生命の宿るところ

山口テトラ

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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜

EP03 安否確認

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「どうやって叩き起こせっていうのよっ!?佐野さん、起きてっ」
 だんだん意識が鮮明になていく。
(そうだ、私は眠っていたのだった。あれは昔の思い出だ……今じゃない)
 目が開いていくたびに日の光が視界に入ってきて眩しい。そしてようやく目を覚ます。腕時計をのぞいてみると十一時、ざっと一時間は寝ていたわけだ。
「あれ、私のこと呼びました?」
 麗さんは睨んでいた。さっきまで“あいつ”の笑顔ばかり見ていたからこの子の睨む顔は相当寝起きには効いた。
「私何かしましたか麗さん…………?」
 恐る恐る聞いてみると、意外と素直に彼女は答えてくれた。
「ずっと呼んでるのに起きないなんてっ…………あなたね、もっと危機感を持ってほしいわ」
「えぇ……私にはさっぱり状況がわからないんですが」
 麗は恥ずかしそうな顔をして見せる。困惑する私には意味がわからなかった。
「トイレに行きたいのよ…………」
 私はようやく状況が飲み込めた。だから少し恥ずかしそうにしてたんだ。
「ああ、それならそうと言ってくれたらいいのに…………どうぞ見守ってるので行ってくだせぇ」
 じっと見つめる私、一向に動こうとしない麗。変な空気が空間を包み込む。
「あれ、行かないんですか?」
 また恥ずかしそうな顔を麗は浮かべた。
「おしてよ、車椅子。じゃなきゃいけないじゃない」
 なるほど、そうだった。彼女は一人で動けないのであった。
「でもさっき、一人で動けるって強気なことを言ってた人がいるんですけど、どなたですかね?」
 彼女は無言になってしまった。しまった、これではまた怒られてしまうだろう。“あいつ“みたいなジョークは彼女には伝わらないか。
「はいはい、押せばいいんでしょう」
 車椅子を押してトイレがあるところまで辿り着くと、ドアを開けた。それはごく一般的にみる洋式のものだ、私の家にあるのも同じ形だ。違ったのはスロープがついているか否かということだ。でも彼女は両腕が使えない、これではただの皮肉みたいになるではないか。
「さあ、着きましたよ麗さん」
 すると彼女はじっと私のことを見つめていた。なぜ言葉にしないのかと思いながらも周りを見渡してみた。一つ目、彼女は両足がない腕も使えない。二つ目、このトイレにあるスロープを使って彼女は動くことはできない。三つ目ここで彼女を動かせる者は私だけ。この三つで浮かび上がった答えは………。
「まさか、あなたがトイレするのを手伝えっていうんじゃないでしょうね?」
 彼女は動けない、なら介護士役の私がその援護をするということなのだろう。嘘だと信じたかったが顔を赤らめる麗を見て確信した。自然と私も顔赤く染めてしまった。
「いちいち声に出すな馬鹿っ!! さっさとしないと、あんたを起こした時からずっと我慢してたんだからっ!!」
 こんなのルーティンに書いてなかった。でも介護士の人が“何か起こったら臨機応変にお願いします、できますね?”と言っていたのを私はYESで答えてしまっていた。あの時は彼女の姿を見たばかりで動揺していたのもあるのだ、呆然としていたからつい言ってしまった。
(まさかこんなところでくるとは……臨機応変、貴様許さんぞ)
 だが彼女とて自由に動けなくて苦労しているのだ。ここで私が逃げたり弱音を吐くのは大人として情けないことなんだ。私は気合を入れていた体を緩めた、なに介護士の端くれだがこれぐらいのこと簡単にやってやる。
 彼女の体を軽く持ち上げる。相変わらずあまりの軽さに驚きながらもトイレの便座に乗せる。このまま手を離せば彼女は中の方に落ちてしまう、ならば私が支えていなくてはならない。なるべく見ないように麗の短パンと下着を脱がす。普通なら下ろすだけでも可能なのだが彼女は大腿が真ん中から無い、ならばもう脱がしてしまったほうが手っ取り早い。そして両腕を脇腹において支えた。
「絶対見ないでよ。見たら絶対承知しないわよ…………」
「そんな……好きで人のトイレみる人間に見えますか私? こっちだって初めてで勝手がわからないんですよ、文句を言うならあの男の人に言ってくださいな」
 そのあとは黙りこくった麗の表情すら見れずにとても気まずい空気が流れた。トイレを終えるとあとは下を拭いてあげたりとさらなる試練を超えてなんとか関門を突破した。お互い一言も話さずまたさっきの立ち位置に戻る。彼女はテレビを眺めて、私は例のソファに腰掛ける。まるでさっきまでの出来事は夢だったのではと思わせるほど終わった今でもフラフラとした気分に陥る、まるで白昼夢を見ているようだ。ただただ呆然として酒に酔った時と同じに目線が安定しない、脳が頭の中でかき混ぜられている…………。
「ねぇ、佐野さん」
 声が頭に響いた。少女みたいに透き通っているが妙に張った逞さも感じる声。
 急に酔った気分の白昼夢から呼び覚まされる、麗がまた呼んだらしい。
「ああ、はい。なんでしょう」
