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第70話
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手を拭いたシドはハイファのバイタルサインが正常なのを確かめた。またもやらかしてしまった自分の所業に呆れつつ二人分の後始末をし、ぐったりとしたハイファの下から毛布を引っ張り出して素肌の上から被せてやる。
白い顔を暫し眺めたのち、ベッドから滑り降りるとバスルームの前、ダートレスの上に置いていた着替えを持って戻った。
下着と紺色のパジャマをハイファに着せ、自分も色違いお揃いのグレイッシュホワイトのパジャマを身に着ける。ハイファの隣に潜り込んでライトパネルをリモータで常夜灯モードにした。金髪頭を左腕で腕枕し長い後ろ髪を指で梳きながら目を瞑る。
退避していたタマが現れベッドに飛び乗ると二人の足元に丸くなった。
◇◇◇◇
翌朝、いつものようにシドはタマに足を囓られて目が覚めた。時刻は六時過ぎ、せっかく取った有休だというのに不健康なまでの早起きである。
ともあれワープラグは脱したようで、大欠伸をしながらベッドから降りてキッチンに向かった。タマの水を替え、皿にカリカリを盛りつけてやると、テーブルに置いてあった煙草を咥えてオイルライターで火を点ける。一本を灰にしてから寝室に戻った。
するとハイファも起きていて、上体を起こした姿勢でじっと毛布を眺めていた。
「ハイファ、お前の方が猫みたいだぞ」
「ん、そうかな。……ねえ、シド。僕、何だか起きれないんだけど」
「起きれねぇって、俺、壊しちまったのか?」
「壊れたかどうかは分からないけど、何だか立てそうになくって……」
「……すまん」
ポーカーフェイスを崩して謝る男を前にハイファは引き攣りながらも笑顔を作る。
「貴方が悪いんじゃないよ、僕が……あの、アレだったから。ごめん」
「いや、マジですまん。悪かった」
だが経験則から暫く横になっていれば動けるようになることなどを説明し、ここはのんびり二度寝を勧める。それを聞いて安心したハイファは素直に横になった。
ハイファが寝ついたのを見届けてシドはキッチンに出て行き、再び煙草を咥えて火を点けるとコーヒーメーカをセットする。音声を絞ってホロTVも点けた。
ニュースを検索していなかった間の事件などをチェックする。イヴェントストライカ不在のテラ本星セントラルは平和だったらしかった。
ただ八分署捜査二課に逮捕された中央情報局員は事実否認のままで勾留期限延長されて、未だ八分署の留置場暮らしのようだ。ざまあみろと思う。
マグカップを出しコーヒーを淹れる頃になってハイファが壁伝いにやってきた。
「何だよ、寝てなかったのか。無理はするなよ」
「うん。だけど喉、渇いたから」
そういえば昨夜は水も飲まずに気を失ったのだ。可哀相なことをしたと思い、シドは冷蔵庫から昨日買ったミネラルウォーターの栓を開けグラスに注いで渡してやる。ハイファは椅子に着席してグラスを傾けた。二杯目はコーヒーを要求され、マグカップを置いてやる。
「で、今日は何をするの?」
「外には出ねぇよ、潜行モードだ」
「つまんないの。でも何だか書類が要るんじゃなかったっけ?」
「お前の診断書な。そいつは昨日のうちに隣の医者に頼んである。あとで取りに行くさ」
「そっか。じゃあ僕は朝ご飯でも作ろうかな」
「まだ無理すんなって」
「無理じゃないよ。ゆっくりなら動けるから奥さん修行の邪魔しないでよね」
まだこだわっているらしい。ヨロヨロとテーブルを伝い歩くハイファに、シドはハナシのエスカレート防止に独り掛けソファに移動してホロTVの音量を上げ、視ているフリをした。
やがて朝食ができたらしく煙草四本目で声が掛かる。
