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第38話

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 雑談に興じているうちに、フランシスとマクナレンが用ありげに部屋から出て行った。シドを見ると咥え煙草で組んだ足を揺らしている。ジョンはリモータ操作して第四惑星ベンヌの下調べでもしているようだ。
 穏やかに時間は流れ、十一時四十五分になると男三人がジェレミーを促す。勢いを付けて立ち上がったジェレミーはシドとハイファに握手を求め、更にはハイファとハグして別れを惜しんだ。

「もしまたこの星に来ることがあったら、絶対にオムレツ作りにきてくれよな」
「ジェレミーこそ、もしテラ本星にきたら連絡してよね」

 元気よく手を振りヘイゼルの目と鼻を少し赤くして、ジェレミーは男三人とオートドアを出て行った。残る三人は密航者、目立つ行動は避けて室内に留まる。
 やがて室内の音声素子が振動し、出航五分前の放送が流れた。

「おい、フランシスたちは帰ってくるんだろうな?」
「って、あーた、何だか機嫌悪くない?」
「いい訳、ねぇだろ!」

「ごめんねシド、他の男と抱き合ったりして。僕は貴方ひとすじなんだから――」
「そっちじゃねぇよ! いいからまずは、とっととワープ薬を探せ!」

 それはすぐに見つかった。厨房に一番近いテーブル上の缶に入っているのをジョンが発見したのだ。水なしで呑める小さなチュアブル錠を三人は口に放り込んだ。
 まもなくG制御された宙艦は反重力装置を起動しアピス星系第五惑星ドルテの地から切り放たれた。放送が入らなければそれと分からないほど静かな出航だった。

 シドとハイファは二杯目のコーヒーを、ジョンはココアを手にテーブルに着いた。
 この辺りが愛し人の限界だろうとハイファが口火を切る。

「ジョン、ううん、ハイド=ラ=アルトっていった方がいいのかな?」

 見返した男は眼鏡を中指で押し上げ、落ち着いた口調で訊き返した。

「いつから御存知でした?」
「偽名にしたってお前、そのなりで『ジョン』だぞ? 最初からに決まってるじゃねぇか」
「そんな、乱暴な。本当はいつですか?」

 煙草を咥えて火を点け、シドは深々と吸い込んで紫煙を眼鏡に吹きかける。

「アルゴーの指令で惑星警察を動かしハイファを拉致させたのはあんただ。ブルックスホテル一五〇七号室のバルコニーからハイファを緊急機に乗せただろ」
「証拠は?」
「あんたの部屋の窓が曇ってた上に、俺たちの部屋より寒かったんだよ」

「まあ、それだけじゃ弱いよね。でもジョン自身が言ったんだよ、母親が貴方を娘と思ってたってね」
「言いましたが、それが何か関係あるとでも?」

「ん、まあ聞いてよ。ヘラクレスが斃したハイドラは『Hydra』だけれど、貴方のハイド=ラの『la』は今では文化言語となったAD世紀フランス語に於ける定冠詞じゃないの? 順序や文法は僕にも分からないけど、それって確か女性名詞を意味してる……名前にまで刻まれた女性としての証しは気の毒だけど」

「それでもまだ弱いなら、こいつだ――」

 と、シドがリモータ操作して十四インチホロスクリーンを立ち上げる。そこに映し出されているのは何処かの建物内の監視カメラ映像をスチルモードにしたものだった。きめは粗いが中央に映った人物は明らかにジョンである。

「――こいつはネオニューヨークの夕月総研で一週間前に撮られたものだ。ウチの鬼瓦みてぇな警部が官舎襲撃BELを割り出して遡り、夕月総研の臭いを嗅ぎつけた。そこで休暇取って乗り込んだ上に、こいつを含めた夕月総研社員全てのポラを分捕ったんだ。昨日の晩、天文学的な税金使ってダイレクトワープ通信で送ってきたんだよ」

 ココアを啜りながらジョンはやや俯いて紙コップの中に視線を落とす。

「そうですか。これは困りましたね」
「あんたもすっとぼけてんじゃねぇぞ。本当ならあいつの、ジェレミーの前で正体晒してやるつもりだったんだ。あいつはクルーエルに与したお蔭で俺たちに関わった。その挙げ句にテメェの親父を手に掛けるハメになったんだからな」

 ゆっくりとコーヒーを啜っていたハイファがアンバーの目を見つめた。

「でもジェレミーに憎しみの連鎖は重すぎるだろうからね。だからこそシドもここまでずっと我慢して黙ってたんだよ」
「本当なら俺があんたに二、三発ぶち込んで、迷路に放り込みたかったんだがな」
「なるほど。リンチにもかけられず、電波も通じないラビュリントスで放り出されなかった私は、貴方がたに礼を言うべきなんでしょうか?」

「僕らに礼は要らないよ。それにあのラビュリントス、じつは電波は通じるんだよね」
「ここにくるまでのボートでの移動間、それがたぶんあんたの最後のチャンスだった。そのチャンスにクルーエル経由でアルゴーの指令を出されても困るからな」

