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生命が宿った者たち
死なない男の物語 第一話
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死なない男の物語 第一話
1.
俺は不意に目が覚めた。辺りを見渡すが朝ではないようだ。カーテンの隙間から覗かせる暗闇と月光がそれを証明していた。
立ち上がり窓を開ける。クーラーをつけても汗をかくくらいの嫌な湿気に胸がざわめいたからだ。夜風が俺の髪を揺らし、服の隙間から肌に当たり心地の良い涼しさだった。クーラーなんてつけずに窓を開けていた方が涼しいのではと感じたがすぐに修正する。
これは別に湿気があって胸がざわめいていたわけではなかった。俺の心の問題だ。ここ最近はこんな日が続いていることを思い出す。原因はきっと学校で受けた陰湿ないじめのせいだろう。
「はあ………」
ため息をついてベランダに干してある制服を眺めた。今日もいじめのせいで汚された。だから仕方なく風呂場で石鹸を使って擦り洗濯機で二度洗いをした後に自室のベランダに干したんだ。
なんでそんな回りくどいことをしたのかというと理由は簡単で、単に親にいじめを受けていることを悟られたくなくて、勘づかれる前に手を打っただけ、そう、ただそれだけだ。見るのも嫌気がさしそらす。もう一度体を猫のように丸めて目を閉じる。
「今日は楽しかった……」
あの出来事を思い出していた。それは昼休みの終わりかけの頃
今日ももちろんいじめられて床に数十分くらい寝そべっていた。でもその後にすぐ影ができた。誰かが俺を見下ろしている。だから今ベッドの上で丸くなっているようにその場で顔が見られたくなくてうずくまった。もし噂にでもされたら迷惑だ。
「ねぇあなた。なんで寝てるの?眠いの?」
その声で今俺の目の前にいるのが女だとわかった。顔を上げると確かにスカートが見えた。その中からすらっと曲線を描くような黒いタイツを纏った足。素直に綺麗だと思った。
「聞いてる?」
体を起こして女がどんなやつか顔を見てやろうと思い眺めた。俺の予想に反してそいつはまるで人形のようなやつだった。黒い髪は絹のようにしなやかで柔らかい、光が当たって光沢感すらもある。顔は綺麗に整っていて一目見れば美人と言っても差し支えないだろう。こんなに綺麗な人間なのになぜ?なんでだろうか……彼女は俺と同じ匂いがした。死の匂いが……そしてもうこの世に生きていることすら苦痛に感じている痛々しい傷が首にうっすらと浮かんでいるのが見えた。俺が傷を見ているのがわかったのだろう、隠すように手で押さえた。
「ああ、あんたは確か同じクラスの……」
教室で見たことがある。一度彼女を見て感じたことがあった。思い出そうとすると頭痛がした。そしてラジオみたいに途切れ途切れの声が頭の中に響く。
窓際で……眺めていた……きっと………たいんだろうな………
急に頭痛は治った。なんだったのだろうか………今の記憶は……。
「そうよ、覚えててくれたのね」
手を差し伸べる。なんで彼女がここまでしてくれるのか見当つかなかったが、いらない?と首を傾げる彼女を見ると無碍に断れなかった。
好意に甘えて手を掴ませてもらった。立ち上がると背中についた埃を叩いてくれた。今までこんなことされたことがなかった俺は複雑の心境のまま彼女のされるがままに動いた。
「あんた、なんで俺を……」
少しの間彼女は何も答えずにホコリを叩いていた。
「な、なあ聞いてるのか?」
聞いてるわよ、と言いながらホコリを払うためか手をパンパンと叩くと俺の方に向き直る。
「そうねぇ、あなた名前は?」
「ちょっと、質問変わってんだけど………」
「いいから答えなさいよ」
相手の態度が少し気に食わなかったが従うことにした。
「坂口………」
「そう坂口君ね。私は月島よ、月に島と書いて月島よ」
「そりゃわかるよ。だってあんた有名だもん」
あらそう、といい俺の質問にようやく答えてくれるようだ。
「坂口君、あなた死にたいんでしょう?」
ドキリと心臓に重い打撃をもらったようにグッと苦しくなる。その重い言葉を彼女はさも軽々しくいう。その軽さゆえに俺の心に突き刺さる。
死にたいんでしょう?ずっと頭の中で渦巻いて繰り返される。
「わかるもの、私もそうだから………だから一緒に死んでくれないかしら?」
2.
