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第10話
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十秒も経たないうちにドアが開いて、のっそりとマルチェロ医師が顔を出す。濃い茶髪はボサボサ、自室にいるのにヨレた白衣を引っ掛けていた。
「何だ、やけに旨そうじゃねぇか。最後の晩餐か?」
「縁起でもねぇこと言わないでくれるか? 明日から出掛けるんだからよ」
「で、またタマをお願いしたいんだけど、いいかな?」
「あー、構いませんがね」
と、マルチェロ医師は白衣の袖からするりとメスを一本出し、ボタンから飛び出した糸をプツリと切りながら、呆れたような声を出す。
「お前さんらも懲りねぇなあ、また厄介事かい」
そのメスをプレートと交換に何となく受け取りつつ、シドは唸った。
「別に俺たちも好きで行く訳じゃねぇよ」
「じゃあ、明日の朝からで宜しくお願いします」
ハイファからプレートを手渡されながらマルチェロ医師がニヤリと笑う。
「俺が猫鍋を食いたくなる前に帰ってくるんだぞ」
やや顔をこわばらせたシドとハイファは手を振ってドアを閉めた。
「ラーメンじゃないのがリアル……明日の晩、冷え込まなきゃいいけど」
「お前も不吉なこと言うんじゃねぇよ。帰って食うぞ」
部屋に戻るとようやく夕食だ。ロングショットグラスにジントニックを作り、ハイファはシドに手渡した。
「へえ、解禁でいいんだな?」
体質的に全く酔わないものの、手術までした貧血患者だということで、ずっとハイファからアルコール禁止令を食らっていたのだ。
「出掛ける前の景気づけだよ。でも飲み過ぎないで」
「了解、了解。リフレッシャも浴びてあとは寝るだけ、お前も飲まねぇか?」
「貴方のは濃いから別に作るね」
結局ハイファは一杯だけ、シドは三杯空けて満腹になるまで食したが、それでも予想通りに大量の料理が余ることとなった。
キッチンで料理をこまめにパウチしながらハイファが声を投げる。
「暫く何にも作らなくても良さそう。好きなときに食べていいからね」
「ん……ああ」
リビングで煙草とコーヒーを交互に口に運びつつ、シドは欠伸を噛み殺している。
「眠たかったらちゃんとベッドに行ってよ、風邪引くから」
「んあ……何だろうな、この眠気は」
「だからベッド!」
「タマじゃねぇんだから『ハウス!』みたいに言うなよな」
文句を言いながらも眠気に勝てなくなったらしい、煙草を消すとシドはズルズルと寝室に引き上げた。その後ろ姿を見送ってハイファは溜息をつく。既にパジャマ着用、世話は要らないだろう。
ゆっくりと手作業を終えるとマグカップやコーヒーメーカまで洗浄機に入れて綺麗に片づけた。タマの皿にカリカリを山盛りにするとハイファは寝室を覗く。
ベッドに仰臥したシドは静かな寝息を立てていた。毛布も被っていない脇腹辺りにタマが丸くなっている。様子を窺いながらそっとタマを抱き上げ、シドに毛布を被せてからタマを戻した。枕元に腰掛ける。
シドはアルコールだけでなく薬の類にも並外れて強い体質、だが食事の間に効き始める筈の強烈な睡眠薬、通称・別室特製カクテルが全く効いてこないのには焦った。ジントニックのグラスに通常使用する倍量は仕込んだのだ。
イオタ星系第四惑星ラーンには自分独りで行くつもりだった。珍しくすっかり任務に乗り気になってしまっているシドは、嵌められたと知れば半端でなく怒るだろう。だがこんな状態のシドを危険に晒す訳にはいかない。
今までも別室任務でたびたび命の危機に陥ったことのあるシドである。あんな思いをするのは沢山だった。もう巻き込みたくはない。停戦中とはいえ、何が起こっても不思議ではないのだ。事実、六回も飽かずに戦闘を繰り返している。
シャープなラインを描くシドの頬にそっと触れた。そして肘から先のない腕にも。
「ごめんね、シド」
毛布の上から抱き締めてソフトキスを奪う。長めの前髪をかき分け……きりがない。立ち上がった。リモータで天井のライトパネルを常夜灯モードにする。
「タマ、シドを頼むね」
この分なら明日の昼頃までぐっすり眠っているだろう。足音を忍ばせて寝室をあとにした。
