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第9話
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「おう、ボーッとしてないで、さっさと入れ」
「誰が先に仕掛けたと思ってんだよ」
言い返しつつシドはハイファと交互にリモータチェッカに左手首を翳した。マルチェロ医師も同様にする。マイクロ波でIDを受けたビルの受動警戒システムが瞬時に三人をX‐RAYサーチ、本人確認をした上で防弾仕様のエントランスを一人につき五秒間だけ開けた。
仰々しいセキュリティは仕方ない、ここに住んでいるのは平刑事や軍医だけではない。
後ろから人も詰まってきていて、三人はそそくさとロビーに足を踏み入れる。
エレベーターホールへと向かい、ロビーを縦断しながらハイファが訊いた。
「ねえ、先生。ご飯は基地で食べてきちゃった?」
「いや、帰ったらラーメンでも煮ようかと思ってるんだが」
「じゃあ、ウチで晩ご飯にしない?」
「いいな、それ。旨いもんはみんなで食おうぜ。で、メニューは何だよ?」
「シド、あーたに訊いてないんですけど。カレーとシチューとポトフと、どれがいい?」
「「カレー」」
子供のような二人の返事にハイファは笑いながらエレベーターに乗った。シドとマルチェロ医師に他の住人数名が続く。三人が降りたのは五十一階だった。廊下を突き当たりまで歩くと右のドアがシド、左のドアがハイファ、シドのひとつ手前がマルチェロ医師の自室である。
おまけに言えばハイファの隣人は同じ別室員のカール=ネスなる男だが、最近は見掛けないので何処かの星系で長期の任務にでも就いているのか、暢気なので原生動物にでも食われていないか、皆で心配しているところだ。
それはともかくハイファは、シドと今のような仲になってからバスルームでリフレッシャを浴びたり着替えたりする時以外のオフの時間の殆どを、シドの自室で過ごすようになっていた。
腹を空かせた男二人が待っているのだ、今日もシドの自室に直帰である。
「先生、すぐにこっちにきてね」
「まあ、そう急かしなさんなって」
「だって生のアレでお腹一杯にしちゃうんだもん」
「ああ、はいはい。了解、了解」
暢気に言いつつマルチェロ医師がシドを見て意味ありげに笑い、自室に消えるのを見送ってからシドは自室のドアロックをリモータで解いた。玄関に入るなりオスの三毛猫タマが何処からか走ってきて「ニャーン」と鳴く。
珍しく機嫌がいいタマにシドとハイファはホッとした。過去の別室任務に関わった挙げ句たらい回しになり、最後に『幻の愛媛みかん』の箱詰めになって二人の許に宅配されてきたタマは、非常に気の荒いケダモノなのだ。
そのときの送り主は『パラケルスス錬金術師組合』だった。他にもゲリラ的宅配便のバラエティとして『東インド会社』だの『ネクロノミコン書房』だのがあった。呑み場のノリで決めているとしか思えない。誰だか知らないが別室はふざけすぎである。
猫を買うのも高級な趣味である昨今だが、滅多にタマに癒されることのない二人は、珍しい現象に微笑まされながら靴を脱いで上がった。この官舎はどんな生活スタイルをとっても構わなかったが、シドは室内を土足厳禁にしている。
「腹減ったな、すぐにできるのか?」
「ライスはタイマーで炊けてるし、ルー入れて煮込むだけだから十五分待って」
「ふうん、十五分なあ……もうちょっと時間かけねぇか?」
「何言ってるのか分かんないんですけど」
タマがきて以来、毎朝シドの足を囓って起こすので二人は不健康なまでに早起きとなった。お蔭でハイファは朝食作りと平行して夕食の仕込みもできるようになったのだ。
だがまずは上がると遅くなってしまったタマの夕食である。
二人で手を洗うとシドがスープ皿の水替えをしている間に、ハイファが猫缶を取り出してカパリと開けた。タマはハイファの足に絡まってエラい騒ぎである。今日は天然魚グルメシリーズのカツオ半生タイプブロック入りを小皿に空けてやった。
