上 下
13 / 51

第13話

しおりを挟む
《――専務、まさかもう解放されたんですかっ! 今、何処に!?》
「あのう、僕は署に勤務して帰ってご飯食べて、シドとずっと一緒にいるんだけど」
《……えっ?》
「だから、僕は誘拐なんかされてないんだよ……って、誘拐事件なんだよね?」

 向こうも不思議に思ったのだろう、当惑したような調子の声である。

《ええ、はい。確かに三時間前、専務とシドの写ったポラが送られてきまして、この人物を誘拐したというメールが社の方に届きました》
「それ、今送れるなら見せて」
《お待ち下さい……送りました。狂言誘拐、誘拐を騙ったんでしょうか?》
「その判断はまだ待ってくれるかな?」

 そこでシドに発振が入る。操作すると画像ファイルが一部だ。アプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げ、拡大表示させた。

「こいつは今日のショッピング街、コルトレーンジュエリー辺りで撮ったヤツだな」
「本当だ、新人タナカさんもバッチリ写って……あっ!」
「って、まさか――」

 二人は顔を見合わせる。見えない共有ドライヴに思考が流れ込んだように、同じ想像をしているのが互いに分かった。

「まさかタナカがお前と間違われて誘拐されたってか?」
「そう考えたらつじつまが合うんじゃない?」
「なるほど。このポラを誘拐実行犯に見せる。『こいつを誘拐しろ』ってな」
「それを見てタナカさんを誘拐した?」
「大ファサルートコーポレーションの専務だ、三人の中でタナカが一番それらしい」

 ハイファのリモータからセンリーの声が何度も呼び掛けていた。

「ん、ごめん。まだ確定じゃないけど、誘拐はあったんだよ」
《聞いておりました。ですがこれは……厄介なことになったようですね》

 膝にタマを載せたシドが横から訊く。

「身代金要求はあったのか?」
《はい。つい先程、取り敢えず五億と。でもお分かりでしょうが、専務の保険は専務にしか適用されません。件のタナカ氏には誘拐保険はきかないのです》
「FCとしてはどうするつもりだ?」
《はっきり申し上げますと、この件に関わる全てからFCは免責されます》

 二人して溜息をついたが、シドも食いつきはしなかった。当然の帰結である。

「分かったが、犯人側の機嫌を大いに損ねる返答だけは止めてくれ」
《承知しておりますが要求に関しては全面的に突っぱねることになりますので……》
「それも分かってるよ、センリー」
《申し訳ありません。……それと専務、カーライル金属とビクトリア資源開発の役員も誘拐された事実を情報部門が掴んでおります》
「何それ、また二件も?」

 シドとハイファは顔を見合わせた。

《はい、既に二社とも解放された模様ですが。専務もくれぐれもお気を付け下さい》
「ん、分かったよ。また何かあったら発振してくれるかな?」
《了解です。では――》

 通信をアウトして、ハイファはシドの表情を窺う。

「連続誘拐……本当にタナカさんが誘拐されたって思ってるの?」
「さあな、分からん。センリーたちに頑張って貰うしか確かめる手立てがねぇよ」
「直接タナカさんに発信は――」
「もしものことがある、刺激するのは控えた方がいいだろうな」

 そう言ってシドは立ち上がった。タマがポトリと着地する。

「悪いが、もう一度だけ行ってみてもいいか?」
「現場百回って、三回目だけど。いいよ、貴方の気が済むなら」

 二人と一匹は一般客専用エレベーターで一階に上がり、外に出た。外は生暖かいビル風がゆったりと空気を掻き混ぜていた。

 二十二時を過ぎて人通りの殆どなくなった官庁街を二人はタマを先導にして署の方向へと歩き出す。街灯が煌々と照らし、足元のファイバブロックは一歩ごとに光る発光素子入り、そうでなくともビルの窓から零れる灯りなどで視界に不自由はない。

 ふんふんとタマは鼻を鳴らしながら、だが辺りに気を取られて寄り道することなく真っ直ぐに先へと歩いてゆき、十分ほどで七分署の前を通過した。

「ええと、ここら辺だっけ?」
「確かこの辺によく立ってる保険屋のティッシュ配りだったよな?」

 立ち止まった二人が見回すも何ら異変は感じられない。元よりシドもアテがあってやってきた訳でもなかった。そのまま帰っても安穏と眠れそうになかっただけだ。
 暫くシドはタマと共に広い歩道を行きつ戻りつしていたが、やがてハイファの許に戻ってきて軽く息をついた。この場は諦めるしかない。

「もういいの?」
「ああ、帰ろうぜ」
しおりを挟む

処理中です...