Golden Drop~Barter.21~

志賀雅基

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第16話

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「おや、都会のお人みたいじゃないか。何の用だい?」
「車をお借りしたいんですが」

 婆さんは煮しめたような色合いの前掛けを揉みしだいた。

「ここからだと、まさかサモッラに入るってんじゃないだろうねえ?」
「だと、何か?」

 首を傾げた京哉に対し、ニヤリと婆さんは笑った。

「車一台、五千ドル。行き先がサモッラともなれば、プラス保険に五千ドルだよ」
「本気で言っているのか、ババア……んぐ」

 慌てて京哉は背伸びすると失礼な英語を吐いた霧島の口を塞ぐ。そんな二人の様子を婆さんはしたり顔で眺め、腰に手を当て胸を反らすようにして銀歯を煌めかせた。

「いやさ、何もあくどい商売してる訳じゃないんだ、こっちは。ちゃんと帰ってこれば保険料は払い戻すよ。どうだい、兄さんたち? それとも他に手があるのかい?」
「……じゃあ、それでお願いします」
「お代は今、頂くからね」

 本部長から預かってきたカードで一万ドルを京哉が払うと、店の裏に案内された。

「ガソリンは入ってるから、どれでも好きなのを乗ってきな」
「好きも何も……」

 呟いた京哉は霧島を窺う。霧島は破れたシートから緩衝剤の飛び出した、ボディもボコボコの車三台を前に、表情は涼しいまま内心猛烈に腹を立てていた。

「あ、これでいいです」

 バディの不機嫌を察して京哉は一番手前の、シートのややマシな一台を選ぶ。
 キィを貰うと一旦店に戻って缶の紅茶を二本、これも市価の三倍の値段で手に入れてから車に乗り込んだ。霧島が運転席、京哉がナビシートに収まると出発だ。

 いつもながら霧島の運転は安定していたが地面は悪路でガタつくのは仕方がない。それに小径いっぱいに走行していて対向車が来たらどうするのかと京哉は思った。

「どのくらいで着くのかなあ、お尻が痛くなりそうですよ」
「懐もだろう、あんなに簡単にボラれては。こんな車、買っても千ドルもせんぞ」
「あのお婆さんの言い分じゃないけれど、他に方法がありましたか? 大体、あんな所で揉めてる時間があるなら、さっさと帰りたいじゃないですか」

 ムッとした京哉は窓外を眺めながら煙草を吸い始める。その煙草を盗んで霧島まで運転しつつ吸い始めた。
 元々大学時代までは吸っていたのだが、現在に至っては特別任務で苛立つと吸いたくなるストレス性の喫煙症である。それはともかく頭を冷やすためでもあった。

 自分のカネでもなし、決してケチな訳でもない。納得すれば私財も惜しまない。だが遵法者として人の足元を見た商売が気に食わないのだ。
 ただ、その程度のことなど国外ではありふれているのも知っていた。

 故にそういう生き方をしなければ生きて行けない土壌や、更に踏み込んで商売でもなく他人の物を盗ったり、最悪の場合は命まで取る環境や状況が霧島には許せない。
 警察官としての霧島は何よりも人命を尊び護ることを実践していた、警察官の鑑と評される正義感の塊だったのだから。

 京哉はそんな風に霧島を理解していて苛つく年上の愛し人が煙を吐くのを窺う。

 だが正義感の塊である霧島は京哉と関わって特別任務を拝命するようになり、その任務を遂行する中で自分たち二人が死体にならず在るべき所に帰るためには、人を殺めなければならない場面に遭遇するようになった。 

 そのような真似を霧島にして欲しくないと京哉が思うのは当然で、互いに幾度も話し合い、結論が出せず任務中に京哉は自分一人で全てを背負おうとしたこともある。

 しかし涼しい顔を崩さぬまま霧島は胸中で考え抜いた挙げ句、ある任務中に京哉に決意を告げたのだ。自分たちは生きる側に回ると決めたのだと。

 殺されるくらいなら相手の命を叩き折ってでも生きる。二人一緒に過ごす一生ならば、そこまでしてでも生きる価値がある。そしてどうせ生きるのなら俯くのではなく、納得して真っ直ぐ前を向き二人で生きて行こうと。

 二人共に恥じないよう生き抜く覚悟。

 満天の星空の許で『生きるために同等の価値ある命の炎を吹き消すこと、その行為をを恥じないこと』を、さらりと口にした霧島がやはり悩み葛藤していたのだと知り、人命第一主義を貫く警察官・霧島忍警視としての理想をも共存させるつもりでいる男の強さと想いに京哉は涙しながら敬服したものだ。

 そして普段は迷うことを知らない霧島が自分なりに迷った上で腹を括った一方で、京哉は幾ら霧島が強くても己の望んだサツカンとしての理想から遥かにかけ離れた処で覚悟を決めずにいられなくなってしまったのは、やはりこの自分に関わってしまったからだ。
 そう京哉は思わずにいられなかった。

 その考えは長らく心に固着し、年上の愛し人と特別任務に就くたびに切なく想わない日はなかったと言っていい。
 けれど二人であらゆる経験をする間に考えが変わりつつある。それを京哉は徐々に自覚し始めていた。

 たびたび負い目を感じてしまうのは京哉の性格的に仕方がなかった。でもバディは対等イーヴンが基本であり、曲がりなりにもそれが成立し霧島が他の誰でもない京哉に背を預けてくれるのは、己の命を託すに足る男だと京哉を認めてくれているからだ。

 霧島忍という男に選ばれたのは京哉にとって何にも勝る誇りである。
 そして霧島は自身が選択して往くと決めた道なのだから、喩え京哉であっても責任を横取りし『僕のせい』などと言うのは失敬だとも京哉に告げた。

 言われた時はただ涙を流し感謝することしかできなかったが、今では誰より霧島のバディとしてふさわしいのは自分だという自負も生まれつつある。
 完全に負い目が消せた訳ではない上に、バディである前にパートナーなので互いが互いを過剰に護ろうとするのは当たり前で通常のバディシステムとは違うのだろうが、欠けた部分を補い合っている実感はあった。

 霧島はよく口にするのだ、『足して二で割れないのが私たちだ』と。

 ふいにそんなことをつらつらと甦らせながら黙って京哉は次の煙草を封切る。尾根で一時休憩をする頃には京哉が見るに霧島の機嫌も回復したらしい。

「あれがサモッラの街か」

 山並みはともかく街自体は高層建築が一切なく、そこも二次元的な土地のようだ。

「向こう三方を囲んでる緑が茶畑、でも少し手前にある赤い絨毯みたいなのは――」
「例の芥子畑だろうな」
「眺めはすごく綺麗。でも芥子以外は普通の街なのに何で皆が避けるんでしょう?」

「芥子畑があるんだ、それをシノギにするマフィアがいるからだろう」
「それにしたって大袈裟じゃないですか?」
「確かにそうだが、まあ、行ってみれば分かることだ」
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