目が覚める。どうやら昨日のことを思い出しているうちに眠ってしまっていたようだ。
ベランダ干しにしていた制服は夏の力は偉大というかすっかり乾いていた。それを着るとあくびをしながら部屋を出た。
階段を登り降りするたびに足元がギシギシと鳴くのが怖い。いずれ底が抜けてしまうのではないかと妄想したことは数えきれないほどあった。そう俺は本来は怖がり屋で、自殺なんて考えることもなかったのに……それを変えてしまうほどの陰湿ないじめに俺の心は本来あるはずの怖がり屋としてのブレーキを無くしてしまい不安定になっているのだ。
この場合悪いのはいじめるやつなのか?それともいじめられているのに助けを求めようとしない愚かな選択をした俺の方ななのだろうか。
「いじめている奴が悪いに決まってる……」
知らぬ間に声に出して呟いてしまっていた。
「守っ!!起きなさ………なんだ起きてるじゃない。起きてるなら返事しなさいよ」
マモル……坂口守……それが俺の名前だ。別になんの特徴もない、気に入っているわけでもない、とにかく平凡な名前で良かったとしか考えたことはない。
そんな名前をつけた張本人である母はおたまを持って俺にそういった。起こしてもらわなくとも自分で起きられるっていうのに毎日この調子だよ。
「朝ご飯は?」
「いらないよ」
そっけない反応をされたせいか母はむすっとした表情で台所の方へ入ろうとした。しかし顔を少し覗かせながら俺を見てきた。
「何だよ?」
俺は面倒臭いと感じながらも聞いた。
「いや、女でも出来たのかなって……」
はあ?と聞き返すと玄関の方へ顎をしゃくってみせた。そっちを見ろと言いたいのだろう、俺は従って玄関の方を見た。
「女の子が来てたわよ……おんなじクラスの子?」
寝ぼけていたこともあったからなんのことだか最初はさっぱりわからなかった。
「女の子って……」
まさかあいつが?でも家を教えたわけでもないのにくることなんてできるのだろうか。とりあえず確認するために玄関の方へ歩み寄ってドアを開けた。
少し嫌な汗が背中を流れた。片開きのドアはいつもよりも重い。
なんだこの感覚は……俺は怖がっているのかあの女に………
開くほどに太陽の光が漏れ出てきて、眩しさに目を細めた。そして影が見えた。太陽はこんなにも明るくて眩しいのに……なぜこの女はこんなにも黒いのだろうか……これでは全く太陽の意味が彼女にはないじゃないか。
ああ、本当にこの女は死にたいのだな……そう実感した。
「あはよう坂口君。その顔を見る限り起きたばかりといったところね……大丈夫よ。私は待ってるから」
やはりそこにいたのは月島だった。
数ある聞きたいことの中から一番疑問に思ったことが出てきた。
「なんで俺の家知ってんの?」
そう聞くと彼女は考えるそぶりもなくキッパリと言った。
「それは当たり前でしょう。だって私はあなたのことをずっと見ていたんですから……家くらい知っててもおかしくないでしょう?」
俺は頭を抱えた。彼女は普通ではない、それは昨日のうちにわかっていたことだったが……まさかここまでとは考えてなかった。
「ああ、そうか……でもなんで今日に限って来たんだよ」
後ろを振り返った、幸い母は台所へ戻ったらしい。この会話は聞かれたらまずい。
ドアを支えていた手が疲れてきて、肘で抑えることにした。
「ようやくあなたと話せるようになったんですもの、遠くから眺めているよりもっと近くで見て一緒に話したいの。だめかしら?」
彼女の桃色に艶やく唇の端が少し吊り上がる。笑っているのだろうか。
「ああ、全然いいけど……まだこの通り準備はできてないから、時間がかかると思うよ」
自分でもなんでこんなにあっさりと普通ではない彼女を認めてしまうのかはわからない。きっと一目惚れしているのだろう。あの時窓の外を見つめる彼女を見た時に溢れて来た感情、そして昨日彼女に起こされた時に感じた死の雰囲気、この二つはただでさえ黒い存在である月島本人のイメージをより濃くしている。そのフェロモンに集る虫がこの俺だということだろう。
