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第68話
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大音響を発する覆面は手下たちに囲まれていた。
黙ったまま霧島は殺気を振り撒いてそいつらを退け、リクライニングした助手席に京哉を寝かせて毛布ごとシートベルトをする。小田切が後部座席に収まると自分は運転席に収まってガツンとアクセルをベタ踏みした。
タイヤの焦げる臭いをさせて急発進し、門扉と生け垣の石畳を通り抜けると、とんでもないスピードで覆面を疾走させる。小田切が機捜専務系ではなく基幹系無線で指令センターと直接話し、救急搬送の受け入れ要請をした。
まもなく指令が下りて機捜本部から通信が入り、白藤大学付属病院が受け入れ準備を整えていると知らされる。そこまでたったの二十分という神業的な運転で霧島は救命救急センターの入り口に覆面を着けた。
すぐさま待機していた医師と看護師らが京哉をストレッチャに乗せ換え、救急処置室に入って行った。霧島の目前でベージュの扉が閉まる。
小田切と共に通路に取り残された霧島は落ち着きなく廊下を歩き回り始めた。ドレスシャツは京哉の血に塗れ、まるで霧島が怪我をしているようで、通りかかる患者や医療スタッフの目を惹いている。
傍にはベンチもあり小田切は座っていたが、霧島には腰を下ろす余裕もない。そんな状態で祈るように京哉の回復を信じて待ち続けた。
やがてストレッチャごと京哉は出てきたが今度は手術室に消える。京哉に家族はいないため保護者欄には霧島がサインした。ジャケットを返してくれた看護師に訊く。
「京哉の具合はどうなんだ?」
「大変申し上げづらいのですが、腸管を裂かれて腹膜炎を起こし重体です」
「そうか。忙しいのに悪かった」
手術室前にベンチはなく家族用の待機室で待つように言われた。ここでやっと霧島もパイプ椅子に腰掛ける。勿論小田切も一緒だ。何を喋るでもなかったが霧島は内心独りでなくて良かったと思う。だがつけあがると鬱陶しいので口には出さない。
手術自体は難しいものではなかったようで、二時間ほどで看護師から呼ばれた。
案内された小部屋で男二人は手術を執刀した医師から説明を受けた。
「急性腹膜炎であと少し遅れたら危なかった。運が良かった」
「有難うございます」
「あー、しかしですね、直腸や周囲の筋繊維がかなり裂かれていましてストーマ、いわゆる人工肛門にすることなく取り敢えず応急処置的手術をしました。ただ、元通りに近づけるには形成手術を受ける必要があります。おそらく一度では済まないと思われますので、どの程度まで戻すかはご家族で相談なさって下さい」
京哉の躰を見れば今回どんな目に遭ったのかだけでなく、普段から霧島とどういう関係なのかなど、プロの医師にはお見通しなのだろう。頷きながら聞く霧島に医師は淡々と告げた。
「入院期間は経過を見て決めますが現段階では二週間前後を予定しています。若いと治りも早いですからね。それとあとで精神科の医師を回しますから」
「精神科……?」
「患者さんはレイプの被害者でしょう。早期治療でPTSDを軽減するんですよ」
なるほどと思いながら礼を言い狭苦しい部屋をあとにする。待っていてくれた看護師について行くと京哉は外科病棟で普通に二人部屋に寝かされ点滴をされていた。
二人部屋だが幸い片側のベッドに住人がいなかったので、霧島はナースステーションに出向くと有料ながら付き添いのベッドを借り、食事も出して貰えるよう頼んだ。
そこで思い出して一ノ瀬本部長にこれまでの経緯をメールで送る。すぐに返信がきて【受傷した鳴海巡査部長においては快癒するまで全ての手続き及び必要諸経費等、任せられたし。霧島警視も扱いを同じとする】という有難い内容だった。
そんなやり取りをナースステーションの傍でしていると、看護師たちの黄色い声が聞こえてくる。霧島と小田切が目を向けると黄色い声は一層高くなった。他の患者の迷惑になるかと思い京哉の病室に戻ろうとしたが看護師たちから話しかけられる。
「鳴海さんは明日のお昼過ぎまで寝かせておく方針だからすぐには目覚めないわよ」
「ん、ああ。そうか」
「今のうちに帰って着替えて必要なものを持ってきたらどうかしら」
