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第57話

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 着替えと違法な証拠品でもある九ミリパラの紙箱が入ったショルダーバッグを担いだ京哉は、白藤市内の繁華街近くに建つ病院前で黒塗りを降りる間際に、花梨の額にキスをした。

「戻ってきてくれるわよね?」
「御坂さんが治ったら、多分ね」

 黒塗りの中から振り向いた花梨を見送るなり京哉は身を翻す。患者に融通を利かせてくれる個人経営で造りも立派な総合病院のエントランスに駆け込み、壁に貼られた案内図を見てエレベーターに乗ると病棟階のナースステーションに向かった。

 教えられた病室は六〇二号室、二人部屋だが霧島一人しか入っていなかった。
 眠っているだろうと思い、敢えてノックせずスライド式のドアを開ける。窓際のベッドで霧島は横になっているようだ。足音を忍ばせてそっと近づく。

 霧島の主な怪我は胸に受けた弾で右第五第六肋骨の二本が折れ、肺を傷つけたというものだった。内視鏡手術で肺の穴は塞いであり、手術痕の抜糸が済んだら胸に固定帯を巻くらしい。

 あとは右こめかみと左腕の傷で、こめかみはステリテープで処置済み、左腕は七針縫ったという。まさに満身創痍だが生きているのは間違いない。

 だがこの目で無事を確認したくて堪らなかった。やはり眠っていた霧島を枕元から覗き込むと同時に額に銃口が突き付けられている。人のことは言えない。息を呑んだ京哉の方は額に当てられた銃口近くに自分の銃口を直角に押し当てていた。

 それもトリガプルの軽いシングルアクション撃ちで霧島より早くトリガを引こうとハンマーまで起こしてある。直後に霧島は目を開けた。

「っと、脅かすんじゃない。そこまでするのは京哉、お前くらいだが」

 反射的に動いた霧島は枕の下に銃をしまう。京哉はデコッキングレバーを下げハンマーを戻してから銃をしまった。低い声が聴けて泣きたいほど嬉しくて、まず文句を垂れる。

「脅かしたのは貴方の方でしょう。ったく、あんな無茶して!」
「五月蠅いぞ。私は私でやると言った筈だ」

 かなりの出血だったとナースステーションで聞いていた。貧血か端正な顔はやや白い。だが口が減るほど具合は悪くなさそうで、一応の安堵をした京哉は溜息をつく。

「はあーっ。まだそんなこと言ってるんですか? 全く、見た目は爽やかなクセして何処まで粘着気質なんですか。本当に執念深い。土鍋性格にもほどがあるでしょう」
「お前は私を貶すためにきたのか? それで京哉、花梨はどうした?」
「取り敢えず貴方が治ったら多分戻るとは言っておきましたけど」
「そうか。だがせっかくの努力をふいにしたんじゃないのか?」

 黙って首を横に振った京哉は傍のパイプ椅子に腰を下ろした。そっと手を伸ばして霧島の右こめかみに貼られたガーゼのふちに触れ、寝乱れた黒髪を優しく撫でる。

「良かった、忍さんが生きててくれて」
「そう簡単に殺すんじゃない」
「だってフォーティーファイブですよ、脱皮するまで生えて来ないんですからね」
「私は甲殻類ではない。本当に貶しに来たんじゃないのか?」
「違います、訊きたくて……バディもパートナーも解消なんて言いませんよね?」
「さて、どうするか。キス一回で許すか」

 立ち上がった京哉はベッドの霧島の上に屈み込んで顔を下降させた。唇を触れ合わせ徐々に重みをかける。柔らかな霧島の舌が歯列を割り、口内に侵入して舌を求めてきた。与えると思いがけない激しさで絡め取られる。唾液を吸い上げられ、舌先を甘噛みされて京哉は喘いだ。

 更には逃れられないよう霧島の手に後頭部を押さえつけられて藻掻く。

「んっ、んんぅ……はあっ! 何でそんなに元気なんですか、貴方は!」
「何でも何も元気だからな」

 そこでガラガラと配膳車の近づく音がした。ノックされてスライドドアが開き看護師が夕食のトレイを持ってきてくれる。霧島は毛布を退けて無造作に身を起こした。その動きはスムーズだったが涼しい顔が僅かに歪むのを京哉は見逃さない。

「痛むんでしょう?」
「そうでもない。お前、飯は?」
「痛むんですね。売店で買ってきますから、ちょっとだけ待ってて下さい」

 同じ階の売店でサンドウィッチやおにぎりに飲料類を買った京哉は五分とかけずに戻る。一方の霧島の食事はおかゆに八宝菜など見事に全てがドロドロしていた。

「あーんしてあげましょうか?」
「飯くらい食える。けれどやはり不完全で立川のガードには戻して貰えんだろうな」
「そんな重傷で何を言っているんですか」
「だが偶然を利用して私たちは真王組に潜入を成し得たんだ。県警が新たに誰かを送り込むのは難しすぎる。何とかして真王組とのチャンネルは保っておくべきだろう」
「貴方はそんなことを考えずに寝てたらいいんです。これとこれも食べますか?」
「ああ、食う」

 二分かけず自分の食事を全て胃袋に流し込んだ霧島は、京哉の勧めた唐揚げおにぎりとハムチーズサンドも瞬殺で平らげる。それを横目に京哉は優雅なまでにゆっくりとタマゴサンドを食した。昆布おにぎりにも手を出すのを眺めながら京哉は霧島に訊いてみる。

「それでも忍さんはネタを掴んだんじゃないですか?」
「まあ、それなりにはな。何度か本部長にメール報告している。だがシャブ流通ルートを完全には掴めていない。ルートの図面完成まであと一歩というところでこれだ」
「なるほど。あと一歩だからこそ真王組とのチャンネルを保っておきたい、と」

 頷く霧島に京哉は微笑み、だが次には頭ごなしに言った。

「じゃあ今から本部長に貴方が負傷して任務継続は不可能だってメールしますから」

 問答無用でメールを打とうとする京哉の手を霧島は掴み、灰色の目でも留める。

「どうしてです、重傷の貴方は何れにせよ組長のガード任務からお払い箱の筈です」
「私はともかく、お前は花梨に戻ると言ったんじゃないのか?」
「そんなの方便ですよ。大体、貴方が治ったらって……全治どのくらいですか?」
「あー、確か十日間くらいか」
「割り引かずに」
「……一ヶ月」
「またそんな大怪我して。計算済みじゃない時の貴方は、他人のためにもう!」
「そうそう考え抜いてから動けるか、私だって人間だぞ」
「人間なら人間らしく診断通りに休んで下さい」
「でも内視鏡手術痕の抜糸が済んで固定帯を巻いたら退院していいと言っていた。不完全で組長ガードは無理でも、花梨のガードくらいなら務まるだろう」

 ごく軽く言ってのけた霧島に京哉はムッとした。全治一ヶ月の重傷でガード? ヤクザの本家にスパイ潜入? ふざけんなと思う。
 だが互いに頑固で押さえ付ければ余計に反発するのは分かっていた。しかし出て行けば霧島は涼しい顔で口癖の『大丈夫だ』と『問題ない』の大安売りをするのも目に見えている。

 結局は再潜入で話が進むのだ。仕方なく霧島を大人しくさせる代案を口にする。
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