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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜
EP02 安静臥床
しおりを挟む「本当に変わった人………でも不思議ね。あなたの涙は嫌いじゃないわ」
私は頷いてみせた。
確かにそのあとも地獄みたいな状況が続いた。骨折して歪んでしまった左腕は自分の腕のように関節が入っているものとは思えないほど酷く見えた。左腕も同様で本当にこんなに酷い怪我を私如きに任せていいのかと、あの男の倫理観を疑った。極め付けの両足は両腕に比べ綺麗だった、すでに大腿の半分から下が存在していないことを抜いてだ。綺麗に縫われているとはいえ現実味にかける光景に私はまた涙した。
そうして午前のルーティンは終わった。あとは午後の部まで休憩時間というわけだがやっとあの男がこれほどの休憩時間と場所を用意したのか理解できた。肉体的にも精神的にも疲れる午前だった。昨日も座ったあのソファに崩れるように腰掛けた。
「お疲れさま、まあまあできたんじゃないかな。この前の介護士さんの方が上手だったけど」
「そりゃそうですよ。あっちは本業でやってんですから、わたしゃ今まで資格なんてなにも取ってこなかった人間ですよ? こんだけできただけでも褒めて欲しいぐらいです」
私はそうやって軽口を叩いてみせた。麗はもちろん褒めてくれることなんてなかった。それよりも私は今必死に睡魔に耐えかねていた。久しぶりの労働に体が悲鳴をあげているんだ。
「私少し寝ますんで、必要になったら大声で起こすなり、叩くなりしてくだせぇ」
眠りに落ちる時にミスに気づいた。
(そういや、どうやって叩き起こすんだ)
時すでに遅し、睡眠という深海に沈んでいった。
「ねぇ、雄二くんは将来の夢ってある?」
目の前にいる女性は私にそう尋ねた。これは今の記憶ではない、きっと昔の記憶。
女性は鮮やかな絵の具のついたパレットの如く様々な色彩に塗れた花畑に佇んで小悪魔みたいにあざとく首を傾げている。私は考えて彼女の求める通りの答えを探す、だがそんなに融通のきく性格ではないのが玉に瑕な私が答えを見つけられるわけもなく適当に答えてしまう。
「将来なんて今じゃ知りようもないだろ、ましてや夢なんて……寝てるわけじゃあるまいし」
さっきまで笑顔だった女性は少し睨む。しまったと数秒前に自分を恨んだ。
「ま、まあ強いていうならばフォトグラファーとでも言っておこうか」
なんとか彼女の機嫌を取ろうとなるべく自然に言い換える。睨む顔がほぐれてまた笑顔が再来したことにひとまず安堵する。胸を撫で下ろして返答を待つ。
「フォトグラファーってなに?」
なんだか珍しいものでも見たかのようにとぼけた声で彼女はいった。相変わらずあざとく私の顔を覗き込む体勢をして……だ。こういうことばかりしてるから彼女は学校の男子から人気があるのだと理解する。向こうは気づいてないのがまた悪い。
「はあ、そんなことも知らずに人に将来の夢のこと聞いたのか」
「あはは……ごめんなさい」
明らかに反省していない彼女はペコペコと頭を下げる。呆れてため息をこぼしながら私は無知な彼女に説明をしてあげた。
「フォトグラファーってのはいわゆる写真撮影で生計を建てる職業でな……商業写真、家族写真、風景写真、アート写真と一概にこれと枠組みに収められぬ仕事でな。奥ゆかしい仕事内容はまるで写真と同じで一つの芸術なのだよ。複数の芸術を一つで再現できる、まさに私のためにある職業なのだ」
そう熱弁してみると彼女は気持ちの悪い、いひひ、と笑い方をする。それは彼女が心底嬉しい時につい漏れ出る癖なのだがなぜ彼女が私のことで嬉しがっているのかわからなかった。
「なんだよ……」
「いやいや、雄二くんなんだかんだ言って私なんかより将来のこと考えてるんだなって…………雄二くんがそんなにいうなら楽しくてやりがいのある仕事なんだね。私も目指してみようかな」
人差し指と親指を立て、それを左右で合体させることで四角の形を取り、いかにもカメラっぽいポーズをとってみせた。それを私に向けて可憐な指でかたどられた四角の空間を覗き込む。その空間から見える彼女の右目………みぎめ………なぜだろうか胸騒ぎがする。