ふんふんと匂いを嗅いでからタマはカツカツと食べ始める。シドがそっと三色の毛皮を撫でると、しっぽがボワッと膨らんだ。やはり野生のケダモノだ。
「さてと、今度は人間様のエサだね。シドはリフレッシャ、先に浴びてきてもいいよ」
「なら、言葉に甘えるか」
二人でジャケットを脱ぐと執銃を解く。
キッチンと続き間のリビングにあるソファセットのロウテーブルに銃を置いたまま、シドは対衝撃ジャケットをキッチンの椅子に掛けるとバスルームに向かった。衣服を勢いよく脱いで洗面所脇のダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込む。スイッチを入れておいてバスルームに入った。リフレッシャを作動させる。
温かな洗浄液を頭から浴び、黒髪からつま先までを洗うと、あまり濃くないヒゲも剃った。
《お前も器用な男だよな、ハイファ》
「んー、いきなりナニ?」
完全防音の部屋だが、建材に紛れた音声素子が声の周波数帯の音声を抽出するので、バスルームとキッチンでの会話が可能だ。だがシドは水音で聞こえづらく、少し大きな声を出す。
《いや、大ファサルートコーポレーションの代表取締役専務サマでカレーまで作れるんだからさ》
「カレーって失敗する方が難しいと思うけど」
《俺には不可能だもんよ。おまけに別室入りする前はスナイパー、その前はFCでマナー全般から帝王学までか》
「家庭教師にありとあらゆることを叩き込まれたけど、結局は十五歳で軍の少年工科学校に逃げたから、中途半端なんだよね」
《中途半端に見えねぇからすげぇよ》
熱い湯で泡を流しきり、バスルームをドライモードに切り替えたシドはバサバサと黒髪に温風を通し、バスルームを出た。寝室で下着と綿のシャツにコットンパンツを身に着ける。
キッチンに出て行くとカレーの魅力的な香りが充満していた。お蔭でシドの腹の虫は文句を垂れていたが、それを無視してシドはヒータの鍋に向かうハイファの背を抱き締める。
「ちょっ、シド。もう先生も来るんだから」
「大丈夫だって。気ぃ利かせてくれるって顔してたぜ」
「だからって、あ、ああん!」
薄い躰をすくい上げられてハイファは抵抗するも、シドは全く意に介さず軽々と運んで寝室のベッドに放り出した。
「誰が先に仕掛けたと思ってんだよ」
言い返しつつシドはハイファと交互にリモータチェッカに左手首を翳した。マルチェロ医師も同様にする。マイクロ波でIDを受けたビルの受動警戒システムが瞬時に三人をX‐RAYサーチ、本人確認をした上で防弾仕様のエントランスを一人につき五秒間だけ開けた。
仰々しいセキュリティは仕方ない、ここに住んでいるのは平刑事や軍医だけではない。
後ろから人も詰まってきていて、三人はそそくさとロビーに足を踏み入れる。
エレベーターホールへと向かい、ロビーを縦断しながらハイファが訊いた。
「ねえ、先生。ご飯は基地で食べてきちゃった?」
「いや、帰ったらラーメンでも煮ようかと思ってるんだが」
「じゃあ、ウチで晩ご飯にしない?」
「いいな、それ。旨いもんはみんなで食おうぜ。で、メニューは何だよ?」
「シド、あーたに訊いてないんですけど。カレーとシチューとポトフと、どれがいい?」
「「カレー」」
子供のような二人の返事にハイファは笑いながらエレベーターに乗った。シドとマルチェロ医師に他の住人数名が続く。三人が降りたのは五十一階だった。廊下を突き当たりまで歩くと右のドアがシド、左のドアがハイファ、シドのひとつ手前がマルチェロ医師の自室である。
おまけに言えばハイファの隣人は同じ別室員のカール=ネスなる男だが、最近は見掛けないので何処かの星系で長期の任務にでも就いているのか、暢気なので原生動物にでも食われていないか、皆で心配しているところだ。
それはともかくハイファは、シドと今のような仲になってからバスルームでリフレッシャを浴びたり着替えたりする時以外のオフの時間の殆どを、シドの自室で過ごすようになっていた。
腹を空かせた男二人が待っているのだ、今日もシドの自室に直帰である。
「先生、すぐにこっちにきてね」
「まあ、そう急かしなさんなって」