月島は俺に似てる、だから……
「いいわ、私はここで待ってるから……遅刻しそうになったら置いてくわよ?」
俺に背中を向けてしまった。彼女の顔が見えない。
月島の黒い絹のような髪が向けられる。背中に流れているのを見るとより一層美しさに拍車がかかって見える。
触ってみたい、触れてみたい。彼女の髪を、そして髪に隠れた細く可憐で白白しい首はどのような柔らかさで、肌触りで、暖かさをしているのか知りたくなった。
どうだろうか、仮に触って月島は許してくれるだろうか。彼女は今俺のことを信用しきっているみたいだし、少しだけなら、優しく、そっと………
足が一歩、また一歩と彼女に近づく。自分の意思ではないもっと底から溢れ出てくるようなドス黒いドロっとした闇が……溢れ出てきて着ぐるみみたく俺の体を覆っていく……まさしくそんな気分だった。とにかく気分がいい。
すぐ目の前に月島の髪があった。風に流れてシャンプーのいい匂いがする。手を伸ばせば彼女の髪や首に触れることができる。
「まだそこにいるの?早く準備して来て……」
手を伸ばしかけた時、彼女は振り返りながら喋り始めた。
まずい、気づかれてしまったのか!?慌てて手を引っ込める。
「うん…………?一体何をしているの?」
月島の顔がすぐ目の前だ。少し眉間に皺を寄せて今俺が何をしようとしていたのかはわかっていないようだった、困惑している。
「いや、なんでもない」
苦し紛れにそう言ってみる。ついでに苦笑いも見せるとため息をつかれた。
「そう、急いでちょうだい。あと少しで遅刻よ」
「ああ、急いで準備するよ」
玄関のドアを閉めると急に熱が頭から降りて冷静になった。
俺は一体何をしようとしていたんだ?この感覚、昨日もした気がする。なんだろう……彼女を昔見た時のことを思い出すと意識が吸い上げられるような気分になる。これもその魅了のうちならば気をつけなければ引き込まれて戻ってこれないような気さえした。
†
準備を終えて数十分前ぐらいに閉じた玄関の前にたった。
彼女はまだいるのだろうか。このままいなくなっていた……なんてことになっていれば気遣いすることなく一人静かに登校できるというのに……
まあ、いるだろうな。理由はない、直感がそう言っている。
このドアの向こう側にさっきと同じ姿形で待っているに違いない。不思議とドア越しから彼女の存在がくっきりと象られて見える。
……ドアを開けた。
「ごめん、遅かっただろ?」
彼女は……月島は居た。髪を揺らしながら……その少し吊り上がった細い目尻をした瞳で俺を眺めてきた。目と目が合いお互い見つめあっていた。
俺は綺麗だと思った……彼女は俺を見てどう感じているのだろうか……気になった。
「全然大丈夫よ。行きましょう」
案外なんともなさそうだ。安堵のため息をついて先行する彼女を追った。月島が通った後に香る匂い……とてもいい匂いなんだが、これこそが俺の感じ取った死の匂いなのだ。
匂いを嗅ぐたびにわざと後ろの方で歩いた。
「なあ、聞いてもいいか?」
「なに?」
振り向く。またお互い目を合わせた。
「なんで俺なんなだよ……世の中自殺したい人間なんて山ほどいるだろ。別に俺に限って心中しようなんてもったいなくないか?」
自分で言っておいて変な質問だと感じた。
月島の反応を伺った。相変わらず髪の毛をいじっていた。
「いいじゃない。私が好きで選んだの……それともあなたは相手が私じゃ嫌?」
俺は首を横に振った。
「なら私達ってとっても相性がいいと思わない?お互いがお互いを理解しあっているじゃない……少なくとも私はあなたと出会えて嬉しいわ。今も本当は…………」
だんだん声が小さくなっていき最後は聞き取れないほどになっていた。まあ要するに彼女は俺と会えたことは後悔していないようだ。向こうがそう思ってくれているのであればなんだかこっちも気を遣わなくていいということがわかって気分が楽になる。
