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第31話

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 この土砂降りでレーダー感知が遅れたのか、監視部隊からの警告よりも高射特科が目視で敵爆撃ヘリを狙い撃った方が早かった。
 だが次々と飛来した、何処の所属かも分からない爆撃ヘリの数は尋常ではなく、八基ある高射砲は呆気なく潰される。

 そんなことは知らない霧島と京哉は事務室を飛び出した。

「外は拙い、バルカン砲でられる!」

 イーサン=ハーベイ中尉の叫びは聞こえたが、霧島は見えない敵に殺られたくない思いで足を止めず、雨で暗い空を更に黒く浸食する爆撃ヘリの大襲来を目にする。

 もはや爆弾こそが雨のように降り注いでいた。

 カネに飽かせて無駄に豪奢なものを建てた人間をあざ笑うかのように、遠目にも五階建ての兵舎は無惨に崩れて低くなり黒煙を上げていた。高射砲の次にやられたらしい格納庫辺りからも数条の煙が出ている。お蔭でこちら側の迎撃ヘリは一機も上がっていないようだ。

 雨が叩く土の匂いに混じって、プラスチックの融ける異臭が鼻をツンと刺す。 

「こっちに来るぞ、逃げろ!」
「いったい何処へだ!? イーサン、防空壕は?」

 立ち尽くすイーサン=ハーベイ中尉は、無表情で首を横に振った。

「そんなものはない」
「何だって? それは本当か……来たぞ!」

 爆撃ヘリから落とされた爆弾が補給倉庫の湾曲した屋根に吸い込まれる。出てきていた兵士たちに倣い、霧島と京哉も雨の中に身を投げ出した。直後、大音響がして大扉から爆風が吹き抜けてくる。

 更に爆弾が投下され、爆風に背を押されるようにして皆が僅かに走っては、また伏せた。その背に建材の破片や倉庫の物資の欠片がごつごつと当たる。

 匍匐で這った霧島は京哉の上に覆い被さった。

「バルカン砲、来ますっ!」

 斜め上方を見上げた京哉が叫ぶ。だが並んだ補給倉庫は全壊し身を寄せられる建物は全て瓦礫と化していた。これでは全滅する。恐怖を捩じ伏せるため霧島は喚いた。

「だめだ、走れ、散れっ!」

 跳ね起き駆け出した霧島たちに対し、超低空を飛来した爆撃ヘリの二機が前後からクロスアタックを敢行する。バルカン砲が唸りを上げた。
 黄色かった砂礫が黒っぽい泥濘と化し、逃げ惑う兵士たちの足を滑らせる。二十ミリ榴弾が泥を弾かせて炸裂した。

 二連射が四人の兵士たちの背を、腹を引き裂き、頭を割れた西瓜の如く変える。

「向こうの瓦礫の中に隠れろ!」

 この雨だ、道の上よりは見つかる可能性が少ない。残った者が走る。だが爆撃ヘリは反転して瓦礫に辿り着く前にリアタックを掛けてきた。肩に被弾した兵士をイーサンが突き飛ばす。そのイーサンの背から胸まで二十ミリ榴弾が貫通した。

 激しい雨の中、イーサン=ハーベイは血肉を撒き散らして、つんのめるように吹っ飛んだ。ぬかるみに倒れた躰に霧島と京哉が駆け寄る。

「イーサン! イーサン=ハーベイ!!」

 見開かれたままのグリーンの目に既に光はなかった。京哉が首を振る。

「もう医務室に運んでも無駄みたいですね」
「くそう……この国は、こんな殺し合いばかり繰り返して何になる!」

 みたびアタックの態勢に入った爆撃ヘリの一機に、霧島は銃口を向けた。

「貴方、忍さん、無茶ですよっ!」

 構わず霧島は発砲する。爆撃ヘリのキャノピは防弾樹脂、だが貫通力の高いフルメタルジャケット九ミリパラベラムを一点集中連射だ。想定外の十五発をたった三秒ほどで叩き込まれた前部キャノピは最後の一発の貫通を許す。血飛沫がキャノピに散った。

 ヘリは急上昇で離脱する。
 クロスアタックのタイミングを逃したもう一機も僚機に倣った。

「忍さん、怪我はっ!?」
「何処にもない、大丈夫だ。問題ない」

 生き残りは霧島と京哉以外に三名の兵士のみ。全員が瓦礫の中に身を寄せた。息を殺すような数十分が過ぎ、爆音がしなくなって皆がそろそろと立ち上がる。奇跡的にレピータが活きていたようで霧島の携帯が振動した。京哉も覗き込む。

【日本政府首相を通して『上』より下された特別任務を霧島警視及び鳴海巡査部長に伝える。バルドール国軍第四十二駐屯地補給中隊に赴任し、アルペンハイム製薬の全工場を爆破せよ。 一ノ瀬】

 雨に叩かれながら、霧島は何もかもを放り投げたい気分だった。

「また政府の『上』って……嘘だろう?」
「僕もそう思いたい。無茶振りもいいところですよ。で、どうします?」
「そうだな、医務室にでも行ってみるか」

 これだけの絨毯爆撃で医務室が無事だったとは思えない。けれど他に行くあてもなく、霧島と京哉は土砂降りの中を歩き出す。瓦礫や兵士の死体を避けながら十五分ほど歩き、医務室のあった場所に辿り着いた。

 そこでもやはり瓦礫になった医務室を兵士たちが掘り起こしているのが目に映る。霧島には誰もが無表情で雨に濡れたからというだけでなく鈍色に染まって見えた。
 元・医務室の前には雨を避けるものもない中、数えきれないくらいの負傷者が並べて寝かせられている。濡れそぼった白衣が往き来してトリアージをしていた。

