生命の宿るところ

山口テトラ

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生命が宿るのは、脳か、心臓か。

妄想の賜物 第三話

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 妄想の賜物 第三話


「雨宮くんですか!?」
 その名を呼ぶとぴたりと動きが一瞬止まり、また歩き始めました。姿は僕たちに近づくにつれて段々はっきりとしていき雨宮くんではないことが明白になりました。
「君たちの言う雨宮くんとはこの奥にいた少年のことか?」
 やつれた顔で若くもなく老いているわけでもない、形容し難い彼はにっこりと笑ってあたかも自分は関係ないと言いたそうな顔をしてそういった。しかし僕にはわかりました。彼はこの霧の世界の主人であると。
「あなたが何かしたんですね」
「うん?一体どういう意味だい………私だってここから出られなくて困っているんだ。そういう言いがかりはよしてくれ」
 男は腕を前に組んで少し怪訝そうな顔でそう言いました。
「ならなんで一緒に来なかったんですか?」
「え、なんて言った?」
 男は耳をわざとらしく僕の前にまで近づけました。僕の声が聞こえなかったのでしょうか。改めて言い直しました。
「この世界に囚われて困っているのであれば少なくとも人間一人に遭遇したのなら一緒に行動するのが普通だと思うんですけど」
「ほうほう、そうかい。なら君は何が言いたいんだ?一緒に行動しなかったからなんだというんだい?」
 ここまで行ったのなら伝わると思ったんですけどね。ため息を一回こぼすともう一度わかりやすく言ってあげました。
「僕はあなたが怪しいと睨んでいるわけです。これだとわかりやすいですか?なら早く雨宮くんの所へ案内してくれると嬉しいんですが…………どうでしょう?」
「うんうん、わかった連れて行ってあげよう。それなら疑いは晴れるかな?」
「いいえ、僕はあなたと会った時からずっと怪しいと思っていたんです。雨宮くんの話はスパイスであり、根本からはこの霧の世界を作ったのはあなたではないのかと今も考えています」
 彼は睨みつけるような顔をして後ろを向きました。
「まあいい、とりあえずいこうじゃないか。その雨宮何某君のところにね」
 怪しくて何をされるのかわかりませんが、この現象を引き起こしたのは彼なのです。なら最悪殺されることも考えましたが、今無駄に抵抗してどうにかなる話ではありません。黙ってついていくことにしました。
「お兄、本当にあの人が何かしたの……?私には全然わかんないし、優しそうにすら思えるけど」
「そうですかね、少なくとも僕にはいい人間には見えませんけどね。完全にあの人は狂ってますよ」
 数歩進んだ先で彼は立ち止まって振り返りました。
「この先にいるよ。気をつけて行ってきなよ」
 不敵な笑みを見せると廊下の端に背もたれをしました。一時行くか行かないか考えていると、行かないのか?と煽るように言ってきたので進みました。
「ねぇ、さっきの人一人にしていいの?」
「彼なら大丈夫ですよ。この霧の中で彼の周りだけ晴れて見えましたからね」
「え、それどういうことよ」
 僕が一番最初に彼が怪しいと感じたのはその通りで、彼の周りだけ微かに霧がなく歩くたびに本来なら見えないはずの廊下の姿が晴れた先に見えるのです。きっとこの霧には幻覚や錯覚を思わせる催眠効果があるのでしょう。不自然に感じていた学校の変貌……廊下が異様に長く感じたり、ドアが何個も続いていたこと……の正体はこう考えると説明がつくような気がしました。彼はその効果が自分にかからないようにわざとほんの少しだけ境界線を作っているのでしょう。そんなことができるのであればそれはこの霧の世界を自由自在に操る主人に他ならない、勝手な憶測ですがそう思ってしまっては彼を疑わずにはいられないのです。
 どのくらい歩いたのでしょうか、一向に雨宮くんの姿は見えてきませんでした。
「やっぱり嘘だったのでしょうか」
 そういうと妹は素っ頓狂な声を出して指をさしました。
「あ!見て……誰かいるわ」
 目を凝らしてじっと指を刺す方を見ました。するとさっきの彼みたく影が見えてきました。なぜかその影はうずくまりずっと地面に何かを刺しているようでした。
「雨宮くん!?」
「雨宮先輩!!」
 二人はほぼ同時に名を呼び駆け寄りました。しかし彼の姿を見た僕はその場で怯みました。
「ああ、小林くん……」
 空な目で僕たちを見上げる、妹も只事ではないと息を呑むのがわかりました。
「先輩……どうしたんですか!?その血は、先輩のなんですか!?」
 彼の全身は血に塗れてまるで肌や服、髪全てが元々赤色に染まっていたのではないかと思わせました。そしてその血は彼のものではないのは明白でした。彼の片手に持っていたのは血に塗れ銀色の輝きを失った包丁。
「これかい?この血は彼のものだよ」
 下を向きました。僕たちも釣られて視線を下すと、彼は蹲っていたのではなかったのです人間のようなものを下に馬乗りになっていたのです。なぜ人間のようなものと表現するのかというとその下敷きのものはもう何回刺されたのか見当もつきませんが肉がミンチのようになってしまい到底人間と言えるものではなかったからです。
「その人は一体………」
 平然を装おうと頑張る妹ですが声と手は震えて隠しきれていませんでした。
「彼は、僕を殺そうとしたんだ。だから仕方なかったんだ」
 手が震えて、声も震えて、彼が正常ではないことだけはハッキリとわかりました。
「どうだい、それが彼も本性だよ」
 後ろからさっきの男が歩いてきました。やはりこれも彼が仕組んだことだったのでしょう今も薄らと笑っていました。
 そして意を決した僕は、妹の方を向いて言いました。

