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第45話

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 更にハイファは喉を振り絞って叫ぶ。

「あんたらだって、僕がいなけりゃもっと愉しめて、僕は――」
「もういい、ハイファ」
「僕は、誰も僕のことを買わないなら、僕自身が買うんだから!」
「ハイファ、分かったからさ」
「僕はもう、一人でも生きていけるんだから、放っておいてよっ!」

 もう隠しようもなく泣きじゃくりつつ、ハイファはプライドを護ろうと全身で叫んでいた。その絶叫をシドは唇で塞ぐ。腕の中で細い身が硬直するのにも構わず、しょっぱいキスを存分に奪ってから、暗さでグリーンに見える瞳を覗き込んだ。

「だめだ、ハイファ。お前は独りで生きていけるかも知れんが、俺は違う。俺はお前が、誰でもないお前がいないともう生きていけそうにねぇんだ。だから頼む、逃げずに傍にいてくれ」
「シドの……傍に?」

 この上なくシリアスなシドの物言いは大人たちに対するハイファの猜疑心を融かすことに成功したようだった。涙に濡れた目がゆっくりと上げられ、シドを正面から見つめる。

「ホントに、本当に傍にいてもいいの?」
「ああ、いてくれ。いて欲しいんだ」

 するとハイファは、それこそ神をも堕とすような笑顔になった。跡継ぎとしてではなく、ハイファス=ファサルートとして誰かに必要とされることなど母親が死んで以来なかったのだろう。シドもつられて珍しくポーカーフェイスを崩し、破顔する。

「そっか。ごめんね、勝手に出てきちゃって」
「こっちこそ悪かったな、罰なんて言ってさ。お前は何も悪くねぇのに」
「ううん、黙って出てきたのはごめんなさい。でもシド、さっきの科白ってすごいね」
「って、何がだよ?」

「だって愛の告白かプロポーズみたいだったよ。僕、吃驚しちゃった」
「……」

 今まで何度も囁いてきた、それはまさに愛の言葉だったのだが、クスクスと笑うハイファはまるでそのようには受け取ってはいなかった。自分が本当は大人であることやペアリングの意味も知っていること、そもそもペアリングが自分の怒りを一層かき立てたことなどは、立て続けに起こったモノゴトでぶっ飛んでいたのだ。

 キスまでしたというのに伝えたかったことの最たるものを軽く弾き返された形でシドは悄然とする。ジョンがまたも肩を震わせるのが腹立たしい。
 そのジョンが手を叩いて自己主張した。

「お邪魔をして悪いのですが、いつまでもここに留まるのはどうかと思われます」
「そうだな。ハイファ、立てるか?」 

 まだダメージの回復に至らないハイファはベッドを這うようにして移動する。そこで兵士たちの末路を知って息を呑んだ。シドは引きずり下ろした兵士三人に対し一発に聞こえるほどの速射で三発、オールヘッドショットを食らわせていた。テミスコピーを使用したのはハイファの恨み、プラス、戦地で九ミリパラなら足が付きづらいという少々の打算である。

 立ち上る異臭に思わずハイファは呼吸を止め、次には目前の端正な顔に見入った。

「ハイファ。怖いか、俺が?」
「怖く……ないよ」
「よし、じゃあ掴まれ」

 首に腕を回させておいて、シドはハイファを横抱きに抱き上げる。そして気付いた。ハイファの躰は酷く熱かったのだ。襲われたショックか傷からか、高熱を発していた。

 急いでエレベーターに向かい、ここでのモノレールステーションがある三十五階まで上がった。他の利用客もいて目を惹いたが、取り敢えずハイファの衣服の惨状はジャケットのボタンを留めて殆ど隠れている。だからといって大人の男のお姫様抱っこは果てしなく目立ったが、それについて追求するお節介な輩はいなかった。

 余程消耗したのだろう。メイフェアホテルの部屋に辿り着いたときにはハイファは既に眠り込んでいた。湯で絞ったタオルで躰を拭いてやってから着替えさせ、ベッドに寝かせてシドはフロントに発振し、ホテル専属医師の手配を頼む。

 やってきた医師の見立てでは、発熱は傷によるものではなく過労ということだった。無針タイプの点滴をセットした医者は、明後日の星系間ワープに難色を示して帰って行った。
 ずっとハイファについていたシドは喫煙欲求を感じて椅子から立ち上がる。だが対衝撃ジャケットの裾を引っ張られて足をとめた。見ればハイファが掴んでいる。

「何だ、起きたのか」
「ん……でも、傍にいてっていうの、だめかな?」
「一服したら戻る」
「傍で吸っていいから」

 熱に潤んだ目で訴えられ、シドは頷いて灰皿を取りにリビングに向かう。
 リビングではジョンがホロTVを視ていたが、シドを見ると肩を竦めた。三メートル以上離れるなという命令は五メートルに変更、一メートル以内に近づくなという項目も付け加えられて秋波も封殺され、ヒマなのだ。

「息子さんの具合はいかがですか?」
「あんたも聞いてたろ、もう少しシャバの空気が吸えることに感謝しろよな」
「私は捕まるようなことは何ひとつ、犯しておりません」

「そいつは別室で主張してみるんだな。それともウチの鬼瓦警部にクビを絞められてぇか? どっちがいいかは選ばせてやる」 
「ご親切にどうも」

 灰皿を手にして少し迷い、ロウテーブル上のウェルカムフルーツの山から林檎に似た黄色い果実と果物ナイフも取り上げて寝室に戻る。ハイファはベッド上で身を起こしていた。
 サイドテーブルに灰皿を載せてハイファの背にクッションを幾つか詰め込んでやる。そして煙草を咥えるより先にナイフと黄色い果物を手に取った。足元にダストボックスを置いて慎重に果物の皮を剥き始める。

 その危なっかしい手つきにハイファが恐る恐る訊いた。

「……ねえ。シドって料理するの?」
「いや、お前が料理担当。俺は包丁も持ったことがねぇんだ。っと、上手くいかねぇな」
「とってもコワいモノって、目が釘付けになるよね」

「まあな……あ痛っ!」
「ったく、何やってるのサ。それじゃ食べるところがなくなっちゃうよ。貸して」

 皮を剥くと云うより、削っては分厚い皮をボトボト落とすのを見て、我慢ならなくなったハイファが手を差し出した。これでは残った部分も血塗れになってしまう。
 だがシドは自分で剥きたいらしく真剣に皮を削いでいる。

 そうして口元に突き付けられたのは小さな果肉の破片だった。角張ったそれはうっすら赤みを帯びていて、元からなのか鉄分豊富なのか分からない。
 それでもハイファは素直に口を開けた。甘い。しゃりしゃりとした果肉は冷たくて熱を奪ってゆくようだ。次々に運ばれるそれをハイファは残らず口にする。

 シドがどれだけ珍しいことを成し遂げたか知らないまでも嬉しく、ハイファは最後の果肉を嚥下するとシドの左手首を掴んで傷ついた指を舐めた。

 途端にシドは自分でも思っていなかったほどの過剰反応でビクリと身を震わせる。温かな口腔粘膜に包まれた指先に湧いた疼きが、電流のように躰を走り抜けたのだ。それを知ってか知らずかハイファは無心にシドの指をねぶり続ける。これはヤバい。
 表面上はポーカーフェイスのまま、シドは手を引っ込めると白い額を指で弾いた。

「お前ハイファ、それは反則」

 首を傾げたハイファの目は無邪気で、やはりいつものまなざしではなかった。
 シドは思い切り溜息をつきたくなり、煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。
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