「何だ、お前さんたちと世間話してるヒマはないぞ」

 開口一番のマリクの挨拶は最初に会った時と変わらぬ口調だった。まるでこんなことには慣れているとでもいうように。それでも足を止めたマリクに霧島が応える。

「もういい、全部聞いた」
「イーサンか。あいつは?」

 黙って京哉が首を振るとマリクは溜息をつき、また負傷者の間を巡り始めた。暫く眺めていたが、足元にまで赤い雨水が流れてくるに及んで、その場を離れた。

「どうしよう、何処に行きましょうか?」

 答えを持たない霧島は黙って歩く。やがて崩れた本部庁舎前の広いグラウンドに出た。そこには爆撃ヘリが数十機も駐まっていて、ノーズを綺麗に並べたそれは味方のヘリではあり得ない。味方機は全て穴だらけで一機も格納庫から上がれなかった。

 つまりこれらの機は敵である。駐屯地を本格的に占拠する前の歩兵待ちなのだろう。

 だがそんなことはもう、どうでも良くなっていた。

 乗組員たちは雨を避けて出てこないようだ。こちらが戦意喪失しているのを承知の上で堂々と駐機している。霧島と京哉は爆撃ヘリの一機一機を数えるように歩いた。

 見覚えのある一機の前で立ち止まった霧島はその爆撃ヘリのスライドドアをカンカンと叩く。するとそれは待っていたかのように内側から開いた。顔を出したのは茶髪でひょろりとした長身と小柄で赤みがかった金髪の二人だった。

「迎えが遅くなってすまなかったな、お二人さん」
「機長に射手殿、無事だったんですね、良かった!」

 オスカー=コンラッド軍曹とリッキー=マクレーン伍長はこの雨と惨状にそぐわない晴れやかな顔をしていた。作戦参加した以上は地上の様子くらい予想はつく筈だがそれをいちいち考えていたら日々のソーティなどこなせない。

 今回も彼らにとっては大勝利なのだ。一過性でも負けより断然いいに決まっていた。

「水も滴るってヤツだな。入って乾かさないと風邪引くぞ」

 オスカーの声で機内に入った二人は見回して不思議に思う。京哉が訊いた。

「二人で飛ばしてきたんですか?」
「五〇二爆撃中隊総員出撃命令だったんだ。飛ばして落とすだけなら二人で充分」
「前代未聞の第三十駐屯地との合同作戦だったんですよ」
「そうそう、ここまで簡単なオペレーションで駐屯地ひとつが手に入って――」

 この国の兵士はあくまで明るく、圧倒的勝利を喜んでいる。霧島はそれに水を差すこともなく黙っていた。果てしない疑問と怒りを胸に燻らせながら。

 命の総量を比べなければならないようなシチュエーションに出くわしたことがない霧島は幸せで、イーサン=ハーベイたちのように苦肉の策で正当防衛だの緊急避難だのと言いながら命を天秤にかけなければならないほど追い込まれるのは、これ以上なく不幸なのだろう。

 だからといって一方でこのような殺し合いをして絶望が晴れるのか。
 人殺しにまで追い込むような薬を売り続けて未来への希望が生まれるというのか。

 間違っていることだけは霧島にも分かるが、だからどうするという答えが出ない。

 その点、命令ひとつで見ず知らずの人間をスナイプし命を奪ってきた京哉は切り替えも割り切りも早く、本能的に答えに辿り着くのも非常に早かった。

「忍さん。イーサンみたいな考え方の人もいれば、様々な戦い方、例えば選挙や市民のデモレヴェルにメディアを使った野党の戦略などで新たな国家統一を目指す人もいるでしょう。けれどそのうちどれが正解だったのかなんて今は分かることじゃない」
「だから放っておけとでもいうのか?」

「そうは言いませんし、放っておけない事態だから僕らが遣わされたんでしょう。本部長のメールにあった『上』……おそらく国連安保理の介入でもなければこの国の人たちの生活やそもそもの考え方が変化するきっかけは訪れないのかも知れない」
「その遣わされたのが我々二人とはな。何ができると言うんだ?」

「たぶん何も。それはこの国の人々自身が苦しんでのたうち回って、やっと生み出して掴み取るものなんですから。内側から生まれないとだめです。外から押し付けられてもついてゆけない国民から破綻して、また繰り返します」
「頭で理解はしている。だがあれだけの人間が、一度きりしかない命が不要な紙切れの如く……納得できない」

「うーん、僕なんかが口幅ったく語るよりも、忍さんご自身の中で暫く思考が発酵するまで考えるしかないでしょうね」

 話の切れ目を待っていたようにオスカーが京哉をエスコートするような手ぶりで操縦席を示す。同時に真似して隣のガナー席に霧島をリッキーが示して笑った。

「あんたらはここに留まらない、よそに行くんだろう?」
「そうなんですけど、この機に乗って行ってもいいのかな?」
「途中で給油したから燃料は殆ど満タン、歩兵が来るのはどうせ明日以降だからな」
「ふうん、そう。でも僕らって二十七駐屯地の員数から抜けちゃったんですけど」

 そう言いつつもエスコートされるままに京哉はパイロット席に就く。霧島もガナー席に座ってエアコンの温風を強く設定した。二人に背後からオスカーが笑い声を送ってくる。

「俺たちはまだ申告を聞いていないんでね。機長、ユー・ハヴ・コントロール」
「アイ・ハヴ。空港まで行きますよ」
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