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第13話
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独りでバスと電車を乗り継ぎ県警本部に出勤した京哉は、そのまま本部長室に上がって必要書類などを受け取ると直ちに成田国際空港へと向かった。
またバスと電車を乗り継いで空港に到着したのは十一時前だった。乗り込む便は十三時発である。時間に余裕があるのを見取ってチケットのチェックインだけ済ませると、あとはずっと喫煙ルームで過ごした。その間もポケットの携帯を意識し続ける。
だが自分はこんなに霧島を思っているのに一度も霧島からの連絡がない。
もしかして潜入したカジノで身元がバレたのではないだろうか、などと考えて酷く不安になった。それでも自分から霧島に連絡するのは『過剰な思いやりの暴露』のような気がした。
こんな風に殺人任務から外されても霧島は喜ばない、そんなことは誰よりも京哉自身が分かっている。これは霧島に殺人までさせてしまったと思う自分が勝手に感じ続けている重みだ。
おそらく霧島の側は意識すらしていないだろう。いや、意識していても方向性が違う。こんなにグジグジ悩むのではなく意識するのは己の覚悟をどう貫くかのみ。
それでも京哉は霧島に人を殺めさせたくないし、そんなシチュエーションが訪れるたびに哀しさを覚えてしまう。代わりに自分が殺れるのならその方がずっとマシだと思っている。結果としてPTSDの高熱を発しても、それで済むなら構わない。
今回だって何とか独りでこなせそうな任務でホッとしたのだ。この先もこんな風にずっと避け得る訳ではないと思うが、なるべく霧島に殺人任務などさせたくない。
いつもいつもそうやって思ってきたけれど、今回は喧嘩というか意見の相違にかこつけて初めてそれが叶った訳だ。……言葉の壁は不安だったが。
けれど言葉の壁はまだ先なのに、今まで傍に当たり前にいた霧島の不在が堪らなく不安でもう我慢できなくなってしまい、こっそりショルダーバッグに入れてきた霧島のハンカチを取り出す。ブルー系で一見無地だが細くペイズリーの織り模様がストライプになった洒落たものだ。いかにも霧島らしい一枚を選んできたのである。
ハンカチにはブレナムブーケを一吹きしてあって、匂いに僅かながら落ち着いた。京哉は異常なまでに嗅覚が鋭い。オードトワレで普通なら数時間と保たない香りだがおそらく微かになら数日でも匂いを感じられるだろう。
出航四十分前にセキュリティチェックへと向かい、係員に日本政府とバルドール国軍発行の書類を提示して銃の持ち込みをクリアする。
ここから専属の係員がついてくれて出国審査もパスした。搭乗ゲートに並んでも携帯を意識していたが、ついにそれが震えることはなかった。退路を断ったも同然の自分からは連絡できない。
泣きたいような気持ちで飛行機のシートに腰掛ける。もう携帯の電源は切ってあった。備え付けの毛布を早々に被る。
ドレスシャツの胸ポケットに入れたハンカチの匂いを嗅ぎつつ京哉は目を瞑った。霧島が睡眠不足なら京哉も同様である。愛しい男がヤクザの手先を見張っているのだから、京哉が独りで安穏と眠っていられる訳がない。
しかし出航しても一向に眠りはやってこなかった。
(忍さんのバカ! ふざけるなよ、結局どっちが悪いと……いや、だから僕が忍さんに殺しをさせたくなかったのは僕の勝手なんだけどさ。でもたった一度だけ殺しを逃れてもなあ……)
既に自分の考えの浅はかさに頭を抱え、ますます眠気は遠ざかる。
(けど本気で置いてっちゃって、きっと怒ってるよなあ。帰って謝ったら許してくれるかなあ? バディもパートナーも解消なんて言われたらどうしよう?)