 第六章 別れと離別

「歩けますか?先輩……」
 私は雨宮先輩に肩を貸しながらこの濃い霧の中をゆっくりと歩いていた。先が見えず歩くことが怖い、今まで感じたことのない恐怖だった。周りに見えるのは毎日のように通っている学校のはずなのになぜこうも変わってしまったのだろう。一体何が何だかさっぱり理解できなかった。
 そしてもう一つになることがあった。
「お兄……」
 お兄はあの不審な男と二人まだ残っているのだ。身を案じてのことなのだろうか私と雨宮先輩を先に逃がしてくれた。あの時に私の方へ振り返って微笑んだ。
「雨宮先輩のこと頼みます。あなたの気持ちに答えられなくてすみません」
 今思い返すと胸の奥がズキズキと痛む。あなたの気持ちに答えられなくてすみません、この言葉にはいろんな意味がある。そして私にはわかる。みんなは知らない顔をしてお兄に接してきているかもしれないけど、彼にはとある事情があって普通ではなかった。そのことに気がついているのもこの私だけだった。両親だって忘れてる。この孤独感は寂しかっただけどいつもお兄がそばにいてくれたから今まで平気だった。でも今は違う、彼は消えようとしている。
「お兄のばか……なんでいっつも勝手に決めて、勝手に迷惑かけて……」
いつも敬語で私と話す時ぐらい普通に話せば良いのに、勝手に自分で決めて勝手に家族に迷惑かけてることになんで気づかない。今まではそう思っていた。でも本人は気づいていた、でもどうすれば良いのかわからなかったんだお兄は不器用だから……機械とかを治したり手先は器用なのに人間関係のことになるとダメなんだから。
「お兄……お兄……嫌だよ………」
 今思い返すと変な人だった。私はこの環境に慣れてしまっておかしくなっていたのだろう。でも私はお兄のことが………好きで……でもこの気持ちを伝えたくても伝えられなくて、こんなにも苦しいのに変に我慢して……兄妹揃って変人なんだ。
 私は小さく笑った。
 でも、もう会えないかもしれない………だって、お兄はもう死んでるから。

 ことの経緯は数年前、私が中学生だった頃のこと。もうすぐクリスマスだからとお兄と二人でショッピングモールで買い物をしていた。いつも通りにお兄に荷物持ちをさせて私は色々なお店に飾られたクリスマスの雰囲気に心を躍らせていた。
「あまり買いすぎないでください。帰る時に大変になりますよ」
 確かに電車で来ていたため、その山積みになった買い物袋たちを見て私も諦めがついた。
「確かに……ちょっと買いすぎたかな?」
「まあ、これだけあれば今年のクリスマスパーティーは盛大になりますよ」
 そうしてショッピングモールを出ると腕時計を見る。今はちょうど十四時ちょうどだった。
「うーんお兄、走れば五分に出るやつあるけど」
 ここから駅はそう遠くはない走れば五分に出る電車に乗れるが、それを逃せば次は三十分後、でもお兄は荷物持って走れないだろうし……どうしたものか。
 一つの案がよぎる。当たり前と言えば当たり前だけど私にその考えが浮かぶのには少し時間がかかった。
「しょうがないですね、ここは遅くても良いんで三十五分のに乗るとしましょう」
 そういうお兄の手から一つ買い物袋をとる。お兄の冷たい手が当たりドキリとした。
「私が一つ持ってあげるから、お兄走るよ!」
 一瞬びっくりした顔をした後にお兄も走る私についてきた。不意に後ろを振り返る。お兄は珍しく笑っていた、しかも楽しそうに……その顔に私は見惚れた。
(お兄もあんな顔するんだ……)
 しかしその楽しそうだった顔がだんだんと恐怖のような顔位変わっていき、焦りを含んだ表情になった。そして荷物を捨てて私の方へ走ってくる。なぜそのような行動をお兄がとったのか私はわからなかった。でもコマ撮りのようになった私の視線端から車が徐々に近づいて来ているのに気づく。
 ああ、なんということだ。私はよそ見をしすぎるあまりに赤信号の横断歩道に出てしまっていた。車はすぐそこまで来ていてゆっくりを私に近づく。運転手の恐怖に塗れた顔さえも見えるぐらいにゆっくり、ゆっくりと、自然と緊張感もなかった、いや緊張する余裕もないくらいに突然だったの間違いか。
 そうして、ドンッと大きな音があたりに鳴り響いた。
 もう目は開かないかと思っていた、体も痛いし、耳鳴りがして、歩行者の中に悲鳴をあげた人がいたのだろう調子の悪いマイクみたいにキーンと音を立てて脳の中で鳴り響いている。
 一人の女性が駆け寄って私の体を揺すった。不思議と目があいた。なぜだ?もう二度と開かないかもと思ったのに……眩しく光が降り注ぐ中瞼を無理やけにでも開けた。
「大丈夫!?聞こえる!?」
 なんとか首を動かして頷いて見せる。安堵の顔を見せた女性は慌てて別の場所に移った。その後を目で追いよく見てみると私みたいに倒れている人がいるじゃないか。体を起こして倒れている人の姿を見た。
「あぁ……」
 一瞬、見えなかったことにしたくて目を背けた。しかし確かめないといけないという気持ちもある。息が上がって過呼吸に似た状態にもなった。息を整えようと深呼吸をしながら意を決して視線を戻す。
 身に覚えのある服装をしている人間が倒れていた。
 なんで……なんで……何度も考えたが状況がまるで理解できなかった。
 倒れているのはお兄だった。状況が全くわからず困惑しているとさっきの女性がこう言った。
「あなたを助けようとして、飛び出して……」
 お兄は私を助けるために飛び出していったらしい。私は幸い頭を打っただけで済んだ、反対車線からの車もちょうどいなかった。でもお兄は車に撥ねられ、衝撃を直接受けてしまった。ついさっきまでは息があったが今は無くなってしまったらしい。救急車が来たのは十分ぐらい過ぎた時のことだった。
 私は喉が枯れてしまうほどにお兄の名前を呼んだ、泣いた。目を開けなかったのは私じゃない。お兄の方だったのだ。
 
