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第12話

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「伏せろ、皆、伏せろ!」

 信じがたい現象を突きつけられ、皆は却って落ち着いて身を低くした。
 自分も長身を窓より低く屈めながら霧島が片手を伸ばしてキャビンの明かりを消す。煌々と照らしていてはいい的だ。そうして屈んだまま操舵室に戻り、アンカーを巻き上げ貝崎マリーナへと舳先を向けて出航する。長距離戦の準備もない以上は逃げるしかない。

「京哉、どうだ?」
「おそらく十時方向に見える、あの船だと思います」
「そうか。まだ狙ってくると思うか?」
「動いていたら大丈夫でしょう。追ってくる気配もありませんし」
「そうあって欲しいが……誰が狙われたのかが問題だな」

 御前は立場上、敵が多い。霧島と京哉も県下の指定暴力団から恨みを買っている。しかし誰よりも今現在、狙われる可能性が高いのはオルファスだった。けれどそうなるとオルファスの敵は逐一その所在を把握していることになる。

 そこで岸が近づくと霧島は狙撃された事実を本部長に連絡した。京哉はキャビンに戻って壁にめり込んだ弾丸を掘り起こし、手にして霧島の許に戻る。

「7.62ミリNATO弾でした。せいぜい狙えても八百メートル前後ですね」
「だが敵の腕が悪くて助かった。万が一、オルファスに当たっていたら国際問題だ」

「ですよね。海上でも狙われるなんて誰がターゲットにしろ先が思いやられるかも」
「オルファスには本当に保養所で大人しくしていて貰うしかないかも知れん」
「それでまた脱走されたら余計に大変ですよ?」

 二人は頭を抱えたくなった。この状況が一週間も続くのだ。京哉は煙草を吸いたくなって霧島から許可を貰い数時間ぶりに一本咥えた。吸い殻パックを出して呟く。

「大体、オルファスの敵って何者なんですかね?」
「俺は元々、第四皇子で皇太子になれる身分ではなかったのだ」

 振り向くとオルファスがドア口に凭れていた。傍にエイダが控えている。

「だが兄である第一皇子と第三皇子は幼い頃に毒殺された。残るは第二皇子の兄だが、生まれつき病弱で今も病床にある。それで十五歳の成人の折に俺が担ぎ出されたのだ」

「じゃあその第二皇子のお兄さんが貴方を狙ってる?」
「それはまだ分からんが、兄を皇太子にせんとする勢力があるのは確かだ」
「ふうん。今までも狙われたことがあるんですね?」

 頷いたオルファスだったが、絶対王政のリンドル王国で皇太子に歯向かう輩の正体はオルファスの耳にも入ってこないのだという。それも仕方ないと云えた。国民にとって神にも等しい王族には敵の存在などあってはならない、認められないのだ。

「狙われているという根拠はあるのか?」
「本国では外出する際、常に十六名の護衛が俺を囲んでいる。だがこれまで三名が狙撃され殉職したことは表沙汰になっていない。食事でも毒見が一人死んでいる」
「なるほど。ならば貴様は自分がどれほど危険な状態にあるか熟知しているな?」

「だから逃げてきた。はっきり言って俺は死にたくなかったのだ」
「日本政府の用意したSPは甘かったということか」

「それもある。だが……本国と同じで誰もが俺の前では頭を下げる。顔を上げさせれば不自然な追従笑いばかりが貼り付いている。心では殺したいと思っているやも知れぬのにな。そんな笑いからも俺は逃げ出してきた。そしてそなたたちは俺を見ても笑わなかった。だからそなたたちにSPを頼んだのだ」

 今からでも大爆笑してやろうかと思った二人だったが、既に特別任務を拝命してしまった。溜息を洩らして霧島は京哉から煙草を一本貰う。大学時代までは吸っていたのだ。おまけに特別任務となると苛立ちから吸いたくなるストレス性の喫煙症である。

 やがて貝崎マリーナに着き、またピストン輸送で皆が保養所に戻った。

 本当なら銃撃を受けたことで所轄の水上警察と県警の人員を入れ、アプサラス号で実況見分や鑑識作業もしなければならないところだったが、表沙汰にするとオルファスの所在も広まってしまう。故に霧島と本部長の電話会議の末に黙っていることになったのだ。

 オルファスの部屋にベッドを一台増やしてエイダの寝床を作り、それぞれが部屋に引っ込んだ。ブランチまでゆっくり朝寝する構えだ。
 京哉の部屋でシャワーを浴びた霧島と京哉は、ひしゃげた弾丸一個を眺める。

「一応、ライフルマークの前科まえを洗わせよう。起きたら小田切を呼ぶ」
「じゃあ疲れちゃったし、寝ましょうか」
「私は疲れたくらいで丁度いいんだ。京哉……なあ、いいだろう?」
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