「アルゴーの指令で惑星警察の刺客を呼ぶ、それを阻止するためにジェレミーにも協力して貰って小芝居を打ったんだよ。何度も『電波が通じない』って強調してね」
「……」

 嵌められたのが余程悔しいのか、ジョンは仏頂面となってココアを一気飲みした。片手で紙コップを握り潰すと、今度もまたシュガー増量のココアを買ってきて着席する。

「それにしてもジョン、あんたは何処までも惑星警察をコケにして利用してくれたな。おまけに幾らあんたのツラを知ってたからってR&Dの四人はやり過ぎじゃねぇのか?」
「R&Dの一件に私は関与しておりません。さしずめクルーエルの秘密を知られまいとした分離主義者たちが暴走し、アルゴーへ依頼したというところでしょうか」

「そんな言い訳が通ると思うなよ」
「言い訳ではなく本当です。シド、貴方こそ、そんな目で見ないで下さい」
「テメェ、ジョン、ふざけるのも大概にしろよ!」

 テーブルの上に身を乗り出し、シドは思わずジョンの襟元を掴み締めていた。持ち上げて殴りつける寸前にハイファがその右腕を押さえる。

「シド、落ち着いて。ここでジョンを殴っても仕方ないでしょ」
「二、三発ぶん殴れば砂糖漬けの脳ミソがまともな思考を取り戻すかも知れん」
「どれも証拠がないんだから、貴方が訴えられるのがオチだよ」
「くっ……チクショウ!」

 突き放されたジョンはパイプ椅子にすとんと落下すると、グレイのタイを直した。
 安堵の溜息をつく落ち着き払った様子にシドは腹が立ってならない。ジェレミーとレッドの件もあるが、何よりもハイファをあのような目に遭わせたことが許せないのだ。

 冷めにくい土鍋だろうが陰険と言われようが、ひとつ間違えばハイファはあの警官たちに犯されていたのである。そう思うと未だに怒りは蒸発せず目が眩むような憎しみに駆られる。
 だからといって脅し上げて吐かせても、ハイファの言う通りあとで訴えられるだけだろう。

「まあ、そう怒らないで下さい。怒りは最大の敵、天敵は自身の内にあり、ですよ」

 まるで他人事のように言ってのけたジョンをシドはまた睨みつけた。

「そいつはあんたを知らない奴の言い種だ……くそう、エアロックから放り出したいぜ!」

 涼しい顔で紙コップに口を付けたジョンと、またも殴り掛かりそうなシドを冷静にハイファが留める。

「シド、落ち着いてってば。ジョン、貴方も調子に乗らないでよね」
「私は暴力で何かを成したことはございません。力の代わりに知恵を使っただけです」
「クルーエルを通してジェレミーたちを脅したのは暴力じゃねぇとでも言うのかよ?」
「証拠は何処にあるのでしょうか?」
「またそいつを言うか!」

 とうとうレールガンを抜き出そうとしたバディをハイファが慌てて押し留めた。

「チクショウ……んで、別室としてはこいつをどうするって?」
「任務は【事実関係の調査及び妨害排除】だからね。クルーエル・ネットワークさえ破壊すれば、僕らはもうお役ご免だと思うよ」
「ネットワークはジェレミー任せ、やっぱり任務完了か」

「まあ、そういうことだね。ジョンの処遇に関してはダイレクトワープ通信で訊いてみるよ」
「別室コンも誰かのせいでイカレポンチなんだろ?」
「ん、だから上の人に訊く。さあて、文面を練らなくちゃ」

 電波も光の速さを超えられない以上、通常通信は宙艦に乗せられ通常航行とワープを繰り返しリレー形式で運ばれる。故に先方に届くまで通常航行の分だけタイムラグが発生する。だがダイレクトワープ通信は亜空間レピータを使用してリアルタイムで届くのだ。しかし亜空間にレピータを設置し保守・維持する技術は難度が高くコストも掛かる。

 それ故に伝統ある耐乏軍人は、なるべく小容量にしようと毎回奮闘するのだ。
 その点、ゴーダ主任は胆が太かった。

「うーん、レッドの遺書も含めて合計四十三キロバイト、こんなとこかな」

 ショートワープをこなしたのち、ハイファは「えいっ!」と気合いを入れて送る。それを眺めてシドはまた十二兆という桁を思い出し、アホ臭くなって大欠伸をかました。
 やがて到着五分前の放送が入った。それぞれが艦内の電波を拾って現地時間をテラ標準時と並べて表示しているとフランシスとマクナレンも戻ってくる。

「ベンヌの自転周期は二十五時間十二分五十二秒か」
「着くのは星系首都のラスカ第一宙港なんだよね?」

 マクナレンがリモータを見ながら頷く。

「ああ。着が現地時間で朝の七時半ってとこだな」
「マクナレンたちは着いたらどうするの?」
「宙港で今回の荷を受け取るのは九時の予定だ。それまでここで昼寝をするくらいだが、あんたらが乗り継ぎ便に収まるまでは付き合うさ」
「そっか、頼りにしてる」

 フランシスとマクナレンは地下暮らしのせいか日焼け知らずの顔をほころばせた。
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