テーブルに着いてみると朝食はバゲットのフレンチトーストとハム野菜サラダだった。メープルシロップをかけたフレンチトーストのプレートを前に二人で手を合わせる。ドレッシングは買ったものだが酸味の少ないサウザンアイランドだ。
「おっ、旨そうだな。いただきます」
「いただきまーす。……うーん、ちょっと甘すぎたかな?」
「そうか? いけるぞ、これ」
「お昼はピラフとスープに挑戦するからね」
「頑張ってくれ」
「夜はまた買い物に行きたいんだけど、だめかなあ?」
「だめじゃねぇが、ネットスーパーだってルームサーヴィスだってあるんだぞ?」
「自分の目で見て食材を選びたいんだもん」
主夫根性は健在らしい。夕方の主婦軍団が捌けた頃ならという条件付きで出掛けることを約束させられる。
食事を終えてコーヒー&煙草タイムに玄関のチャイムが鳴った。リモータで解錠すると依頼通りにマルチェロ医師が入ってくる。出勤前で濃緑色の制服に白衣を引っかけていた。
「おっ、ハイファス、元気そうじゃねぇか」
「ええと……センセイ?」
「おうよ。マルチェロだ。にしても難儀だな、旦那よ」
「まあ、ゆっくりさせるさ。診察でもするのか?」
「しねぇよ、俺は外科だからな。形ばかりの診断書はシド、あんたのリモータに送る」
「タマといい助かった。礼を言う」
「なんの。いつも旨い飯を世話になってるからな。治ったらハイファスに返して貰うさ」
言われてハイファはやや戸惑った風ながらマルチェロ医師に頷いて見せる。
と、マルチェロ医師の白衣の背から何かがふわりと舞い上がった。シドとハイファが気付いて目で追う。それはチョウチョだった。広げた羽のグリーンが煌めいて美しい。
「ああ、こいつは一昨日食い損なってサナギになっちまったエレンだ」
「おやつにいい加減な名前をつけるなよ」
何処からか現れたタマがチョウチョを発見し、ジャンプして爪を掛けようと大変な騒ぎとなった。だがチョウチョはひらひらとライトパネル辺りを舞い、キッチンの天井近い収納庫の取っ手にとまって動かなくなる。
「先生、どうすんだ?」
「どうもしねぇさ。タマの遊び相手に暫く置いとけ。俺は出勤だ、ふあーあ」
大欠伸してマルチェロ医師は白衣の裾を翻し、玄関から出て行った。
何気なく二人でチョウチョを見上げたが、野生のケダモノが怖いらしく降りてこない。仕方なく放置することにしてシドは署へと発振し、診断書を送った。
すぐに診断書は業務管理コンに受理されハイファは無期限の療養休暇となった。
◇◇◇◇
ハイファの力作である昼のピラフとスープをかき込んでしまうとヒマで、シドは早めに買い物に誘った。主婦軍団の出撃前を狙うことにしたのだ。着替えて執銃し部屋をあとにする。
エレベーターで下り、着いた十五時のショッピングモールは、それでもかなりの人数がプロムナードをそぞろ歩いていた。
一軒で用事を済ませるべくシドは足早に一番大きなスーパーマーケットに向かう。
かごを載せたカートをシドが押し、ハイファはリモータ検索したメニューのレシピを見ながら、食材を次々とかごに入れてゆく。果物や野菜、培養肉に培養魚肉などの生鮮食品でかごが満ちると、急いでレジにシドがクレジットを移した。
全てを袋に詰めてダッシュで帰ろうとしたが途中でハイファが足をとめる。
「何だ、買い忘れか?」
「ううん、あそこのお花屋さんに行くんだよ」
「花まで食うのか?」
「違うよ、チョウチョにもご飯あげなきゃ」
その発想はなかった。花屋に寄ってハイファはガーベラとかいうオレンジ色の花を一輪手に入れる。シドが買い物袋を抱え、ハイファは花一輪を握り締めてエレベーターに乗った。
部屋に戻るとまずは食材を冷蔵庫の腹に収め、シドはソファで一服だ。タマは天井近くの収納庫にとまったままのチョウチョに飽きたようで、シドの膝の上で丸くなっている。何となくホロTVを点けると、何処かの星でミスコンをやっていて目が釘付けとなった。
見入っていたシドはふいに気付いて振り返る。するとハイファは片手に花を握ってキッチンの椅子の上に乗り、立ち上がろうとしていた。
