C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

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第7話

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 貝崎市内から海沿いを南下し各港をチェックしてみたが収穫もなく、霧島と京哉は定時の十七時半前に県警本部の詰め所に戻った。

 詰め所は増員された隊員たちが多く戻ってきていて賑やかだった。その誰もが霧島の注文した幕の内弁当を頬張っている。夜食も含めて一日四食・三百六十五日ずっと近所の仕出し屋の幕の内なのに、若い隊長は迷うことを知らないからと皆が諦め随分経っていた。
 そんな皆に新入りで秘書の京哉は急いで茶を淹れ配給する。

 霧島と自分の分も茶を淹れるとメールチェックする霧島に念を押した。

「隊長、報告書の督促メールがもう四件溜まっている筈です。早急に対処願います」
「ああ、善処する」
「善処じゃだめです。終わらせないと今夜は帰しませんから」

 眉間にシワを寄せた霧島を見て隊員たちが飯粒を飛ばし笑い転げていた。

「『今夜は帰さないわよ、ダーリン』が出ましたっ!」
「今月に入って三回目だっけか?」
「一度は結局鳴海が代書したんだよな?」
「ダーリンと一緒に帰りたいばかりに嫁さんも必死だな」

 完全に他人事の皆に笑われて恥ずかしくもあったが、秘書としては手綱を緩める訳にいかない。なるべくしかつめらしい表情を崩さずに、既に何度も行方不明になった報告書類のファイルを隊長のノートパソコンにメール添付して送りつける。霧島はそれらを受けてムッとしたまま文書ソフトに向かい始めた。

 そこでふいに詰め所が静かになった。何事かと京哉が振り向くと詰め所の入り口に今朝下番して本日非番の筈の三班員・栗田くりた巡査部長が女子高生と共に立っていた。女子高生と分かったのはセーラー服を着ていたからだ。
 その制服が県内でも偏差値トップクラスと名高い私立篠坂しのさか高校のものだと京哉は見取る。

 そしてその女子高生は左腕をアームホルダーで首から吊っていた。

「どうした、栗田巡査部長?」
「ええとですね、隊長。話せば長いことながら――」
「――短く話せ」
「はい。知人を見舞いに白藤大学付属病院へ行き、ついでにバイク強盗に頭をガツンとやられたマル害の様子を見に行ったところ、この西原にしはら沙織さおり十七歳と出くわし、どうしても礼を言いたいと頼まれて連れてきたのであります」
「もうちょっと長くてもいい」
「えー、西原沙織さんは本日真城市内で発生したコンビニ立て籠もりのマル害です」

 あと一声と言いたい気持ちを皆が抑えて推測する。

 マル被に切られ白藤大学付属病院に送られた西原沙織は怪我の処置を受けたのち、この県警本部で事情聴取に臨んだ。
 その捜査一課の誰が口を滑らせたかマル被を撃ったSAT狙撃班員が機捜の人間だと知った。更にTVで今朝方バイク屋の店主が殴られ重体と報道している。
 そこで西原沙織は病院に戻って機捜の人間を捕まえるべく張り込みしていたのだ。

「なるほど。それで捕まったのが栗田巡査部長だったということか」

 バイク屋の店主と直接面識があったのが初動捜査を担当する機動捜査隊であり、その後も接触する可能性が高いと考えただけでなく、マル被を撃って自分を助けた人物について警察関係者に訊いて回っても保秘の観点から絶対に答えが得られないと心得ている辺り、なかなかに知識があり知恵も回る女子高生だと京哉は思う。

 だがここで『自分が撃ちました』と挙手するほど京哉はマヌケではない。今後もSAT狙撃班員として人を撃たねばならない以上、完全保秘は鉄則だ。
 決して表舞台に立つ訳には……と考えた時には既にその場の全員が京哉に目を向けていた。

 ここ暫くの忙しさで疲れの溜まった皆の視線を追って西原沙織が歩を進める。

「貴方、お名前は何とおっしゃるの?」

 暗澹たる思いでお嬢言葉の問いに答えた。

「……鳴海京哉です」
「西原沙織です。沙織と呼んで下さるかしら。今日は命を助けて頂きました」

 ゆっくりと頭を下げた沙織は京哉をじっと見返してにっこり笑う。健康的な肌の色に腰まで届く漆黒の長い髪。整った顔立ちは端的に言えば美人だが、そばかすが少し散っているのが愛嬌を醸している。不思議なほど女性率の低い機捜でコケティッシュな笑顔は異様に受けた。
 皆が身を乗り出して「おおーっ!」と意味の分からない溜息を洩らす。

 一方で京哉は霧島の視線を痛いくらいに感じながら、腕を切られて半日後に笑える女子高生の逞しさに驚いていた。それこそ目の前で人が撃たれたのも見た筈なのだ。

「失礼ですけど、こんなに小柄で綺麗な方が撃ったとは思ってもみませんでした」
「そうですか、これでも警察官ですから。もう日が暮れます。自宅にお帰り下さい」
「まあ、冷たいのね。そうでなければスナイパーなんてできないでしょうけれど」
「……っ!」

 そのイントネーションに京哉は思わず息を呑み身動きを止めた。霧島以外の皆は単にSAT狙撃班のことだと勝手に解釈したようだが、京哉には分かる。沙織は京哉が暗殺スナイパーだった事実を知った上で乗り込んできたのだ。

 冷ややかな言い種は挑戦的でもあった。

 だが沙織の意図が分からない。困惑してチラリと霧島に視線を向けると霧島は心得たように頷いた。しかし霧島が口を開く前に沙織は先手を打つように言い放つ。

「鳴海さん。お礼もここでは何ですから、お夕食をご馳走させて頂けないかしら?」
「高校生に奢られる趣味はないんで遠慮します」
「そう冷たくなさらないで。これでもわたし、アガサ商事の前会長の孫ですのよ」

 更に京哉の心拍数は跳ね上がった。アガサ商事の前会長は暗殺肯定派の指示により京哉が最後にスナイプを成功させた暗殺のターゲットだった。

 けれどスキャンダラスな殺され方はイコール『恨みを買っていた』と触れ回るようなもので、心当たりもあったらしくイメージからの悪影響を恐れたアガサ商事が会社ぐるみで事件を隠蔽した筈だ。そういう種類の人間が京哉の手掛けた暗殺ターゲットには多かったために殺人自体が表面化しなかった。

 故に立件に至るどころか警察も関知すらせず、射殺事件そのものが『なかった』のである。
 お蔭で警察上層部も現職警察官が暗殺スナイパーをしていた事実を隠蔽するのにそれほど苦労しなくて済んだだろう。実際ここ数ヶ月間、鼻の利くメディアにも嗅ぎつけられていない。

 それなのに何故ターゲットの孫である沙織が出てきたのか分からない。

 何処から洩れた?
 誰が洩らした? 
 
 大体、たまたま狙撃逮捕で助けた人間が京哉の秘密を知っていたなどという偶然はあり得ない。

 この件は早急に処理しなければ自分に安穏と眠れる日は二度と来なくなる――。
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