シドの部屋をロックし向かいの自室に戻って着替える。迷ったがテラ連邦軍の戦闘服などを着ていくのも馬鹿げているように思い、結局はいつものドレスシャツにソフトスーツ、ノータイだ。
執銃してベルトに二本のマガジンパウチを着ける。中には満タンのスペアマガジンを入れた。銃本体と合わせ、五十二発のフル装備だ。
ポケットにはハンカチとティッシュにナノチップ付きの警察手帳である。
いつも別室任務で出掛ける際には着替えと共に九ミリパラの予備もショルダーバッグに入れて持ち歩くのだが、できるだけ早く帰ってくるつもりで手ぶらで出ることにする。
リモータを見ると二十時十七分だ。髪を銀の金具でカチンと留めると急いで自室を出てロックした。エレベーターに向かう。
単身者用官舎ビルの屋上は定期BELの停機場になっている。毎時間三十分には定期BELが宙港に向けて出るのだ。
屋上に上がると既に定期BELはスタンバイしていた。キャビンアテンダントの掲げたチェックパネルにリモータを翳し、料金を支払ってシートに収まった。
まもなくタラップドアが閉められ、屋上の風よけドームが開くと、定期BELはセントラルエリアの騒々しい明かりを溜め込んだ夜空へと駆け立つ。
高々度での巡航速度はマッハ二を超えるBELだ。直行すれば宙港まで三十分だが、この定期BELは低空を飛びつつ各停機場を巡ってゆくので宙港までは一時間半掛かる。その間ハイファは眠る努力をしたが一向に眠気はやってこなかった。
宙港メインビル屋上に定期BELが辿り着くと、この時間帯にしては多く感じられる客らと共に二階ロビーフロアに降りた。まずは土星の衛星タイタンに行かなければならない。
タイタンには太陽系のハブ宙港があり、第一宙港から第七宙港までの何れかを通らなければ太陽系内外の何処にも行けないシステムになっていた。
何台も並んだ自販機でチケットを買い、シートをリザーブしてリモータに流すと、すぐにシャトル便に乗り込みだ。本星・タイタン間のシャトル便は二階ロビーフロアに直接エアロックを接続するので、乗り込みも容易である。
ここでもチェックパネルにリモータを翳し、別室から流された他星系でも通じる武器所持許可証とチケットを認識させてクリア、エアロックをくぐって客室のシートに腰掛けた。
シャトル便は通常航行二十分で一回のショートワープ、更に通常航行二十分の、計四十分でタイタン第一宙港に着く。
キャビンアテンダントが配るワープ宿酔止めの白い錠剤を嚥下し、窓外の夜を眺める。普段ならシドが窓側にいる筈で、違和感が拭えない。
アナウンスが入って二十二時二十分発のシャトル便は出航、ハイファは黒い空がより濃い漆黒となり、星々がシンチレーションを止めて美しく輝きだすのを身じろぎもせずに見続けた。
それにも飽きると再び眠る努力をしてみる。
狙撃のときと同じ要領で躰から力を抜き、呼吸を心音に合わせて整えた。
軍の幹部候補生課程を十八歳という異例の若さで修了したハイファは、別室にスカウトされる前の二年間、スナイパーをやっていたのだ。
幻の標的をまぶたの裏に思い浮かべ、ゆったりと心音三回ごとに吸っては吐く。
銃口、六十分の一度の角度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになる。一キロメートルで約三十センチ、致命的なずれだ。
時折、息を止めてみる。呼吸を止め、心音と心音の間にトリガを引けるのは十秒が限界、それ以上は脳が酸欠に陥って精確な狙いがつけられなくなる。
何とも言えない妙な気分をねじ伏せ幻の標的を見つめていると、躰が砂の如く四散してゆくような不可思議な感覚を味わった。ショートワープである。あと二十分だ。
「お姉ちゃん、何処に行くの?」
訊かれたのが自分だとは咄嗟に思わなかった。そもそも隣のシートに子供が座っているのも気付いていなかったのだ。ソフトスーツの右腕に触れられ、思わずビクリとして振り返る。
「すみません。ジュリア、いい子にしていなさい」
通路を挟んだシートに母親らしき女性が座り、ハイファに申し訳なさそうな顔をしていた。ジュリアと呼ばれたテラ標準歴で五、六歳の女の子と母親は大層似ている。二人ともブルネットで肩に付くくらいのふわふわの髪をしていた。
