだロレンツィオのジレに向いている。その胸元には、さきほどしずしずと返却された懐中時計、もとい、レリカリオから伸びる金鎖が見え隠れしていた。

 ロレンツィオは呆れたように「ばかいえ」と吐き捨てた。

「当時のエルロマーニ家だって一枚岩じゃなかっただけだ。ぺルラに黙って、じいさんの依頼を受けるだけの融通を利かせてくれる奴もいたんだよ」

 言いながら、男の手は開きっぱなしの記録書を掴んだ。

「あんたの祖父に見つかっても、そうとはすぐに知られないようなレリカリオを。……このメモ見る限り、最後にはバレてたみたいだな」

 男の指に挟まれた、先代当主の遺した紙片。

 それを表裏、冷ややかな目で見つめると、ロレンツィオはもとの書物のページの間に挟んで閉じた。

 レリカリオを正しく作れるのは、今のところエルロマーニ家の魔術師だけだ。

 彼らが作り出した金の容器に、無毒化した呪獣の核――“魔女の心臓”を封印して作る。それがサルヴァンテの魔術師が持つ正規のレリカリオだ。黄金の容器を作り出すことから“錬金術師”の異名が出てきた。

 錬金術は門外不出の秘術であり、レリカリオ作成にはエルロマーニ家当主の許可が必要である。公爵家は量産ができないからと理由をつけて、新たな作成依頼に対してはそれなりに慎重だった。

 誰に使わせるのか、どのくらいの魔力があるのか、先祖のレリカリオは所持していないのか。
 それらを入念に調べてから、依頼を受けていた。

 悪意ある魔術師にレリカリオを渡さないためでもあるが、それ自体が政治的な駆け引きでもある。
 
 フェリータのレリカリオは、かつてリカルドが作ってくれた専用のものだが、多くの場合は一族に家宝として伝わるレリカリオを受け継いで使っていく。
 
(懐中時計とか、凝った造りにできるならわたくしもそうしてもらおうかしら)

