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—振り返るのは—
最後にください、僕に
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掴まれた腕にちらと眼をやり、すげなくそれを外して、だがそうした奥寺に目線を合わせた園山は、半身もやや彼に向き直っていた。
「何だよ」
「……園山さん。今日、ここでの最終出所を終えて、園山さんの壮行会第二夜が済んだら、そのまま羽田に直行でしょ……。
十年。入所して園山さんの直下に配属されてから十年、そんなに一緒にいたのに、思えばふたりきりの時間って、そこまで持てなかった気がするんです……。
いま逃したら、もしかしたらもう、一生くらいに望めないかも知れないんだ。
くださいせめて。園山さんがきっと深く想いいれのある、この拘置所で……」
「……」
半身がいつの間にか、腕を組みつつすべて自分の方へ向けられている。
いつだってそうだ。能面のような整い、無機質な鉄の仮面を携え、まごつく自分を顧みることなく前進して、気づけば岩壁のようなその背で総てを語って見せている。
脇目も振らずに熱を向ける対象を、誰よりもそのこころで知っているからだ。
その癖、振り返らなくともこちらの逡巡や懊悩をどのようにしてか察知し、手を差し伸べるまでもなく、
その眼で、言葉で、迷いを打尽してこちらもがむしゃらに前進する力を、常に授けてくれているのだ。
満開の桜の花弁が、もう散りの片鱗を見せているのか、どこからともなく秀麗な園山の貌を、撫でるように降りていく。
『今日から指導にあたる、副看守長の園山だ。宜しく頼む』
十年前、高校を卒業したばかりの春。父と同じこの職に、内心不承不承就いたうわついた自分の眼前に現れた、
まさに刑務官を体現した、隙のない硬質なその貌、その佇まいが、
いまなお、色褪せることなく、
確かに齢はとった。もとより自分より一回り以上年嵩の存在だ。
だが元々の質が良いのか、外出も少なく蒼味がかった白い肌は時に珠を喩えたいほど艶と潤みを帯び、黒曜石を想わせる眼光は年功を増すごとにその証の荘厳ささえ湛えるようになった。
そこへ、頬を引き締めていても深い彫しが残るようになったのも知っている。
制帽を脱いで、素知らぬ風を装っているのか、でも煌めきがまぎれる髪を無造作に撫でつけているのも知っている。
大丈夫です、余裕。柔道嗜んでる刑務官の癖に、洗練されたモデル体型は依然健在だし、
三十代には余裕で見えます。僕ももうすぐ三十だから、同年代です、タメ。
そう吹きかけても、むしろ蔑みのような冷笑を掠めるだけで、返事も返ってこなかったが、そんな給湯室での軽妙なひととき。
駆けつけ、暴動を起こした収容者をともに制圧した後の共有した疲労感。
振り返る、見据える、重ねた時間の前後を飛び越えてしまうくらい、
その眼差しと揺るぎなさは自身を変わらず貫いてきて、
「……ああっ」
突如押し寄せた、時機の狂った感傷におそわれ、堪らず奥寺は目頭を覆った。
「ああ?」
大方の非常時には慣れている筈で、だが黙って見守っていた、目の前のまさかの直属の部下の、あきらかに頃合いを仕損じた挙動に、やはり混乱はするも素の声が漏れた以外は園山は平静を保てた。
「……いや、勤務中なんだよ。悪いが退勤後にしてくれるか」
「……園山さん。さっきも言いましたけど、俺、やっぱり本当に無理です。園山さんがいないと……。
この仕事、申し訳ないけど、本当ろくでもないっすよ。
ろくでもない奴等に囲まれて、ろくでもない奴は、寄り添おうが突き放そうが、本当、何やってもろくでもないままですし。
甲斐があるのか意味があるのか。罪を犯した奴等の存在意義を引き出してやる筈が、逆に自分がそれを奪われてるんじゃないかっていう。
