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50:理想と現実
しおりを挟むデザインの学校に進み、卒業後はとある会社に入社した。
兼ねてから希望していた玩具関連の会社だ。この『玩具』というのは隠喩ではなく紛れもなく子供用の玩具である。それもデザイナーとしての採用。
名の知れた大企業というわけではないが、それでも有名な玩具会社とも仕事をしている。実績のあるデザイナーも所属しており、誰に問われても恥じることなく教えられる会社だった。
「だけど、そこで求められたのはデザイナーとしてじゃなかった。ただ決められた作業が出来る人が欲しかったの。実績のある人のデザインを、そっくり同じように、その人のようにって……」
流行りや完成しているものを参考にすること自体は、雛子は悪いとは思っていない。
もちろん誰の影響も受けず何にも左右されず己のデザインを貫くことは素晴らしいと思うが、それで食べていけるのは極僅かだ。その極僅かだって、下積み時代には流行りを追ったり他者から学んでいたという者が殆どだろう。
雛子はデザイナーの職を選んだものの、かといって自分に類まれなる才能があるとは思っていなかった。だから実績のあるデザイナーを参考にしろと言われて素直に従った。
これも自分の成長になるのだと信じて。
だが会社は雛子の成長を良しとしなかった。
というより、その時間も機会も与えようとしなかった。
出す指示はどれも実績のあるデザイナーの作品の精巧な類似品で、求める技術はいかにそのデザイナーの写しを作れるか。そこには雛子の個人としての意見はなく、必要ともしない。時には一から十まで細かな色まで全てを支持してくることもあった。
『これじゃあの人のデザインと違うでしょ』『もっとあの人のデザインみたいにしてよ』『あなたの考えなんて必要としてないの』と、そんなことをよく言われた。一つ訂正される際には必ず十の否定が返ってきて、たまに貰う褒め言葉さえも『さすがあの人のデザイン』というものだった。
出来上がったデザインには自分を見つけることが出来なかった。
「でも別に酷い会社ってわけじゃないの。パワハラとかいじめもないし、仕事だって、考えようによっては分かりやすかったし」
仕事の量も多かったが、そのぶん給与も高かった。
件のデザイナーに意見を聞くこともできるし、一から十まで指示も出される。正解が目の前にあるようなもので言われるままに作れば給料がもらえるのだ。
趣味が充実し仕事はお金を稼ぐためと考える者や、ステップアップのための資金を貯めていた者にとっては良かったのかもしれない。現に『ここで数年お金を貯めて次は』だの『考えなくて済むから良い』と話していた者も少なくない。
だが雛子はそう上手く考えられなかった。
夢と希望をもって挑んだ最初の会社というのもあり、割り切るより先に心が折れてしまったのだ。
「それで、私……ちょっと疲れちゃって……」
「疲れたって、もしかして……」
「あ、でも別に病んだりとかそういうのじゃないの。ただ、なんか色々と疲れて、あんまり考えないようにしてただけ」
課される仕事をただこなす。時折無意識に覗かせる自我は都度押さえつけて心の奥底に追いやり、そのせいで考えはより薄らいでいく。
これで仮に趣味が充実していればまだ良かった。仕事は無心でこなし、そのぶん休日を自由に好きに過ごすのだ。給料も高いのだから旅行に行ったり、買い物や豪華な買い物をして気分をリフレッシュさせ、そしてまた仕事に戻る。そういう暮らし方も有りだ。
だが雛子はそれも出来ず、ただ自分を心の奥に押し込めてやり過ごしていた。
仕事が終わるとすぐに帰り、食事も面倒になりほとんど毎日同じもの食べていた。食べ終わると寝て。起きて仕事に行く。休みの日は何もする気にならずずっと眠っていた。
不器用だったと今は思う。
不器用で未熟で、若くて、そして夢に溢れている分だけ折れた時の反動が大きかった。
「そうか……」
「そんな状態だから美緒にも会ってなくて、でも入社して二年目の終わりに会う事になったの」
それ以前にも美緒からの誘いは何度もあったが、到底応じられる状態ではなく全て断っていた。『ごめんね』『またそのうち、本当にごめんね』と。
破棄の無い返事、過剰な謝罪の言葉。付き合いの長い親友ゆえの勘か、美緒は異変を感じ取り、その時ばかりは断られても退かずに食い下がり結果的に会う事になった。
……そして、会ってしばらく話をし、美緒が泣きだした。
雛子ではなく美緒が。堪えられないと言いたげにわっと声をあげて泣き出したのだ。
だがそれすらも雛子はぼんやりと見つめ『個室で良かった』なんて考えていた。美緒のことすらも、なんだか自分とは関係ないように思えていたのだ。
「その時にね、美緒が言ってくれたの……」
『ねぇ雛子、今の仕事辞めよう。お願いだから辞めて。今の雛子おかしいよ……。悪い職場じゃないって言うけど、悪くなくても、雛子には合わないんだよ……。仕事辞めたら生活出来なくなるならうちで一緒に暮らそう。私まだ見習いでそんなに豪華な生活出来ないけど、雛子が元気になるまで私が働くから……』
そう涙ながらに訴えてきたのだ。退職を促すだけではなく、一緒に暮らそうと、自分が働くからとまで言ってくれた。
そんな美緒の訴えに雛子は大丈夫だと返そうとした。
だが言い掛けた瞬間、声を発するより先に自分の中で疑問が浮かんだ。
親友をここまで泣かせて、いったい何が大丈夫なの?
自分の中で尋ねてくる声がする。自分の声だ。それを頭の中で聞くのとほぼ同時に涙が溢れた。
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