「そうか、ならよかった」
「でもどうしてこんなことを聞くの?」
困った顔をして月島はいった。
「不安だったんだ。月島がどんなやつなのかわかんないから、どう対応していいのかさっぱりでさ。だからあんたの期待に応えられないかもって思ったけど、大丈夫だ。あんたが俺のこと信用してるってわかれてよかったよ」
俺が少し笑って見せると困ったような顔をしていた月島の顔もほぐれていった、そしてだんだんと笑みを浮かべるようになった。不思議だと感じた、この妖艶で難解な彼女が笑みを浮かべている間はただの無垢な少女にしか見えなかった。とても自殺をしたい人間の顔だとは思えなかった。可愛い、正直にそう思った。
この笑顔、やはりどこかで見たことがある………一体どこでだろうか?教室で彼女を見つめていた時よりもずっと前に………
「ねえ、明日がいいの……」
入り乱れる記憶、彼女の甘い声、二つの事象が頭の中を支配する。
「な、何が?」
思わず聞き返してしまった。明日……彼女が言いたいことは理解しているはずなのに。
「もちろん、私たちがいなくなる日よ」
「……助けてくれて……ありがとう………」
二つの声が聞こえる。一つは間違いなく月島の声だ。二つは月島の声にも聞こえるがなんだろうか、今の月島の声とは少し違うような……やはり俺は昔から彼女のことを知っていたのか?
「お願い……坂口君……私と一緒に死んでくれるわよね」
「本当に感謝してるの………絶対に忘れないから………坂口君も頑張ってね」
一体なんだっていうんだ……何かがおかしい、記憶のどこかが間違っているんだ。月島に関する記憶だけが異常なんだ。
「ああ、わかってるよ」
どちらの声に返事をしたのかは俺にもわからない。
第一話、終。
1.
俺は不意に目が覚めた。辺りを見渡すが朝ではないようだ。カーテンの隙間から覗かせる暗闇と月光がそれを証明していた。
立ち上がり窓を開ける。クーラーをつけても汗をかくくらいの嫌な湿気に胸がざわめいたからだ。夜風が俺の髪を揺らし、服の隙間から肌に当たり心地の良い涼しさだった。クーラーなんてつけずに窓を開けていた方が涼しいのではと感じたがすぐに修正する。
これは別に湿気があって胸がざわめいていたわけではなかった。俺の心の問題だ。ここ最近はこんな日が続いていることを思い出す。原因はきっと学校で受けた陰湿ないじめのせいだろう。
「はあ………」
ため息をついてベランダに干してある制服を眺めた。今日もいじめのせいで汚された。だから仕方なく風呂場で石鹸を使って擦り洗濯機で二度洗いをした後に自室のベランダに干したんだ。
なんでそんな回りくどいことをしたのかというと理由は簡単で、単に親にいじめを受けていることを悟られたくなくて、勘づかれる前に手を打っただけ、そう、ただそれだけだ。見るのも嫌気がさしそらす。もう一度体を猫のように丸めて目を閉じる。
「今日は楽しかった……」
あの出来事を思い出していた。それは昼休みの終わりかけの頃
今日ももちろんいじめられて床に数十分くらい寝そべっていた。でもその後にすぐ影ができた。誰かが俺を見下ろしている。だから今ベッドの上で丸くなっているようにその場で顔が見られたくなくてうずくまった。もし噂にでもされたら迷惑だ。
「ねぇあなた。なんで寝てるの?眠いの?」
その声で今俺の目の前にいるのが女だとわかった。顔を上げると確かにスカートが見えた。その中からすらっと曲線を描くような黒いタイツを纏った足。素直に綺麗だと思った。
「聞いてる?」
体を起こして女がどんなやつか顔を見てやろうと思い眺めた。俺の予想に反してそいつはまるで人形のようなやつだった。黒い髪は絹のようにしなやかで柔らかい、光が当たって光沢感すらもある。顔は綺麗に整っていて一目見れば美人と言っても差し支えないだろう。こんなに綺麗な人間なのになぜ?なんでだろうか……彼女は俺と同じ匂いがした。死の匂いが……そしてもうこの世に生きていることすら苦痛に感じている痛々しい傷が首にうっすらと浮かんでいるのが見えた。俺が傷を見ているのがわかったのだろう、隠すように手で押さえた。