「お前ハイファ、何やってんだ?」
「チョウチョにご飯あげるの。っと、もう少し」
「まだお前、足腰が……危ねぇからやめろって!」
白い顔を暫し眺めたのち、ベッドから滑り降りるとバスルームの前、ダートレスの上に置いていた着替えを持って戻った。
下着と紺色のパジャマをハイファに着せ、自分も色違いお揃いのグレイッシュホワイトのパジャマを身に着ける。ハイファの隣に潜り込んでライトパネルをリモータで常夜灯モードにした。金髪頭を左腕で腕枕し長い後ろ髪を指で梳きながら目を瞑る。
退避していたタマが現れベッドに飛び乗ると二人の足元に丸くなった。
◇◇◇◇
翌朝、いつものようにシドはタマに足を囓られて目が覚めた。時刻は六時過ぎ、せっかく取った有休だというのに不健康なまでの早起きである。
ともあれワープラグは脱したようで、大欠伸をしながらベッドから降りてキッチンに向かった。タマの水を替え、皿にカリカリを盛りつけてやると、テーブルに置いてあった煙草を咥えてオイルライターで火を点ける。一本を灰にしてから寝室に戻った。
するとハイファも起きていて、上体を起こした姿勢でじっと毛布を眺めていた。
「ハイファ、お前の方が猫みたいだぞ」
「ん、そうかな。……ねえ、シド。僕、何だか起きれないんだけど」
「起きれねぇって、俺、壊しちまったのか?」
「壊れたかどうかは分からないけど、何だか立てそうになくって……」
「……すまん」
ポーカーフェイスを崩して謝る男を前にハイファは引き攣りながらも笑顔を作る。
「貴方が悪いんじゃないよ、僕が……あの、アレだったから。ごめん」
「いや、マジですまん。悪かった」
だが経験則から暫く横になっていれば動けるようになることなどを説明し、ここはのんびり二度寝を勧める。それを聞いて安心したハイファは素直に横になった。
ハイファが寝ついたのを見届けてシドはキッチンに出て行き、再び煙草を咥えて火を点けるとコーヒーメーカをセットする。音声を絞ってホロTVも点けた。
ニュースを検索していなかった間の事件などをチェックする。イヴェントストライカ不在のテラ本星セントラルは平和だったらしかった。
ただ八分署捜査二課に逮捕された中央情報局員は事実否認のままで勾留期限延長されて、未だ八分署の留置場暮らしのようだ。ざまあみろと思う。
マグカップを出しコーヒーを淹れる頃になってハイファが壁伝いにやってきた。
「何だよ、寝てなかったのか。無理はするなよ」
「うん。だけど喉、渇いたから」
そういえば昨夜は水も飲まずに気を失ったのだ。可哀相なことをしたと思い、シドは冷蔵庫から昨日買ったミネラルウォーターの栓を開けグラスに注いで渡してやる。ハイファは椅子に着席してグラスを傾けた。二杯目はコーヒーを要求され、マグカップを置いてやる。
「で、今日は何をするの?」
「外には出ねぇよ、潜行モードだ」
「つまんないの。でも何だか書類が要るんじゃなかったっけ?」
「お前の診断書な。そいつは昨日のうちに隣の医者に頼んである。あとで取りに行くさ」
「そっか。じゃあ僕は朝ご飯でも作ろうかな」
「まだ無理すんなって」
「無理じゃないよ。ゆっくりなら動けるから奥さん修行の邪魔しないでよね」
まだこだわっているらしい。ヨロヨロとテーブルを伝い歩くハイファに、シドはハナシのエスカレート防止に独り掛けソファに移動してホロTVの音量を上げ、視ているフリをした。
やがて朝食ができたらしく煙草四本目で声が掛かる。
テーブルに着いてみると朝食はバゲットのフレンチトーストとハム野菜サラダだった。メープルシロップをかけたフレンチトーストのプレートを前に二人で手を合わせる。ドレッシングは買ったものだが酸味の少ないサウザンアイランドだ。
「おっ、旨そうだな。いただきます」
「いただきまーす。……うーん、ちょっと甘すぎたかな?」
「そうか? いけるぞ、これ」
