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第34話

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 まさか最大の山場が控えているとは知らず、穏やかに土曜日を過ごした京哉と霧島は、今晩オルファスとエイダを警視庁のSPに引き渡し、羽田空港でボーイング・トリプルセブンの出航を見送れば全てが終わりだと思い込んでいた。

 しかしやっと高熱が下がったオルファスと共に昼食を食ったのち、リンドル王国皇太子主催のパーティーがあると聞いて二人は顎を落とす。それも日本政府の首脳陣までが参加すると言われ、眩暈を起こして遠い目になった。

「忍さん、僕、お腹が痛くなってきたかも」
「私も何だか胸に疼痛が……代打のSPを呼んで私たちは寝よう。寝込もう」
「そう嫌がるでない。日本政府首脳は大勢のSPをつれてくるだろう」

 言われてみたらそうなのだが、何故か自分たちに掛かる重圧がより重みを増した気がする京哉と霧島だった。煙草を取り出し咥えながら京哉が眉間にシワを寄せる。 

「日本政府首脳にインフルエンザをうつすなんて置き土産にしても酷いですよ」
「首相がインフルエンザになったくらいで国家が傾きはせんだろう?」
「それはそうでしょうけど……」
「安心せよ、呼んだのは首相と与党三役、各企業の会長・社長くらいのものだ」

 わっはっはと笑うオルファスに京哉は殺意すら感じた。だがSPが増えるのも確かである。今頃はもうウィンザーホテル近辺に非常線が張られ警官まみれになった上に現地にはSPの先遣隊が到着して、あらゆる危険を排除すべく動いている筈だった。

「まあ、僕らはオルファスを護るだけ、それは変わらないんですけれどもね」
「三日後にインフルエンザで出席者全員斬りになってもな」

 ゆるゆると時間は過ぎて、夕方近くになってまだ高熱のあるエイダを迎えに来た別便で羽田空港のボーイング機に輸送してしまうと、やってきたテーラーの人間がパーティーの主催者であるオルファスにブラックタイのタキシードを着せ付け始める。

 そこで京哉と霧島も部屋に戻って着替えた。SP二人は敢えて正装せずオーダーメイドのスリーピースだ。霧島が濃いグレイ、京哉がブラウンの色違いお揃いである。

 ジャケットの下には当然ながら銃を吊り、ベルトには十五発満タンのスペアマガジンが二本入ったパウチを着けてある。少しでも軽くするために敢えて帯革の特殊警棒や手錠ケースなどは持たない。ジャケットを羽織ると京哉はDSR1のハードケースを提げた。

「撃たずに済めばいいんですけどね」
「ウィンザーホテル最上階の鳳凰の間、狙い処は?」
「駅にあれだけ近いんですよ、数え切れなくて涙が出ますよ」
「そうか、まあいい。オルファスと下に降りて何か食おう」

 京哉の部屋を出ると丁度オルファスも出てきたところだった。三人で一階の小食堂に降りると準備してあったサンドウィッチを摘む。食い終えるともう移動の時間だ。
 玄関から出る時には、これも熱の下がった今枝が見送ってくれた。

「世話になった、誠に大儀だ、今枝殿」
「いえ、お気を付けて本国にお帰り下さいまし。気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」

 黒塗りのドライバーは霧島、助手席に京哉で、後部座席にオルファスという配置は既に決まっていた。すっかり日も暮れた中、快調に黒塗りは走り出す。
 海岸通りを走る間、オルファスはずっと海を眺めていた。

 バイパスから高速に乗ると検問をしていた。交通機動隊も本部は県警なので霧島と京哉のことは知っている。スムーズに通され、交機隊員を労いながら霧島は先を目指した。
 高速から降りても検問はやっていて、だが今は煩わしいより有難い。都合四回も止められながら、ようやくウィンザーホテルの地下駐車場に黒塗りを乗り入れる。

 エレベーターも検問並みだった。一階に上がった時点で一旦止められ、そこからは本日のパーティー参加者専用となったエレベーターに乗り換えである。エレベーターホールで待たされる間にDSR1のハードケースを提げた京哉は辺りを見回して溜息をついた。

 このウィンザーホテルは県下でも一、二を争う格の高いホテルで、入るにもドレスコードが課される。そんなホテルのロビーは天井から巨大なシャンデリアが下がって皆に虹色のシャワーを浴びせ、行き交う人々も男性は半数以上が黒服の正装だ。
 女性は大半がイブニングドレスと重たげなジュエリーを身に着け、熱帯魚のように裳裾を揺らしている。

 何だか日本ではなくハリウッド映画の中のような光景だが、こういった場所も霧島と共に経験しているので京哉も既に緊張したりはしない。
 ただこれらの人々の中にヒットマンが紛れ込んでいる可能性もあるのが嬉しくない点だ。だがエレベーター前では全員が金属探知機でセキュリティチェックを受けるので少し安心できる。