「やめておけ…………」
咄嗟に口から言葉が出てしまう。彼女は悲しそうな顔をする。
「えぇ、どうしてよぉ。雄二くんと同じ夢を見てみたいだけなのに…………」
否定されて心底悲しい目をした。まるで世界が今日で終わってしまうかのように…………。周りの生徒たちがそわそわし始める。このままでは私が女子生徒を泣かせたという噂が学校中に広まるに違いない、そう思ったら私は止まらなかった。
「そういう意味じゃなくて…………きみは写真を撮るというよりかは、取られる方が似合っていると言いたかったのだよ。すまない、言葉が足りなかったようだ」
「どういうこと……?」
彼女は意地悪だった。そんなこと言わなくたって伝わりそうだったのに、わざわざ人の口からそれを言わせようとしてくるんだ。沸々と私の体温が上がってきているのがすぐわかる、この状況が恥ずかしい……でも言わなければ彼女は泣いてしまうだろう。
「だから、きみは美しいから写真は撮られる方が映えると言いたんだ。全く人を揶揄うのもいい加減にしてくれよ………」
様子を伺ってみると向こうも恥ずかしがっているのか顔があからさまに赤くなっている。
「へぇ……雄二くんって私のことそんな風に見てたんだ。ちょっと意外かも」
「当たり前だ。昔から一緒にいるからあまり気付きにくかったが、きみは美しいよ。年々増して行くきみの成長に私は一緒にいるのを躊躇うほどだったよ」
こっちも揶揄ってやろうと普段では絶対言わないような言葉を使う、言っているこっちも恥ずかしいが彼女は素っ頓狂な声をあげて恥ずかしがっている姿を見て愉快な気持ちになる。
「私が美しい…………? 一緒にいるのを躊躇う…………? なら雄二くんは私のこと嫌いになっちゃったの?」
しかし次はこっちが素っ頓狂な声をあげて驚く、向こうもなかなか強敵であるようだ。
「ば、馬鹿かっ!! 嫌いだったら……こんなこというものか」
発してから、しまった、と自分の口を塞いだ。これでは告白みたいではないか。
「ふーん、そうなんだ」
すっかり彼女のペースに乗せられてしまった。もうあっちは私のことを手玉に取ったの如く薄っすら笑いを浮かべて上目遣いに恥ずかしがる私の顔を覗き込んでくる。恥ずかしくてそっぽを向いてもそれに追尾してまた上目遣いに覗き込む。そして………。
「大丈夫、私も雄二くんのこと好きよっ」
私の意識はどこか遥か彼方へ飛んで行きそうだった。彼女の一言……嘘か誠か、そんなことはどうでもいい。ただそんな言葉を平然と言ってのける彼女に驚きを隠せなかっただけである。ただし、本当ならば………と少しは下心もあった。
「あ、阿呆か貴様っ!? そんな言葉、容易く使うでないっ!!」
くすくすと笑ったりいひひと笑ったり馬鹿にされているのはわかっているのだがなぜかムキになってしまう。もう揶揄われるのは懲り懲りだと思い、その場を離れるため駆けようとする。でもそれは彼女が止めてくれると信じていたからである。
「ああ、ごめんって……私が悪かったって」
やはり彼女は私に向かって必死に謝る。これなら女子生徒に泣かされた男子生徒がいると噂になりそうだった。でも悲しきかな男子が泣かせたのならまだしも、女子が泣かせたという噂はなぜか広まらずシャボン玉の如くひっそりと消えてしまうのだ。世知辛い世の中に生まれてしまった私は一人悲しくそっと涙を流すのだろう。ああ、可哀想な私……。
「今度何か奢るから……許してくんない? 頼むよぉ」
そして本命の言葉が出る。こうなれば彼女がこう答えるなど、十何年も一緒にいたのなら手に取るようにわかる。だからこうしてしまえばいいのさ。
「その言葉、嘘だったら承知しないぞ」
そして彼女もハッとする。
「ああっ!! ずるいよ雄二くんっ私がこう言うってわかって誘導したんだっ!?」
「あはははっ!! 馬鹿にするでないぞ小娘。私を泣かそうなど百年早いわっ」
そしてそこから私たちは…………どうしたのだ。この後の出来事も存在するのだがまるでそこだけ抜け落ちたように思い出せない。
「佐野さん……起きなさい」
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