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第8話
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アーと口を開けて京哉は霧島を見た。
「何でそんな人がこの船に……もしかして本国に帰りたかったとか?」
「帰るなら羽田にボーイングのトリプルセブンが待っている筈だぞ?」
「ですよね。じゃあ何で?」
「私に訊かれても知らん。とにかく警察庁を通して日本政府に――」
「五月蠅いぞ、そなたたち! 夜は寝るという基本を身に着けておらんのか!」
ふいに起き上がった男は二人を見るなり、滑らかな日本語で文句を垂れた。更に長めの黒髪をかき上げ抱いていたウィスキーの栓を開けてひとくち飲むと朗らかに笑う。
「今宵の魚料理は旨かった。王宮のシェフに見習わせたいくらいだ。大儀であった」
笑う男は手振り付きで京哉と霧島に「下がれ」と言った。だがここで引き下がっては全てが分からないままとなり、二人のお楽しみもふいになってしまう。そこで霧島は相手の正体を知りながら気付かぬふりをする作戦に出た。
「貴様、他人の船にタダ乗りして何をしている?」
「すまぬが俺は財布を持っておらんのだ。何ならあとで侍従長から口座に送らせる」
「そういうことを聞きたかったのではないのだがな」
「俺を馬鹿にするでない、ちゃんと話は聞いている。何をしているかといえば、そなたたちの政府が寄越した鬱陶しくも気に食わぬSPたちから逃げておるのだ。分かったか?」
どうやらこの皇太子は脱走してきたらしい。もっと詳しく話を聞くと警視庁派遣のSPの堅苦しさに我慢ならなくなったという。
そして昨夜SPの一人を殴り倒して衣服を奪い着替えたのち、そのポケットに入っていた小銭入れのカネをありったけ使って電車とバスを乗り継ぎ、五月蠅い侍従たちの目も届かない貝崎マリーナに辿り着いたようだ。
「だがカネが尽きて寝床にも困ってな。それでこの船に乗り込んだのだ」
「名乗りもせず偉そうに言うな。不法侵入で警察に突き出してやる」
「それは困る、せっかく警察のSPから逃げてきたのだ。では名乗ろうか。俺はオルファス=ライド四世、リンドル王国の皇太子だ。して、そなたたちは何と申す?」
名乗られてしまい知らぬふりもできなくなって、見られた京哉が仕方なく名乗る。
「……鳴海京哉です」
「霧島忍だ。更に言えば貴様にとっては残念ながら、私たちは二人とも警察官だぞ」
一国の皇太子を相手に『貴様』呼ばわりする霧島を京哉は心の中で称賛した。正式な場では誰よりもマナー良く優雅さを発揮する霧島だが、今は京哉とのナニがだめになりかけて、非常に苛立ち腹を立てていたのである。
「ほう、警察官か。だが霧島忍なる名は耳にしておる。教師から習ったが確か我が国にも支社のある霧島カンパニー会長の世継ぎで、次期本社社長という話ではないか」
「私は社を継ぐつもりはない。あくまで警察官だ」
「なるほど。しかし警察官にしては料理も上手く、ウィスキーの趣味もいいな」
「いい加減に盗み飲みを止めろ。京哉、マリーナに戻ってこの男を放り出すぞ!」
憤然と霧島は踵を返し階段を降りて操舵室に向かった。抜錨しマリーナに舳先を向けると京哉だけでなく皇太子まで姿を見せる。まだウィスキーを抱く男に苛ついた。
振り返って皇太子を睨みつける霧島に京哉が恐る恐る意見する。
「本当に放り出す訳にはいきませんよ?」
「分かっている。県警本部まではつれて行く。本部長に押しつけよう」
