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第4話

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「歩きづらいな、砂って」
「でもここの砂って珊瑚とか貝殻の欠片が混ざってるっぽいからマシだよ。本当の砂ばっかりだと靴がめりこんで中にまで砂が――」

 ハイファの言葉も半ばでシドは周囲で遊ぶ子供や他の観光客を真似し、靴と靴下を脱ぎ始めていた。コットンパンツの裾も捲る。いつもはあまり感情を表に出さないポーカーフェイスだが、今は初めての海体験に子供のようにはしゃいでいた。

「砂、あったかいぞ。お前も脱いだらどうだ?」
「うん。でも貝殻で足、切らないように気をつけてよ」

 愛し人が嬉しいと自分も嬉しいハイファは自分も早速裸足になると、片手に靴下を突っ込んだ靴を提げて、波打ち際へと先行したシドを追いかけた。

 まだリゾート客は多くなく、立てられたパラソルもぽつぽつとしか見られない。本格的なシーズン前で良かったとハイファは思う。海水浴客が多ければ、こうして大人が二人して駆け回ることも、大声で自分を呼んでは笑う愛し人を見ることもできなかっただろう。

 波打ち際にシドはおっかなびっくり寄ってみる。ここなら大丈夫だろうと思った辺りまで時折海水が押し寄せてきて足を濡らした。引く波に足元の砂が流れて深く埋まる。そんな現象までがシドには面白い。海水に手を突っ込んで指を舐めてみた。

「塩っぺぇ! 想像以上に塩分濃度高いのな」
「テラフォーミングの時にテラ本星の海と同じように造られたからね。確か三から四パーセント弱はあるから、あんまり飲まない方がいいよ」
「飲みはしねぇって。おっ、動く貝、みっけ!」
「それはヤドカリ。貝殻を脱がしちゃだめだよ。中身はゆるゆるやわやわだから」
「ふうん。色々知ってんだな。スパイに必要な知識とは思えねぇんだが」
「趣味のうちだよ。それにスパイだって知識豊富で話題に事欠かない方がいいもん」
「なるほど。……って、まだ少し、水、冷たいよな」

 シドは早々に砂浜に上がった。ハイファも倣い、濡れた足に砂の衣をつけて歩く。
 はしゃいでいるうちに、やってきた小径は遙か彼方となっていた。海に突き出た岩礁に平たい場所を見つけ二人は腰を下ろし足を乾かし始めた。

「お前は泳がねぇのか?」
「貴方が泳がないならいいよ、まだ水泳には早いみたいだし」

 頷いたシドの興味は岩礁の上にできたタイドプールに移ったらしく、靴下をポケットに入れると素足の砂を払って靴を履きごつごつした岩を登り始める。

「何か、いた?」
「いた、ってか……ハイファ!」

 いきなりシリアスになった声にハイファは急いで靴を履くと岩礁を登った。

 すると潮が引いて海水が残された岩礁の窪み、タイドプールから七、八メートル先の岩礁の先端に、白い帽子を被った女性の後ろ姿があった。薄いペパーミントグリーンの上着に細身のジーンズで、ストレートな栗色の髪は腰までの長さがある。

 別にそれだけなら何の変哲もない光景だ。だが刑事だのスパイだのをやってきた自分たちには分かる、ある種の緊張感が女性の背から感じられた。

 と、女性の帽子が海風に煽られて海面へと落ちていった。そして次には女性自身が倒れ込むように海へとダイヴする。

「嘘っ、自殺っ!?」

 二人が岩礁の先まで駆け寄ると女性は既に深みに身を沈め、微かに白っぽく衣服が透けて見えているだけだった。無抵抗にただ沈んでゆく。溺れる気すらないようだ。

「シド、救急にリモータ発振!」

 泳いだことのないシドには無理と判断したハイファはソフトスーツの上着と靴を脱ぎ捨て、ベルトパウチのスペアマガジン二本と左脇の銃とを引き抜いてシドに預けると、ためらいなく海に飛び込む。大きく息を吸い込んで、潜った。

 そこだけ深くなった岩礁の根元近くまで三メートルも潜っただろうか、暗いが透明度の高い水中で、目立つ白っぽい布の翻りを発見する。

 幸い女性は意識を失っているようで、その両脇に片腕を回したハイファは、まとわりつく自身の衣服と女性の上着に苦労しつつ明るい方へ、そして浅瀬へと片腕で重い水を掻いた。
 岩礁から十メートルほど離れた辺りに頭を出し、シドを呼ぶ。

「ご苦労。救急機、もうくるぞ」

 二人掛かりで意識のない女性を引き上げた。だが砂浜でソレをよく見た瞬間、二人は思い切りガッカリする。
 ソレはうら若き女性ではなく中年男だったのだ。

 裏面の印象を激しく裏切って無精ヒゲが伸び、もっさりしている。

「何だよチクショウ、紛らわしい~っ!」
「放っときゃヨカッタよ~っ!」

 シドとハイファは共に脱力した。現金だが現実はそんなものだ。

 だが助けてしまったモノは仕方ない。勘違いしガッカリしたためシドは幾分のんびりと男のバイタルサインを看て異常がないのを確認する。発見・救助が早かったのと入水した時点で気を失っていたのが幸いしたようだ。

「もし人工呼吸が必要なら権利は謹んで貴方に進呈するよ」
「俺だって要るもんか。のし付けて返すぜ」
「にしても早々のイヴェントにストライク、すんごい確率だよねえ」

 言われてシドはポーカーフェイスの眉間に不機嫌を溜める。自分の与り知らぬ特異体質に言及されるのには、もうとっくにうんざりしているのだ。
 愛し人の不機嫌にハイファはそ知らぬ顔で雫の垂れる長い後ろ髪を絞った。

「でもこの程度で良かっ、たっ……ハックシュン!」
「やっぱりまだ海水浴には早かったみてぇだな。きたぞ」

 緊急音を鳴らして白地に赤い十字マークをペイントした救急BELが到着する。自殺に失敗した男は再生槽に放り込まれるまでもなく、自走担架に乗せられたままBELに収容された。
 なりゆき上、シドとハイファも付き添う。病院までは五分と掛からなかった。

「このリゾート地で真っ昼間に自殺とはなあ」
「冷たいようだけど、お節介焼いて事情まで知りたいなんて言い出さないでよ」
「まあ、せっかくの旅行だしな」

 フローライトホテルから十キロと離れていない、ジェダイド病院の救命救急室前のロビーで二人はベンチに座っていた。男の家族がやってくるまで待っている訳だが、『冷たい』と自分で評しながらも待つことを言い出したのもハイファだった。

 以前のハイファは冷たいときには本気で冷たく、ずぶ濡れで毛布を被ったまま他人を待つようなタイプの人間ではなかった。
 表面的にはひたすら明るく軽く、こういうことがあると、上から親切にも漬け物石のひとつやふたつは蹴り落とすくらいの奴だったのだ。

 黙ってにこにこと鬼畜だったのだが、変われば変わるもんだとシドは眺める。

 そのシドがずぶ濡れのハイファに家族待ちを許しているのは、条件反射でクシャミこそしていたものの、ハイファは元のスパイ稼業で様々な星系を巡っていたために免疫チップを体内に埋め込んでいて風邪を引かないのを知っているからだ。

 待つこと約二十分でようやく廊下の先から騒々しさが近づいてきた。やっと自殺未遂男の家族が到着したらしい。病院スタッフの制止も聞かず大した賑やかさとなる。

「アンタ、アンタ~っ!」

 幼い子供を背負った母ちゃんが病室に入っていくのを見送って二人は腰を上げた。
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