「構いませんよ」
「あら、男の方……すみません」
重ねて謝られ、女性にも女の子にも微笑んでみせる。
「お兄ちゃん?」
「そうだよ。ジュリアは何処に行くのかな?」
「わたし、フレイアのキエラに行くの」
「へえ、僕も一緒だよ」
フレイア星系第三惑星フノスの首都がキエラだ。ハイファもそこで一泊する予定だった。
「お兄ちゃんも一緒? すごい、ぐうぜんだね」
「ふふ、偶然かあ。ジュリアは眠くないの?」
「まだだいじょうぶ。でもワープラグになるから、フノス行きの宙艦では寝なさいって」
ワープラグとは他星に行った際の時差ぼけのことだ。
ジュリアの相手をしている二十分はすぐだった。シャトル便は無事にタイタン第一宙港へと到着し、二階ロビーフロアにエアロックを接続した。
フレイア星系便は第二宙港から出るため、ハイファは乗客の列に並んでエアロックを抜けると、急ぎ気味にエレベーターで宙港メインビルの屋上階へと上がる。屋上には各方面行きの定期BELが乗客を待ち受けていた。
タイタンの自転周期は約十六日だ。土星の影に入ることもあるので一概には云えないが、通常ならば昼が約八日、夜が約八日続く。今は昼のフェイズだが太陽から遠いために屋上から眺める空は夕闇の暗さだった。だが発電衛星からアンテナで取り込んだ電力は豊富、明かりはこれでもかと灯っていて視界に不自由はない。
第二宙港行きの定期BELに乗り込むと、こちらから特に合わせようともせず、ジュリアたちとはかなり遠くに空いた席を見つけて腰を下ろした。
ここでの行程はたった十五分ほど、第二宙港に着くと早速自販機でフレイア星系便のチケットを押さえる。現在時二十三時三十分、出航は零時二十分だ。
通関はギリギリの二十分前と決め、ハイファは喫煙ルームに向かった。シドがいないので用はないのだが、足が勝手に動いていたのだ。
仕方なくオートドリンカにリモータを翳し、省電力モードから息を吹き返させると冷たいコーヒーを一本手に入れる。ついでにシドの吸っている銘柄の煙草もひとつ買ってポケットに入れた。
ベンチに腰掛けてコーヒーを飲む。もう無駄な努力は止め、できるだけ起きていてフノスでホテルに着いたら眠ろうと思っていた。
よく眠りさえすれば二十四時間も空けなくても目的のイオタ星系便に乗れるだろう。
「何だ、やけに旨そうじゃねぇか。最後の晩餐か?」
「縁起でもねぇこと言わないでくれるか? 明日から出掛けるんだからよ」
「で、またタマをお願いしたいんだけど、いいかな?」
「あー、構いませんがね」
と、マルチェロ医師は白衣の袖からするりとメスを一本出し、ボタンから飛び出した糸をプツリと切りながら、呆れたような声を出す。
「お前さんらも懲りねぇなあ、また厄介事かい」
そのメスをプレートと交換に何となく受け取りつつ、シドは唸った。
「別に俺たちも好きで行く訳じゃねぇよ」
「じゃあ、明日の朝からで宜しくお願いします」
ハイファからプレートを手渡されながらマルチェロ医師がニヤリと笑う。
「俺が猫鍋を食いたくなる前に帰ってくるんだぞ」
やや顔をこわばらせたシドとハイファは手を振ってドアを閉めた。
「ラーメンじゃないのがリアル……明日の晩、冷え込まなきゃいいけど」
「お前も不吉なこと言うんじゃねぇよ。帰って食うぞ」
部屋に戻るとようやく夕食だ。ロングショットグラスにジントニックを作り、ハイファはシドに手渡した。
「へえ、解禁でいいんだな?」
体質的に全く酔わないものの、手術までした貧血患者だということで、ずっとハイファからアルコール禁止令を食らっていたのだ。
「出掛ける前の景気づけだよ。でも飲み過ぎないで」
「了解、了解。リフレッシャも浴びてあとは寝るだけ、お前も飲まねぇか?」
「貴方のは濃いから別に作るね」
結局ハイファは一杯だけ、シドは三杯空けて満腹になるまで食したが、それでも予想通りに大量の料理が余ることとなった。
キッチンで料理をこまめにパウチしながらハイファが声を投げる。
「暫く何にも作らなくても良さそう。好きなときに食べていいからね」
「ん……ああ」
リビングで煙草とコーヒーを交互に口に運びつつ、シドは欠伸を噛み殺している。