「だって生のアレでお腹一杯にしちゃうんだもん」
「ああ、はいはい。了解、了解」
暢気に言いつつマルチェロ医師がシドを見て意味ありげに笑い、自室に消えるのを見送ってからシドは自室のドアロックをリモータで解いた。玄関に入るなりオスの三毛猫タマが何処からか走ってきて「ニャーン」と鳴く。
珍しく機嫌がいいタマにシドとハイファはホッとした。過去の別室任務に関わった挙げ句たらい回しになり、最後に『幻の愛媛みかん』の箱詰めになって二人の許に宅配されてきたタマは、非常に気の荒いケダモノなのだ。
そのときの送り主は『パラケルスス錬金術師組合』だった。他にもゲリラ的宅配便のバラエティとして『東インド会社』だの『ネクロノミコン書房』だのがあった。呑み場のノリで決めているとしか思えない。誰だか知らないが別室はふざけすぎである。
猫を買うのも高級な趣味である昨今だが、滅多にタマに癒されることのない二人は、珍しい現象に微笑まされながら靴を脱いで上がった。この官舎はどんな生活スタイルをとっても構わなかったが、シドは室内を土足厳禁にしている。
「腹減ったな、すぐにできるのか?」
「ライスはタイマーで炊けてるし、ルー入れて煮込むだけだから十五分待って」
「ふうん、十五分なあ……もうちょっと時間かけねぇか?」
「何言ってるのか分かんないんですけど」
タマがきて以来、毎朝シドの足を囓って起こすので二人は不健康なまでに早起きとなった。お蔭でハイファは朝食作りと平行して夕食の仕込みもできるようになったのだ。
だがまずは上がると遅くなってしまったタマの夕食である。
二人で手を洗うとシドがスープ皿の水替えをしている間に、ハイファが猫缶を取り出してカパリと開けた。タマはハイファの足に絡まってエラい騒ぎである。今日は天然魚グルメシリーズのカツオ半生タイプブロック入りを小皿に空けてやった。
ふんふんと匂いを嗅いでからタマはカツカツと食べ始める。シドがそっと三色の毛皮を撫でると、しっぽがボワッと膨らんだ。やはり野生のケダモノだ。
「さてと、今度は人間様のエサだね。シドはリフレッシャ、先に浴びてきてもいいよ」
「なら、言葉に甘えるか」
二人でジャケットを脱ぐと執銃を解く。
キッチンと続き間のリビングにあるソファセットのロウテーブルに銃を置いたまま、シドは対衝撃ジャケットをキッチンの椅子に掛けるとバスルームに向かった。衣服を勢いよく脱いで洗面所脇のダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込む。スイッチを入れておいてバスルームに入った。リフレッシャを作動させる。
温かな洗浄液を頭から浴び、黒髪からつま先までを洗うと、あまり濃くないヒゲも剃った。
《お前も器用な男だよな、ハイファ》
「んー、いきなりナニ?」
完全防音の部屋だが、建材に紛れた音声素子が声の周波数帯の音声を抽出するので、バスルームとキッチンでの会話が可能だ。だがシドは水音で聞こえづらく、少し大きな声を出す。
《いや、大ファサルートコーポレーションの代表取締役専務サマでカレーまで作れるんだからさ》
「カレーって失敗する方が難しいと思うけど」
《俺には不可能だもんよ。おまけに別室入りする前はスナイパー、その前はFCでマナー全般から帝王学までか》
「家庭教師にありとあらゆることを叩き込まれたけど、結局は十五歳で軍の少年工科学校に逃げたから、中途半端なんだよね」
《中途半端に見えねぇからすげぇよ》
熱い湯で泡を流しきり、バスルームをドライモードに切り替えたシドはバサバサと黒髪に温風を通し、バスルームを出た。寝室で下着と綿のシャツにコットンパンツを身に着ける。
キッチンに出て行くとカレーの魅力的な香りが充満していた。お蔭でシドの腹の虫は文句を垂れていたが、それを無視してシドはヒータの鍋に向かうハイファの背を抱き締める。
「ちょっ、シド。もう先生も来るんだから」
「大丈夫だって。気ぃ利かせてくれるって顔してたぜ」
「だからって、あ、ああん!」
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