「ああ、あんたは確か同じクラスの……」
教室で見たことがある。一度彼女を見て感じたことがあった。思い出そうとすると頭痛がした。そしてラジオみたいに途切れ途切れの声が頭の中に響く。
窓際で……眺めていた……きっと………たいんだろうな………
急に頭痛は治った。なんだったのだろうか………今の記憶は……。
「そうよ、覚えててくれたのね」
手を差し伸べる。なんで彼女がここまでしてくれるのか見当つかなかったが、いらない?と首を傾げる彼女を見ると無碍に断れなかった。
好意に甘えて手を掴ませてもらった。立ち上がると背中についた埃を叩いてくれた。今までこんなことされたことがなかった俺は複雑の心境のまま彼女のされるがままに動いた。
「あんた、なんで俺を……」
少しの間彼女は何も答えずにホコリを叩いていた。
「な、なあ聞いてるのか?」
聞いてるわよ、と言いながらホコリを払うためか手をパンパンと叩くと俺の方に向き直る。
「そうねぇ、あなた名前は?」
「ちょっと、質問変わってんだけど………」
「いいから答えなさいよ」
相手の態度が少し気に食わなかったが従うことにした。
「坂口………」
「そう坂口君ね。私は月島よ、月に島と書いて月島よ」
「そりゃわかるよ。だってあんた有名だもん」
あらそう、といい俺の質問にようやく答えてくれるようだ。
「坂口君、あなた死にたいんでしょう?」
ドキリと心臓に重い打撃をもらったようにグッと苦しくなる。その重い言葉を彼女はさも軽々しくいう。その軽さゆえに俺の心に突き刺さる。
死にたいんでしょう?ずっと頭の中で渦巻いて繰り返される。
「わかるもの、私もそうだから………だから一緒に死んでくれないかしら?」
2.
目が覚める。どうやら昨日のことを思い出しているうちに眠ってしまっていたようだ。
ベランダ干しにしていた制服は夏の力は偉大というかすっかり乾いていた。それを着るとあくびをしながら部屋を出た。
階段を登り降りするたびに足元がギシギシと鳴くのが怖い。いずれ底が抜けてしまうのではないかと妄想したことは数えきれないほどあった。そう俺は本来は怖がり屋で、自殺なんて考えることもなかったのに……それを変えてしまうほどの陰湿ないじめに俺の心は本来あるはずの怖がり屋としてのブレーキを無くしてしまい不安定になっているのだ。
この場合悪いのはいじめるやつなのか?それともいじめられているのに助けを求めようとしない愚かな選択をした俺の方ななのだろうか。
「いじめている奴が悪いに決まってる……」
知らぬ間に声に出して呟いてしまっていた。
「守っ!!起きなさ………なんだ起きてるじゃない。起きてるなら返事しなさいよ」
マモル……坂口守……それが俺の名前だ。別になんの特徴もない、気に入っているわけでもない、とにかく平凡な名前で良かったとしか考えたことはない。
そんな名前をつけた張本人である母はおたまを持って俺にそういった。起こしてもらわなくとも自分で起きられるっていうのに毎日この調子だよ。
「朝ご飯は?」
「いらないよ」
そっけない反応をされたせいか母はむすっとした表情で台所の方へ入ろうとした。しかし顔を少し覗かせながら俺を見てきた。
「何だよ?」
俺は面倒臭いと感じながらも聞いた。
「いや、女でも出来たのかなって……」
はあ?と聞き返すと玄関の方へ顎をしゃくってみせた。そっちを見ろと言いたいのだろう、俺は従って玄関の方を見た。
「女の子が来てたわよ……おんなじクラスの子?」
寝ぼけていたこともあったからなんのことだか最初はさっぱりわからなかった。
「女の子って……」
まさかあいつが?でも家を教えたわけでもないのにくることなんてできるのだろうか。とりあえず確認するために玄関の方へ歩み寄ってドアを開けた。
