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第34話

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「好きな得物を使っていい。但し経験もないブツで俺まで蜂の巣にしてくれるなよ」

 ついてきた皆が笑い、甘ったるいオイルの匂いの中で京哉は焦らずじっくり検分して回る。基本的に銃を扱えれば構わないのだろうが、それでは面白くないのがスナイパーである。そうして最終的に選んだのは特に大きなソフトケースの中身だった。

「いいのがあったのか?」

「英国のアキュラシー・インターナショナル社製AW50。使用弾薬は五十口径ブローニング・マシン・ガンで薬室チャンバ一発マガジン五発の六連発。ボルトアクションで有効射程は公称千五百メートルですけど、たぶん二キロ近くいけますよ」
「ふむ。しかし大きいな」

「アンチ・マテリアル・ライフル、対物ライフルですから。重量は約十四キロかな」
「その細腕でよくやるものだ。では私はスポッタだな」

 スナイプも基本的にバディで動く。一人は勿論スナイパー、もう一人はスポッタという観測手だ。様々に変わる条件をスナイパーに伝え、アシストしてスナイプ以外のことを考えさせず集中させるための女房役である。戦場では狙撃に集中するスナイパーの護衛であり、スナイパーが負傷した際のスペアでもあった。

 本来はスナイパーよりもスポッタの方が経験豊富な狙撃手であることが好ましい。だがこの二人では霧島に狙撃は無理な上、長年単独スナイプをこなしてきた京哉にはスポッタの至らなさをカヴァーして有り余る天与の才があった。何よりも『共にトリガを引く』とまで言ってくれた霧島が傍にいたら京哉はそれ以上何も望まない。

 いつもと逆転して女房役の霧島は既にレーザースコープと気象計を手に京哉の指示で50BMG弾が入った重たい箱を引っ張り出している。

 ショルダーバッグと弾薬箱を持った霧島は京哉がデスクで丁寧にAW50を分解して組み直すのを待った。ときに自分の命を預ける銃を自分で整備するのは鉄則である。ケチな筈のクインランがどうしてこんな代物をストックしていたのかは知らないが、殆ど死蔵品だったらしく京哉は汚れていない内部パーツに満足した。

 一方で高級品を引っ張り出されたクインラン側の四人は苦笑いし、雇用狙いの皆は女性と見紛うほどなよやかな男が今から撃とうというデカブツにざわめいていた。
 約十四キロもの重量物を京哉は軽々と持ち上げる。今朝まで足腰がガタついていたのが嘘のようだった。京哉はガンヲタの気があるため、重さの負担よりブツを手にした嬉しさでご機嫌なのだ。微笑みつつ大事に抱えて外に出ると霧島が続いた。

 先に四人の同輩が射座に上がった。標的システムは人型の板が現れるだけの簡素なものである。二人が数も多く出回っているアサルトライフルを、パットがサブマシンガンを、巨漢のドミニクに至っては通常二人で運用する重機関銃を手にしていた。

 アーマーベストの男が標的システムを操作する。
 四人は零点規制ゼロインなる調整をしたのち、それぞれ本格的に撃ち始めた。さすがに重機関銃の唸りは凄かったものの、屋外だからか霧島が予想していたほど喧しくはない。規格の違うエンプティケース、空薬莢が真鍮色を煌めかせ、暑い中で陽炎をまといつかせてバラ撒かれた。日本の自衛隊なら必ず回収される空薬莢もここでは消耗品だ。

 アサルトライフルの二人は落ち着いて五百メートルまで弾丸を標的に撃ち込んでいる。なかなか腕がいいなと霧島は眺めた。パットはサブマシンガンで有効射程の二百メートルまで奮戦し、ドミニクは一キロに届かないが一人でこれを扱うことが強みだろうか。

「さすがにみんなプロですよね」
「敵にもこういうのがいると思うと萎える気がするな」
「萎えてる場合じゃないですよ。次、僕らですからね」

 四人が射座から降りると交代だ。雑毛布を敷いた京哉が狙撃銃を置く。霧島が気象計を操作して緯度・経度・標高、風向・風速・気温・湿度・気圧などのデータを読み上げ、それを受けて京哉は携帯に入れてある弾道計算アプリケーションに数値を入力した。弾き出された計算結果が自分の勘と一致し安堵して銃付属のスコープを微調整する。

 スーツのジャケットを一旦脱いでショルダーホルスタを解いた。ジャケットを着直すと雑毛布の上に腹這いになって伊達眼鏡を外す。五発満タンのマガジンを狙撃銃に叩き込んでボルトを引き、チャンバに装填してもう一度マガジ
ンを抜く。減った一発を足してフルロードにし、バイポッドと呼ばれる二脚で立てた狙撃銃を構えた。