またも心が不安でいっぱいになった。霧島は怒っているだろう。自分は『一生、どんなものでも一緒に見てゆく』という二人の誓いまで破ってしまったし、『この先、お前独りにトリガを引かせない』と言った霧島にも誓いを破らせてしまったのだ。
確かに自分は霧島に対して負い目を感じている。だからといってこんなに不安でずっといられない。やはり傍に霧島がいなければ京哉も京哉らしくいられない。
あんなにバディは要らないと示されて悔しく哀しかったのに、何でバディとしての霧島の手を自分から離してしまったのか。自分の馬鹿さ加減に吐き気がした。
もう霧島に会いたくて堪らなかった。きつく抱き締められ、低く甘い声を聞き、長い指で髪を梳いて貰えたら、他には何も要らなかった。でも自分はあの温かな胸に、力強い腕の中に戻れるのだろうか。霧島を邪魔者扱いまでした自分が――。
目を瞑ったまま頭を振る。馬鹿でも何でも一人でバルドールの任務を遂行すると決めたのは自分だ。前回バルドールに行った際には内戦に巻き込まれ霧島は大怪我をした。二度とあんな目に遭わせたくはない。せめて今回だけは任務を完遂して帰ろう。
そこで京哉は狙撃の時と同様に、心音に合わせて呼吸を整え始める。心音三回でゆっくりと呼吸を繰り返した。暫く続けると徐々に心も静まってゆく。
銃口角度、六十分の一度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになる。一キロメートルで二十九センチ、無辜の他人に当ててしまいかねない致命的なずれだ。
幻の標的を思い浮かべながら京哉は、やがて浅い眠りに落ちていった。
またバスと電車を乗り継いで空港に到着したのは十一時前だった。乗り込む便は十三時発である。時間に余裕があるのを見取ってチケットのチェックインだけ済ませると、あとはずっと喫煙ルームで過ごした。その間もポケットの携帯を意識し続ける。
だが自分はこんなに霧島を思っているのに一度も霧島からの連絡がない。
もしかして潜入したカジノで身元がバレたのではないだろうか、などと考えて酷く不安になった。それでも自分から霧島に連絡するのは『過剰な思いやりの暴露』のような気がした。
こんな風に殺人任務から外されても霧島は喜ばない、そんなことは誰よりも京哉自身が分かっている。これは霧島に殺人までさせてしまったと思う自分が勝手に感じ続けている重みだ。
おそらく霧島の側は意識すらしていないだろう。いや、意識していても方向性が違う。こんなにグジグジ悩むのではなく意識するのは己の覚悟をどう貫くかのみ。
それでも京哉は霧島に人を殺めさせたくないし、そんなシチュエーションが訪れるたびに哀しさを覚えてしまう。代わりに自分が殺れるのならその方がずっとマシだと思っている。結果としてPTSDの高熱を発しても、それで済むなら構わない。
今回だって何とか独りでこなせそうな任務でホッとしたのだ。この先もこんな風にずっと避け得る訳ではないと思うが、なるべく霧島に殺人任務などさせたくない。
いつもいつもそうやって思ってきたけれど、今回は喧嘩というか意見の相違にかこつけて初めてそれが叶った訳だ。……言葉の壁は不安だったが。
けれど言葉の壁はまだ先なのに、今まで傍に当たり前にいた霧島の不在が堪らなく不安でもう我慢できなくなってしまい、こっそりショルダーバッグに入れてきた霧島のハンカチを取り出す。ブルー系で一見無地だが細くペイズリーの織り模様がストライプになった洒落たものだ。いかにも霧島らしい一枚を選んできたのである。
ハンカチにはブレナムブーケを一吹きしてあって、匂いに僅かながら落ち着いた。京哉は異常なまでに嗅覚が鋭い。オードトワレで普通なら数時間と保たない香りだがおそらく微かになら数日でも匂いを感じられるだろう。
出航四十分前にセキュリティチェックへと向かい、係員に日本政府とバルドール国軍発行の書類を提示して銃の持ち込みをクリアする。
ここから専属の係員がついてくれて出国審査もパスした。搭乗ゲートに並んでも携帯を意識していたが、ついにそれが震えることはなかった。退路を断ったも同然の自分からは連絡できない。
泣きたいような気持ちで飛行機のシートに腰掛ける。もう携帯の電源は切ってあった。備え付けの毛布を早々に被る。
ドレスシャツの胸ポケットに入れたハンカチの匂いを嗅ぎつつ京哉は目を瞑った。霧島が睡眠不足なら京哉も同様である。愛しい男がヤクザの手先を見張っているのだから、京哉が独りで安穏と眠っていられる訳がない。
しかし出航しても一向に眠りはやってこなかった。
(忍さんのバカ! ふざけるなよ、結局どっちが悪いと……いや、だから僕が忍さんに殺しをさせたくなかったのは僕の勝手なんだけどさ。でもたった一度だけ殺しを逃れてもなあ……)
既に自分の考えの浅はかさに頭を抱え、ますます眠気は遠ざかる。
(けど本気で置いてっちゃって、きっと怒ってるよなあ。帰って謝ったら許してくれるかなあ? バディもパートナーも解消なんて言われたらどうしよう?)
またも心が不安でいっぱいになった。霧島は怒っているだろう。自分は『一生、どんなものでも一緒に見てゆく』という二人の誓いまで破ってしまったし、『この先、お前独りにトリガを引かせない』と言った霧島にも誓いを破らせてしまったのだ。
確かに自分は霧島に対して負い目を感じている。だからといってこんなに不安でずっといられない。やはり傍に霧島がいなければ京哉も京哉らしくいられない。
あんなにバディは要らないと示されて悔しく哀しかったのに、何でバディとしての霧島の手を自分から離してしまったのか。自分の馬鹿さ加減に吐き気がした。
もう霧島に会いたくて堪らなかった。きつく抱き締められ、低く甘い声を聞き、長い指で髪を梳いて貰えたら、他には何も要らなかった。でも自分はあの温かな胸に、力強い腕の中に戻れるのだろうか。霧島を邪魔者扱いまでした自分が――。
目を瞑ったまま頭を振る。馬鹿でも何でも一人でバルドールの任務を遂行すると決めたのは自分だ。前回バルドールに行った際には内戦に巻き込まれ霧島は大怪我をした。二度とあんな目に遭わせたくはない。せめて今回だけは任務を完遂して帰ろう。
そこで京哉は狙撃の時と同様に、心音に合わせて呼吸を整え始める。心音三回でゆっくりと呼吸を繰り返した。暫く続けると徐々に心も静まってゆく。
銃口角度、六十分の一度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになる。一キロメートルで二十九センチ、無辜の他人に当ててしまいかねない致命的なずれだ。
幻の標的を思い浮かべながら京哉は、やがて浅い眠りに落ちていった。
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