模範囚宜しくノーマークと思ってた奴が、ある日突然普通に10階の窓ガラス割ったり、階段から飛び降りようとしたり。
少しでもこころ開いてくれたかと思ったら、夜中に吐血と痙攣してまで、こっちの目掻い潜ろうとしたり。しかも、詐病だったし。意味が解んねえし」
「ああ。あの時は、堪えたな」
「愉しいことはおろか、良いことなんか、本当に万に一つもないっすよ……」
「十年就いて、得た首尾はそれか。良いんじゃないか。充分だろう。
この仕事に就けば、大方で味わう忍耐はまかなえる。豪語する通り、お前は若いし幾らでも巻き返しが利く。後ろに新人も入ってきてるしな。
お前が勝手に据えている、拠りどころとやらも抜けるのなら、何も留めるものなんかないんじゃないのか?」
「園山さんみたいに、完全無欠なアンドロイドみたいに徹しながらも、その裏で巧みに熱のある鞭と飴もさばけないし。フロアまるごと信者にすることも出来ないし……」
「信者は別途つくれ。……個人的な向き不向きを言うなら、俺はお前が、不向きとは思わないぞ。この仕事」
「……ええっ!?」
「だから、熱とか、情とか、過ぎたものは要らないんだよ。『仕事』に。
何としても目の前の人間を更生せしめん、真人間に戻らせるなんていう信念は必要か? この監獄で」
「……いや、ないっすね。犯らかしてるのはそっちでしょ。言ったって聞きゃしないし。
大人しく粛々と、『外』に出るための反省と順応を練るのみじゃないっすか? それを促すことしか出来ないでしょ。俺等には」
「それでいい。それくらいでいいと、俺は思ってる。
どんな方向からも過分な『圧』は、双方の足枷になるだけだ。お前は若者らしく淡々としていて、良くも悪くもその毛色を持たない。目の前の人間を、その人間として扱えればそれでいい。
言われなくともそれを通常稼働としているお前は……、"悪くない"と、俺は思っている」
「ええ……!?」
ぼやきで消沈していた奥寺の目の輝きが、熱量を伴い性急なまでに再浮上している。
控えめにしてる、つもりなんだがな。相変わらず最後までここの焚べ加減が難しいと、園山は目前の急上昇に眼を伏せ、目頭を掻いた。
「何だよ」
「……園山さん。今日、ここでの最終出所を終えて、園山さんの壮行会第二夜が済んだら、そのまま羽田に直行でしょ……。
十年。入所して園山さんの直下に配属されてから十年、そんなに一緒にいたのに、思えばふたりきりの時間って、そこまで持てなかった気がするんです……。
いま逃したら、もしかしたらもう、一生くらいに望めないかも知れないんだ。
くださいせめて。園山さんがきっと深く想いいれのある、この拘置所で……」
「……」
半身がいつの間にか、腕を組みつつすべて自分の方へ向けられている。
いつだってそうだ。能面のような整い、無機質な鉄の仮面を携え、まごつく自分を顧みることなく前進して、気づけば岩壁のようなその背で総てを語って見せている。
脇目も振らずに熱を向ける対象を、誰よりもそのこころで知っているからだ。
その癖、振り返らなくともこちらの逡巡や懊悩をどのようにしてか察知し、手を差し伸べるまでもなく、
その眼で、言葉で、迷いを打尽してこちらもがむしゃらに前進する力を、常に授けてくれているのだ。
満開の桜の花弁が、もう散りの片鱗を見せているのか、どこからともなく秀麗な園山の貌を、撫でるように降りていく。
『今日から指導にあたる、副看守長の園山だ。宜しく頼む』
十年前、高校を卒業したばかりの春。父と同じこの職に、内心不承不承就いたうわついた自分の眼前に現れた、
まさに刑務官を体現した、隙のない硬質なその貌、その佇まいが、
いまなお、色褪せることなく、
確かに齢はとった。もとより自分より一回り以上年嵩の存在だ。
だが元々の質が良いのか、外出も少なく蒼味がかった白い肌は時に珠を喩えたいほど艶と潤みを帯び、黒曜石を想わせる眼光は年功を増すごとにその証の荘厳ささえ湛えるようになった。