「ん、ああ。それもそうだな」
京哉に付き添っていたい思いから上の空の霧島だったが、知ってか知らずか看護師たちは書類を手渡しやたらと丁寧に説明してくれた。
要約すると京哉自身に関しては退院時の衣服があれば済むらしい。この白藤大学付属病院は最新システムを導入し、患者と家族に大変親切にできているのだ。
霧島は小田切に声を掛けた。
「ならば小田切、二時間ほど京哉を頼めるか?」
「ああ。頼まれなくても、様子を見ていてやりたいからね」
「悪戯などするなよ。まぶたに目を描くのもホクロにヒゲも禁止だぞ」
「俺は小学生じゃないっつーの!」
病室で京哉の顔を暫し眺めてから霧島は小田切に京哉の物が入った紙袋を返して貰い、あとを任せて外出した。まずは覆面で県警本部に向かう。
サイレンは鳴らさず、そこそこ交通法規を守って難なく辿り着くと本部長にICレコーダを提出した。京哉が命懸けで得た大事な音声データだ。
霧島もデータのコピーをフラッシュメモリに入れて手にする。
白いセダンに乗り替えて県警本部を出るとマンションに一旦帰る。
血だらけだったので簡単にシャワーを浴び、着替えて血の染みがついた一式をゴミ袋に押し込んだ。あとはショルダーバッグに自分の着替えや洗面道具を詰めて京哉の退院用のスーツをガーメントバッグに入れ、靴も一緒にする。部屋を出るとゴミを捨てて駐車場まで駆け足だ。
そこからは白いセダンで一路、病院に戻る。何事もなく京哉は眠っていたらしい。
「すまん、小田切。貴様はもういい」
「そうかい。じゃあ俺は退散するよ」
すんなり小田切は帰ろうとし、思いついたように何かを投げてきた。二個連続で飛んできたものを霧島は左手だけで次々キャッチする。それは煙草と使い捨てライターだった。
「大学時代は吸っていたと結城さんから聞いたからな」
「ふん、せっかく止めたというのに」
「常習しろとは言わないさ。ただそんな気分になる時だってあるだろ」
笑って小田切は片手を挙げると帰って行く。その背を見送るのもそこそこに霧島は京哉の枕元にパイプ椅子を置いて、眠り続ける年下の恋人の顔を眺め始めた。
けれど顔色は悪いがあまりに無垢な顔をして眠っているので、明日の午後から起こして現実に叩き落とすのが霧島は怖かった。
黙ったまま霧島は殺気を振り撒いてそいつらを退け、リクライニングした助手席に京哉を寝かせて毛布ごとシートベルトをする。小田切が後部座席に収まると自分は運転席に収まってガツンとアクセルをベタ踏みした。
タイヤの焦げる臭いをさせて急発進し、門扉と生け垣の石畳を通り抜けると、とんでもないスピードで覆面を疾走させる。小田切が機捜専務系ではなく基幹系無線で指令センターと直接話し、救急搬送の受け入れ要請をした。
まもなく指令が下りて機捜本部から通信が入り、白藤大学付属病院が受け入れ準備を整えていると知らされる。そこまでたったの二十分という神業的な運転で霧島は救命救急センターの入り口に覆面を着けた。
すぐさま待機していた医師と看護師らが京哉をストレッチャに乗せ換え、救急処置室に入って行った。霧島の目前でベージュの扉が閉まる。
小田切と共に通路に取り残された霧島は落ち着きなく廊下を歩き回り始めた。ドレスシャツは京哉の血に塗れ、まるで霧島が怪我をしているようで、通りかかる患者や医療スタッフの目を惹いている。
傍にはベンチもあり小田切は座っていたが、霧島には腰を下ろす余裕もない。そんな状態で祈るように京哉の回復を信じて待ち続けた。
やがてストレッチャごと京哉は出てきたが今度は手術室に消える。京哉に家族はいないため保護者欄には霧島がサインした。ジャケットを返してくれた看護師に訊く。
「京哉の具合はどうなんだ?」
「大変申し上げづらいのですが、腸管を裂かれて腹膜炎を起こし重体です」
「そうか。忙しいのに悪かった」
手術室前にベンチはなく家族用の待機室で待つように言われた。ここでやっと霧島もパイプ椅子に腰掛ける。勿論小田切も一緒だ。何を喋るでもなかったが霧島は内心独りでなくて良かったと思う。だがつけあがると鬱陶しいので口には出さない。
手術自体は難しいものではなかったようで、二時間ほどで看護師から呼ばれた。
案内された小部屋で男二人は手術を執刀した医師から説明を受けた。
「急性腹膜炎であと少し遅れたら危なかった。運が良かった」
