Golden Drop~Barter.21~

志賀雅基

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第4話

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 急に京哉の全身から力が抜けて霧島は我に返る。
 前髪から滴る汗を拭いつつ、ぐったりした京哉をきちんと寝かせてやった。

 常のことながらまたも失神させてしまったのは分かっていたが、一応バイタルサインを看ると少し速いが正常範囲内でホッとする。身も心も満ち足りていて京哉の頬にキスを落とすと、ベッドから滑り降りて洗面所に向かった。

 湯で絞ったバスタオルで全身汚しきってしまった京哉の躰を拭いてやり、寝かせたまま濡れたシーツも器用に交換する。水のグラスをナイトテーブルに待機させ、添い寝をしてやっていると、まもなく京哉が目を見開いた。喉が嗄れて声も出ない様子なのも分かっているので口移しで水を飲ませて喘ぎ疲れた喉を潤してやる。

「ん、有難うございます。僕、また?」
「ああ、すまん。またやらかしてしまった」
「覚悟はしてましたから。でも、わあ、もう日が落ちてる」
「十九時だが、二十時の飯に食堂まで下りて行けそうか?」
「努力します」

 ここは四階建ての最上階だ。食事は運んで貰えるがそれも恥ずかしい。それまで足腰を休めるべく毛布を被って力を抜いた。一方の霧島は起きてフランス窓を開け、空気を入れ替えた。窓の外は切り立った崖で三十メートルほど下に黒々とした海が波頭を打ち寄せている。霧島会長が窓から釣りをしたいという馬鹿げた理由でここを建てたのだ。

 冬の海風でリフレッシュするとフランス窓を閉めて再び京哉の添い寝をする。
 そうして二十時の十分前になると京哉もゆっくり起き出し、霧島と共に衣服を身に着けた。ディナーなので一応ドレスシャツにタイも締め、ジャケットを羽織る。

 まだ足腰が据わらない京哉は霧島に腕を差し出され掴まっての移動だ。部屋を出てエレベーターで一階に降りる。小食堂ではタキシード姿の今枝が微笑んで一礼した。

 椅子を引かれて着席し食前酒アペリティフのシャンパンで乾杯した二人は、仲睦まじくディナーを開始する。だがサラダとスープを味わい、魚料理が出されたところで京哉の携帯が震えた。

「あ、一班長・竹内たけうち警部補からメールです。【白藤しらふじ市内で喧嘩が連続で二件発生。共に刃物を使用した傷害事件に発展、それぞれマル被二名が逃走中】ですって。どうしますか?」
「二班に呼集をかけて通常業務に、一班はそのまま案件に専属させてくれ」
「分かりました」

 機捜隊長や副隊長に秘書は内勤が主で定時に出勤・退庁し、土日祝日も休みだが、機捜隊員は普通の刑事と違い二十四時間交代という過酷な勤務体制で、この県警では全三班がローテーションで動いている。職務は覆面パトカーで密行警邏して、殺しや強盗タタキに放火その他の凶悪事件が起こった際に、いち早く駆けつけて初動捜査に当たることだ。

「失敗しました、僕もシャンパン飲んじゃって……すみません」

 県警本部もある白藤市は隣だったが、近いからといって飲んだ身で運転はできない。

「いや、謝るようなことではない。非番ではなく休日なのだからな」

 竹内一班長に連絡を入れたのちディナーを続行する。二人とも『運動』が効いているので食欲も旺盛に肉料理からデザートのショコラムースとベリーのアイスの盛り合わせまで綺麗に食し、ロビーに移動して霧島は食後酒ディジェスティフのブランデーを、京哉はコーヒーと煙草を味わった。
 霧島はペースも早かったが、殆ど酔わない体質なので京哉も心配はしない。

 玄関ホールに繋がるここはバーカウンターまでしつらえられ、調度が全て黒檀でソファは本革張り、足元は織り模様も繊細なペルシャ絨毯が敷かれているという豪華さである。
 だがクリーム色の壁と少し照度を落としたシャンデリアの光とが、京哉も落ち着ける極上の空間を作り出していた。そこで二人は静かに時間を過ごしてから四階の部屋に戻る。

 本来は隣が霧島の部屋なのだが涼しい顔でいつも京哉の部屋に入り浸りなのは今枝やメイドも知っていた。なので夜着の支度も京哉の部屋に二人分なされている。

「お風呂、忍さんが先でいいですよ」
「そう淋しいことを言うな。広いんだ、一緒に入って背中を流してやる」

「それって本当に背中を流すだけで済むんですか?」
「ふむ。では期待に応えてやる、来い!」

◇◇◇◇

 翌日は週明けで出勤のため六時半という早起きをした。運ばれたホットサンドとオムレツにスープとサラダ、コーヒーの食事をしっかり摂り、今枝とメイドが下がるとお揃いの白いシルクサテンのパジャマを脱いで着替える。ドレスシャツにスラックスを身に着けてタイも締めるとショルダーホルスタの銃も装着した。

 初動捜査専門の機捜は凶悪犯とばったり出遭うことも考慮され、職務中は銃の携行が義務付けられている。機捜隊員に携行が許されているのはシグ・ザウエルP230JPなる銃で使用弾は三十二ACP弾だ。薬室チャンバ一発マガジン八発の計九発を発射可能だが、そう威力は強くない上に弾薬は五発しか貸与されない。

 しかし二人が持っているのは同じシグ・ザウエルでもP226なる代物で合計十六発を発射可能な銃である。使用弾も九ミリパラベラムと少々強力だ。最初の頃は特別任務のたびに交換・貸与されていたが、いつの間にか十五発満タンのスペアマガジン二本と共に持たされっ放しになってしまったのである。

 過去の特別任務において県内の暴力団から恨みを買っている事実もあり、職務中以外でも銃を携帯する許可は県警本部長特令で下りていた。いや、許可というより『護身のために持ち歩け』という命令と殆ど変わらない状況である。

 ベルトの上からスペアマガジンパウチと手錠ホルダーに特殊警棒を着けた帯革を巻いて締め、ジャケットを羽織ると霧島はチェスターコート、京哉はダッフルコートを手にして出勤の準備は完了だ。今からなら焦らずとも着けるだろう。

 時刻は七時三十五分、二人はそれぞれの手を取るとペアリングにキスを落とし、微笑み合ってから部屋を出た。一階に降りて玄関ホールを出ると、車寄せには既に霧島の愛車の白いセダンが停められていた。エンジンも掛けられてエアコンも利いているようだ。
 そこで京哉は恒例のジャンケンをしようとしたが霧島は首を横に振った。

「お前はまだ足腰がつらいだろう。私が運転する」
「あ、はあ。すみません」

 今枝執事の前で言われて恥ずかしかったが事実なので仕方がない。京哉は素直に助手席に座る。霧島が運転席に滑り込むとモーニング姿の今枝が深々とお辞儀した。

「では、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」

 いつもの挨拶だったが今日から仕事が終わったらマンションに帰るつもりなのは互いに分かっている。マンションは白藤市を挟んで向こう隣の真城ましろ市にあった。
 それはともかくまずは出勤で、少し淋しげに見える今枝に二人は片手を挙げてから出発する。
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