上 下
1 / 47

第1話

しおりを挟む
「くそう、まだ降ってんのかよ。気象制御装置ウェザコントローラはどうなってんだ?」

 行きつけの店リンデンバウムで昼食を摂り終え、合板のドアを開けるなりシドは愚痴を垂れた。続いて出てきた相棒バディのハイファが気象情報にアクセスし検索結果を読み上げる。

「十時から午前零時まで断続的な大雨を小雨に変更だってサ」
「ンなモン分かってる。梅雨時だしな」
「じゃあ、訊かないでよ。……傘も差せないしねえ」

 傍らのシドをハイファは見つめた。
 何の雨対策もせずに濡れているこの男は本名をシド=ワカミヤ、若宮わかみや志度しどという。
 ラストAD世紀、三千年前の大陸大改造計画以前に存在した旧東洋の島国出身者の末裔である。その特徴は色濃く残り、前髪が長めの艶やかな髪も切れ長の目も黒い。

 身に着けているのはラフな綿シャツにコットンパンツで、裾が長めのチャコールグレイのジャケットを羽織っていた。このジャケットは特注品で、四十五口径弾をぶち込まれても余程の至近距離でもなければ打撲程度で済ませる対衝撃ジャケットだ。生地はレーザーの射線もある程度弾くシールドファイバで、命の代償六十万クレジットの品である。外出時には必需品、シドの制服だった。

 そんなものを着て歩かなければならないくらい日々がクリティカルなシドだが、いかつい強面という訳ではなく、造作は極めて整っていて男らしくも端正だ。

 そして何より嬉しいことに左薬指にはハイファとお揃いのリングが嵌っている。

「お前それ、暑くねぇか?」

 シドと違い、ハイファはレインコートでガードしていた。

「そうでもないよ。それより貴方、風邪引かないでよね」
「寒くもねぇのに引かねぇよ」

 そぼ降る雨の中、ファイバブロックの道を歩き出しながら、自分に心配げな目を向けてくるハイファをポーカーフェイスながら僅かに笑みを浮かべてシドは見返した。
 ハイファ、本名をハイファス=ファサルートいう。

 レインコートの下で細く薄い躰を包むのは上品なドレスシャツとソフトスーツだ。タイは締めていない。シャギーを入れた明るい金髪は後ろ髪だけ長く、うなじの辺りで束ねて銀の留め金でしっぽにしている。しっぽの先は腰の辺りまで届いていた。瞳は優しげな若草色だ。
 ノーブルな顔立ちは文句なく美人だが正真正銘の男である。

「何、どうしたの?」
「いや、何でこんなことになっちまったかなって」
「こんなことって……僕のこと? まさか急に男は嫌だとか言い出さないよね?」
「え、俺、男は嫌だぞ?」
「何ソレ酷い! 僕だけだって言ったじゃない!」

「ちょ、声がデカい。っつーか、俺は二十三年も完全ヘテロ属性のストレートで生きてきてだな――」
「だってそんな……弄んで捨てる気なの!?」
「だから人聞きの悪いことを叫ぶなって!」

 ランチが安くて旨いリンデンバウムはスナックやクラブ、合法ドラッグ店などが建ち並ぶ裏通りの歓楽街にあった。ファストフード店のような喧噪と無縁なのを気に入っているのだ。
 夜遊び専門の界隈で真っ昼間の上に梅雨模様とくれば人通りも少ない。だが全く人がいない訳でもなく、今も傘を差した男女のカップルが二人を振り返り眺めていた。

「バディを組んでたった一年半で捨てられるなんて!」
「バカ言うな、人の話は最後まで聴けよ!」
「別れ話なんか聞きたくないよ!」
「違うって! ……こっちだ、来い!」

 レインコートの腕を取ると人目を引きずりながらシドはぐいぐい歩き始めた。
 裏通りを数十メートル行くと店舗と店舗の間の裂け目のような小径に入る。そこを抜けると表通りで、アパレル関係の店が並ぶこちらは傘の花が満開だ。
 主にご婦人方がウィンドウショッピングを愉しむ歩道を横切ってみると、雨のせいか大通りに列を成すコイルがいつもより多いように感じられた。

 コイルはAD世紀でいう自動車くらいポピュラーな移動手段だ。形も似ているがタイヤはなく、小型反重力装置を備えていて僅かに地から浮いて走る。殆どの場合座標指定してオートで走らせるもので、目的地に着き停止し接地する際に車底から大型サスペンションスプリングが出るのでコイルと呼ばれるようになったらしい。
 そのコイル群がセンサ感知してクラクションを鳴らすのにも構わず、シドはハイファを連れて横断歩道でもない所を突っ切り公園へと足を踏み入れた。