「有難うございます」
「あー、しかしですね、直腸や周囲の筋繊維がかなり裂かれていましてストーマ、いわゆる人工肛門にすることなく取り敢えず応急処置的手術をしました。ただ、元通りに近づけるには形成手術を受ける必要があります。おそらく一度では済まないと思われますので、どの程度まで戻すかはご家族で相談なさって下さい」
京哉の躰を見れば今回どんな目に遭ったのかだけでなく、普段から霧島とどういう関係なのかなど、プロの医師にはお見通しなのだろう。頷きながら聞く霧島に医師は淡々と告げた。
「入院期間は経過を見て決めますが現段階では二週間前後を予定しています。若いと治りも早いですからね。それとあとで精神科の医師を回しますから」
「精神科……?」
「患者さんはレイプの被害者でしょう。早期治療でPTSDを軽減するんですよ」
なるほどと思いながら礼を言い狭苦しい部屋をあとにする。待っていてくれた看護師について行くと京哉は外科病棟で普通に二人部屋に寝かされ点滴をされていた。
二人部屋だが幸い片側のベッドに住人がいなかったので、霧島はナースステーションに出向くと有料ながら付き添いのベッドを借り、食事も出して貰えるよう頼んだ。
そこで思い出して一ノ瀬本部長にこれまでの経緯をメールで送る。すぐに返信がきて【受傷した鳴海巡査部長においては快癒するまで全ての手続き及び必要諸経費等、任せられたし。霧島警視も扱いを同じとする】という有難い内容だった。
そんなやり取りをナースステーションの傍でしていると、看護師たちの黄色い声が聞こえてくる。霧島と小田切が目を向けると黄色い声は一層高くなった。他の患者の迷惑になるかと思い京哉の病室に戻ろうとしたが看護師たちから話しかけられる。
「鳴海さんは明日のお昼過ぎまで寝かせておく方針だからすぐには目覚めないわよ」
「ん、ああ。そうか」
「今のうちに帰って着替えて必要なものを持ってきたらどうかしら」
「ん、ああ。それもそうだな」
京哉に付き添っていたい思いから上の空の霧島だったが、知ってか知らずか看護師たちは書類を手渡しやたらと丁寧に説明してくれた。
要約すると京哉自身に関しては退院時の衣服があれば済むらしい。この白藤大学付属病院は最新システムを導入し、患者と家族に大変親切にできているのだ。
霧島は小田切に声を掛けた。
「ならば小田切、二時間ほど京哉を頼めるか?」
「ああ。頼まれなくても、様子を見ていてやりたいからね」
「悪戯などするなよ。まぶたに目を描くのもホクロにヒゲも禁止だぞ」
「俺は小学生じゃないっつーの!」
病室で京哉の顔を暫し眺めてから霧島は小田切に京哉の物が入った紙袋を返して貰い、あとを任せて外出した。まずは覆面で県警本部に向かう。
サイレンは鳴らさず、そこそこ交通法規を守って難なく辿り着くと本部長にICレコーダを提出した。京哉が命懸けで得た大事な音声データだ。
霧島もデータのコピーをフラッシュメモリに入れて手にする。
白いセダンに乗り替えて県警本部を出るとマンションに一旦帰る。
血だらけだったので簡単にシャワーを浴び、着替えて血の染みがついた一式をゴミ袋に押し込んだ。あとはショルダーバッグに自分の着替えや洗面道具を詰めて京哉の退院用のスーツをガーメントバッグに入れ、靴も一緒にする。部屋を出るとゴミを捨てて駐車場まで駆け足だ。
そこからは白いセダンで一路、病院に戻る。何事もなく京哉は眠っていたらしい。
「すまん、小田切。貴様はもういい」
「そうかい。じゃあ俺は退散するよ」
すんなり小田切は帰ろうとし、思いついたように何かを投げてきた。二個連続で飛んできたものを霧島は左手だけで次々キャッチする。それは煙草と使い捨てライターだった。
「大学時代は吸っていたと結城さんから聞いたからな」
「ふん、せっかく止めたというのに」
「常習しろとは言わないさ。ただそんな気分になる時だってあるだろ」
笑って小田切は片手を挙げると帰って行く。その背を見送るのもそこそこに霧島は京哉の枕元にパイプ椅子を置いて、眠り続ける年下の恋人の顔を眺め始めた。
けれど顔色は悪いがあまりに無垢な顔をして眠っているので、明日の午後から起こして現実に叩き落とすのが霧島は怖かった。
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