「眠たかったらちゃんとベッドに行ってよ、風邪引くから」
「んあ……何だろうな、この眠気は」
「だからベッド!」
「タマじゃねぇんだから『ハウス!』みたいに言うなよな」
文句を言いながらも眠気に勝てなくなったらしい、煙草を消すとシドはズルズルと寝室に引き上げた。その後ろ姿を見送ってハイファは溜息をつく。既にパジャマ着用、世話は要らないだろう。
ゆっくりと手作業を終えるとマグカップやコーヒーメーカまで洗浄機に入れて綺麗に片づけた。タマの皿にカリカリを山盛りにするとハイファは寝室を覗く。
ベッドに仰臥したシドは静かな寝息を立てていた。毛布も被っていない脇腹辺りにタマが丸くなっている。様子を窺いながらそっとタマを抱き上げ、シドに毛布を被せてからタマを戻した。枕元に腰掛ける。
シドはアルコールだけでなく薬の類にも並外れて強い体質、だが食事の間に効き始める筈の強烈な睡眠薬、通称・別室特製カクテルが全く効いてこないのには焦った。ジントニックのグラスに通常使用する倍量は仕込んだのだ。
イオタ星系第四惑星ラーンには自分独りで行くつもりだった。珍しくすっかり任務に乗り気になってしまっているシドは、嵌められたと知れば半端でなく怒るだろう。だがこんな状態のシドを危険に晒す訳にはいかない。
今までも別室任務でたびたび命の危機に陥ったことのあるシドである。あんな思いをするのは沢山だった。もう巻き込みたくはない。停戦中とはいえ、何が起こっても不思議ではないのだ。事実、六回も飽かずに戦闘を繰り返している。
シャープなラインを描くシドの頬にそっと触れた。そして肘から先のない腕にも。
「ごめんね、シド」
毛布の上から抱き締めてソフトキスを奪う。長めの前髪をかき分け……きりがない。立ち上がった。リモータで天井のライトパネルを常夜灯モードにする。
「タマ、シドを頼むね」
この分なら明日の昼頃までぐっすり眠っているだろう。足音を忍ばせて寝室をあとにした。
シドの部屋をロックし向かいの自室に戻って着替える。迷ったがテラ連邦軍の戦闘服などを着ていくのも馬鹿げているように思い、結局はいつものドレスシャツにソフトスーツ、ノータイだ。
執銃してベルトに二本のマガジンパウチを着ける。中には満タンのスペアマガジンを入れた。銃本体と合わせ、五十二発のフル装備だ。
ポケットにはハンカチとティッシュにナノチップ付きの警察手帳である。
いつも別室任務で出掛ける際には着替えと共に九ミリパラの予備もショルダーバッグに入れて持ち歩くのだが、できるだけ早く帰ってくるつもりで手ぶらで出ることにする。
リモータを見ると二十時十七分だ。髪を銀の金具でカチンと留めると急いで自室を出てロックした。エレベーターに向かう。
単身者用官舎ビルの屋上は定期BELの停機場になっている。毎時間三十分には定期BELが宙港に向けて出るのだ。
屋上に上がると既に定期BELはスタンバイしていた。キャビンアテンダントの掲げたチェックパネルにリモータを翳し、料金を支払ってシートに収まった。
まもなくタラップドアが閉められ、屋上の風よけドームが開くと、定期BELはセントラルエリアの騒々しい明かりを溜め込んだ夜空へと駆け立つ。
高々度での巡航速度はマッハ二を超えるBELだ。直行すれば宙港まで三十分だが、この定期BELは低空を飛びつつ各停機場を巡ってゆくので宙港までは一時間半掛かる。その間ハイファは眠る努力をしたが一向に眠気はやってこなかった。
宙港メインビル屋上に定期BELが辿り着くと、この時間帯にしては多く感じられる客らと共に二階ロビーフロアに降りた。まずは土星の衛星タイタンに行かなければならない。
タイタンには太陽系のハブ宙港があり、第一宙港から第七宙港までの何れかを通らなければ太陽系内外の何処にも行けないシステムになっていた。
何台も並んだ自販機でチケットを買い、シートをリザーブしてリモータに流すと、すぐにシャトル便に乗り込みだ。本星・タイタン間のシャトル便は二階ロビーフロアに直接エアロックを接続するので、乗り込みも容易である。
ここでもチェックパネルにリモータを翳し、別室から流された他星系でも通じる武器所持許可証とチケットを認識させてクリア、エアロックをくぐって客室のシートに腰掛けた。