「お昼はピラフとスープに挑戦するからね」
「頑張ってくれ」
「夜はまた買い物に行きたいんだけど、だめかなあ?」
「だめじゃねぇが、ネットスーパーだってルームサーヴィスだってあるんだぞ?」
「自分の目で見て食材を選びたいんだもん」
主夫根性は健在らしい。夕方の主婦軍団が捌けた頃ならという条件付きで出掛けることを約束させられる。
食事を終えてコーヒー&煙草タイムに玄関のチャイムが鳴った。リモータで解錠すると依頼通りにマルチェロ医師が入ってくる。出勤前で濃緑色の制服に白衣を引っかけていた。
「おっ、ハイファス、元気そうじゃねぇか」
「ええと……センセイ?」
「おうよ。マルチェロだ。にしても難儀だな、旦那よ」
「まあ、ゆっくりさせるさ。診察でもするのか?」
「しねぇよ、俺は外科だからな。形ばかりの診断書はシド、あんたのリモータに送る」
「タマといい助かった。礼を言う」
「なんの。いつも旨い飯を世話になってるからな。治ったらハイファスに返して貰うさ」
言われてハイファはやや戸惑った風ながらマルチェロ医師に頷いて見せる。
と、マルチェロ医師の白衣の背から何かがふわりと舞い上がった。シドとハイファが気付いて目で追う。それはチョウチョだった。広げた羽のグリーンが煌めいて美しい。
「ああ、こいつは一昨日食い損なってサナギになっちまったエレンだ」
「おやつにいい加減な名前をつけるなよ」
何処からか現れたタマがチョウチョを発見し、ジャンプして爪を掛けようと大変な騒ぎとなった。だがチョウチョはひらひらとライトパネル辺りを舞い、キッチンの天井近い収納庫の取っ手にとまって動かなくなる。
「先生、どうすんだ?」
「どうもしねぇさ。タマの遊び相手に暫く置いとけ。俺は出勤だ、ふあーあ」
大欠伸してマルチェロ医師は白衣の裾を翻し、玄関から出て行った。
何気なく二人でチョウチョを見上げたが、野生のケダモノが怖いらしく降りてこない。仕方なく放置することにしてシドは署へと発振し、診断書を送った。
すぐに診断書は業務管理コンに受理されハイファは無期限の療養休暇となった。
◇◇◇◇
ハイファの力作である昼のピラフとスープをかき込んでしまうとヒマで、シドは早めに買い物に誘った。主婦軍団の出撃前を狙うことにしたのだ。着替えて執銃し部屋をあとにする。
エレベーターで下り、着いた十五時のショッピングモールは、それでもかなりの人数がプロムナードをそぞろ歩いていた。
一軒で用事を済ませるべくシドは足早に一番大きなスーパーマーケットに向かう。
かごを載せたカートをシドが押し、ハイファはリモータ検索したメニューのレシピを見ながら、食材を次々とかごに入れてゆく。果物や野菜、培養肉に培養魚肉などの生鮮食品でかごが満ちると、急いでレジにシドがクレジットを移した。
全てを袋に詰めてダッシュで帰ろうとしたが途中でハイファが足をとめる。
「何だ、買い忘れか?」
「ううん、あそこのお花屋さんに行くんだよ」
「花まで食うのか?」
「違うよ、チョウチョにもご飯あげなきゃ」
その発想はなかった。花屋に寄ってハイファはガーベラとかいうオレンジ色の花を一輪手に入れる。シドが買い物袋を抱え、ハイファは花一輪を握り締めてエレベーターに乗った。
部屋に戻るとまずは食材を冷蔵庫の腹に収め、シドはソファで一服だ。タマは天井近くの収納庫にとまったままのチョウチョに飽きたようで、シドの膝の上で丸くなっている。何となくホロTVを点けると、何処かの星でミスコンをやっていて目が釘付けとなった。
見入っていたシドはふいに気付いて振り返る。するとハイファは片手に花を握ってキッチンの椅子の上に乗り、立ち上がろうとしていた。
「お前ハイファ、何やってんだ?」
「チョウチョにご飯あげるの。っと、もう少し」
「まだお前、足腰が……危ねぇからやめろって!」
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