そこへ、頬を引き締めていても深い彫しが残るようになったのも知っている。
制帽を脱いで、素知らぬ風を装っているのか、でも煌めきがまぎれる髪を無造作に撫でつけているのも知っている。
大丈夫です、余裕。柔道嗜んでる刑務官の癖に、洗練されたモデル体型は依然健在だし、
三十代には余裕で見えます。僕ももうすぐ三十だから、同年代です、タメ。
そう吹きかけても、むしろ蔑みのような冷笑を掠めるだけで、返事も返ってこなかったが、そんな給湯室での軽妙なひととき。
駆けつけ、暴動を起こした収容者をともに制圧した後の共有した疲労感。
振り返る、見据える、重ねた時間の前後を飛び越えてしまうくらい、
その眼差しと揺るぎなさは自身を変わらず貫いてきて、
「……ああっ」
突如押し寄せた、時機の狂った感傷におそわれ、堪らず奥寺は目頭を覆った。
「ああ?」
大方の非常時には慣れている筈で、だが黙って見守っていた、目の前のまさかの直属の部下の、あきらかに頃合いを仕損じた挙動に、やはり混乱はするも素の声が漏れた以外は園山は平静を保てた。
「……いや、勤務中なんだよ。悪いが退勤後にしてくれるか」
「……園山さん。さっきも言いましたけど、俺、やっぱり本当に無理です。園山さんがいないと……。
この仕事、申し訳ないけど、本当ろくでもないっすよ。
ろくでもない奴等に囲まれて、ろくでもない奴は、寄り添おうが突き放そうが、本当、何やってもろくでもないままですし。
甲斐があるのか意味があるのか。罪を犯した奴等の存在意義を引き出してやる筈が、逆に自分がそれを奪われてるんじゃないかっていう。
模範囚宜しくノーマークと思ってた奴が、ある日突然普通に10階の窓ガラス割ったり、階段から飛び降りようとしたり。
少しでもこころ開いてくれたかと思ったら、夜中に吐血と痙攣してまで、こっちの目掻い潜ろうとしたり。しかも、詐病だったし。意味が解んねえし」
「ああ。あの時は、堪えたな」
「愉しいことはおろか、良いことなんか、本当に万に一つもないっすよ……」
「十年就いて、得た首尾はそれか。良いんじゃないか。充分だろう。
この仕事に就けば、大方で味わう忍耐はまかなえる。豪語する通り、お前は若いし幾らでも巻き返しが利く。後ろに新人も入ってきてるしな。
お前が勝手に据えている、拠りどころとやらも抜けるのなら、何も留めるものなんかないんじゃないのか?」
「園山さんみたいに、完全無欠なアンドロイドみたいに徹しながらも、その裏で巧みに熱のある鞭と飴もさばけないし。フロアまるごと信者にすることも出来ないし……」
「信者は別途つくれ。……個人的な向き不向きを言うなら、俺はお前が、不向きとは思わないぞ。この仕事」
「……ええっ!?」
「だから、熱とか、情とか、過ぎたものは要らないんだよ。『仕事』に。
何としても目の前の人間を更生せしめん、真人間に戻らせるなんていう信念は必要か? この監獄で」
「……いや、ないっすね。犯らかしてるのはそっちでしょ。言ったって聞きゃしないし。
大人しく粛々と、『外』に出るための反省と順応を練るのみじゃないっすか? それを促すことしか出来ないでしょ。俺等には」
「それでいい。それくらいでいいと、俺は思ってる。
どんな方向からも過分な『圧』は、双方の足枷になるだけだ。お前は若者らしく淡々としていて、良くも悪くもその毛色を持たない。目の前の人間を、その人間として扱えればそれでいい。
言われなくともそれを通常稼働としているお前は……、"悪くない"と、俺は思っている」
「ええ……!?」
ぼやきで消沈していた奥寺の目の輝きが、熱量を伴い性急なまでに再浮上している。
控えめにしてる、つもりなんだがな。相変わらず最後までここの焚べ加減が難しいと、園山は目前の急上昇に眼を伏せ、目頭を掻いた。
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