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35:一日遅れのクリスマス

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 午後に待ち合わせをし、軽くお茶をしてから買い物をする。
 頃合いを見て夕飯を食べ、その後は……、帰るだけだ。
 だがここで颯斗が渋り始めた。もっとも雛子もこうなる事は予測済みなので、彼に抱きしめられて渋られてもさして動揺もしない。
 心境としてはまだ遊びたい大型犬に纏わりつかれている気分である。
 リードを引っ張られても首輪が頬にめりこんでも進もうとしない中型犬とどちらが楽だろうか……、と、そんな場違いな事を考える余裕すらあった。

 もっとも、実際に雛子を引き留めているのは犬ではなく颯斗。言葉はきちんと通じる。
 ……通じると言っても、

「まだ帰るなよ。俺の家に来いって。それかせめてラブホ行こう。な、良いだろ」

 こうやって生々しい説得をしてくるのでやはり犬の方がマシだろう。むしろ比較するのは愛犬家に怒られかねない。

「そうね、犬に失礼だわ」
「犬? なんの話だ? 今は犬じゃなくてこの後のことだろ。なぁ、明日仕事場まで車で送っていくからさ」

 だから、と颯斗が渋ってくる。
 これに対して雛子は自分を抱きしめてくる彼の背中にそっと腕を回し……、

「仕事納め!!」

 と、年末らしい台詞と共にバシン!と一度背中を叩いた。
 その衝撃を受けて颯斗が「うぐっ」とくぐもった声を漏らすが、それでも抱きしめる腕を離さないあたりに別れ難さが伝わってくる。
 だがここで絆されるわけにはいかない、と雛子は心を鬼にし、もう一度「仕事納め!」と告げると一撃放った。

 明日おおまかな仕事を終らせ、翌日に最終的な締め作業を行う。
 それが終わり次第、上の会社と合流して忘年会。そして長期休暇へ……。これが雛子が勤めている会社の年末の流れだ。
 忘年会は比較的早い時間から行われ、本来の定時である時間には一度解散となる。これは社員が無理なく参加できるようにという会社の計らいで、現に忘年会後にそのまま実家に帰省するという者も少なくない。中には新幹線や飛行機の大移動になり、忘年会にキャリーケースを持ってくる者だっている。

 それを話せば、抱きしめたままの颯斗が「アダルトグッズ会社の割になんてクリーンな……」と呟いた。
 聞き捨てならないので「失礼な」と強めに一度背中を叩いておく。

「悪かった、今のは失言だった。謝る。でも明後日にはもう実家に帰るんだろ。そうしたら当分は会えなくなるし、実家じゃ電話もそんなに出来ないだろ。だからもう少しくらい、な」
「駄目、もう帰るって決めたの。……でも」
「でも?」

 抱きしめていた颯斗が僅かに体を放し、話の続きを促すように顔を覗き込んでくる。
 そんな彼に、雛子は自ら身を寄せ、少し背伸びをすると彼の耳に顔を寄せ……、

「車で送ってくれたら、そのお礼に、また今夜も電話してあげる」

 そう甘い声で告げた。
 背に回される颯斗の腕に力が入った。彼の肩がピクリと揺れる。

 この場合の『電話』がただの通話ではない事は言わずとも分かるだろう。
 昨夜のような通話だ。電話越しの甘い一時……。
 それを思い出したのか、颯斗の顔を見れば真冬だというのに頬が少し赤らんでいる。それでいて目にはぎらつきが宿り始め、生唾を飲んだのか喉仏が動くのが見えた。

「電話……」
「そう、電話。だから車で送ってくれない?」
「……分かった」

 コクリと頷くや抱きしめていた腕を離して今度は手を掴んで歩き出す颯斗に、雛子はなんて分かりやすいと笑みを零して彼の隣を歩いた。


 そうして雛子の家の前に車を止め、僅かな別れの時間を過ごす。
 普段よりもキスが多いのは、もう年内には会えないと惜しんでいるからだろうか。

「それじゃ、もうそろそろ、んむ、……いい加減に、んむ……あとで電話、んむ、するから、んむ」

 むにむにとキスをされながらも車を降りれば、暖かな車内から一転して冬の冷たい空気が頬を撫でる。
 窓越しに改めて別れの言葉を告げようとし……、小さな紙袋を突きつけられた。

「なにこれ」
「……もう終わったけど、クリスマスだったろ。だから」
「クリスマスって……。クリスマスプレゼントってこと?」
「そうだけど。……いらないなら捨てて良い」
「なんで捨てるの?」

 颯斗の話に、わけが分からないと彼と手渡された紙袋を交互に見る。
 せっかく貰ったものを捨てるとはどういう事か。それを問えば颯斗がなんとも歯痒そうな表情を浮かべ、更には他所を向いてしまった。

「……一応『脅してる』って自覚はあるから」

 脅して体を求めている身でプレゼントなんて……、という事か。
 これには思わず雛子もぱちと目を瞬かせてしまう。

 確かに、この関係の発端は颯斗に脅されたからだ。アダルトグッズ会社に勤めていることを周囲には黙っている代わりに体を……、というのが彼との始まりである。
 それを考えれば捨てても良いという颯斗の言葉は納得できる。今雛子の手にあるのはクリスマスプレゼントではあるものの、『脅して体を無理やりに求めて来た男からのクリスマスプレゼント』なのだ。普通ならば嫌悪し受取拒否するか、怖くて拒否できず受け取ったとしても処分するのが妥当だ。
 だけど、と雛子は紙袋に位置を視線を落とし、改めて颯斗へと顔を向けた。

「安心して、ちゃんと嬉しい。捨てたりなんかしない」

 紙袋をぎゅっと胸元で抱きしめて告げる。
 それを見た颯斗が一瞬目を丸くさせ……、そして表情を和らげた。緊張が解けたような、気の抜けたような、嬉しそうな表情。
 一見するとクールで凛々しさを感じさせる顔付きの彼の緩んだ表情に、雛子は思わず「可愛い」なんて思ってしまう。もちろん口には出さないが。

「今ここで開けて良い? あ、でも車そんなに長く停めてられないか」
「さすがに今の発言のあとに目の前で開けられるのは辛いな。というか、今かなり表情緩んでるから、あんまり見ないで欲しい……。そういうわけで、それは持ち帰ってから開けてくれ」
「分かった。それなら後で電話しながら開ける。……それと、ねぇ颯斗」
「ん?」
「助手席のダッシュボードの中を見て。あ、でも今は駄目。家に帰って車から降りる時ね」

 約束よ、と念を押して、改めて彼に別れの言葉を告げる。
 そうして最後に一度キスをして、雛子は自分の部屋のあるマンションへと戻っていった。……紙袋を大事に持って。

(直接手渡しなんてやられたわ。ダッシュボードの中に隠して入れた私がなんだか臆病みたいじゃない)

 そんなことを思いながら。


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