 そうしてお兄は死んでしまった。葬式だってちゃんとして骨壷の中に入ってしまった。私より背が高くて最後に見せたように笑顔をすることのできた彼は今やこんなにも小さくなって私でも難なくもてるくらいに軽い存在になってしまった。
 考えれば考えるほど涙が溢れて何回も骨壷を抱いた。
 
 異変が訪れたのはそこから一週間も経たないうちだった。一日に何回来ているのかわからなかったけど仏壇の前で線香の匂いが漂う中飾られたお兄の写真を意味もなくずっと眺めていた。
 今思えばその写真は仏頂面の笑み一つないなんの面白みのない写真だった。でも不思議とお兄にはそれが似合っているような気もするお兄に笑顔の写真なんて似合わない。 
 仏壇の金色の塗装が歪んだ、いや歪んだのではない私が泣いているからであろう。ここ数日間この調子だ。良い加減泣き止まないと目の周りがヒリヒリとして痛い。鏡を最近見ていないけどきっと赤く腫れているに違いない。
 私が不注意だったから、あの時振り返らなければお兄は死なずに済んだろうに、あの場合死ぬのは私一人で十分だったのに……お兄は優しいから見捨てられなかったのだろうか。もし仮に立場が逆で私が道路に出たお兄を見ていたのなら私は助けただろうか、お兄みたいに勇敢に自分を投げ出してまで助けにいけただろうか。
 そう思う度に泣く、良い加減なやつだ。泣いたからってお兄が許してくれるはずがないお兄が帰ってくるわけでもないのに泣くことしかせず、一体誰に許してほしくて泣いているんだ私は。それともこの惨めな姿を見せて誰かに怒ってもらいたいのか?お前のせいで死んだのだと、そう言われたくて泣いているのか?さっぱり自分のことがわからなくなっていた。
 床の畳を殴った。幾度も手が痛くとも何回も何回も自分の手を叩きつけた。
「お兄……お兄………お兄ぃ………ごめんなさい、ごめんなさい」
 何回も叩きつけて、何回も呼んで、何回も謝った。
「だから……お願い…………帰ってきてよぉ…………」
 その時だった。叩きつける手を誰かが止めた。暖かくて優しい、以前にもこの手を触ったことがある。
「血が出てるじゃないですか」
 この声、二度と聞こえない声だと思っていたのに……私は一時顔を伏せたまま動けなかった。そんなわけがない、彼が……まさか生きてるなんて、あり得るわけがない。そう思っていた。
 手当てをしてくれているのだろうガーゼの柔らかい感触、絆創膏の張り付く感触、彼が今私の腕を触って手当てしてくれているんだ。今家には私以外誰もいないはずなのに……この声、この手の暖かさ……もう考えられる人物は一人しかいなかった。
「泣いているんですか?」
 そっと顔を上げると、信じられなかったはずの光景が広がっていた。
「お兄……」
 間違いなかった。この顔、この声、私をみる瞳、彼以外にあり得ない。なぜかと問う前に私はお兄に抱きついた。
「……どうしたんですか?」
「ごめんなさいっ!………ごめんなさい……私のせいで……」


 第三話、終。
 
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