「それしかありませんよね。じゃあ電波が届くようになったら連絡しなきゃ」
「おそらく警視庁は皇太子が消えて大騒ぎだろうからな」
けれどそこで皇太子が挙手した。霧島が冷たい灰色の目を向けて発言権を与える。
「俺は鬱陶しいSPに囲まれる気などない」
「貴様は鬱陶しくても、周りは死活問題だ。我が儘を言わずに戻れ」
「我が儘か、ふむ。ならば交換条件だ、俺の存在は何処にも洩らさないでくれ」
「そんな訳にいくか。まずは無線で海保に連絡する」
「止してくれ。俺は命を狙われている、情報を洩らす訳にはいかんのだ」
言い訳でなく本気で懇願していると知った霧島と京哉は顔を見合わせた。だが絶対王政の国の皇太子ともなれば、それこそ存在を鬱陶しがられることもあるだろう。
「でも警視庁管内のあるべき場所に戻る前に暗殺されたら寝覚めが悪いですよね」
「そうでなくとも情報を洩らせば日本政府も、リンドル王国皇太子行方不明という不名誉な責任を負わされることになるか。仕方ない、我々だけで運ぶしかないな」
無線機を戻して霧島はオートパイロットをセットした。京哉がコーヒーを淹れ、今枝が冷蔵庫に入れてくれていたレアチーズケーキ・三種のベリーソース添えと一緒にキャビンのロウテーブルに出す。三人はソファに収まった。
「あのう、皇太子さん」
「敬称抜きのオルファスでいい。俺もそなたたちを霧島に鳴海と呼ばせて貰う」
「はあ。じゃあオルファス、いつまで日本にいるんですか?」
「飽きるまで……と言いたいが予定も詰まっておってな。来週いっぱいまでだ」
「長いご滞在ですね」
こんな皇太子に長居される警視庁も大変である。暫し三人は黙ってケーキとコーヒーを味わった。食い終えてコーヒーを飲み干すとオルファスがふらりと立ち上がる。
「旨かったぞ。では俺はもう一眠りしてくるからな」
敢えて止めようとせず二人は皇太子を見送った。姿が消えると二人同時に溜息だ。
「何でそんな人がこの船に……もしかして本国に帰りたかったとか?」
「帰るなら羽田にボーイングのトリプルセブンが待っている筈だぞ?」
「ですよね。じゃあ何で?」
「私に訊かれても知らん。とにかく警察庁を通して日本政府に――」
「五月蠅いぞ、そなたたち! 夜は寝るという基本を身に着けておらんのか!」
ふいに起き上がった男は二人を見るなり、滑らかな日本語で文句を垂れた。更に長めの黒髪をかき上げ抱いていたウィスキーの栓を開けてひとくち飲むと朗らかに笑う。
「今宵の魚料理は旨かった。王宮のシェフに見習わせたいくらいだ。大儀であった」
笑う男は手振り付きで京哉と霧島に「下がれ」と言った。だがここで引き下がっては全てが分からないままとなり、二人のお楽しみもふいになってしまう。そこで霧島は相手の正体を知りながら気付かぬふりをする作戦に出た。
「貴様、他人の船にタダ乗りして何をしている?」
「すまぬが俺は財布を持っておらんのだ。何ならあとで侍従長から口座に送らせる」
「そういうことを聞きたかったのではないのだがな」
「俺を馬鹿にするでない、ちゃんと話は聞いている。何をしているかといえば、そなたたちの政府が寄越した鬱陶しくも気に食わぬSPたちから逃げておるのだ。分かったか?」
どうやらこの皇太子は脱走してきたらしい。もっと詳しく話を聞くと警視庁派遣のSPの堅苦しさに我慢ならなくなったという。
そして昨夜SPの一人を殴り倒して衣服を奪い着替えたのち、そのポケットに入っていた小銭入れのカネをありったけ使って電車とバスを乗り継ぎ、五月蠅い侍従たちの目も届かない貝崎マリーナに辿り着いたようだ。
「だがカネが尽きて寝床にも困ってな。それでこの船に乗り込んだのだ」