 選んだのは一番安定する伏射姿勢だ。上体を反らして起こし、右足は躰の軸からやや左に真っ直ぐ伸ばしている。左足は更に角度を付けて開くと余計な力を抜いた。肘をついてハンドガードを下から支えた左手とバイポッドで全長千三百五十ミリもある銃を保持した。しっかりと肩付けする。右手はグリップを握り、人差し指は勿論トリガへ。

 地面は土で湿気った暑さ、勘に従いスコープのダイアルを再び微調整し宣言した。

「一キロで零点規正ゼロインする」
「一キロ、コピー」

 低く張りのある声で霧島が復唱すると、アーマーベストの男が動いて掘っ立て小屋にある標的コントロールシステムを操作してくれた。遥か遠くに人型を描いた標的の板が立ち上がる。その距離にまた周囲はざわめいた。霧島の持つ高倍率スコープを使ってさえ豆粒以下に見えるそれは、京哉の銃付属のスコープでは米粒ほどに映っているだろうか。

 それでも霧島はバディの腕を疑っていない。落ち着いて自分の仕事をこなす。

「標的が現れた」

 低く通る声を轟音が掻き消した。屋外射撃は壁に反響しないので撃発音も乾いた短音に聞こえるものだが、AW50ほどの大口径になるとなかなか迫力ある音と同時に銃口から派手な火炎が吐かれる。三射で轟音は止み、京哉は右肩と右頬で挟むようにしていた銃を離した。息を詰め見守っていた周囲も眩いマズルフラッシュが収まり目を瞬かせる。

 高倍率レーザースコープを覗いている霧島が淡々と報告した。

「三射、オールヒット。オールハートショット」

 京哉にレーザースコープを渡してやる。確認した京哉は唇を尖らせた。

「うーん、右下に流れちゃったか」
「初弾から当ててきたのはさすがだが、納得していないんだな?」
「あと三射させて下さい。それから百刻みにいけるとこまで」
「ラジャー。無理はするな」

 再び射撃姿勢を取った京哉が澄んだ黒い瞳でスコープのアイピースを覗く。

 銃口角度の六十分の一度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになり、一キロメートルでは二十九センチものずれとなってしまうのだ。僅かな横風で数メートルも弾丸が流されるのは当たり前、超長距離狙撃ともなれば地球の自転によってコリオリの力までもが働き、弾丸が横方向に逸れる場合すらある。

 狙撃とはレティクルの十字にターゲットを合わせてトリガを引けばいいというものではないのだ。スポッタと連携して綿密に計算し細やかな調整をした上でスナイパーの腕と勘、センスがものを言う、静かに過酷な仕事なのである。

「標的が現れた」

 三回連続の轟音とマズルフラッシュ。軽い京哉の躰が前後に揺さぶられる。けれど躰と銃身バレルの軸は絶対にずらさない。強烈な反動は天性の勘が働いてタイミング良く銃本体と肩で吸収し、なお吸収しきれない衝撃は銃口の上下運動でコントロールしていた。

「ヒット。オールヘッドショット」

 百メートル刻みで一射ずつ、京哉は間を置かず撃ち込み始めた。呼吸と心臓の鼓動を合わせてトリガを引く時には呼吸を止める。僅かな吐息すら銃口角度に影響を及ぼすからだ。そうして呼吸を止め、心音の間にトリガを引けるのはたったの十秒が限界である。それ以上は脳が酸欠に陥って精確な照準ができなくなるのだ。

 そこまで繊細な作業ながら京哉は手にした狙撃銃のクセを既に掴み、集中し神経を研ぎ澄ませつつも、もう霧島と言葉を交わす余裕すら得ていた。

「暑いのはともかく、蒸れるし、ちょっと火薬の燃焼に難があるかも知れません」
「意外と距離が伸びないということか?」
「そうですね。50BMGは低伸性がいい、つまり低い弾道での射程が延びるタイプの弾薬なんです。だから世界的に有名な超長距離狙撃成功記録に載っている人たちも50BMGを使用してることが多いんですけれど。あとはここ、陽炎で見づらいですね」

「確かにな。それにジャングル戦でもない以上、敵からは見られやすいだろうしな」
「まあ、それはやっぱり距離でカヴァーするしかないですよね」

 暢気とも思える口調で話しながら京哉は二千メートルまで見事にクリアした。それ以上遠くには標的システムがなかったのだ。軽く溜息をついて立ち上がり、砂埃をはたき落としながら気付けばその場の全員がスコープを手にしている。

 一瞬後、盛大な拍手と歓声が湧いた。京哉は芝居がかった優雅な礼をしてみせる。
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