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第22話

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「――忍さん? 忍さん!」

 うっすら目を開けると間近に少しふちを赤くした黒い瞳があった。右腕を伸ばして京哉の前髪をクシャリと掴んでやる。さらりとした感触が心地いい。

「京哉……何処だ、ここは?」
「大丈夫、村の診療所です。こめかみと腕は血管も傷口も縫合して貰いましたから」
「そうか。私はどのくらい寝ていたんだ?」
「三時間くらい、今十三時すぎだから。あ、急に起きるとまた貧血起こしますよ」

 起きようとする霧島に京哉はそっと手を貸した。
 上体を起こすと薬品臭と土埃の匂いがするのに気付く。

 そこは日本の霧島たちの寝室くらいしかない狭い部屋だった。焦点の合いづらい目を眇めて見ると、何と壁は石の土台にコンクリートのシンダーブロックが歪に積み上げられているだけというシロモノだ。地震があったらどうするのだろうと思う。

 窓は素通しで、閉める時は下に立て掛けてある板を嵌めるらしい。
 他には塗りの剥げた合板のドアが二枚。天井には古臭い裸電灯が下がっていた。

 寝かされていた寝台はあちこちに茶色い染みがこびりついた、硬く薄っぺらいものだ。今、霧島がいるそれの他にもう一台並んでいたが患者はいない。足元には毛布代わりか、ふちのほつれたタオルケットのような布が畳んである。

 枕元にはショルダーホルスタに収まった銃がちゃんと置いてあった。

 気付けば上半身は裸で治療のために脱がされたのだろうが、その服が見当たらず辺りを目で探す。するとドアを開けて白衣というには、かなり汚れたものを羽織った男が部屋に入ってきた。

 歳は霧島と変わらないくらいで二十七、八だろうか。黒髪で青い目をしている。深皿をひとつ手にしていた。その男に京哉が片言英語で告げる。

「カール、気が付きました」
「そうか。食事だ」

 二人分らしき一皿を京哉に手渡すとカール医師はそっけなく出て行ってしまった。治療の礼を言うヒマもなく去られてしまったが仕方ない。霧島は京哉が手にした皿を眺めた。

「食べられそうですか?」
「ああ、何とかなりそうだ」

 皿の中身はスープだった。小麦か何かを練ったものと緑色の豆が沈んでいる。二本突っ込んであったスプーンで二人は食べ始めた。薄い塩湯のようなスープだった。

「かなり貧しい村みたい。二十軒くらいしか家はなくて言ったら何ですけど、全部そこらの石を積み上げた掘っ立て小屋です。この診療所が一番まともなくらいですよ」
「まあ、この飯を見れば分かるな」

 食べているうちに窓の外から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。いつまでも止まないそれに二人は自然と無口になる。お蔭で食事は三分もかからず終わってしまった。

 食器を持って京哉はドアの外に消える。霧島はゆっくり立つと窓外を覗いてみた。向かいの小屋の軒先にヒモが渡してあり、霧島の制服の上衣とワイシャツが干してある。
 左側が村を縦断する小径らしい。整地されておらず、ここも黄色い砂礫の地面だった。人通りはなく、ひっそりとしている。

 何となく部屋の中をうろつき、まだ中身の分からないドアのノブを捻ってみる。そこは洗面所とトイレだった。薄暗いそこで歪んでヒビの入った鏡を見る。

 頭を一周して包帯は巻かれていたが、怪我をしたのはこめかみ寄りだが左目の上辺りらしく、そこだけガーゼが挟まって赤く血が滲んでいた。これも包帯を巻かれた左肘は少し攣っているような気がする。利き目側ではないがホッとした。

 余りに視力低下するとサツカンも務まらない。

 騒がれるのも何なので寝台に戻る。同時に京哉が帰ってきた。

「京哉お前、食後の一服はしないのか?」
「外に行ってきますよ」
「待て、私も行く」

 暫し問答したのちに京哉は折れて、手にしていた三角巾を霧島の首の後ろで結ぶ。そっと左腕を通させて吊ると甲斐甲斐しく霧島に手を貸して立たせようとした。

「いや、もう大丈夫だ、問題ない」
「そうですか? ならいいけれど無理はしないで下さいね」

 ドアを開けると診察室だ。粗末な木の椅子からカール医師が青い目を上げる。京哉が煙草とオイルライターを振って見せて通過し開け放されたドアから外に出た。

「やはりここも暑いな」
「でも整地されてないから降ったら結構大変なんだって言ってました」

 煙草を咥えて火を点けた京哉は紫煙を吐いた。その煙を目で追って霧島は青空を見上げる。雨が降りそうには見えない。雲の一片もない快晴だった。

「水に困っているようではないし、こんな気候でも雨は降るのか」
「らしいです。水はあるからシャワーは浴びられます。村で共用のポンプ式だけど」
「寝ている間に色々仕入れたんだな」
「英語の分かる範囲で。『ゆっくり治せ』ですって」
「ゆっくりしてもいられんだろう、実際。食い扶持にも困るだろうし」
「だからって帰る手段もないですしね」

「携帯は繋がらなかったのか?」
「ううん、幸い繋がってベースキャンプには連絡済みです。だけど、かなりアラキバ抵抗運動旅団に近いですから期待しない方がいいかも。ベースキャンプの返事は渋かった気がしましたし」
「八方塞がりか、参ったな」
「おまけに煙草が一九一八号機の中ですよ、失敗しました」

 これには霧島もさすがに生温かい目となった。

「残は何本だ?」
「ポケットに二箱、プラス十五本です」
「節煙だ、節煙。たまにはクリーンな空気で肺を綺麗にするのも良かろう」
「厳しい戦いになりそう。あ、それより食後の薬があったんだ。これ飲んで下さい」

 制服のポケットから京哉が出したのはシートに入った錠剤だった。

「抗生物質ですって」
「ふむ。第二十七駐屯地といい、結構高級な品もあるのだな」

 京哉が吸い殻パックに煙草を押し込むと二人でゆるゆると小径に出た。十メートルほど先に井戸がある。そこでは赤ん坊を背負った女性が水を汲んでいて、上半身に何も着ていない霧島はやや退いたが女性は表情を動かさなかった。

 井戸のふちに置かれた金属のカップに水を貰い、霧島は薬を嚥下する。

「もうそろそろ服が乾いたと思うわ、軍人さん」

 洗濯してくれたのはこの女性らしく微笑んで服が干してある方を指す。カール医師に礼を述べるタイミングを逸した霧島は何となくここでしっかり頭を下げた。

「世話になったみたいだな、すみません」
「トリシャ、トリシャ=ルクレールよ」
「霧島と、こっちが鳴海だ」
「鳴海さんは知ってるわ」

「トリシャはね、カールの奥さんなんですよ」
「ほう、あの医者、若いのに子持ちだったのか」
「日本語だからって奥さん目の前にして、身も蓋もない」

 つつき合う二人に笑顔を向けて女性は服を干した小屋の方へと歩き始める。

「こっちよ、来て。服を着ないと、ここは余計に暑いでしょう?」

 泣いていたのはこの赤ん坊だったのだろうか。背負われて今は静かに眠っている子供は見るからに痩せていて、ここでも村の困窮具合が分かるようだった。

 小径を戻って乾いた制服を受け取ってみると、簡単であったがワイシャツと上着の腕のほころびも繕われていた。再度礼を言い、服を抱えて診療所に戻る。
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