少し嫌な汗が背中を流れた。片開きのドアはいつもよりも重い。
なんだこの感覚は……俺は怖がっているのかあの女に………
開くほどに太陽の光が漏れ出てきて、眩しさに目を細めた。そして影が見えた。太陽はこんなにも明るくて眩しいのに……なぜこの女はこんなにも黒いのだろうか……これでは全く太陽の意味が彼女にはないじゃないか。
ああ、本当にこの女は死にたいのだな……そう実感した。
「あはよう坂口君。その顔を見る限り起きたばかりといったところね……大丈夫よ。私は待ってるから」
やはりそこにいたのは月島だった。
数ある聞きたいことの中から一番疑問に思ったことが出てきた。
「なんで俺の家知ってんの?」
そう聞くと彼女は考えるそぶりもなくキッパリと言った。
「それは当たり前でしょう。だって私はあなたのことをずっと見ていたんですから……家くらい知っててもおかしくないでしょう?」
俺は頭を抱えた。彼女は普通ではない、それは昨日のうちにわかっていたことだったが……まさかここまでとは考えてなかった。
「ああ、そうか……でもなんで今日に限って来たんだよ」
後ろを振り返った、幸い母は台所へ戻ったらしい。この会話は聞かれたらまずい。
ドアを支えていた手が疲れてきて、肘で抑えることにした。
「ようやくあなたと話せるようになったんですもの、遠くから眺めているよりもっと近くで見て一緒に話したいの。だめかしら?」
彼女の桃色に艶やく唇の端が少し吊り上がる。笑っているのだろうか。
「ああ、全然いいけど……まだこの通り準備はできてないから、時間がかかると思うよ」
自分でもなんでこんなにあっさりと普通ではない彼女を認めてしまうのかはわからない。きっと一目惚れしているのだろう。あの時窓の外を見つめる彼女を見た時に溢れて来た感情、そして昨日彼女に起こされた時に感じた死の雰囲気、この二つはただでさえ黒い存在である月島本人のイメージをより濃くしている。そのフェロモンに集る虫がこの俺だということだろう。
月島は俺に似てる、だから……
「いいわ、私はここで待ってるから……遅刻しそうになったら置いてくわよ?」
俺に背中を向けてしまった。彼女の顔が見えない。
月島の黒い絹のような髪が向けられる。背中に流れているのを見るとより一層美しさに拍車がかかって見える。
触ってみたい、触れてみたい。彼女の髪を、そして髪に隠れた細く可憐で白白しい首はどのような柔らかさで、肌触りで、暖かさをしているのか知りたくなった。
どうだろうか、仮に触って月島は許してくれるだろうか。彼女は今俺のことを信用しきっているみたいだし、少しだけなら、優しく、そっと………
足が一歩、また一歩と彼女に近づく。自分の意思ではないもっと底から溢れ出てくるようなドス黒いドロっとした闇が……溢れ出てきて着ぐるみみたく俺の体を覆っていく……まさしくそんな気分だった。とにかく気分がいい。
すぐ目の前に月島の髪があった。風に流れてシャンプーのいい匂いがする。手を伸ばせば彼女の髪や首に触れることができる。
「まだそこにいるの?早く準備して来て……」
手を伸ばしかけた時、彼女は振り返りながら喋り始めた。
まずい、気づかれてしまったのか!?慌てて手を引っ込める。
「うん…………?一体何をしているの?」
月島の顔がすぐ目の前だ。少し眉間に皺を寄せて今俺が何をしようとしていたのかはわかっていないようだった、困惑している。
「いや、なんでもない」
苦し紛れにそう言ってみる。ついでに苦笑いも見せるとため息をつかれた。
「そう、急いでちょうだい。あと少しで遅刻よ」
「ああ、急いで準備するよ」
玄関のドアを閉めると急に熱が頭から降りて冷静になった。
俺は一体何をしようとしていたんだ?この感覚、昨日もした気がする。なんだろう……彼女を昔見た時のことを思い出すと意識が吸い上げられるような気分になる。これもその魅了のうちならば気をつけなければ引き込まれて戻ってこれないような気さえした。