「……ていうか、あんた自己評価高すぎだろ」

 それまで互いに目を合わせないように片づけに徹していたのに、突然少し大きな声がフェリータの耳に届く。

 言われたことの意味が分からず「は?」と顔を上げて瞬くと、ロレンツィオは呆れかえった目でこちらを見ていた。

「いくらなんでも普通、自分に惚れてる男が殺人まで犯して同じ立場に上り詰めようとしたんだ、なんて思わないだろ。とんだ魔性の女じゃねぇか」

 フェリータはほんの数秒固まって、次にはカッと真っ赤になった。侮辱されたときとは違う理由で。

「べ、別に魔性の女だなんて思ってませんわ! ただあなたなら、ありえなくもないと思って、調べに来たら先祖にそれらしい記述もあるからっ……」

「そうだな、世の中好いた相手のために運河に飛び込む女だっているんだから、もうなんでもありだよな」

 フェリータはわなわなと震えた。
 確かに、どちらも自分の早とちりだが。
 どちらも迷惑をこうむったのはロレンツィオだが。

「だ、……だってあなたが、わたくしに似た女性に、わたくしの愛用品に似た香水を送るなんて陰湿なことするから……」

 書架に分厚い書物をまとめて戻そうとしている男の背中に向かって、悔しまぎれにぐちぐちと呟いてみたところ。

 バタバタゴトッバサバサバサッと賑やかな音を立てて、書物が床へと落下した。

「ちょっと、足に当たってないでしょうね?」

「…………だ、大丈夫だが、そのことに関しては、その」

「あ、そんなことよりあなた」

 ハッと思い出したような顔で顔を上げたフェリータは「『そんなことより』!?」と愕然として喘ぐロレンツィオに、また別の質問を投げかけた。

「いったい、この屋敷に何しに来たんですの?」 

 ここはフェリータにとって実家だが、この男にとってはなんの用もない場所のはず。

「……善良な使用人を拘束した犯人を捜してたどりついただけだが」

「う……。だ、だったら帰りを待つか、それこそ使者をお出しなさいよ。訪問の前に先触れを出せと言ったのはあなたでしょう!」
 
 かつての言葉を返してやる。すぐに言い返されるだろうと身構えたが、意外なことにロレンツィオは口を横一線に引いて黙っていた。
 その目が初めて気まずげにそらされる。
 
 フェリータも、そこで相手の様子のおかしさに気が付いた。
 立ち上がって近づき、その顔を見上げる。

「なんですの、まさか、海辺でオルテンシア様になにかあった?」

「……頭は大丈夫か」

「は!?」

「痛くないかって意味だよ!」

 フェリータは不機嫌に任せ、鼻から息を吐きながら「痛いですけど」とこともなげに答えた。

「でもだから何? あなたが抵抗するせいで魔力を無駄に消費しただけ、ご心配は無用ですわ」
 
 いつものことと腕を組み、開き直って吐き捨てた。
 けれど相手は、今度も口を閉じたままだ。

 何かを、言いあぐねているような。

「何を――……」

 フェリータが眉を寄せてさらに近づく。書架の方へとそらされた顔を追って、書架と男の間に立って覗き込み、問いただそうとした。
 そのとき。

 ガチャ、と書庫の扉が開く音がした。同時に、ほのかに甘い香りが漂ってくる。

 蜂蜜の入ったフルーツティーだとすぐにわかった。からんと氷のぶつかる音もかすかに聞こえてくる。氷室に保管している氷でわざわざ冷やしてくれたのだ。

「お姉、んっ……か、カヴァリエリ夫人? その、お二方とも、そろそろ片付きました? よければ休憩など」 
 
 書庫の入り口から届いたフランチェスカのどこかよそよそしい声が、足音とともに近づいてきて。

 そしてぴたりと止んだ。

 フェリータが振り返ると、グラスとガラスポットの乗ったトレーを手に、自分によく似た妹が立っていた。

 ロレンツィオと書棚の間に体を収めたまま、フェリータが気まずくも礼を口にしようとしたとき。

 突如、盛大な破壊音を立てて、床にグラスとアイスティーがぶち撒けられ。

「おっ……姉様から離れなさァァァァい!!」

 スコーーーン

 と、空をとんだトレーが、ロレンツィオの頭へまっすぐ飛んできた。

 顔を書庫の奥に向けていたロレンツィオの頭に、それはいやに軽快な音を立ててぶつかったのを、フェリータは言葉を失ってただ見上げていた。

 そんな二人を、グィードが止める間もなく爆速で近づいてきたフランチェスカが引き離す。

「信っじられない、いぃっくらお姉様が短気で身勝手で鼻持ちならない傲慢女だからって、こんなとこで何するつもりでしたの!? そりゃ最初っからうまくいく結婚だとは私だって思ってなかったですけどっ、だからってこんな、ままま真っ昼間から、妻の実家で、も、もおぉ犬以下とはこのことです! ええい離れろ離れろこの、この、す、すけべ!!」

 書架に手をついて痛みに耐えるロレンツィオに対し、喚くフランチェスカはフェリータを抱え込んでずるずると後退る。

 庇われているのか罵倒されているのかもわからないまま、フェリータは廊下に引きずり出され。

「ああこんなに震えておいたわしやっ!! でももう大丈夫ですお姉様、私が次期家長である以上、この屋敷でお姉様を卑劣な夫の好きにはさせませんからね! いつでも逃げてきていいんですからね!!」

 ひっしと抱きしめられてなにやらおいおい泣かれたが、フェリータはしばらく、妹が何を勘違いしているのかさっぱりわからなかった。


 ***


 その後、帰宅してすぐ騒ぎを聞かされた父の「何やっとんじゃお前らは!!」から始まる叱責によって誤解は解かれたのだが。

「この父にしてこの姉ありの、極めつけの妹かよ……」

 応接室へ様子を見に行けば、使用人たちによって布を頭に当てられながら、ロレンツィオは深くうなだれていた。
 その姿に、さすがのフェリータも小さく「ごめんなさい」と言わずにはいられなかった。
 


 ――おかげで、ロレンツィオから問いの答えをもらい損ねたことは、きれいさっぱり忘れてしまった。
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