 やっとエレベーターの順番がきて乗り込むと、あとからSPバッヂを着けた六名に囲まれた男も乗ってきた。正装してハンカチで汗を拭っている男は首相だった。

「うわあ、本物だ……」
「当選回数及び首相在籍年数記録ホルダーの滝本秀明たきもとひであき総理か」

 オルファスが気付いて滝本首相に片手を挙げる。どう見てもラフすぎる挨拶に滝本首相も気付き、既に会談で顔を合わせていたオルファスに握手を求めた。

「今晩はお招き頂いて、これほど嬉しいことはありませんな」
「そう言って貰えると俺も嬉しいぞ。今宵は堅くならずに飲み明かそうではないか」

 エレベーターから降りる時も首相のSPに囲まれていたため、京哉と霧島の仕事は楽だった。だからといって気は抜けない。首相のSPはあくまで首相を護る。オルファスを護ることは職掌にない。
 だが彼らもまさか国賓のリンドル王国皇太子のSPがたった二人とは思いもしないだろう。そのSPたちは京哉の提げたハードケースが気になるらしい。

 入った鳳凰の間には丸いテーブルが二十ほどもしつらえてあり、テーブル上には膳が既に置かれていた。ある程度の料理も並べられている。まるで結婚披露宴のような形式を取った会場では、立ったまま如才なく名刺交換する企業トップたちがぞろぞろいた。

 そんな彼らを縫って最前のテーブルにオルファスと滝本首相が着く。
 やがて与党三役がテーブルに着いた頃には全ての席が埋まり、皆のグラスにシャンパンが注がれた。時刻は十九時ジャスト、グラスを手にオルファスが立ち上がる。

「皆、苦しゅうない。急に呼び出し大儀であった。そなたたちには俺の大好きな日本国代表として来て貰った。今宵は飲み明かそう。日本とリンドル王国の友好を祝して乾杯!」

 立ち上がっていた全員がグラスを掲げてから口をつけた。ただSPたちやオルファスの背後に立った京哉と霧島は例外で、皆の拍手が湧く間も周囲警戒に余念がない。
 特に窓外を注視している京哉に霧島が低い声で訊いた。

「確かに狙い処は無数にあるようだな。今のところはどうだ?」
「やっぱりこれまでと同じ、狙ってきたらカウンタースナイプしかないですね」

 喋っている間にホテルのボーイたちが次々と皆の前に料理をサーヴィスし始めた。スパイスの香ばしい匂いに主夫的興味を持った京哉がチラリと見ると、和食とリンドル王国料理を折衷させたディナーらしい。滝本首相とオルファスも料理について語り合っている。

 そうしてディナーはゆっくり進行し、デザートも皆の胃袋に消えるとボーイたちの手によってテーブルが両サイドに寄せられ大ホールの真ん中にダンスエリアが作られた。同時に壇上に小編成のオーケストラまで登場して軽やかな音楽まで奏で始める。

 一部の者は踊り始めたが、オルファスは片端から求められる握手と挨拶に応えるのに忙しくてまだ踊る余裕もないようだ。そんなオルファスを護るべく、二人も隙なく離れない。挨拶中の今はオルファスも殆ど動かないので幸いだ。相手は向こうから来てくれる。

 オルファスの窓側を固めた京哉は窓外を見つめ続け、霧島は鳳凰の間の中を油断なく注視している。そこで目に留まったのは末席近くのテーブルに着いた老年の夫婦だった。皆が立ち上がって立食パーティーの様相を呈しているのに、夫婦は座ったきりである。

 それだけなら目に留まらなかっただろうが、何処かの大会社役員であろう老年の夫の方が、酷く顔色を悪くしていたのだ。そこで京哉に合図する。

「様子がおかしい。誰かに見に行かせよう」
「僕らが移動した方が早いんじゃないでしょうか?」
「俺もあの二人とは、まだ挨拶しておらぬ。一緒に行こう」

 立ち上がったオルファスと共にその老夫婦の許に向かった。途中オルファスだけでなく次期本社社長と噂される霧島カンパニー会長御曹司までが挨拶の握手責めに捕まったために、時間を食う。
 それでも辿り着いてオルファスが声を掛けようとした時、顔色の悪い老年の夫が棒立ちとなった。そして叫ぶ。

「み、皆、動くな!」

 どうやって金属探知機をクリアしたのか、右手には手投げ弾が握られていた。左の手の指は安全ピンを抜く寸前である。咄嗟に京哉は老年男の肩を撃とうと懐の銃に手をやったが霧島がそれを留めた。着弾のショックでピンを抜かれては堪らない。
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