†
準備を終えて数十分前ぐらいに閉じた玄関の前にたった。
彼女はまだいるのだろうか。このままいなくなっていた……なんてことになっていれば気遣いすることなく一人静かに登校できるというのに……
まあ、いるだろうな。理由はない、直感がそう言っている。
このドアの向こう側にさっきと同じ姿形で待っているに違いない。不思議とドア越しから彼女の存在がくっきりと象られて見える。
……ドアを開けた。
「ごめん、遅かっただろ?」
彼女は……月島は居た。髪を揺らしながら……その少し吊り上がった細い目尻をした瞳で俺を眺めてきた。目と目が合いお互い見つめあっていた。
俺は綺麗だと思った……彼女は俺を見てどう感じているのだろうか……気になった。
「全然大丈夫よ。行きましょう」
案外なんともなさそうだ。安堵のため息をついて先行する彼女を追った。月島が通った後に香る匂い……とてもいい匂いなんだが、これこそが俺の感じ取った死の匂いなのだ。
匂いを嗅ぐたびにわざと後ろの方で歩いた。
「なあ、聞いてもいいか?」
「なに?」
振り向く。またお互い目を合わせた。
「なんで俺なんなだよ……世の中自殺したい人間なんて山ほどいるだろ。別に俺に限って心中しようなんてもったいなくないか?」
自分で言っておいて変な質問だと感じた。
月島の反応を伺った。相変わらず髪の毛をいじっていた。
「いいじゃない。私が好きで選んだの……それともあなたは相手が私じゃ嫌?」
俺は首を横に振った。
「なら私達ってとっても相性がいいと思わない?お互いがお互いを理解しあっているじゃない……少なくとも私はあなたと出会えて嬉しいわ。今も本当は…………」
だんだん声が小さくなっていき最後は聞き取れないほどになっていた。まあ要するに彼女は俺と会えたことは後悔していないようだ。向こうがそう思ってくれているのであればなんだかこっちも気を遣わなくていいということがわかって気分が楽になる。
「そうか、ならよかった」
「でもどうしてこんなことを聞くの?」
困った顔をして月島はいった。
「不安だったんだ。月島がどんなやつなのかわかんないから、どう対応していいのかさっぱりでさ。だからあんたの期待に応えられないかもって思ったけど、大丈夫だ。あんたが俺のこと信用してるってわかれてよかったよ」
俺が少し笑って見せると困ったような顔をしていた月島の顔もほぐれていった、そしてだんだんと笑みを浮かべるようになった。不思議だと感じた、この妖艶で難解な彼女が笑みを浮かべている間はただの無垢な少女にしか見えなかった。とても自殺をしたい人間の顔だとは思えなかった。可愛い、正直にそう思った。
この笑顔、やはりどこかで見たことがある………一体どこでだろうか?教室で彼女を見つめていた時よりもずっと前に………
「ねえ、明日がいいの……」
入り乱れる記憶、彼女の甘い声、二つの事象が頭の中を支配する。
「な、何が?」
思わず聞き返してしまった。明日……彼女が言いたいことは理解しているはずなのに。
「もちろん、私たちがいなくなる日よ」
「……助けてくれて……ありがとう………」
二つの声が聞こえる。一つは間違いなく月島の声だ。二つは月島の声にも聞こえるがなんだろうか、今の月島の声とは少し違うような……やはり俺は昔から彼女のことを知っていたのか?
「お願い……坂口君……私と一緒に死んでくれるわよね」
「本当に感謝してるの………絶対に忘れないから………坂口君も頑張ってね」
一体なんだっていうんだ……何かがおかしい、記憶のどこかが間違っているんだ。月島に関する記憶だけが異常なんだ。
「ああ、わかってるよ」
どちらの声に返事をしたのかは俺にもわからない。
第一話、終。
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