 とぼけた声が気に障ったのか私を眉間に皺を寄せた奇妙な表情で眺める。
「あなた、今寝ようとしてたんじゃないでしょうね」
「滅相もない、あなた様の目の前でそんな無礼なことするわけないでしょう」
 だが私の想像と違って、麗は鼻で少し笑った。意外な反応が私の心を少し動かす。
「そう…………暇だから会話の相手をしてくれない?」
 今朝までは想像もできないほどの素直さに拍子抜けな私はなんとか取り繕う。
「どうされました? 急にそんな提案を……今朝まではあんなに強く当たってたのに」
 思わず口にせざるを得なかった。
「なに、それとも私と話したくない? それなら無理して付き合わなくてもいい。ただ暇な時に近くにいたのがあなただけだったってことよ。それにまだ今朝のことは引きずってるから」
 結局いつもの調子の麗に少し安心する。なんだかんだで私はこの対応に慣れてしまっていて素直な彼女は体に毒だ。
「そうですか、いいですよ。私如きがあなた様の話に付き合えるかわかりませんが、どうぞお手柔らかにお願いします。何せ今時のことについては疎い爺さんでして」
 ぺこりと頭を深く下げる。彼女は芋虫みたいに体を拗らせながら私の正面に向こうとする。ふぅ、とため息をこぼす、体を少し動かすだけでも相当疲れるみたいだ。手伝ったほうがよかったかと思案したが彼女は否定するだろうということが察せられてやめる。
 正面を向くと、私も彼女の目を見つめる。
「全く、体を動かすだけでも一苦労だわ。なんで手伝わなかったの?」
「いえ、どうせ否定されるだろうと思いまして………」
 正直に答える。
「そう、たまには気がきくのね。さっきあなたにトイレを手伝われてから決めたわ。できる限りのことは自分でやるようにする。だから時には手を出さないで」
 目を見つめて言われてしまったら真剣に答えるしかない。
「はいはい、了解しました。しかし、何かあったらすぐに行ってくださいな」
 こくりと頷く。そして彼女はようやく本題に入ると、ゴホンと咳払いをしてみせた。そうやって改められるとこちらとしてもなんだか身構えてしまった。それと片目だけでも彼女の憂鬱そうな目を見ずに済むならと言い聞かせた。
「あなた、私のことについて何も気にならないの? 私を見た人は少なからずこの世のものじゃないと敬遠するものだけど…………」
 改まった目をしていたからどんなものが来るのかと半ば緊張していたが、彼女の質問を聞いて、なんだそんなことか、と拍子抜けした。
「いや、敬遠も何も私の仕事はこれですから…………まあ、初見では相当驚いたもんですけど今はだいぶ落ち着いたほうです。なにせ私にはお金が必要でして、もう頭の中にはこの仕事を拒否することなんて考えちゃいませんよ」
 そう言い切った後に彼女の反応をチラリと見ると、なんだか安心して胸を撫で下ろしているふうに見えた。撫で下ろすも何も彼女には使える腕はないのだが、今までの対応を見るに安心しているように見えたのも気のせいだろう。
「そんなにお金に困っているの? 私の世話をしてまで……」
「まあそうなりますな。わたしゃ今どんなことをしたって金が欲しいんです。この仕事が舞い降りて来なけりゃいずれは借金してるか闇金に手を染めてるか臓器の一つや二つは売っていたかもしれませんな…………」
 すると彼女は悲しそうな顔をした。もしや臓器の一つや二つという言葉に反応してしまったのだろうか。彼女は冗談にもその体を好きでなくしたわけではなさそうだ。だとしたらそういう冗談は言わない方が良かったのかもしれない。
「ま、冗談ですよ。例えです例え。それくらいには金に飢えてたってわけです」
 なんとか機嫌を取り戻そうと添えておく。
「お金か…………お金で人って変わるものかしら」
 ふとそうこぼす彼女の顔は今までに見ない表情をしていた。
「変わる? そりゃどういう……」
「だから、お金さえもらえるなら人間って犯罪だったり人間の倫理観に反したこともするのかってことよ」
 お金をもらえるなら犯罪をもやってのけて倫理観を反した行動をする……か。私は数週間前の思考を頑張って連れてくる。この頃の仕事がなく金に飢えていた時にもし犯罪的な行動だがやれば金がもらえると言われれば私は罪を犯しただろうか。“あいつ“のためだとしても私が犯罪に手を染めてまでも倫理観に反する行為をしてしまうのだろうか。今になってはわからないがもしかすると…………いや、やめておこう。
「はあ、そりゃ難しい問題ですな。しかし犯罪を犯して金がもらえるとしても警察に捕まりゃ必要もなくなるでしょ。あまりにもリスクがありすぎるとは思いますがね。少なからず私はすることはないと願いたいです」
「そう、そうなのね。でもこの世には必ずしもあなたのような思考を持ち合わせていると者ばかりとも限らないわ。お金さえ渡せばなんでも依頼をこなすような集団もいるのよ」
 冗談かと思い、私は少し笑った。
「麗さん、そりゃほんとですか。そんな集団がいるならこの世は犯罪だらけになってしますよ」
 しかし彼女は真剣だった。だから私もなんだか申し訳なくなる。
「私は本気なのよ!? あなたみたいに冗談を言うような人間に見えるっ!?」
「いえ、そんな」
 もういいわ、と彼女はまた身体をうねらせてそっぽをむいた。それ以上は会話をしてくれなかった。そしてまた私は一人で時間潰しの時間を再開したのであった。