「痛い、離してよ!」
「いいからこっちだ」

 雨でも五歳くらいの子供が二人、雨合羽を泥だらけにして砂場と遊具で遊んでいる。子供の母親らしき二人の女性が噴水の横で傘を差して歓談中だ。
 それらを横目に人工林の中の遊歩道に向かう。
 ようやくシドが足を止めたのは遊歩道の真ん中辺りにあるベンチの前だった。傍に灰皿とオートドリンカが設置されている。

 雨が木々の葉を打つ音を耳鳴りのように聞きながら、シドは雨に構わずポケットから煙草を取り出し、一本咥えて引き出すとオイルライターで火を点けた。紫煙とともに溜息をつく。
 咥え煙草で左手首に嵌ったリモータを見た。

 リモータは現代の高度文明圏に暮らす者にとって必要不可欠なマルチコミュニケータである。現金を持たない現代人の財布でもあり、これがないと飲料一本買えず、自宅にすら入れないという事態に陥るのだ。上流階級者などはこれに装飾を施したり、護身用の麻痺スタンレーザーを搭載していることもあった。

 だが今は時間を見ただけ、時刻は十三時十分だった。まだ帰るには早いとみて、シドはリモータをオートドリンカに翳す。省電力モードから息を吹き返した機器を見て少し迷い、保冷ボトルのアイスティーを一本手に入れた。
 キャップを開けてひとくち飲んでから、突っ立っているハイファに手渡す。

「これでも飲んで、頭冷やせよ」

 素直に受け取ったがハイファの泣きそうな怒り顔はまだ治らない。
 ベンチは濡れていて座れず、二人は少々の距離を置いて立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ワイルド・ソルジャー

アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。 世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。 主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。 旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。 ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。 世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。 他の小説サイトにも投稿しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

宵どれ月衛の事件帖

Jem
キャラ文芸
 舞台は大正時代。旧制高等学校高等科3年生の穂村烈生(ほむら・れつお 20歳)と神之屋月衛(かみのや・つきえ 21歳)の結成するミステリー研究会にはさまざまな怪奇事件が持ち込まれる。ある夏の日に持ち込まれたのは「髪が伸びる日本人形」。相談者は元の人形の持ち主である妹の身に何かあったのではないかと訴える。一見、ありきたりな謎のようだったが、翌日、相談者の妹から助けを求める電報が届き…!?  神社の息子で始祖の巫女を降ろして魔を斬る月衛と剣術の達人である烈生が、禁断の愛に悩みながら怪奇事件に挑みます。 登場人物 神之屋月衛(かみのや・つきえ 21歳):ある離島の神社の長男。始祖の巫女・ミノの依代として魔を斬る能力を持つ。白蛇の精を思わせる優婉な美貌に似合わぬ毒舌家で、富士ヶ嶺高等学校ミステリー研究会の頭脳。書生として身を寄せる穂村子爵家の嫡男である烈生との禁断の愛に悩む。 穂村烈生(ほむら・れつお 20歳):斜陽華族である穂村子爵家の嫡男。文武両道の爽やかな熱血漢で人望がある。紅毛に鳶色の瞳の美丈夫で、富士ヶ嶺高等学校ミステリー研究会の部長。書生の月衛を、身分を越えて熱愛する。 猿飛銀螺(さるとび・ぎんら 23歳):富士ヶ嶺高等学校高等科に留年を繰り返して居座る、伝説の3年生。逞しい長身に白皙の美貌を誇る発展家。ミステリー研究会に部員でもないのに昼寝しに押しかけてくる。育ちの良い烈生や潔癖な月衛の気付かない視点から、推理のヒントをくれることもなくはない。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

宮廷の九訳士と後宮の生華

狭間夕
キャラ文芸
宮廷の通訳士である英明(インミン)は、文字を扱う仕事をしていることから「暗号の解読」を頼まれることもある。ある日、後宮入りした若い妃に充てられてた手紙が謎の文字で書かれていたことから、これは恋文ではないかと噂になった。真相は単純で、兄が妹に充てただけの悪意のない内容だったが、これをきっかけに静月(ジンユェ)という若い妃のことを知る。通訳士と、後宮の妃。立場は違えど、後宮に生きる華として、二人は陰謀の渦に巻き込まれることになって――

リンダ

Tro
キャラ文芸
武装?メイドが被保険者である貴方をあらゆる災害から守ります。 海外出張のため飛行機で移動中の主人公は、窓の外に異様な光の玉を目撃します。 そこから放たれた四つの光が、ある地域の四隅に聳え立ち、三つの国を囲みます。 光の柱となったその間隔はおよそ2000Km。 その内側で、主人公が七つの災いに翻弄されていきます。 それでは、心の準備が出来次第、主人公と共に旅立ちましょう。

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。 のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。 彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。 そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。 しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。 その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。 友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?

処理中です...