シャトル便は通常航行二十分で一回のショートワープ、更に通常航行二十分の、計四十分でタイタン第一宙港に着く。
キャビンアテンダントが配るワープ宿酔止めの白い錠剤を嚥下し、窓外の夜を眺める。普段ならシドが窓側にいる筈で、違和感が拭えない。
アナウンスが入って二十二時二十分発のシャトル便は出航、ハイファは黒い空がより濃い漆黒となり、星々がシンチレーションを止めて美しく輝きだすのを身じろぎもせずに見続けた。
それにも飽きると再び眠る努力をしてみる。
狙撃のときと同じ要領で躰から力を抜き、呼吸を心音に合わせて整えた。
軍の幹部候補生課程を十八歳という異例の若さで修了したハイファは、別室にスカウトされる前の二年間、スナイパーをやっていたのだ。
幻の標的をまぶたの裏に思い浮かべ、ゆったりと心音三回ごとに吸っては吐く。
銃口、六十分の一度の角度のぶれが百メートルで二十九ミリのずれになる。一キロメートルで約三十センチ、致命的なずれだ。
時折、息を止めてみる。呼吸を止め、心音と心音の間にトリガを引けるのは十秒が限界、それ以上は脳が酸欠に陥って精確な狙いがつけられなくなる。
何とも言えない妙な気分をねじ伏せ幻の標的を見つめていると、躰が砂の如く四散してゆくような不可思議な感覚を味わった。ショートワープである。あと二十分だ。
「お姉ちゃん、何処に行くの?」
訊かれたのが自分だとは咄嗟に思わなかった。そもそも隣のシートに子供が座っているのも気付いていなかったのだ。ソフトスーツの右腕に触れられ、思わずビクリとして振り返る。
「すみません。ジュリア、いい子にしていなさい」
通路を挟んだシートに母親らしき女性が座り、ハイファに申し訳なさそうな顔をしていた。ジュリアと呼ばれたテラ標準歴で五、六歳の女の子と母親は大層似ている。二人ともブルネットで肩に付くくらいのふわふわの髪をしていた。
「構いませんよ」
「あら、男の方……すみません」
重ねて謝られ、女性にも女の子にも微笑んでみせる。
「お兄ちゃん?」
「そうだよ。ジュリアは何処に行くのかな?」
「わたし、フレイアのキエラに行くの」
「へえ、僕も一緒だよ」
フレイア星系第三惑星フノスの首都がキエラだ。ハイファもそこで一泊する予定だった。
「お兄ちゃんも一緒? すごい、ぐうぜんだね」
「ふふ、偶然かあ。ジュリアは眠くないの?」
「まだだいじょうぶ。でもワープラグになるから、フノス行きの宙艦では寝なさいって」
ワープラグとは他星に行った際の時差ぼけのことだ。
ジュリアの相手をしている二十分はすぐだった。シャトル便は無事にタイタン第一宙港へと到着し、二階ロビーフロアにエアロックを接続した。
フレイア星系便は第二宙港から出るため、ハイファは乗客の列に並んでエアロックを抜けると、急ぎ気味にエレベーターで宙港メインビルの屋上階へと上がる。屋上には各方面行きの定期BELが乗客を待ち受けていた。
タイタンの自転周期は約十六日だ。土星の影に入ることもあるので一概には云えないが、通常ならば昼が約八日、夜が約八日続く。今は昼のフェイズだが太陽から遠いために屋上から眺める空は夕闇の暗さだった。だが発電衛星からアンテナで取り込んだ電力は豊富、明かりはこれでもかと灯っていて視界に不自由はない。
第二宙港行きの定期BELに乗り込むと、こちらから特に合わせようともせず、ジュリアたちとはかなり遠くに空いた席を見つけて腰を下ろした。
ここでの行程はたった十五分ほど、第二宙港に着くと早速自販機でフレイア星系便のチケットを押さえる。現在時二十三時三十分、出航は零時二十分だ。
通関はギリギリの二十分前と決め、ハイファは喫煙ルームに向かった。シドがいないので用はないのだが、足が勝手に動いていたのだ。
仕方なくオートドリンカにリモータを翳し、省電力モードから息を吹き返させると冷たいコーヒーを一本手に入れる。ついでにシドの吸っている銘柄の煙草もひとつ買ってポケットに入れた。
ベンチに腰掛けてコーヒーを飲む。もう無駄な努力は止め、できるだけ起きていてフノスでホテルに着いたら眠ろうと思っていた。
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