「名乗りもせず偉そうに言うな。不法侵入で警察に突き出してやる」
「それは困る、せっかく警察のSPから逃げてきたのだ。では名乗ろうか。俺はオルファス=ライド四世、リンドル王国の皇太子だ。して、そなたたちは何と申す?」
名乗られてしまい知らぬふりもできなくなって、見られた京哉が仕方なく名乗る。
「……鳴海京哉です」
「霧島忍だ。更に言えば貴様にとっては残念ながら、私たちは二人とも警察官だぞ」
一国の皇太子を相手に『貴様』呼ばわりする霧島を京哉は心の中で称賛した。正式な場では誰よりもマナー良く優雅さを発揮する霧島だが、今は京哉とのナニがだめになりかけて、非常に苛立ち腹を立てていたのである。
「ほう、警察官か。だが霧島忍なる名は耳にしておる。教師から習ったが確か我が国にも支社のある霧島カンパニー会長の世継ぎで、次期本社社長という話ではないか」
「私は社を継ぐつもりはない。あくまで警察官だ」
「なるほど。しかし警察官にしては料理も上手く、ウィスキーの趣味もいいな」
「いい加減に盗み飲みを止めろ。京哉、マリーナに戻ってこの男を放り出すぞ!」
憤然と霧島は踵を返し階段を降りて操舵室に向かった。抜錨しマリーナに舳先を向けると京哉だけでなく皇太子まで姿を見せる。まだウィスキーを抱く男に苛ついた。
振り返って皇太子を睨みつける霧島に京哉が恐る恐る意見する。
「本当に放り出す訳にはいきませんよ?」
「分かっている。県警本部まではつれて行く。本部長に押しつけよう」
「それしかありませんよね。じゃあ電波が届くようになったら連絡しなきゃ」
「おそらく警視庁は皇太子が消えて大騒ぎだろうからな」
けれどそこで皇太子が挙手した。霧島が冷たい灰色の目を向けて発言権を与える。
「俺は鬱陶しいSPに囲まれる気などない」
「貴様は鬱陶しくても、周りは死活問題だ。我が儘を言わずに戻れ」
「我が儘か、ふむ。ならば交換条件だ、俺の存在は何処にも洩らさないでくれ」
「そんな訳にいくか。まずは無線で海保に連絡する」
「止してくれ。俺は命を狙われている、情報を洩らす訳にはいかんのだ」
言い訳でなく本気で懇願していると知った霧島と京哉は顔を見合わせた。だが絶対王政の国の皇太子ともなれば、それこそ存在を鬱陶しがられることもあるだろう。
「でも警視庁管内のあるべき場所に戻る前に暗殺されたら寝覚めが悪いですよね」
「そうでなくとも情報を洩らせば日本政府も、リンドル王国皇太子行方不明という不名誉な責任を負わされることになるか。仕方ない、我々だけで運ぶしかないな」
無線機を戻して霧島はオートパイロットをセットした。京哉がコーヒーを淹れ、今枝が冷蔵庫に入れてくれていたレアチーズケーキ・三種のベリーソース添えと一緒にキャビンのロウテーブルに出す。三人はソファに収まった。
「あのう、皇太子さん」
「敬称抜きのオルファスでいい。俺もそなたたちを霧島に鳴海と呼ばせて貰う」
「はあ。じゃあオルファス、いつまで日本にいるんですか?」
「飽きるまで……と言いたいが予定も詰まっておってな。来週いっぱいまでだ」
「長いご滞在ですね」
こんな皇太子に長居される警視庁も大変である。暫し三人は黙ってケーキとコーヒーを味わった。食い終えてコーヒーを飲み干すとオルファスがふらりと立ち上がる。
「旨かったぞ。では俺はもう一眠りしてくるからな」
敢えて止めようとせず二人は皇太子を見送った。姿が消えると二人同時に溜息だ。
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