 †

 なんとかその日の仕事を終えて家に帰るとベッドに一直線で向かい寝転がった。枕に顔を埋めながら今日の出来事一つ一つを思い出して物思いに耽っては忘れようと努力した。あまりにも色々なことが起こったのだ、こんなこといちいち覚えていたら気が病むかもしれない。こういうのはあまり真剣に受け取らずに記憶の端の方へ追いやっておこう。
 ご飯を食うことさえも忘れて寝ることに専念した。だがこういう時に限ってうまく眠れず身体を起こして呆然とテレビがある方を向く、そこには“あいつ“が笑っている写真が飾られていた。
「あはは……疲れたよ」
 その写真に映る“あいつ”に向かって話しかける。要は独り言なのだが、今は誰か話す相手が欲しかった。もしあの“出来事”が起こらなければ今この場に“あいつ”はいたのだろうか。暇になったら他愛もない話に花を咲かせて、そこで“あいつ”は私との会話で笑顔を見せる。今テレビの前に飾られた写真の中で笑っているみたいに…………。もしいてくれたらこんなふうに写真を飾らなくても良くなる、こうやって独り言をしなくて済むんだ。
「会いたい…………会いたいよ」
 胸の奥がキュッと締め付けられる。悲しくて、苦しくて、悔しくて、切なくて、何もかもが私のせいなんだと思うと自然と涙が溢れる。今日はよく泣く、いや……“あいつ”が私の前からいなくなってしまったあの時から、私はよく泣くようになった、すぐ泣くようになった、止めどなく切なさが溢れて、苦しさに耐えられなくなった。もうダメなんだと思えば思うほど“あいつ”の笑顔が脳裏をかすめて嫌になる。
「苦しいよ…………」
 しかし今の私なら助けられるかもしれない。この仕事を頑張って続けて“期限“までに間に合うことができるならもしかすると……まだチャンスはあると思った。
「すぐ行くから…………助けに行くから…………」
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